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闇払いの歌君

 濡れた正装の代わりに用意された新しい衣装は、館着に似たブラウスと厚手の袖無し上着だった。

 着丈が長く膝まである被りの上着は、前身頃に幾重も布を重ねたドレープが施されていて。脇を縫う代わりに三カ所をリボンで結ぶようになっていた。そして、その下には正装と同じズボンを身につける。


「これなら恐らく、濡れても躰の線が露わにはならないか、と」

 試着した衣装の具合を確認していた縫方(ぬいのかた)さんの言葉に、朝の我が身を振り返って。

 顔から火が出る。


 フレデリックが上着を掛けてくれたのは、もしかして。

 あられもない姿に、気を遣わせたのかも。


「神殿内では、問題ないでしょうけど」

 いえいえ。充分問題です。

「水の媛さまから、『お昼は広場で踊られる』と伺ったので……」

「広場で?」

「あ、ご存じなかったでしょうか?」

 仕上がりに満足したように立ち上がった縫方さんの言葉に、ただただ首を振る。 


 広場でなんて、

 聞いてませんよ?



「他の館の媛さま方と相談して、決まったことです」 

 正午の舞いに備えようと、玄関へと向かう途中。廊下で行き会った(そえ)の媛さまに舞いの場所を確認すると、そんな答えが返ってきた。

「まず一三(ひとみ)の方が踊って、雨が止んでから草の歌君が整列をします」

「では、正午より早めから始めた方が?」

「そうですね……」

 顎に緩く握った左手を当てて、しばし思案をされた副の媛さまは、

「鐘が鳴ってからで、いいでしょう」

 と、結論をだされた。


 その声音は、鐘が鳴る前に雨が止むことを期待しておられるようだった。



 副の媛さまの願いも虚しく、雨は止まず。

 正午の広場で、この日二度目になる舞いを捧げる。


 草の歌君を警護する緑の衛士さん方が、ずぶ濡れになりながら持ち場につくなか、傘を差した人々が遠慮がちに広場を通り過ぎる。

 水の歌君である私の傍らには、青の衛士さんが一人付き添ってくれていた。  

 節くれ立った彼の手に、閉じた傘を託して。

 副の媛さまくらいの歳に見える彼は、余分なことは何も言わずに、そっと後ろへ下がる。


 そうして

 あけられた場所で一人

 私は雨空を仰ぐ。



 その日から毎日、起きては舞い、織っては舞い、の暮らしが続く。

 特に水の日の雨はひどくて、舞いを止めた途端に土砂降りになるから、本業である歌は全く歌えないような有り様で。


 昔、実家に居た頃。転んて泣き止まない弟に『そんなに泣いていたら、お目々が溶けちゃうからね』と、言い聞かせていたことを思い出す。

 まさか、溶けたりはしないだろうけど。

 こんなに雨が降り続いて……精霊は大丈夫だろうか。



 かれこれ一月半もの長雨が止んだころには、風の季節が盛りを迎えていた。

 新年を迎えるための煤払いとばかりに吹き荒れる嵐は毎年のことだけど。あの長雨に農作物が傷んだり、収穫が遅れたりしたのでは……と心配だったのは、やはり農村の出身としては、仕方のないことで。

 『例年の水の月よりも雨が少なく、まずまずの収穫だった』と、伝えてきた父からの手紙に、胸をなで下ろす。


 どうやら水の精霊は、国内に降るべき雨の大部分を都に降らせたらしい。



 そして、長雨のあいだ。

 新たな三の方を決めるべく、精霊と媛さま方で査定が行われているだろうと、歌君の誰もが内心で思っていた。


 自分が三の方になるわけなんて、ないだろうけれど

 それに伴う昇格は、あるかしら? 

 でも……三の方さまの悲劇を思うと、手放しで喜ぶわけにはいかない。


 そんな少しの後ろめたさを伴う期待感に、館が浮わつくなか、副の媛さまから新しい序列が発表された。


「三の方は、空席となります」

 つまり、序列に変化はない?

