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06 エリート

 私は近くにあった天然物の青果店に目をつけた。店とは言うものの、なかば道路にはみ出した露店のようなものだ。植物性の編みかごに積まれたスイカやブドウ、梨。甘い匂いがますます胃腸を刺激した。


 大柄な店主のAR光背に、私の貯金口座から表示の金額を投入し、切り売りのスイカにかぶりついた。


 甘く瑞々しい味に私はようやく人間らしい感情を取り戻したかのようだった。


「おい、そこのあんた」


 急に怒鳴り声が聞こえ、私はスイカの汁気にむせた。


 何事かと思うと、店主の目は私に向けられていた。途端に下腹の辺りが引き絞られる。私は――この世のほとんどの善良な市民がそうであるように、争い事が嫌いなのだ。


「うちの商品に勝手に手ェつけられたら困るんだよ」


 勝手に? おかしなことを言うものだ。私は勝手になど手を付けていない。補助電脳を仲介して値する金額を仮想的に渡している以上、そのような物言いをされる謂れはない。


 私がそう抗弁すると、店主は突然憤怒の形相で私の胸ぐらを掴んできた。


 そこから先のことはよく覚えていない。


 たぶん一度や二度、物理的に暴力を振るわれたようである。


 その間私はとにかく補助電脳と、その機能によって売買は成立していると、そう主張していた。理不尽であった。とにかくそう主張したが、聞き入れてはもらえなかった。


 汗と泥で左手に巻いている包帯とガーゼがまた汚れ、もしかすると治りかけの傷が化膿してしまうかもしれない。


 その内に意識が途切れた。


 視界の端に、あの赤黒い亡者が私を笑っていた。


     *


 上層民のことを考えようとした。


 私たちが押し込められている下層民地区などとは全く違う暮らしをしている彼らのことを。


 だが、生まれてこの方そんな人々の世界など閲したことがないし、直接的にも間接的にも知り合いはいない。


 上層民がどんな姿をしていて、その住まいがどんな風なものであるか、結局は推測の域を出ない。


 今の私に最も縁遠いことである。


 青果店の店主に追い散らされた私は、気がつくと路地裏の資材置き場の陰にうずくまっており、しばし微睡んでいたようだ。


 体中が痛い。


 もしや物盗りにでもあったかと慌てて体を弄ったがその形跡はなかった。汗をかいて、それが乾いて、また汗をかいた湿り気がシャツを汚していた程度で――いや、そもそも私は金目の物など身につけていなかった。


 買い物がしたければ仮想化された口座から相手に渡せばよいのだから財布など持ち歩く必要なないし、時間も補助電脳の機能があればわかるから時計も要らない。何事も身一つで済ませられるのが埋込式補助電脳の利点なのだ。


 だが――あの店主はなぜそのことを理解していなかったのだろう。


 もしや、いまどき埋込式インプラント装着式ウェアラブルもつけていないナマの人間だとでも言うのか? 可能性がないわけではないが、道端の乞食ですら持っている補助電脳を、商売人が持っていないなどということはやはりありえないように思う。


 私の目にはAR光背が展開されているのがみえたのだから、やはり補助電脳を持っていないというのは無いだろう。


 なのになぜ、私は乞食が売り物を盗んだかの如き目に合わねばならないのか。


 非論理的では合ったが、考えられるのはひとつしかなかった。


『インソムニア』内に現れた、不気味な赤黒い亡者である。


 あれはいったい何なのか。


 他の敵対する競技者が放った攻性の使役獣的電念波である可能性が最も高い。しかし、そのような存在は公式の競技規約には載っていない。


 何人かの競技者と情報を交換したところ、彼らも被害を受けていて、中には病院送りになったものもいるという。


 ――つま、つまりあれは、か、か、か、隠し要素で、ほほほ本当はアレを倒すのが目的なんだ、なんじゃないかな。


 友好的な競技者のひとりは、酷い吃音でそう言った。のっぺりとした両生類を思わせる顔立ちに、私は密かに侮蔑の念を覚えたものだが、彼は『インソムニア』の上級競技者であり、私などよりはるかに高い得点を稼いでいる人物だった。


 総合するに、亡者の存在はゲーム内では異質ながら確かに存在し、非常に手強く、だからこそ高い得点をもった敵――それも競技者が関与していない運営者側の仕掛けであると推測された。


