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【R.p.g】  作者: 浅地 逸葉
第イチ話
3/3

遭遇《ソウグウ》

 そうぐう【遭遇】

( 名 ) スル

思いがけなく出会うこと。偶然,巡り合うこと。







【0】

 ゴウン……ゴウン……ゴウン……

僕の身体が収まった狭い箱が、静かに静かに唸る。まるで冷蔵庫の中に収められた食材の気分だ。この後の自分の身体の状況を考えると、当たらずしも遠からずな物の例えなのだけれど。


「橋田さん、聞こえますか?」


 耳元で僕を呼ぶ声がする。

気だるさを覚えながらも、箱の内部に取り付けられた通信機に目をやりながら、「はい」とだけ答えた。


「これからカウントダウンを始めます」


名も知らぬ科学者先生が続ける。


「いいですか?私がカウントダウンを始めたら、繰り返し深呼吸をして下さい」


「はい」


「先に説明した通り、貴方の頭上にあるチューブから催眠ガスが噴霧されますが、人体に全く害はありません。ですので、怖がる必要はありませんからね。それをゆっくり吸い込んで下さい」


説明なんかどうでもいいから早くしてくれ……そう口に出してしまいそうになるくらい、僕は苛立っていた。


 身動きも取れないような狭い機械だらけの箱の中に、一時間も横になっていたら発狂しそうにもなるだろう?


 やれ部位のチェックが、だの、試運転が、だのと。そんなの僕の知った事じゃない。僕は一刻も早く、この下らない日常から逃げ出したいのだ。糞みたいな、『普通』を強要される日常から。


 固く閉ざされた硝子の蓋を睨みながら、僕はその時を待つ。


「ではカウントダウンを始めます……10……」


科学者のカウントに合わせて、シュッという冷たい空気が頬を撫でる。


「9……」


 その無味無臭の気体は、顔から肩、肩から胸、腹、脚へと、素早く這い下りていく。「害は無い」と言われても、どうしても不安や恐怖がジワリと顔を出す。


「8……7……」


 だが、もう後には引けないし、つまらない現実に帰るくらいなら、ここで死んだって構わない。


 僕は排出された催眠ガスを肺一杯に吸い込んで、込み上げる恐怖心を麻痺させてしまう事にした。…深呼吸を繰り返す。


『……ろk……ゴ………』


 科学者の声が、低速で再生されているように、耳の中で歪んで響く。身体がフワフワと浮いている様な感覚の後、瞼が鉛の様に重くなるのを感じた。


『……yん………サ…………』


 もう微かにしか聞こえなくなった男の声を子守歌代わりに、僕は微睡みに全てを委ねた。


 一一刹那。何故か、父さんや母さんの顔を思い出す。

父さんの苦々しい顔。

母さんの泣き顔。

久々に感じた開放感のあとで、何でこんな憂鬱なもの思い出してしまったんだろう。


 うざったい感傷にトドメを刺す為に、もう一度肺の奥へ空気を送り込んだ。

そうして僕の頭は真っ白な波へ、緩やかに沈み込んでいく。


『橋田さん、未来で会いましょう』


 夢が現か、笑顔を含んだ科学者の言葉が聞こえた気がした。






【1】

 ゴウン……ゴウン……ゴウン……

……機械の低い唸り。

これを聴くのは随分と久しい気がする。

それに


「これは凄いな!こんなに錆びだらけなのに『生きている』よ、この機械(コイツ)


 コツコツ、という硝子蓋を軽く叩く音と、人の声。……女の子だろうか?

声の主は興奮気味に息継ぎもせず言葉を吐き出していく。


「これは本で見た事があるなぁ……あれだ、『コールドスリープ用カプセル』ってヤツだね。それにしても結構大きいなぁ、初期型かな?昔の人間の技術ってのは全くどうして、下らない事に対してズバ抜けているよ本当。要はね、コレは人間を生きたまま冷凍保存する為の機械なのさ。今じゃあ考えられないだろ?」


