異変
次の瞬間、彼は彼女と別れたバーのすぐ近くにいた。
好きな場所に戻れるわけではない、その時にいた場所にしか戻れないということなのか。
彼は焦った。駅に今すぐ向かわなければ、彼女は死ぬ。
「どうした…助けに行かないのか?」
エスパーの声で我に帰り駅に向かって走り始める。横にならんで走っているエスパーは「さて、間に合うかな?」とどこか楽しそうにいい放つが、彼にはまったく聞く耳をもってないようで、ただひたすらに駅に向かって走り続ける。すると目的地である駅にたどり着き今まさに駅に姿を消していく彼女の姿を見つけた。あとを追うように駅に入っていく。
夜も遅いためか、駅のホームにはほんの数人しかおらず周りを見渡せば電車を待っている彼女を見つけゆっくり近づいていく。
彼女の元に行き、後ろからぽんと肩を叩いた。
「ちょっ、どうしたの?来てくれて嬉しいけど、家反対方向だよね?」
彼女は驚いたように目を見開いたが、次にはそう言って微笑んだ。
しかしこのあと日常的な平凡な幸せさえも、何者かによって奪われてしまうのだ。
それだけは避けたい。
もう彼女とは10分近く会話しているが、犯人らしき人が現れることはなかった。
電車が来るまであと5分。このまま持てばいいのだが、そうはいかなかった。
さっきみた光景がホームで起こっていると言うことは、要するにそこではない場所に向かえばいい。そう考えて、彼女に少し寄り道をしないかと提案して近くの喫茶店にはいる。
「突然ごめん。あれからちょっとあってさ、急に会いたくなっちゃって」
どういったものか迷った末に、そんなうそをついて席につく。彼女相手にうそをつくのは忍びないが、これは仕方ないと自分を納得させた。
嘘をついて申し訳なさそうにしているその様子を、なにと勘違いしたのか、彼女は実に暖かい笑顔を浮かべて「うん」とうなずいた。
「大丈夫だよ。まだ時間も少しあるし、話す?」
優しい声で小首をかしげるそんな彼女を見て、たまらないくらい愛おしさを覚えた。瞬間、つい先ほどみたばかりの、これから来るかもしれない未来の映像が脳裏に浮かぶ。
「させない」
いつの間にかボソリと呟いていた。
「え?なに?どうしたの?」
「あ、いや。何でもない。それより、なにか食べようか」
なんとかあの未来を変える。
彼女を死なせはしない。
どんなことが起こるかはわからないが、なんとしても回避する。
そんな決意を胸にしながら、彼女と共に食事を開始させた。
その直後だった。
歴史と言うものは、変えられそうになった未来を修正しようとする力がある。
どこかのテレビだか漫画でそんなことを聞いたこがあるが、それはこの世界でも当てはまったらしい。
異変、と言うかすべての元凶は予想できないところから突然現れた。
頼んでいたパスタがテーブルへ届き、食べ始めた直後。店に一人の男が入ってきた。
青い制服に紺色のぼうし。一瞬警察かと思ったが、よくみればその人物は警備員のようで。
その男は店のなかを見渡すとまっすぐこちらへ向かってきた。
二人が座っていた場所は幸か不幸か入り口の近くで、窓際にある二人テーブルに座って入り口の方に体を向けて席についていた。
よって、彼女より先に男の存在に気づいた訳なんだが……
なんだろう、嫌な予感がする。
男を見つめて固まる。彼女はそんな様子にも気づかないで食事を続けている。
その間にも、ぼうしを目深にかぶった男はずんずんとこちらに近づいてきていた。
背丈は170?ほどだろうか。体型はやせ形で、年齢までは顔が隠れているためわからないが、極めて若いと言える。
なんだ……?
