精霊の木
この国は、五本の木を中心に成り立っている。
黄色の実がなる木には、風の精霊。
黒色の実がなる木には、土の精霊。
青色の実がなる木には、水の精霊。
緑色の実がなる木には、草の精霊。
赤色の実がなる木には、火の精霊。
遙かな昔から、それぞれの木に宿る精霊たちの力で、人々の暮らしは守られていた。
精霊たちは人々の歌を糧に、世界を守る。
風の精霊には、風の属性を持つ乙女。
土の精霊には、土の属性を持つ乙女。
水の精霊には、水の属性を持つ乙女。
草の精霊には、草の属性を持つ乙女。
火の精霊には、火の属性を持つ乙女。
それぞれの属性を見定められた女性たちが、精霊の木へと歌を捧げる。
*****
今日は、水の日。
水の属性を持つ私は、日の出前の道を、村の広場へ向かって足を急がせる。
村や町の一番大きな広場には必ず、都の大神殿にある親木から株分けされた五本の精霊木が植えられている。
五日で一巡りする“旬”には、風・土・水・草・火の日があって、それぞれの精霊木へと歌を捧げる日を示している。それは、この国の女性にとっては物心がつく頃からの、常識だった。
精霊ごとに異なる歌は、長老から属性の判定を受けたあと、同じ属性の“お姉さんたち”から、口伝えで教わる。
そして五日ごとに、その歌を日の出と正午と日没の三回。心を込めて歌うことが、生活の要となる。
「おや、ユリア。おはようさん」
「おはようございます。ダイナおばさん」
道を照らしてくれる満月の明るさに、今日は、早く起きた! と思ったのに。
また、ダイナおばさんに負けた。
内心で悔しがっている私に気付くことなく、おばさんは、
「やっぱり、村一番の歌い手はやる気が違うねぇ」
と言って、笑っている。
いえ、そんな……と、彼女の言葉に謙遜しながらも、悪い気はしない。
現に、五本の木のうちで、青い実のなる木が一番葉っぱを茂らせていて。
それが、自分の力だと思うと……ニヤニヤと顔が綻びかける。
「そういえば、ユリア。村長の推薦、受けるんだろ?」
「いやー、まだ悩んでて……」
「まあ、あのお父さんだしねぇ」
「はぁ……」
おばさんの言葉に、昨夜も帰ってこなかった父を思う。
弟の出産と同時に母が亡くなったのは、五年前のこと。当時、十歳だった私は、悲しみにくれる暇もなく、子守りと家事に追われるようになった。
それでも、ダイナおばさんをはじめとした近所の人たちにも手伝ってもらって、村の手習い処をなんとか卒業することはできたのだけど。
卒業した私が家事に専念できるようになって、やがて弟のオムツも取れると、父は時々、夜遊びをするようになった。
今では、二旬に一度くらい、朝帰りをする有り様。
「せっかくのチャンスを棒に振るのはどうかと思うけどね。私は」
「そうなんですけどね……」
「都に行って、“歌君”になれるなんて、そうそうないんだからさ」
「いや、まだなれると決まった訳じゃ……」
でも、チャンスだよね。確かに。
先月の末。村長さんが家に来て、『都の精霊木に歌を捧げる“歌君”に推薦したい』と父に言った。
都の大神殿に住んでいて、一つの精霊木につき、二十五人ずついるという“歌君”。
なるためには試験があって、しかるべき身元の人からの推薦がないと、受けることもかなわないとか。
とにかく、『なりたい! やりたい!』だけでは、なれないのは確かで。
女の子にとって憧れの存在である“歌君”に、なれるかもしれないというのは、正直言って、とても誇らしい。
ただ、幼い弟のことを考えると……。
「あんたが居なけりゃ居ないで、お父さんだってマーシュだってなんとかするって」
そう言われてしまうのも、切ない。
「そもそも、マーシュもそろそろ入学だろ? 来年かい?」
「はい」
年が明けると、マーシュも六歳。
農作業が本格的に始まる“草”の季節には、手習い処へ入学が待っている。
「だったら。あんた自身のことも考えなきゃ。ね?」
適齢期にも入ることだし。都に行かないなら行かないで、結婚も……。
そんなことを言っているおばさんの向こうから、友人が二人、角を曲がってきたのが見えた。
「おばさん、そろそろ……」
「ああ、そんな時間かい?」
友人たちに手を振って見せると、おばさんも話を切り上げる。
改めて精霊木に向き合って。
心の中で、挨拶をする。
おはようございます。
朝の歌を届けに参りました。
この一旬をお守りください。