 機械の表面を撫でる音、強く小突く音…そういった音が慌ただしく機体を一周する。それは内部に強く反響し、とても耳障りだった。


「……ふぅん」


 先程の高揚した少女の声音と対象的に、低く暗い男の声が、全く興味無さ気に適当な相槌を打つ。


「キミという奴は、本当に話し甲斐の無い男だなぁ」


 少女はため息と共に呆れた笑いをフッと吐き出すが、男は何も答えない。

少女は男の冷たい反応など気にも留めずに、まるで歌う様な滑らかなリズムで続ける。


「臆病で短命な人間が考えた延命装置なのさ、これは。人体を低温状態で保存する事によって、時間経過による老化を防ぐワケだ」


「延命、ねぇ」


「そそ。それに、旧人類は空の上にまで手を伸ばしていたそうでね、その移動には膨大な時間が必要だったらしいんだよ。それこそ、人の一生なんて終わってしまうくらいのね。だから、若い肉体を維持したまま長期移動が出来る手段を必要としたワケだ。よく考えるよ、本当」


 寝ぼけ頭でボンヤリとしながら彼女らの話に耳を傾けていたが、意識が徐々にハッキリとしていけばいく程、脳内に浮かぶのは沢山の疑問符だらけだ。


 『昔の人間』?『旧人類』?

一体この人達は何の話をしているんだ?

科学者の話では、僕が目覚めるのは確か『10年後の3月』だった筈。


 何かの聞き間違いだろうか、それともこれは夢中夢というやつなんだろうか。曖昧な状態の僕を置いてきぼりにして、少女と男は奇妙な会話を続けていく。


「で、どうする気なんだ、『コレ』」


「んー、そうだね、『中身』は例の如く『ダメ』になっているだろうから、分解して部品を戴こうか。本当はこのまま持って帰った方が『技術屋(ヤツら)』は泣いて喜ぶんだろうけど…こんな大きい物ワタシ達だけじゃ運べないし、何より部品をバラで売った方が逆に金になるしね」


「セコいな」


「セコいのではなく、生活の知恵だよコレは。……よっと!!」


 ガコンッ!!

!?

耳を劈く破壊音。

軽快な少女の掛け声と共に、僕の頭上から鉄の蓋を乱暴に取り外された大きな音が響いた。ここで僕の愚鈍な頭は、ようやくハッキリと覚醒する。


「どうせまた高くふっかけるんだろ」


「ふっかけてなんてないさ、人聞きが悪いなぁ。ワタシはこの世界の技術発展に大きく携わってやっているんだから、然るべき報酬はちゃぁんと貰わないとねぇ」


「大体、『本来の目的』から離れているぞ」


「いけないなぁ、キミは。幾分頭がカタ過ぎる。ワタシよりも若いのだから物事にはもっと柔軟に対応しなくてはいけないよ」


 続けて聞こえてくるのは、ガチャガチャという乱雑な機械音。鉄と鉄同士が擦れ合う音や、何かを叩いたり、引っ張ったり、千切ったり……そういった騒音という騒音が、僕の鼓膜を引っ掻き回す。

 ただでさえ狭い箱に押し込められて身動きもままならない状態だってのに!まるで拷問だ!


 騒音はどんどん酷くなる一方で、中にいる僕の気も知らないで、時々「なるほど」だの「ふむふむ」だの、呑気でいて楽しそうな一人相槌が聞こえてくる。


 耳から血が噴き出そうになるくらいの騒音に、恐怖を超えて怒りが込み上げてきた。大体、『中身はダメ』ってなんだよ!そんな言い方ってあるか!?確かめもせずに決めつけやがって!


「おい、おい!やめろ!やめろぉ!!」


 固く閉ざされた蓋に両手を打ち付けながら、僕は必死になって叫んだ。


 それにしても、こんなに腹の底から声を上げたのは何年振りだろうか。

僕が風呂に入っている隙に、母親が許可なく部屋を掃除して……それでブチキレて、怒鳴りつけた時以来なんじゃないだろうか。


「おい、聞いてんのかよ!やめろ!ふざけんな!ここから出せ!ここから出せって!おい!聞けよ!!」


 何度も繰り返し繰り返し、硝子蓋をバシバシ叩く。喉も掌も熱くて痛い。掌の骨が砕けてしまいそうだ。……ああ畜生、ふざけんな!……ふざけんな!!何で起きて早々こんな目に遭わなくちゃならないんだよ!


