第一章 「会合」2
さっきと同じ天井。
どうやらまた寝てしまっていたらしい。
気分はさっきよりだいぶマシだが幾分いいとは言えない。
それに何故か左頬が痛い。
「はぁ……」
重い溜息をつきながら、重い身体を起こす。ただそれだけの行為でも息が荒くなり、汗をかいてしまう。
「インフルにでもかかったかな?人と交流なんて随分してないのにいつ貰えたんだろうな」
そんな軽口を叩きながら苦笑していると
──ガチャ
ドアが開く音がした。
俺の部屋が誰かに開けられるなんて何年ぶりだろう。というか鍵掛けてたはずなんだが、どうやって?そもそも誰だ?家族の中にまだ俺のことを気にかけてくれる奴なんていないのに。友達?いや、いない。先生?って俺中退したし。近所のおばちゃん?は来て欲しくないな……
そうこう考えてる内にドアは完全に開かれ、そこには見知らぬ赤い長髪の美少女が立っていた。
「あっ、目が覚めたのね。よかったよかった。顔色もさっきよりはマシね」
向こうは俺を知っている?俺は全く見たこともないんだが……
忘れてるだけか?いや、こんな美少女忘れるわけがない。
顔は可愛いし、スタイル良すぎるし、それにこんな燃えるような真っ赤な赤髪が似合う人なんて印象が強すぎる。忘れたくても忘れられない。
「何よ、人の顔をそんなまじまじと見て。私の顔、なんか変?」
そう言いながら謎の美少女は自分の顔を手探りで確認しつつ、ベッドの横に正座した。
朝にシャワーでも浴びたのだろうか。彼女が近づいただけでとても良い、女の子の甘い香りが漂う。
長い間女の子と交流がなかったため、女の子に対しての免疫が下がってしまってるようだ。ましてや今まで出会ったこともないレベルの美少女、すっごくドキドキする。男の子だもん。
いや、そんなことはどうでもいい。
問題は誰か分からないってことだ。なぜ、俺の部屋に?
「あの──」
「あっ、やっぱりまだ顔は赤いわね。どれどれ?」
不意に頭を寄せられ、額に柔らかくて冷たいものが触れた。
先程の甘い女の子の香りが強まり、より一層俺の顔を赤らめる。
「うわっ!すっごい熱じゃない!ほら、もう少し安静にしてなさい!」
そう言って俺の体を倒し、布団を被せてくれた。
心臓の音がでかい。
こんな状態で寝られるわけもなく、俺は横でおしぼりを絞る彼女を見つめていた。
「ん?あぁ、今おしぼり変えるからちょっと待って」
「いや、そうじゃなくて…これってなんのサービス?」
「変な言い方するわね。看病してるだけじゃない。ただの良心よ」
ただの看病?ただの良心?いや、ならさっきのは何だったんだ?あれはどう考えても……
「いやでもさっき…おでこ……あれも良心?」
「あれもただ熱を測っただけよ。看病の内。普通のことでしょ?」
「え?普通体温計とか…いや、それが無かったとしてもおでこは……手でいいんじゃ……」
瞬間、彼女の顔が俺に引けを取らないほど真っ赤に染まった。
「しっしし…知ってたわよ!これはその……そう!サービスよサービス!さぁ、素直に喜びなさい!」
さすがに無理がある。
顔は相変わらず真っ赤だし、面白いくらいに動揺が見て取れる。
「だって、お母さんがいつもこうやって測ってくれてたから……何よ、その目は!もう!今すぐ追い出すわよ!」
「はは、ごめんごめ……え?」
「はぁ、私も私ね。自分の部屋に侵入していたこんな見ず知らずのセクハラ男を看病してやるなんて、どうかしてるわ。やっぱり法番隊に通報しようかしら?」
ちょっと待て……どういうことだ?ここが彼女の部屋?いやいや、そんなはずはない。俺は三年間一歩も外へ出てないんだぞ。他人の家に行くなんてありえない。
そもそも俺はこの子を知らない。知らない子の部屋に勝手に入るなんて馬鹿なこと絶対にしない。
例えどんなに可愛い子だったとしても、俺は犯罪だけは犯さない。
「なぁ、冗談だよな…?」
「あれ?ビビっちゃった?バカね、冗談に決まってるでしょ?ここまでしといて今更法番隊に突き出したりしないわよ」
「いや、そうじゃなくてここがあんたの部屋っていう……」
「はぁ?そこ!?あのね、そんな冗談言うわけないでしょ。ここは正真正銘、私の部屋で私の家よ」
彼女の呆れたような顔つきに嘘の気配は全く無い。
だとすると本当にここは俺の部屋じゃない?ならなぜ俺はここにいる?それが理解できない。思い出そうとしても外に出た記憶なんてない。どうやって?ワープ?瞬間移動?異世界召喚?どこでもドア?