その後、満月が欠けて再び満ちてを二回。つまり、十旬の間を悩んで。
結局、私は村長さんの推薦を受けることにした。
心を決めたのは……父に再婚話が持ち上がったことが、大きかった。
新しい“お母さん”は、母が亡くなったあと、暫くもらい乳をお願いしていた人で、旦那さんは二年ほど前に、山で獣に襲われて亡くなっていた。
その女性が、彼女自身の子どもと一緒に我が家に越してくる。
家は手狭になるだろうし、彼女に対する私の心持ちも微妙で……。
そんなアレコレを考えると、私が家を出た方がいいのかな? なんて結論がでた。
となると。
せっかくのチャンス。
私は、
歌君を目指したい。
弟の入学を待たずに、そろそろ寒さを感じるようになってきた“風”の季節、村長さんと一緒に都へと向かうことになった。
一日歩いて、隣町からさらに駅馬車に三日も揺られて。
辿り着いた都は、人の多さにまず驚いた。
馬車を降りた街角には、小さなお店がひしめきあっていた。
見たことのない食べ物を売っているお店。買ったお客さんは、道端で立ち食いなんかしていて。
行儀悪いなぁ、と思いながら眺めていると、
「あれは、屋台といってな」
車が付いたお店を毎日ここまで運んできては、商売をしていると、村長さんが教えてくれた。
その隣の屋台では、小間物を売っている。
可愛い髪飾り。都で暮らすようになったら、あんなのも買えるようになるのかなぁ。
村では、お祭りの時に花を挿すのが、精一杯のおしゃれだった。
『キョロキョロしてると、迷子になるぞ』と、村長さんに笑われながら、大通りを歩いて大神殿の前まで辿り着いた。
そろそろお昼。今日は水の歌君たちが、歌を捧げる日だった。
「村と違って、ここでは歌の最中は静かにな」
「はい」
「都の精霊木は力が強い分、音に敏感だと言われている」
「そんな木が、街中で大丈夫なんですか?」
「それを大丈夫にするのが、神殿の結界らしいな」
神殿前の広場で歌が捧げられる間だけ、精霊木自身が結界を開いて、中庭まで歌が届けられるのだとか。
昼を告げる鐘の音と同時に、大神殿の大門が開いた。
青い衣装を纏った女性たちが静々と出てきて、石段上で五列に並んだ。
真ん中の人が、一番偉い“一の方”で、衣装の色も一番濃い。
その後ろが、“二の方”で、ほんの少し色の薄い衣装。
二の方の向かって右隣に“三の方”。
一の方の右隣には“四の方”。
序列の低い左端の五人は、殆ど白に近い生地に水色の縁取りがされた衣装。
真ん中から外へと向かって、色が薄くなるように渦巻き状のグラデーションを描く衣装の色は、それぞれの歌君の序列を示しているらしい。
駅馬車の中で村長さんから基礎知識として、聞いてはいたけど。
こうして目の当たりにすると……軽くショックを受けた。
これからこの中で、歌声を磨いて。少しでも中心に近づけるように頑張らないといけない。
あ、その前に。
試験に受からないと、ダメだけど。
鐘の音の余韻が消えて。
神殿前の広場に、静寂がおりる。
大勢の人が居るというのに、咳払い一つ聞こえなくなったとき。
澄んだ歌声が、生まれた。
それは、一の方の独唱から始まった。
その声の持つ力に、軽く鳥肌が立つ。
そして……他の歌君たちの声が加わって。
幾つもの声が層をなし、混ざりあい。
リードする声を、他の声が追いかけて。
メロディーは、私たちが歌っているのと同じなのに、精霊木が喜んでいるのだろう。
聞いているだけで、しっとりと周囲が潤うような錯覚に陥った。
ああ。歌いたい。
私も、この歌の一部になりたい。
陶然とした思いは、いきなり掴まれた腕に打ち破られた。
力任せに引きずられて、足がもつれる。
「お待ちくださいっ」
村長さんの叫ぶ声がする。
羽交い締めにされている村長さんと、両腕を掴まえられている私の距離が開いていく。
「村長さんっ、村長さんっ」
このままはぐれてしまったら。知り合いもいない都で、私は迷子になってしまう。
「うるさいっ」
そう怒鳴った右側の男の人に、荷物のように担ぎ上げられた。
「下ろして。誰か」
助けてと、言いたかった言葉は、
「黙れと、言っているだろうが。ここをどこだと思っている」
再びの大声に、遮られて。
気がついた。
ダメなんだよね?
歌の途中で音を立てたら。
あれ?
歌?
あの歌はどこ?
いつの間に
歌は
終 わ っ て
し ま っ た の ?