「……おや?」


 少女の疑問符と共に雑音が止んだ。が、それでもカッと湧き上がった腹の虫が収まらず、怒りと苛立たしさを強く、強く、何度もぶつけ続けた。


「早くここから出せよ!僕は生きてる!生きてるんだって!聞こえてんだろ!?畜生!!早く出せ!!」


 蓋の向こう側は暫く沈黙したのち、申し訳なさそうに、しかし、どこか嬉しそうな声色で、こう答えた。


「あー…ちょーっと待っていてくれるかな?『こんな例』は初めてなモンでね、今出してあげるから」





 それは異様な光景だった。

別世界に放り出されたような。

まだ夢の世界を彷徨っているような。


 蓋が開いた瞬間、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせかけてやろうと思っていたのに、そんな気も、血の気と共に失せてしまった。


「どうなってんだよ、これ……」


 誰に言うでもなくザラついた声で呟く。

蓋が開いた先は、鉄錆とモノクロの世界だった。ボヤけた目を少し擦ったあと、もう一度周りを見回してみる。


 清潔感溢れる白で統一されていた筈の部屋は、全ての塗装が劣化し、剥き出された鉄の黒や錆の赤茶で痛々しく染め上げられていた。


 部屋の中を慌ただしく右往左往していた研究者達の姿は無い。

至る所に取り付けられた大小様々なモニター達も何かを映し出す事を忘れ、ただの平面体のオブジェと化していた。


「やぁ、先程はすまなかったねぇ」


 自分のおかれている状況を理解出来ず、ただただ硬直したまま座していると、後ろから間延びした、何とも軽い謝罪が飛んできた。


 振り返り、声の主を見上げる。

そして僕はまた、先程とはまた違った向きの驚きで息を飲む事になる。


 そこに立っていたのは、『美しい少女』だった。

この退廃的な空間に映える不釣り合いな『白』は、違和感を覚える程の神々しさだ。


 歳は13歳くらいだろうか?聡明な光が揺れる碧眼を真っ直ぐこちらに向けながら、少女は柔らかな笑みを作った。


 僕はその真白の少女に対して、素直に『美しい』と感嘆するのと同時に、とても『勿体無いな』とも思った。…何が勿体無いのかというと、彼女のラフ過ぎるその格好が、である。


 白銀の艶やかな長い髪は荒々しくも乱雑な三つ編みで纏められており、色褪せた生地の薄いタンクトップや襤褸(ボロ)いホットパンツから覗く四肢は壊れてしまいそうな程に細く、肌には象牙の様な滑らかな光沢があった。


 空からフラリと舞い降りてきた純白の天使が、300円位で売っている古着を適当に羽織って人間のフリをしている……そんな違和感。きっと白のワンピースなんか着たらもっと絵になるんじゃなかろうか。


 少女は何度かパチクリと瞬きをしたあと、小さな銀縁の丸眼鏡のズレを直しながら、淡く色付いた唇を開いた。


「動揺しているのかな?…まぁ、無理もないか」


「あ、いや、えっと…」


 もう一度少女を見る。顔や身体のパーツ一つ一つにズレや隙が一切無い。


 特筆すべきはその整った中性的な顔立ちだ。理智的かつどこか精悍なその容貌は、『少年』だと言われても納得してしまうだろう。薄過ぎず、濃過ぎず。東洋系と西洋系のイイトコ取りをした絶妙な造形美。ハーフ……なんだろうか。


 一体何がどうなっているのだろう。

一度に沢山の情報が雪崩れ込んできたせいで、頭の中が酷い大渋滞を起こしてしまう。


  冷凍保存(コールドスリープ)から叩き起こされてみれば、頽廃的な色一色となった研究所に、国籍不明の謎の美少女との出逢い。漫画やゲームでよく描かれる世界観や設定が、そのまま現実に飛び出してきたみたいだ。


 好奇心と興奮がドッと胸溢れ、心臓が大きく高鳴る。……久々に感じる高揚感に、顔が自然とニヤついてしまう。そんな気持ち悪い顔は見せられないので、僕は慌てて俯いた。


「そうだ、お互いの自己紹介をしよう! 」


「へっ?」


 突然の思わぬ提案に、僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。余りの恥ずかしさに顔が熱くなる。