「そして、退職される一の方の代わりに、現在の五の方を新しい一の方に」

 一の方さまは大貴族のご子息さまとのご婚礼が決まったとか。


 年明け早々に館を辞して花嫁になられる一の方さまと、大抜擢に頬を染めた五の方さまに、皆から祝福の拍手が贈られて。

 その後、空いた位を順に埋めるように次々と序列の変更が伝えられる。


 九の方だったエリーが七の方になって、八の方だったプリシラを追い越した。

 私の序列も、プリシラと同様に変わらなかったけど。 

 抜きつ抜かれつを繰り返しながら序列を上げていく二人を、友人として誇らしく思う傍らで、ほんの少し。

 置いてけぼりにされたような寂しさを抱く。



「三の方さまの織機は、どうしましょう?」

 一通りの発表が終わって。練方(ねりのかた)さまの一人が質問の声を上げた。

 あの日、織りかけで仮置きにされた杼は、織機と共にひっそりと、失った主を待ち続けている。


「織機と生地は、そのままにしておいてください。部屋も片付けずに」

「では、全く触らずに、ですか?」

「精霊はまだ、三の方の代替わりを認めておりません」

 いつもより固い声の副の媛さまが言われることには。


 幾度、精霊に問いかけても。

 下る託宣は、ただ一つ。

 『三の方は“変わらず”』と。



 三の方を欠いた水の館は、歌君が一人少ないまま新の極月(しんのきわづき)を迎えて。

 日蝕以来の荒れた二ヶ月が悪い夢だったかと思うほど、静かに年が明ける。



 新しい序列に歌が馴染んできた、土の後月(のちづき)(=日本の二月ごろ)。

 お昼の歌を終えて館に戻った私は、玄関ホールで若い衛士さんに呼び止められた。

「一三の方に、お客様です」

「私に?」

 村長さんかしら?


 父や弟が神殿を訪ねて来たことは、未だかつてないけれど。後見者である村長さんは数年に一度くらい、都に来たついで……と、顔を見に来てくれている。

 今日もそうだろうと、面会室のある精霊の館へと引き返そうとした私を呼び止めた衛士さんは

「こちらでお待ちです」

「え?」

 (すずみ)の水月に散々お世話になった控室の傍から続く、衛士さん用の廊下を手で示す。

「精霊の館ではなく、こちらですか?」

「はい。特例措置です」

 特例措置なんて、初めて聞いた。 



 薄暗い廊下を進んで案内された扉を、躊躇いがちにノックをして。

 返ってきた応えは、聞き覚えのない男性の声で。

 一瞬。

 先に帰った七の方(エリー)たちのあとを追いかけたくなる。


「失礼します」

 精霊の館にある面会室と同じようなつくりの室内には、恐らく貴族と思われる男性が二人。

 若い方の人が椅子に座り、その横に立つもう一人は、こちらをじっと見ていた。


 とっさに、頭を下げて膝を折る。


 身分が高そうな相手に出くわしてしまったら。

 絶対に目を合わせず、姿勢を低く。 


 それは田舎の子供が習う、基本的な処世術。


「神殿で、歌君に膝をつかれるとは……」

 可笑しげな声に、一段と頭を下げる。

「そう畏まらずとも良い。楽になされよ」

「生来の不調法者にございます。どうぞ、お許しを」

「いやいや。それではこちらが精霊に叱られる」

 『椅子を。歌君』と笑いを含んだ声に勧められて。

 俯いた姿勢を保ちつつ、立ち上がる。


 低めの卓を挟んで、椅子に浅く腰を下ろしたところで、お茶も出ていないことに気づく。

「ただいま、お茶をお持ちするように」

 賄方(まかないのかた)さんにお願いをしに行ってこようと、入れた断りの言葉は。

「下々の湯茶など、失礼な」

 厳しい声に遮られた。


 立っていた方の人が卓を回り込んできたらしく、視界の隅に黒いズボンが入ってきた。

 その距離の近さに気圧されて、浮かした腰が落ちる。

「この方を、どなただと」 

 頭の上から聞こえる、苦みを含んだ叱責の声。


「申し訳ございません」

 間違えてしまった。

 お茶を出すことが失礼にあたるような人、が世の中には居るなんて、知らなかった。

 背中に嫌な汗をかきながら、頭を下げる。

 そんな私に、若い方の人が

「気にせずとも、よい」

 鷹揚に言われるけれど。

 この方はいったい……?


