3、背中合わせの二人だから
Side・篠原
ワルジェネのメンバーのうち、レンと吉野を抜かした僕ら三人は、事務所の休憩室で時間を潰していた。
カイは近々ゲスト出演するドラマの台本を読み、アユは新しいコンサート衣装をスケッチブックを広げて考えていた。
僕と言えば、最近はまっているニーチェの本を読んでいた。
残念なことに、これについて語り合える人間が僕の側にはいない。
僕らがここに居るのは、レンたちのレッスンが終わった後に、全員集まれる時間があるため、そこで次のコンサートの打ち合わせをしようとなったらしい。
僕はマネージャーに聞いただけなんだけどね。
「檍さんと濱野さん、遅れているらしい。今二人だけでやってるみたいだし、二人呼んできて今から打ち合わせしようか」
総マネの森坂さんがやってきて言った。
確かに、最近は時間を取るのが難しいし、その方がいいだろう。
森坂さんにレンと吉野を呼びに行ってもらって、僕らは各々の持ち物を鞄にしまった。
アユが飲み物でも用意しようかと立ち上がり、カイもそれを手伝いに付いて行った。
僕は森坂さんの置いていった資料に、予め目を通しておく。
タイムロスはできる限りしたくはないしね。
と、資料を読み出してすぐだった。
森坂さんの叫び声がした。
僕ははっとして、腰を浮かした。
「どうしたの?セイちゃん」
アユとカイが盆に乗せたコップをガチャガチャ鳴らしながらやってきた。
僕は二人を一瞥してから、部屋の入り口を見た。
「止めろ、お前ら!おい、手ぇ貸してくれ!」
今度ははっきりと聞こえた。
僕はアユとカイに視線を向けると、走り出した。
何があった?
恐らく、レンと吉野のことだ。
後ろから、アユとカイも付いて来ているのが、足音で分かった。
部屋に入ると、レンが吉野の胸ぐらをつかんで睨みあげていた。
背を向けている吉野の表情は分からない。
でも、レンの表情は、明らかに怒っているのが分かるものだった。
「何だよ、俺が全部悪いのかよ!?可笑しいだろ、止めんな!ずっと俺は、完成点だけを目指しているのに――――」
そこで吉野はレンの手を振り払った。
吉野がそんなことをすることに、驚いた。
「僕は憎いよ。僕の欲しいもの全部持っている君が…。持たない人間のことなんて、考えたこともないんでしょう…!?」
吉野がいつもよりも低い声で言った。
不味い。止めなければ。
僕は森坂さんの隣をすり抜けて、二人の方へ駆け寄った。
「僕は、君みたいにはなれない」
「そこまでだよ」
吉野が言いきったところで、僕は二人の間に割り込んだ。
僕は二人の顔をそれぞれ見てから、一言言った。
「これ以上の口論は、ワルジェネのリーダーとして、許さない。ましてや二人ともプロなんだ。仕事仲間でこんなとしてる暇、有ると思ってるのかい?」
二人の行動は、グループにも悪影響を与える。
そんなことは、リーダーの僕が許さない。
そんな気持ちを込めて言うと、吉野もレンも口を閉じた。
そして、レンは吉野を一瞥した後、タオルとペットボトルを拾って、森坂さんやアユ、カイとは目線を合わせないようにして、レッスンルームを出ていった。
僕は吉野の目の前で立ったままでいた。
吉野は悔しそうな表情をしていた。
吉野はそこで突然、ズルズルとしゃがみこんだ。
そして、手に持っていたタオルを被って、盛大にため息を吐いた。
「僕、最低だ…」
ネガティブか。
吉野のこれはいつものことだが…。
チラリと入り口を見やると、調度、吉野のマネージャー兼恋人の橋本が到着したところだった。
僕は橋本に視線を投げ掛けると、彼女は力強く頷いた。
後は彼女に任せた方がいいだろう。
そう判断すると、僕は吉野の肩をポンと叩いた。
「頭冷やして、ちゃんと考えてから、また話し合いなよ?」
そう声を掛けると、僕はレッスンルームを後にした。
入れ違いに橋本が吉野に駆け寄って行った。
大丈夫だろう。
彼女の方が、吉野のことは熟知しているはずだ。
レッスンルームを出ると、アユとカイと、連れだって休憩室へ向かう。
大方、二人とも脳内でレンと吉野の関係をどうやって修復させるか考えているんだろう。
それは問題無いと思う。
あの二人は切っても切れない仲だし、喧嘩するほど仲が良いなんていう、ありふれたことわざも有るくらいだ。
寧ろ、今までこういった衝突が無かったことの方が問題だ。
他人の気持ちに聡いレンと、お人好しな吉野の間じゃ、なかなか起こらないだろうが…。
親友という仲なのだと聞いている。
つまりは腹を割って話せる仲なんだろう。
なら、たまには口論なり何なりするものではないか?