 そんな僕を見て、少女は小鳥が囀るような可愛らしい音でクスリと笑うと、小さな左手を僕へと差し出してきた。


「いやね、突然こんな状況に置かれて、キミ、とても不安だろう?折角こうして出会ったんだ!『知り合い』を作った方がキミも少しは安心出来るんじゃないかな、と思って」


「は、はぁ……」


 初対面の、しかも得体の知れない相手にこの物怖じしない少女の態度。

25歳にもなったイイ大人の僕が逆に面食らってしまう程の、堂々とした立ち振る舞いだ。


 中学生の頃、自分はこんなにしっかりしてなかったな…などと思う。


「ワタシの名前はイゼ。……『キミの時代』にも、握手をする文化はあったよね?」


「あ、あ……ども……」


 華奢な掌を恐る恐る握る。何とも生気の感じられない、ひんやりとした手触り。……本当に人形つくりものみたいだ。


 そんな事言ったら僕の手だって、さっきまで冷凍されていたせいで相当冷えきってしまっているんだけど。


 冷たい握手を交わしつつ、現在自分が置かれている状況を少し整理する。

彼女の口振りと、この荒れ果てた現状から察するに、僕はかなりの年数を寝過ごしてしまったのではないか。


 というよりも…正しくは僕が寝過ごしてしまったのではなく、僕が寝ている間に『何か』が起きてしまい、そのまま放置されてしまったのではないか。飽くまで僕の憶測に過ぎないのだけども。


 そうだ!イゼなら何か知ってるかもしれない!聞いてみないと!


「あ、あ、ぁのっ」


「あぁっと!!」


 二人が声を上げたのは同時だった。

……けれど、僕のやっとの事で絞り出した小声を、イゼのよく通る大声がまるっと掻き消してしまった。


 人と話すのは数年振りだし、それこそ、女の子と話すのなんて小学校低学年以来だし…他人とのコミュニケーションの取り方なんてよく思い出せない。


「ははは!いけないな、ワタシときたら『彼』を紹介するのをすっかり忘れていたよ!最近物忘れが酷くて嫌になるなぁ、全く!」


 少女は僕の声に気付いていない様子で、自嘲しながら言葉を続ける。自分が笑われているワケじゃないのに、僕は少し惨めな気分になった。


「ワタシの後ろにいる陰気臭い男がラクドだ。忘れてすまないね、ラクド」


 イゼは半分顔をこちらに向けたまま視線を後ろに送る。彼女の視線を追った先に、『それ』はいた。

『そいつ』は、朽ちて折れ曲がった機材達の影に溶け込む様にして、黙したまま腕を組んで立っていた。


 『鳥の頭を模した黒いガスマスク』。


 真っ先に僕の目に飛び込んできたのはそれだった。眼の箇所に当てられたゴーグルには遮光硝子がめ込まれており、そのせいで男が今どんな表情をしているのか、一切(うかが)い知る事が出来ない。


 着古された薄汚い革製ロングコートの裾先は、バラバラな短さに裂けしまっていて、その様子は閉じられた鴉の羽根を連想させる。


 『純白の美少女』とは対照的な、『異形の黒い男』。その不穏で不吉な姿に、僕の背筋に悪寒と嫌な汗が伝う。


「キミ、挨拶くらいしなよ」


 イゼが少し怒ったような顔で声をかけても、男からの返答は無い。聞こえるのはガスマスクから漏れる、不気味な呼吸音だけだ。


「根暗な上に不躾な奴だけど、まぁ悪い奴じゃあないから」


「え……あ、でも……」


「大丈夫大丈夫!そんなに怯えなくても、吠えたり噛み付いたりしないからさ」


 狼狽する僕のリアクションを、イゼは『あまりフォローになっていないフォロー』で軽く受け流す。あんな怪しい風体の男を「悪い奴じゃない」と言われても……説得力が無さ過ぎる。


 ラクドと呼ばれた奇妙な男の挙動をジッと観察していたが、ずっと同じ調子で廃材にもたれかかったまま動かない。襲いかかってくる気配も無い。

目を逸らしたら殺されてしまうのではないか…まるでしこたま石を詰め込まれてしまったかの様に、緊張と恐怖で喉元がグッと苦しくなる。


 空間に、暫しの沈黙が訪れた。


「……で、だ。キミの名前も是非伺いたいんだが……イイかな?」


 彼女の苦笑い混じりの提案に、ハッと我に返る。そうだ、今は疑心暗鬼に取り憑かれている場合じゃない!こんな状況じゃ頼る宛も無いし、現状を把握する為にも、彼らと少しでもコミュニケーションを取らなければ!


