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穢れ

 露わな胸元をぬめっとしたモノが這う。

 虫酸が走り、鳥肌が立つ。


「他の者にその力、利用させるくらいならば、歌君として役に立たぬようにしてくれるわ」

 嫌だ。穢されたくない。

 神殿に居られなくなる。


「私を悦ばせることができたならば、我が屋敷で踊り女をさせるのも一興」

 侮辱を重ねる声がする。


 踊り女など。なりたくない。


 死にたい。

 死ねない。

 死にたくない。

 死ぬしかない。



 ズボンのウエストに手がかけられた。その時。

「これは、何ごとですかっ」

 荒い物音と一緒に、澄んだ叫び声が聞こえた。


 この声は……水の媛さま?



一三(ひとみ)の方、ご無事か?」

 男性の声と共に、押さえつけられていた躰が自由になったけど。

 魂と躰の繋がりが切れてしまって、動くことができない。


 背中を支えるようにして、動けない躰が起こされる。間近に見えたのは、フレデリックの顔。

「一三の方、お怪我は?」

「あ……」

 肩からゴワゴワしたものを着せかけられて。

 助かった、と判った瞬間。

 涙が溢れた。


「もう大丈夫、大丈夫ですから」 

 泣きじゃくる私の耳に、宥めるようなフレデリックの声が染みてくる。

「我々、衛士が付いていながら、申し訳ない」

 正面から聞こえた違う声に、目を擦る。

 涙で滲んだ光景に見えた、ドングリ目。


 日常馴染んだ二人の存在に、ほっと息を吐いて。

 纏いつく恐怖感と助かった安堵感に、我が身を抱きしめる。



 物のぶつかる音や怒鳴り声が意識に入ってきて、涙を収める努力をする。

 いつの間にか椅子へと座り直していた私の肩からは、フレデリックのものらしき制服の上着が掛けられて、荒らされた衣服を隠してくれていた。

 そんな私の傍らには、フレデリックが付き添ってくれていた。



 そして、大公閣下と子爵さまは。 

 アンディと、彼の上司にあたる班長さんの足元に座らされて、それぞれが刀を突き付けられていた。


「おのれ、衛士風情が無礼な」

 子爵さまが歯を剥き出して怒鳴った先には、水の媛さま。

「この方を、どなただと」

 言い募る勢いで腰を浮かした彼を、アンディの剣が牽制して。

 水の媛さまの警護についていた青の隊長さんが、一歩前へと足をすすめる。

「神殿に不法侵入した、狼藉者ですな」

「ろ、狼藉者とは、失礼なっ」

「あなた方は、歌君に乱暴を働いた。我々、衛士にとっては、紛れもない狼藉者です」

 隊長さんが、きっぱりと言い切る。



「王家に連なる私に刃を向けた罪は重いぞ? 覚悟は、あろうの?」

 余裕の口ぶりでニヤリと笑う大公閣下の正面に、ゆっくりとした足取りで水の媛さまが立たれる。その横にぴたりと付き添う隊長さん。

「コソ泥のように神殿に忍び込まれた方が、王家に連なるなど。それこそ、王家に対する不敬にございましょう?」

「……言葉には気をつけられよ。水の媛」

「少なくとも、神殿は」

 水の媛さまの背中が、大きく息を吸うように動くのが見えた。


「一三の方への面会を許した覚えはございません」

「……」

「彼女への面会が許されているのは、親兄弟と後見者のみ。あなた方は、そのどちらでもないでしょう?」

 確かに、今まで私に面会を求める手紙が届いたことは無い。届くのは、同性からのいわゆる“ファンレター”と、故郷からの便りのみ。


「私に向かって、『許しておらぬ』と?」

「はい」

「そなたは、そこまで偉いか?」

「神殿の外なれば、しかるべき礼も尽くしましょう。されど、この館では、水の媛(わたくし)が規則」

「……判った」

 唸るような声で大公閣下が折れた。



 子爵さまに退去を促して立ち上がられた大公閣下から、刀が遠ざけられる。

 代わりのように、私の横でフレデリックが刀の柄へと手を掛ける。  


「歌君。私は諦めぬからな。次に会うまで、身の振り方をよく考えられよ」

 捨て台詞のように言い残す大公閣下からの視線を遮るように、フレデリックが立ち塞がる。

 力が込められているのが感じられられる背中が、頼もしかった。



 部屋から出て行った大公閣下や衛士さんたちと入れ替わるように、薬方さんが入ってきた。水の媛さまも傍らに膝をついて。

 両側から二人に覗き込まれる。

「遅くなって、ごめんなさいね?」