「忍んで参ったのでな。あまり人目には付きとうない」

 分かるか? と問われて。必死で頷く。

「さて、歌君」

「は、い」

「そなた、名は?」

「一三の歌君にございます」

「親から貰うた名があろう?」

「名は……捨てました」

 ただの歌君にございます。 


「そこまで言うなら、それもよい」

「ですが、大公閣下」

「よい。神殿内は、歌君と精霊が全て」 

 臣下に降った王族なぞ、虫けらよ。


 若い声の茶化すような口調と、それをたしなめる深みのある落ち着いた声が交わす会話に、息を飲む。


 大公閣下!

 お歳からして……現在の国王陛下が即位された二年前、臣下に下られてスイーズル大公となられた王弟殿下。

 そんな方がどうしてこんな所に!?



「さて、歌君。面をあげられよ」

「……」

 逆らう訳にもいかず、恐る恐る顔を上げる。

 真っ正面から、金色を帯びた目に見つめられて。恥ずかしさに目を伏せる。

「歌君、私個人に仕える気はないか?」

「私ごとき位も低き一介の歌君には、畏れ多いことでございます」

「なるほど。位、な」

「どうぞ、最も適した者に仰せつけくださいませ」

「そなた以上に適した者はないがな。“闇払いの歌君”」

「……闇払い、でごさいますか?」

 聞き慣れない言葉に、内心で首をかしげる。


「闇に隠れた日を呼び戻し、雨を止めると聞いた。そなたのことであろう?」

 身に覚えのないわけではない事柄だけに、否定もできず。

 ただひたすら身を縮める。   

「歌君、答えよ。閣下のご下問であるぞ」

「はい、あの……いいえ」

「はっきりせんかっ」

 耳馴染みのない命令口調に、胃の底がギュッと縮む。


 怖い。

 こんなこと

 どうして?