「セイちゃん、あんまり悩んでない?それよりも、不思議って顔してるよね」
「何か策でもあるんですか?」
隣から、アユが僕の顔を覗き込んで言った。
そこに加えてカイが聞いてきた。
僕は苦笑し、前髪を弄りながら言った。
「流石に策は無いな。あの二人が離れていられる期間なんて、たかが知れている。ダンスにしろ、歌にしろ、ワルジェネトップのコンビネーションを誇るあの二人だ」
僕はそう言って、アユの顔を押し退けた。
アユは顔を押されたのが不服なのか、口を尖らせた。
「なら何で不思議そうなのさ?」
「…ここまで喧嘩が無かったことの方が不思議だと思っていた」
僕の回答に、アユは目を丸くしてから、成る程成る程と、頷いていた。
「まぁ、吉野は信者ですもんね」
笑いを含んだ声で、カイが言った。
信者という意外な言葉に、僕はカイを見た。
カイは苦笑しながらも続けてくれた。
「奈都乃ちゃんから聞いた話ですけどね?レンは吉野のヒーローらしいんですよ。吉野は何かとレンに憧れて、だからこそ、その隣に立ちたいと望むんですよ。ワルジェネ参加も、そんな理由じゃないですかね?」
軽い口調でも、カイの表情から察するに、ちゃんと二人のことを心配しているのが分かる。
僕はため息を吐いた。全く。
レンも吉野も、うちの最年少組は、周りに心配をかけるのが得意だな。
まぁ、こっちが勝手に放っておけないと思ってしまうのかもしれないが。
「今回必要なのは、吉野の自信だろうね」
僕はポツリと呟いた。「自信」。
簡単に三文字の響きに表すことができるけど、これ程手に入れるまでの道のりが長いものは無い。
「レンのダンスや歌唱センスには、時折僕もゾッとすることが有るよ。復帰してからは特にね。舞台上で、こっちも本気出さなきゃ、こいつに喰われる…みたいに思うことがある。レンは一年のブランクさえ優に飛び越えた。他人の努力を飛び越える、それが才能だ」
アユとカイは黙って僕の話を聞いている。
二人も感じたことが有るだろう。
あの可愛い弟分の、恐ろしい程の才能を。
「でも、才能を持っていても、成せない者は何も成せない。なぜなら、才能は心には比例しないからだ。才能に乗っかって尊大にでもなってしまえば、そこでそいつは終わりだよ。レンは知ったんだろうね、無意識に。才能の使い方を」
レンが天才なら、吉野はそれにがむしゃらについていこうとする凡人。
でも、天才には、どうしたってなれない。
確かに、努力を飛び越えるのが天才だ。
でも、天才を飛び越えることが出来るのは、努力しかないんだ。
努力を知らない天才は、何も成せない。
天才が努力をするから、それは凄くて、尊い何かを成すのだろう。だからこそ。
「努力だけは、才能さえも否定はできない。なぜなら、本当の自信は、努力に裏付けされたものだけなんだから」
才能の与える自信は、水物。
一度の失敗で呆気なく失われることもある。
そして、それは才能を否定することにも繋がる。
他人からの励ましだって、結局は同じだ。
自分が自分から、自分を信じれるようにならないといけない。
自分を信じる。
それが自信。
「セイちゃんの話、いつも格好いいよねぇ。これも才能かな?」
アユが僕の隣で呟いた。
何を言うのかと思えば、全く。僕はそれを鼻で笑った。
「馬鹿言え。僕だって、お前らと一緒に泥水啜って走って、ここまで来たんだ。経験談だよ」
ポカンとしてから、アユはエヘヘと笑った。
なんだ、気持ち悪い。
そんな目線を送っても、アユはその表情を変えない。
訝しげに、アユを見ていると、肩をつつかれた。
そちらを向くと、イタズラっぽく笑うカイが居た。
カイはくいっと親指で休憩室の扉を指すと、言った。
「取り合えず、うちのもう一人の末っ子、どうにかしてあげません?」
そう言えば、忘れていた。
吉野にヒーローだの何だの言われつつも、あいつだって本当は根はネガティブだ。
どうせ吉野にカッコつけたいだけなのだろう。
あの不器用な弟分は。
今ごろ、休憩室のソファにでも凭れて、不貞腐れていることだろう。
さっさと通常運転させるか。
それも年長者としての役割だ。
そこで、ふと思い出した。
「カイ。さっき、吉野のことをレンの信者だって言ったよね?」
「え?はい」
いきなり僕が掘り返したのを訝しげに思っているのだろう。
カイは瞬きを数回した後、頷いた。
「多分、それは違う。信者は自分の信仰対象の隣に立とうとはしないだろう。人は無いものねだりをするものだ。超天才型のレンと、超努力型の吉野。正反対の彼らなら、して当然。寧ろしないと可笑しい。背中合わせの二人なんだから」
それを言うと、カイは納得したように何度か頷き、また僕にイタズラっぽい視線を向けた。
「それも、経験談ですか?」
「常識だよ、ちゃんと覚えておけよ」
「はーい」
茶化すような口調で返事されるのが、少し面白くない。
この一癖も二癖も厄介この上ない性格をしている後輩だって、僕の保護対象に入るんだがな。
そんなのに入っていると知れば、カイどころかレンも吉野も憤慨もしくは驚愕するだろう。
良いじゃないか、これも僕にとっては遊戯だ。
年長者としての、少しの驕りだ。
僕がこんな意識を向けるのは彼らくらいなのだから、少しは甘えて貰わないと。
さて、そろそろ吉野に言ってしまったことを後悔して、無限のループに填まっているだろう可愛い弟分に、道でも示してやろうか。
僕は、鼻唄でも歌ってしまいそうな気分で休憩室のドアノブに手を掛けた。
あぁ、いけないな。
ちゃんと真面目な顔で対応しないと。
そうすれば、小生意気なアイツだって、真面目な顔で対応するはず。
さてと、どんなお節介を焼いてやろうかな?
こればっかりは、年長者の特権だね。
そう思考を巡らせてから、僕はガチャリと、ドアノブを回した。