「……いえ……」

「医務室まで、行けそうかしら?」

 ここにこれ以上は居たくないと、立ち上がろうとして、腰が抜けていることに気付く。

 体中も震えている。


 そんな私を、持ってきた館着に着替えさせて毛布でグルグル巻きにした薬方さんは、扉を開けて外へと声を掛けた。

「お呼びか?」

 入ってきたアンディが、ちらりと顔を顰めたのが見えた。


「一三の方さまを、医務室まで運んでくださいな」

 ボロ布と化した正装を手早く丸めた薬方さんが、蓋つき籠へと押し込みながらアンディへと気軽に頼む。

「お怪我を?」

「まあ、そんなところです」 

「一三の方、触れさせて頂いても?」

 ゆっくりと近づいてきた彼に、そっと頬を撫でられる。

 剣ダコだろうか。

 ゴツゴツした掌が、先ほど私を押さえつけた子爵の手を思い出させて、毛布の中でギュッと身を縮める。


「フレデリックと代わりましょうか?」

 ため息交じりの声に尋ねられて、二人を思い比べる。

 アンディと比べて細身とはいえ、フレデリックも副班長さんを務めているわけで。フレデリックの手も、こんな風に鍛えているはず。

 ならば……代わってもらったところで同じこと。

「いえ。お願いします」


 軽々と私を抱き上げたアンディが、小さくつぶやく。

「水の日に、こうして貴女を抱き上げる役回りか。俺は」

「はい?」

「最初は、裁きの塔へ運んで」

 ああ。そういえば、そんなこともあった。

「あの日は、荷物のように……担がれました」

「そう。貴女はまだ、子どもでした」

 今よりもっと軽かった、と言いながら、扉をくぐる。

「去年は、食堂から医務室へ、意識のない貴女を」

「三の方さまが……」

 『亡くなられた日』とは、口に出さない。出したくない。


「貴女とは、そんな巡り合わせなのでしょうが……」

 どんな巡り合わせだか。

「二度と、こんな形で貴女を運ぶことがないよう、我々、衛士はお守りすると誓いましょう」

「……よろしく、お願いします」

「ですから、一三の方」

「はい」

「生きて下さい。死んでしまえば、そこで終わりです」


 それは、あの裁きの塔で。

 彼から聞いた言葉。 



 医務室で薬方さんの用意してくれたお湯で、躰を拭き清める。

 拭けば拭くほど、“穢された”との思いが強くなる。


 そんな私の手から薬方さんは手拭いを取り上げて、お湯の入った手桶ですすぎながら

「そろそろ横になって休みましょう。夕方の歌もお休みです」

 と、服を着るように促す。

「それは、私が歌えないほど穢れて……」

「そんなことは、ありません」 

 きっぱりと言い切られて、大人しく部屋着のシャツをかぶる。


 その行動で、気が付いた。

「あ、衣装が……」

 無惨に裂かれた正装のブラウス。少しずつ刺繍を施したローブはどうなったのだろう?

「衣装を直す時間がいると、判っていただけましたか?」

 縫方さんだって、万能ではない。


 ため息交じりに頷いて、みだれ髪を手で梳く。

 髪留めが。

 三の方さまから数年前に分けて頂いた布地で作った髪留めを、あの騒ぎで無くしてしまった。


 形見を失って気落ちしている私に薬方さんは、

「ですが、気になるなら抜きの儀式をされますか?」

 すすいだ手拭いで自分の手を拭きながら、尋ねる。

「穢れは落ちるでしょうか?」

「一三の方さまが気にされているのは、世俗の穢れに他なりませんから」

「せ、ぞく」

「そうですねぇ、二日ほどで取れるのではないかと」

 一度、水の媛さまとも相談しますが。


 そう言った薬方さんは、私を寝台へと追いやる。

「とにかく、明日までは休んで下さい。そんな顔色の方に、儀式は行えませんから」

「……はい」

 眠れるとは思えないけど。

 言われるがままに、目を閉じた。



 微睡んでは、ナメクジに躰を這い回られる夢を見て、目を開く。 

 枕元に置かれた手拭いで、額の寝汗を拭う。

 

 繰り返す悪夢に、余計な疲れを覚えたころ。

 そろりと扉が開けられて。

 水の媛さまが静かに入ってこられた。


 具合を尋ねられて、曖昧な返事をして。

「薬方から、儀式を行いたいと聞きましたが?」

「はい」

「儀式の期間を決めるために、一度、歌って下さる?」

「今、ですか?」

 鎧戸を閉められた部屋の中は、燭台の灯りが灯っていて、時間の感覚は無いのだけど。

 夕方の歌の時間は、大丈夫かしら?  