「いいことを教えてあげよう」
突然の声に飛び上がりそうになる。それは胡散臭いエスパーの声だった。しかもいつのまにいたのか、すぐ後ろの席でグラタンなどを食べている。
しかし、胡散臭いその男を鬱陶しいと思いかけた瞬間に飛び込んできたことばに、別の衝撃で目を見開くこととなる。
「あの男は事故の現況だよ?」
少し笑みを含んだような言い方でエスパーはそういった。
「なっ!?」
息を飲んで再び男の方に目を向ければ、すでに男は二人が座る席の前に立ち止まっていた。
「っ!?」
「失礼」
降ってきた声はやはり若い男のものだった。
「ん?はい?」
呼び掛けに反応して彼女が手を止めて男を見上げた。
「お尋ねしたいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
そんな二人の様子を汗を浮かべながら見守る。
気づいたが、この男は怪しい。
話す声に抑揚はなく、若いはずなのに声は低かった。
分かりやすく言うなら、心ここにあらず、とそんな感じ。
表情が伺えない男に対して警戒心が増す。
「道案内をお願いしたいのですが」
「道……案内ですか?」
「はい」
「えと……どこに?」
「そうですね……」
彼女も少しは気づいたのか、相変わらず抑揚のない話し方をする男に戸惑いながら応え、しかもどうやら道案内をするつもりらしい。嫌な予感はするものの、これはただの道案内だけかもしれない。そう思って黙って聞いていたが、行き先を聞いたとたん黙っていられなくなった。
「出来れば8番ホームまでいきたいのですが、案内頼めるでしょうか」
その一言ですべてが確信に変わった。
「失礼ですが彼女はこれから用事があるので、道案内なら他を当たってください」
少々きつい言い方になったが、そんなことにかまってるひまはない。
エスパーがいった通り、この男があの事故、否。事件の犯人らしい。
ここにいてはいけない。早く移動しなきゃ。
「それでは」
そう言って彼女の手を引き立ち上がる。
「え、ちょっ?」
驚いたような彼女の声が耳に届く。
「ね、ねぇ!だめだよ!今のひと、助けなきゃ。道わからないって……」
この駅は増築やらなんやらを繰り返したため複雑な作りになってしまっている。そのためこの駅に始めて立ち寄るひとが道に迷ったり道案内を頼むことはあるが。
「あの男は違う!」
きっぱりいい放った。
いつも以上に余裕のない声に彼女も気づいたのか黙り混む。
早く、早くどこか!
手を引いて歩きつつ、入れる店がないか探す。
「あらら」
今度は隣から、あいつの声が入ってきた。
もうそちらを向くことはしないし、応えることもない。
しかしエスパーはそれを気にした様子もなく、ひとをばかにしたような含み笑いをにじませた声で言う。
「ついてきてるねぇ。さぁどうする?」
「嘘だろ!?」
慌てて後ろを振り替えると、二メートルほど離れたそこに、あの男が同じスピードでついてきているのが見えた。
「くそっ」
なんとか逃げなきゃ!
彼女の手を引いて走り出した。
「わっ!?ねぇ!本当にどうしたの!?」
後ろから戸惑った声が聞こえてきたが、構っている余裕はない。
応えないまま、駅のなかを走り回った。
しかし、どこをどう走っても男はついてきた。
姿が消えて巻いたかと思った次の瞬間には再び後ろにいて、彼女の手を引いて走るはめになる。
どこをどう走ったのかわからないが、迂闊にも逃げた先が行き止まりになっているのに気づかず、ようやくそこで足を止めた。
「はぁ……はぁ……もう、いきなりどうしたのよ」
「……ごめ……くわしいことは、話せないけど……つけられてたから、逃げた」
「つけられてた?」
「ほら……」
不思議そうに聞き返す彼女に、姿を表した男を指差してあいつだよと告げる。
「え、なんでつけられ……」
『見つけた』
彼女の声に重ねるように男が突然いい放った。
それは先ほどと同じ抑揚のない声のはずなのに、なぜかその一言で背筋が凍るのを感じた。
『ようやく、見つけ出した』
訳のわからないことを呟きながら、男が一歩二人に近づく。
彼女をかばうようにその前へと進み出る。
『全ての、鍵と成る者』
男はもう一歩近づいてくる。発した声はすでに人のモノではなく。
「お前っ!なんなんだ!」
その不気味さに避けんだ声は届いたのか届いていないのか。
『存、ざいシ、テハ……ナラ、ナイモノ』
発する言葉すら、もうよくわからなくなっていた。
「なんなんだよ!失せろよ!ちかづいてくる……っ!?」
不気味さから恐怖へとかわり、耐えられず叫びかけて言葉をつまらせた。
突然、目の前にいたはずの男が姿を消したからだ。
なっ!?今目の前にいたのにっ!?
混乱する頭で周りを見渡すと、すぐにその男を発見することができた。
彼らがいるのは駅内部の休憩スペース。線路の上にある大きな柵で囲まれたオープンテラスだ。
数メートルの柵で囲まれているのは人が誤って、あるいは故意に落ちないように設置されているものだがしかし、探していた男はあろうことかその柵の上にたっていた。
人間が上れないようにできているのにも関わらず、その男は確実にその上にたっていた。
人間技じゃない。
呆然と見上げるが、柵の外に伸ばされた男の左手、その手に捕まれているものに気づいて我に帰る。「サキ!!」
男がつかんでいたのは先ほどまで後ろにいたはずの彼女だった。
「ぁ……かはっ」
苦しそうにあえぐ姿は見ていられないもので。
「お前っ!!いますぐそいつを離せっ!!」
力任せに叫ぶが、男の耳には入っていない。
『ケス……コノヨカ、ラ。スベテノ、サ、マタゲ……ナル』
なんだよ。こいつなにいってんだよ……
「聞いてるのかっ!!そいつを離せって言ってるんだよ!!」
遠くで不吉な音が聞こえた。
それは電車の走るおと。
「っ!!」
その音が耳にはいって、これからなにが起こるかなんて子供でもわかった。