「あ、えぇと、ぼ、僕は……」


 臆病な自分を奮い立たせ、何とか言葉を口にした……その時だった。


『ああ゛ぁあぁああぁぁあぁ♡♡♡♡』


 !?

 部屋の外から、女性の喘ぎ声…の様な絶叫が大きく響き渡った。え?何?何だ今のは?


『はぁあぁん♡……んあぁああぁぁ♡♡』


 初めは自分の耳を疑ったが、それは確かに入り口の向こうから聞こえている。

そしてその『艶かしい声』は、心なしか少しずつ少しずつ、こちらに近付いて来ている……様に感じられた。


「え、これ、なん……?」


 答えを求めてイゼを見ると、その顔からは先程の柔らかな笑顔が消え失せていた。滑らかだった眉間にグシャリと皺をよせ軽く舌打ちをすると、後方のラクドに目配せをする。


 そうした後、彼女は「もう行かなくては」と残念そうに肩を竦めた。


「ワタシ達は『ちょっとしたおつかい』でここに来たんだ。面倒だが、それを片付けてしまわないと」


「え!?ちょっと、待ってくれよ!」


 サッと血の気が下がるのを感じた。

『只事じゃない何か』がこの部屋に近付きつつあるのは、さっきのイゼのしかめ面と反応を見れば分かる。僕だってバカじゃない。


 もしかして、こんな得体の知れない場所に僕を一人置いて行くつもりじゃないだろうな!?冗談じゃないぞ!


「ぼ、僕も連れていってくれよ!こんな場所に一人でいたくない!」


「んー……まぁ、ここにいるのも危険だけど、ワタシ達と一緒に行動するのもそれはそれで危険だよ?」


「一人でいるよりマシだろ!?第一、ヒトを叩き起こしておいて放置するなんて無責任すぎるだろ!責任を持って僕を安全な場所まで連れて行く義務があるんじゃないのか!?いや、あるだろ!!絶対ある!!」


 必死だった。自分でも驚く位に舌が回った。取り残されてしまう恐怖も大きくあったが、何より、自分が望んだ『平凡からの脱却』がここ(・・)にはある。

やっと折角『物語の主人公』になれたんだ!あの息苦しい日常から解放されたんだ!死んでたまるか!


 イゼは暫く考え込んでいた風だったけど、すぐに愛らしい笑顔を浮かべて「分かった」と頷いてくれた。


「じゃあ急ごう。キミの事まだ何も聞いてないし、歩きながら話そうか」


 僕はその心地良い返答に安堵しつつも、ふと視界に入ったラクドが頭を抱えながら溜め息をついていたのが気になった。何だよその態度は。僕を助けるのが面倒なのか?……気味悪い見た目通りの嫌なヤツだな、コイツ。


 少し早足で部屋を出て行くイゼの背中を慌てて追いながら、気だるそうに後ろをついて来る『鳥頭』に向かって、聞こえない様に小さく舌打ちをした。






【2】

 橋田耕平はしだ こうへい

それが僕の名前。

何の変哲もないごく普通の名前。


 名前はその人自身を表す、たった一つの『記号』みたいなモンだ。

僕を表す『記号』自体がこんなにつまらない響きだから、僕自身もこんなにつまらない人間になってしまったんじゃないだろうか…なんて思う。


 僕を生み出した両親も、一般的な中間層の人間。

父はごく普通のサラリーマン。

母はごく普通の主婦。


 そしてまた僕の住んでいた街も、高層ビルも目立つ建物も何も無いごく普通の住宅街。飽き飽きするほど平凡で、何の起伏も無い日々。


 それでも小学校の低学年位までは、日々を楽しく生きていた気がする。…その頃の夢は、漫画やゲームに出てくる様な格好良いヒーローになる事だった。

ヒーローになって悪党共をバッタバッタと薙ぎ倒し、人々から送られる尊敬の眼差しや拍手喝采を全身に浴びたい。特別な存在になりたい。そう思っていた。


 ある日。『将来の夢』を書いた作文を国語の時間に発表した時、担任の女教師が引きつった笑いを浮かべながらこう言った。…あれは少し怒っていたんだと思う。


「橋田君。何ていうか……これはね、お勉強なのよ?遊んでいるんじゃないの。そういう『あり得ない空想のお話』じゃなくて、もっと他にあるでしょう?そんなの、実際なれるワケないじゃない」