「辛かったら、無理はしないでね?」

「あ、いえ。大丈夫です」

 寝乱れた部屋着を軽く整えながら、寝床から降りる。

 少しふらついた私を、水の媛さまのひんやりとした手が支えて下さった。


 声量は今ひとつ、な感じで歌い終える。

 仕草で寝床に戻るように促した水の媛さまは、しばらく考え込まれて。

「二日間、でしょうか」

 と、結論を出された。

「一日でいいようにも、思えるのだけど。ついでに、久しぶりに火の要素も抜いておきましょう」

「まだ、火の要素が?」

「少しずつ溜まってきているわ。二年ほど、儀式をしてないでしょう?」

「そう、ですね」

 言われてみれば、確かに。

 “一三の方”と呼ばれるようになってから、儀式を受けていなかった。


 そろそろ……と、立ち上がろうとされる水の媛さまをお引き留めして。

「大公閣下は、どのようにして館へ入られたのでしょうか?」

 夢うつつに気になっていたことを伺うと

「一三の方は、彼らとどんなお話を?」

 逆に聞き返された。

 『無理のない範囲で』と言葉を添えられて、少しずつ昼間のやりとりをお話しする。

 聞き終えた水の媛さまは、深い深い吐息をつかれて。

「王宮内の権力闘争に、巻き込まれてしまったのね」

 と、つぶやかれた。


 そうして、説明して頂いたことによると。 

 衛士さんの上位組織にあたる近衛隊にいた子爵さまは、現役時代に何度となく、お役目で神殿に来られていた。

 その頃の経験で、館からの出入り口や、館内のおおまかな間取り、衛士さんの勤務形態などを把握されていて。

 昼間の歌と衛士さんの交代が重なって警備が手薄になる正午前、青の隊長さんに用事があるような顔で、水の館の裏口を訪ねてこられた。


 本来、裏口とはいえ、館に出入りするには身分証がいる。 

 館の厨房へ納品に来られる商人さんも、出勤してくる衛士さんも、門番をしている衛士さんの承認を受けるのだけど。 


 その手続きを二人は、身分を振りかざして強引に通過して。

 案内をしようとした衛士さんの申し出を、『余計な人手を割くのは、心苦しい』と、“身内の思いやり”で断って。


 まんまと入り込んだ二人は次に、経験の浅そうな若い衛士さんに私への取り次ぎを命じた。



「大公閣下は、諦めないと言われてましたし……」

 水の媛さまは、そう言いながら、寒そうにマーガレットストールの襟元を合わせる。

「館でも手を打ちますが。一三の方」

「はい」

「しばらくは独りにならぬよう、気をつけて下さいね」

「わかりました」

「居室は三階ですから、大丈夫でしょうけど……」

 その言葉に、部屋から見下ろした高さを思い浮かべて。

 身震いをした。


 あの高さを登ってきたりする人、なんて。

 想像するだけでも、嫌だ。


「いっそのこと……三の方の部屋に、間借りするのはどうかしら?」

 とんでもない提案に、急いで首を振る。

「精霊も、解ってくださると思うのよ?」

「いいえ、それは……」

「水の館でおそらく、一番安全ですし」

 それはそうでしょう。

 階段を登り切った所で、班長さんが宿直をしているのですから。


 でも。

「お心遣いは、ありがたいのですが。高い所は、あまり……」

「怖い?」

「はい。あの……裁きの塔が……」

 私の答えに水の媛さまの、息を呑む音が聞こえた。


 今日はなんだか

 裁きの塔の話題がよくでる。 



 そう思った心の声が聞こえたように、

「裁きの塔といえば。大公閣下は、あなたが生き残りであることをご存じなのね?」

 話題が変わる。

「三の方さまのように、裁きをうけさせると言われましたので、思わず……」

「そう」

「いけません、でしたでしょうか?」 

「そうね……仕方ないのは、わかるの」

「はい」

「だけど、そこから記録を辿って、あなたの身元にたどり着くかもしれないわ」

「身元、ですか?」

「せっかく本名を隠せたのに、塔の記録からあなたの故郷や後見者が解ってしまうかもしれない」

 裁きのあの日、問われるままにいろんなことを話した。

 その中には当然、私自身の身元に関する質問もあった。


「そして帰り際、大公閣下は妙に“後見者”の存在にこだわってらしたわ」 

「……」

「何か……良からぬことを考えておられるかもしれない」

 例えば、自身が後見者に成り代わる、とか。 


 告げられた予測に、ひどい目に遭わされる村長さんを想像してしまって。

 思わず部屋着の胸元を握りしめた。


 『対処はこちらで考えるので、とりあえず今は休むように』と言い残して、水の媛さまが席を立たれた。


 鎧戸の外からは、静かな雨音が聞こえていた。

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