この訳の分からない状況を整理しようと必死に脳が働き尽くしている時、
「はぁ…正直、初めは…いいえ、今でも期待してしまってるのね……だからここまでのことをした」
おしぼりを俺の額に乗せながら、彼女は呟いた。
「期待...?一体何の...」
「あなたがペットかもしれないということによ」
「え?」
待て待て、落ち着け。今彼女なんて言った?ペット?俺が?いやいや、一応手足は人間だったし、言葉だって話せるし……まさか!彼女の正体が鬼かなんかで人間を家畜として飼っているとか!……いや、だとしたら…あー!もう!思考がぐちゃぐちゃだ。何から考えればいいか分からない。
あの変な夢に寝起きの体調不良、おまけに不気味な魔法陣と見ず知らずの赤髪美少女、ほんとイベントが多すぎて……いや、ちょっと待て!そうだ!どうして今まで忘れていたんだ!訳の分からないことならもう一つあったじゃないか、あの黒い禍々しいものが。
「魔法陣……」
俺の呟きに彼女は先程までの鬱な表情を一転させ、目を丸くしてこちらを見つめていた。
その反応を視認したと同時に、
「魔法陣ってどこにあった!?」
彼女は身を乗り出し、俺の顔を覗き込んでいた。
その鬼気迫る圧に今すぐにでも距離を取りたかったが、生憎ベットに寝ているため上をとられたらどうしようもない。
俺はごくりと喉を鳴らし、質問に答えた。
「このベッドの上に……」
「やっぱり!あんた、さっきの反応からして侵入したんじゃなく、目が覚めたらここにいたって感じ!?」
さらに圧が強くなった。もうこのまま潰されそうな勢い。
しかし、そんな彼女の表情には緊張と焦りが混じっていた。
彼女にとって何かとても大切なことなのだろうか?こんなに必死になって聞いてくるなんて……
「侵入なんかした覚えないし、多分そんな感じ…だと思う」
「で、目覚めた場所はベッドの上でしょ!?」
「え?あっうん、そう……」
「いっっっよっしゃあああ!」
俺の言葉を最後まで聞かず、彼女は両の拳を天に掲げ、まるでKO勝ちしたボクサーのように喜びをかみしめながら、歓喜の声を響かせた。
が、それだけでは飽き足らず、窓の外に向かって
「見たか、このやろう!私だってやればできるんだ!」
と、近所迷惑甚だしい声で全てを吐き出すように叫んだ。
「やっと…やっとここまできた……」
朝の清々しい太陽に照らされて、彼女の目元が淡く輝いている。
そこには、さっき吐き出し残した何かが溜まっているような気がした。
彼女はそれを一思いに拭い去ると、小さく拳に力を入れた。
そして振り返り、気持ちが冷めきらない様子のままで彼女は笑った。
「とりあえず朝ごはんでも食べましょ!興奮しすぎてお腹空いちゃった。詳しい話は食後に、ね」
そう言って彼女は手をひらひらさせ、部屋から出ていった。
一人残された俺は、先程の幻想的なシーンを思い出しながら呆然とベッドの上に座りっぱなしでいた。
「ほらぁ、早く降りてこないとご飯冷めちゃうわよぉ」
彼女の声が下の方から響いてきた。
そう言えば俺もまだ何も食べてない。
気づいたらお腹も空いてきた。
とりあえずここはお言葉に甘えて呼ばれるとしよう。
「詳しい話は食後に、ね」
彼女の言葉を振り返り、俺も部屋を後にした。