 クラスのみんなが、一斉に笑い出した。


『野球選手』だとか『サッカー選手』だとかそういった現実味のある、尚且つ、子どもらしい夢を先生は書いて欲しかったんだろう。実際、僕以外のヤツらはみんな同じ様な内容の作文を書いていたし。


 何故先生が怒っているのか、何故みんなが僕を笑っているのか分からず、恥ずかしくて悔しくて……その日の帰り道、作文を破って側溝に捨てた。


 僕はみんなと違う夢を書いたから、先生に怒られたし、友達にも笑われた。

そうだ……他人ヒトは、自分達とは異なった思考を持つ人間ものや異なった行動をとる人間ものに対して、攻撃をしたり嘲笑したりするんだ。


 夜、布団の中で泣きながらその日一日の事を思い返して、考えた末にこの回答に至った。


 その日を境に、僕はどんどん引っ込み思案になり、他人とは必要最低限の会話しかしなくなった。


 あの国語の授業の後、特段周りから無視されたり嫌がらせをされたワケでもなく。先生やクラスメイトはいつも通り、普通に笑顔で接してくれた。

でも、ヤツらが放った嘲笑いが耳にこびり付いて離れず、もう『尊敬すべき先生』や『仲良しの友達』として見る事が出来なくなっていた。


 ヤツらは僕を傷つける、理不尽で身勝手な存在(怪物)でしかない。

そう認識してしまったから。

もし少しでも『他人(ヒト)が設けた基準』から外れてしまったりしたら、コイツらはきっとまた僕に牙を剥くだろう。

それが堪らなく嫌で、怖かった。


 僕はなるだけ目立たない様に、『普通』に『平凡』に見える様に…『空気』に擬態してクラスに溶け込んだ。


 中学二年の夏。

僕は突然何もかもが嫌になって、学校に行くのを止めた。


 『空気』として在り続ける日々に疲れてしまったのか。それとも、夏の熱気にやられて胸に充満していた不満が爆発したからなのか。自分でもどうしてそんな事をしたのか分からない。


 タオルケットに包まったまま頑として動こうとしない僕を見て、両親は毎日毎日同じ言葉を吐きかけてきた。

大体がこうだ。


「お前は普通じゃない!」

父が怒鳴る。

「昔はマトモな子だったのに……」

母が泣く。


これの繰り返し。

返事をするのも億劫で、ずっと無視をし続けた。


 ところが引き篭もって一年以上が過ぎた、雪の降る朝。


「学校へ無理矢理にでも連れて行く」

「病院へ行きましょう」

二人がそれぞれ勝手な事を喚きながら、僕を外へ引きずり出そうとしたのだ。


 お互いを罵倒し、僕の腕を引っ張り合う両親をボンヤリ眺めながら、煮沸し続けるマグマに似た、酷く熱い濁った『何か』が、胸の奥底から湧き上がるのを感じていた。


 『普通』だの『マトモ』だのと……親であるお前らも、僕を『お前らの型』に押し込めようとするのか。

『お前らが設けた基準』から逸脱したというだけで、僕を気狂い扱いするのか。

何て理不尽で身勝手なんだ!!

家族(お前ら)他人(ヤツら)も、何も違わない!!全く同じ怪物じゃないか!!