 ならば倒してしまえばいい――と、私は友好的な競技者たちと徒党パーティを組み、赤黒い亡者を探して下層民地区を練り歩いた。


 結論から言えば、私達は手酷い敗北を喫した。


 斥候兼工兵型が先頭に立ち、主戦型がふたり、重防御型、そして遠距離戦型の私という構成は、戦歴こそバラバラだったが――私が一番の新兵だった――一部隊としての戦力は均衡が取れていたはずだった。


 相手が単独行動シングルの一般競技者であれば、まず負けることはない。そのはずだった。


 おかしいなあ、おかしいなあ、と斥候役の男がぶつぶつとつぶやきはじめた頃から何か厭な気配が漂っていた。


 現実空間に拡張情報を重ねた擬似戦場ゲームフィールドは、第三者から見れば単なる普通の日常空間である。補助電脳を挟んだ電念波通信ではなく、肉声で、周りに聞こえるように話をするのはご法度のはずだ。


 規約にも、無関係者に不審を抱かせることなく『密かに楽しむ』ことが醍醐味の一つであると記されている。仲間内だけでの秘密の遊び、目に見えない約束事だから面白い。


 と、いうより――肉声で話していれば、聞えよがしに独り言を垂れ流すただの変人に見られてしまうからだ。


 主戦型のひとりが電念波で静かにしろと警告を送るも、斥候役はそれが聞こえていないようだった。


 補助電脳か、『インソムニア』の設定がおかしくなっているのではないかと他の仲間達も思い始めた矢先、いきなり斥候役の橙色の光格子が砕け、AR光背のゲーム内能力、所持品、得点の表示情報が吹っ飛んだ。


 ゲームから『落ちた』のだ。いや、ゲームだけではない。無関係者を示す表示もなく、緑の光格子も体表に重なっていない。


 補助電脳の機能が切断されたのか、と一瞬思ったが、それもおかしな話だった。


 彼の補助電脳が破損したとして、その彼の身体を視ている私のAR情報から彼の存在が消えるのは理屈に合わないからだ。


 ともあれ、他の仲間達も、私も斥候役の男に呼びかけた。


 ゲーム中にいきなり補助電脳が切断されれば、一時的な見当識障害に陥る事も考えられる。人目につく場所で失神でもされればゲームどころの話ではない。


 だが、彼はゆっくりと私たちの方を見て、感情のこもらぬ泥人形のような顔でおお、だかうう、だか意味の分からぬ唸り声をあげていた。


 誰かが――仲間だったかもしれないし、私だったかもしれないし、あるいは無関係者だったかもしれない――危ないと叫んだ。


 斥候役は、まったく出し抜けに鼓膜が痛くなるような奇声を上げ、私たちに向かって猛然とつっこんできた。斥候役は身の丈も重量もある大男と言ってよく、私はよけきれずに突き飛ばされた。


 奇声と、彼の勢いはそれでも止まらず、関係ない通行人を押しのけて、何を思ったのか道端の塀に体当たりを食らわし、さらに絶叫とともに塀を蹴りまくり、それを破壊してしまった。


 それからの暴れ方はもう手を付けられないものだった。


 物を投げつけるわ暴力を振るうわ、よだれを垂らしながら意味不明のことをわめき散らすわで、もうゲームどころか、警察沙汰になってしまった。


 これでは気違いだよ、と防御役の眼鏡の男が神経質そうに呟いたのを私は聞き逃さなかった。ああ、それはその通りだろう。


 彼は突然発狂したのだ。そして、いずれ駆けつける警官に取り押さえられるだろう。


 冷めてしまった。


 もう『インソムニア』のことなどどうでもよい。さすがにこれ以上遊びに時間を費やしてはいられない。それに、関係者として警察に話を聞かれるのも面倒だった。それは物凄く面倒で――他の仲間達も共通の意見だった。


 こめかみを小突いて『インソムニア』を落とし、私達は無関係の風を装いバラバラに立ち去ろうとした。


 奇妙にも――私達全員の補助電脳の調子がおかしかった。

 

 私を含め、四人は直接目を合わせた。ゲームの仲介が解除されず、ARの表示が橙色のまま変化しないのだ。


 訝しむ暇は、しかし数秒しかなかった。


 誰かが、斥候役だった狂人を指差した。


 赤黒い亡者の塊に身を包んだ男がそこにいた。



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