「そのように脅すでない。怯えておるではないか」

 大公閣下の取りなしに、傍らの圧迫感が離れた。

 ほっと、息をつく。

「子爵は近衛上がりの武人でな。口の利き方を知らぬ。許せ」

「私ごときが、許すなど……」

 滅相もない。

 大公閣下に比べるべくもない子爵さまとはいえ、立派な貴族。



「歌君。そなた、自分の価値を知らぬな?」

「はぁ」

「雨を操り、日を呼ぶ。この世に、これほど価値ある“モノ”は居らぬ」

 東の国境地帯スイーズル領を治める大公閣下は、私が仕えることで領地が潤い、隣国との領土争いにも有利になると、拳を握って語られた。


 適度な雨が作物の生育に必要なことは、私にも分かる。

 領地の作物は豊かに実らせ、隣国に日照りを招けば……互いの力関係に大きな差が生じるだろう。

 さらに戦略的にも、雨によって有利になることがあるらしい。



「買いかぶりにございます。私はただ……」

「うん?」

 卓に肘をついた大公閣下が、軽くこちらに身を乗り出す。

 その袖口を飾るフリルの、深い緑色は、”東”の象徴色で。おそらく、草の一の方さまが織られた布で作られたのだろう。

 それが大公閣下の“戦う人としての覚悟”のように思えたのは、危険な仕事に就く人たちが、歌君の布をお守りとして身に着けるから。

 衛士の方たちでいえば、所属と身分をしめすラインがお守りであり。さらに、ベルト通しの横にも館の色を添える風習がある。


 そんな危険な場所に身を置く覚悟をされている方に、『力を貸して欲しい』と言われても、

「私は、精霊を慰めただけで……操るなど、おこがましいことは……」

「ほぅ?」

 そもそも日蝕の終わりは、私の力では絶対にない。



「歌君。神殿に暮らして何年になられる?」

 話題が変わって、小さく息をつく。

「八年……近くになります」

「そなたは……口惜しくないのか?」

「あの?」

「一三の歌君。自身が言うように、決して高位の歌君ではない、な?」

「……」

「此度の長雨によって、位が上がった訳ではなかろう?」

 大公閣下の言葉に、チクリと心を刺される。


 序列を上げていく友人たちと、足踏みを続ける私。

 織方(おりのかた)になって以来、距離はどんどん開いていく。



「あれだけの働きに、神殿は報いたか?」

「それは……精霊が……」

「私なら、そなたを軽くは扱わぬが?」

 富も栄誉も、思いのまま。

 国を、世界を。

 動かしてみたくはないか? 


 唆すような言葉に、ただただ首を振る。

「一介の歌君には、荷が勝ちます」

 亀の歩みのような昇格が、私自身の実力なのだから。

 一足跳びの栄華は、分不相応だと分かっている。 


 そう答えると、大公閣下は立ち上がって。

「名も無き歌君で、一生を終えるつもりか?」

「私は……精霊のために歌う、ただの歌君にございます」

 ゆっくりとした足取りで卓を回りんだ彼は、私の肩に手を置いた。

「この前の歌君といい、勿体ないことを」

「この前の歌君と、おっしゃいますと?」

「“闇呼びの歌君”も、断りおったわ」

 それは、もしかして……三の方さま?


「闇を呼んだ咎で裁きの塔に詰められたのを憐れに思い、助けの手を伸ばしてやったものを、塔から飛びおって」

 肩に載せられた手に力が込められて、顔が歪む。

 それ以上に、聞かされた言葉に、心が軋む。


「私の手を振り払い、命がけで精霊に尽くすなど、愚の骨頂」

「それが、歌君にございます」

 三の方さまは、裁きに負けた訳ではない。

 歌君の誇りを胸に、自ら飛ばれた。



「ならば、そなたも裁きの塔に参るか?」

「それは……なりません」

「なるかならぬかは、私が決める」

 『名も無き歌君に、そのような権限はない』と言い放つ大公閣下の腕に、椅子から立たされる。

 万力のような両の手に込められた力に、腕の骨が軋む。

 痛みをこらえて。必死で言葉を紡ぐ。 

「私には無くとも、水の媛が許しません。私は、裁きの塔の生き残りにございます」

 精霊の裁きは、一生に一度きり。



「ならば」

 ぐるっと躰を振り回されるようにして、卓へと押し倒された。

 抵抗する手は、子爵さまに押さえつけられる。

「精霊に顔向けできぬよう、穢してくれよう」

「お離しくださいませ」

「力ある者に靡けばすむものを。見誤ったな、精霊の踊り女」

「私は、踊り女では、ごさいませんっ」

 肌も露わな踊りで男性の目をを悦ばせ、春をひさぐ。

 “踊り女”と呼ばれる女性たちの存在を、耳にしたことがないわけではない。

 力ある男性の目にとまれば、贅沢三昧の暮らしを味わえる、とか。

「肢体くねらさせ、媚を売る。おなじことであろう?」

 彼女たちと同列に扱われたような言葉に、頭の中が真っ赤に染まった。


「私がしているのは、踊りではごさいません」

 媛さまがたにも、言っていただいた。

「精霊に捧げる“舞い”にございます」

 精霊に捧げる歌と同じだと。



「同じこと、同じこと。水濡れの姿で、恥ずかしげもなく踊っておろうが」 

 『もう少し煽情的な衣装なら、なお“それらしい”ものを』などと侮辱の言葉とともにローブがはだけられ、ブラウスが裂かれる。

 上げた悲鳴は、口に噛まされた布に吸われた。


 誰か

 助けて。


 お 願 い だ か ら 

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