 そう気付いた途端、胸の底の熱いドロドロが爆ぜた。

もしかするとあの時僕は叫んだのかもしれない。余りよく覚えていない。


 気が付いたら部屋中の物が散乱し、強盗にでもあったような有様になっていて、父も母も傷だらけで座り込んでいた。

二人はまるで化け物を見る様な怯えた目で、僕を見ていた。


 弾む息を抑えながら、ふと自分の両手に目を遣った。赤く腫れ上がっていた。


「ああ、僕は親を殴ったんだな」と、何か感じるでもなく、ボンヤリと思った。




「へぇ、なるほどね」


 掌サイズのランタンで暗い廊下を照らしながら、イゼは僕の長い過去話に相槌を打つ。


 どういう仕組みなのかは全く分からないが、その小さなランタンは、僕ら三人を包んでしまう程の体躯に見合わない青白い光を放っている。


 この建物は大学だったのだが、勿論の事生徒達の姿もない。

老朽した廊下は全体がひしゃげ、天井が崩れ落ちている箇所もあった。

何かを探しているのか、時々イゼ達が講堂を覗くのだが、その中も僕が目覚めた研究室と大体同じ具合だった。


 一番驚いたのは硝子の無い窓から見える景色だ。

今は夕暮れ時なのだろうか。

赤い空の下にあるのは鬱蒼と生い茂る森、そしてつたに覆われた崩れかけの廃墟群。

僕の住んでいた平凡な街が丸ごと消え去っていた。


 四階から見下ろす非現実的な光景に、ついつい口元が緩んでしまう。


「それから君はずっと自宅に籠城していたワケ?」


 イゼの言葉に咄嗟とっさに振り返る。にやけ面を見られたかもしれない。手遅れかもしれないけど、急いで顔を背けながら「うん」と応えた。


「十年間一歩も外に出なかった。部屋から出るのは風呂かトイレに入る時位。あとはずっと漫画とか小説を読むかパソコンいじるか……大体そんな感じ」


「『ぱそこん』ってアレか、『誰でも様々な情報を閲覧する事が出来た』っていう機械?」


 突然彼女は興味津々に僕に顔を近付け、大きな目を一層大きく見開きながら、意外なところに食いついて来た。

遊んで欲しくてじゃれついてくる子猫の様な、好奇心旺盛で無邪気な色をした可愛らしい表情にドキリとしてしまう。

 いけないいけない、なに子どもにときめいてるんだ僕は……!


「う、うん?ああ、その……現代いまって、もしかして無いの?パソコン」


努めて平静を装いながら言葉を返すと、難しい顔をした少女は口元に人差し指をあてる。


「んん〜、辛うじて『遺跡』なんかで『それらしき遺物もの』を見かける位かなぁ。生きてるやつは見た事がない」


「あの、突然で申し訳ないんだけどさ」


 ずっと気になっていた事を、この会話の流れでなら自然なかたちで聞けるだろう。不思議そうに僕を見上げるイゼに視線を合わせ、言葉をあれこれ選びながら続けた。


「僕がいた『時代』《とき》は、『2040年』だったんだけど、その……今は一体『何年』なの?僕は『何年間』眠っていたの?」


 妙に冷たい汗が掌を濡らす。緊張で喉が渇く。質問の『回答』の予想は大体ついていても、まだアタマの中はどこか夢見心地だ。


パソコンもネットも存在しない、朽ち果てたこの世界の『答え合わせ』をしよう。

そして、この惚けた脳を刺激しなければ。


「そうだね、現在いまは3500年。キミは大体1400年以上眠っていた事になる」


 実に軽い声色の返答。しかしそれは、僕の脳に衝撃を与えるには十分な威力があった。


「1400年……1、400……」


 数字を何度も反芻させる。

何て途方もない時間を僕は眠り続けていたのだろう……と、愕然とした。

成程、それだけの年数が経過していれば、僕らが『旧人類』と呼ばれていたのにも合点がいく。


 一通り探索し終えたのか、「下へ降りよう」とイゼが灯りで誘導した。ラクドはいつもの調子で、無言のままそれに追従する。

階段を下りる中、彼女から沢山の話を聞いた。


 遥か昔にあった『災害』が原因で、人類の約半数以上が死に絶えた事。

地震や津波、地表の水没や地殻変動によって、世界は島国だらけになっている事。

イゼは『学者』で、自身の見聞を広める為に諸国を回っている事。

こうしてこの『大学跡《遺跡》』にやってきたのもその一環である事。


また彼女は、大した事ではないといった様子でこんな爆弾発言をサラリと言い出した。


「まぁ、実は遺跡調査は『ついで』というやつで、ここへ来た本来の目的は化物退治なんだよ」


「……え?今、なんて?」









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