第八章 無秩序な再会
さて、シズクは考え中だ。
クダイは留守。彼の部下達も、何故か居ない。
目の前の見張り番も、充分に寝息を立てている。
逃げられまいと油断してるとしか言いようのないこの状況で、おとなしく囚われのお姫様を演じる義務はない。
「…………。」
そうっと席を立ち、差し足抜き足で移動を開始する。
「ぐがぁ」
「!!」
見張り番のいびきに、一瞬ドキッとしたが、深い眠りから覚めることはないようで安心する。
ドアの前に立つと、チャンスの中にいても迷ってしまう。
開けた途端、クダイがいたら………どうするだろう?怒って殴りつける?優しく窘める?笑って見過ごす?意外にそれもあるかもしれない。
にしても、あの男のことは読めない。
雰囲気が穏やかなのに、その奥では獲物を狙う獣が潜んでいる感覚がある。
鉢合わせにならないことを祈り、シズクは静かにドアを開けた。
「ふぅ………」
あれこれ考えたが、結果は誰も居なかった。
足音を立てないで監禁されていた部屋から遠ざかる。
危惧してた、宿屋の主人もカウンターに居ない。
外は夜。
今なら闇に紛れて逃げられる。
それだけを考えてシズクは宿を飛び出し、宛てもない闇の中へ走り出した。
「どうすんだ」
羽竜の機嫌は、一気に雷雲へと変貌した。
「ボクに言わないでよ」
「大体、お前がのんびりしてるから悪い」
「どうしてそうなるのさ!宿が空いてないのは、単に偶然だろ!」
「あれだけ宿屋があって、ひとつも空いてないなんて有り得ねーだろ!くそっ!」
「騎兵隊が来てるんだ、仕方ないよ。なんだか重要な任務で来てるみたいだし」
羽竜の八つ当たりも、空腹と疲労で勢いがない。
それはそれで、ソニヤは安心するのだが。
やはり寝床が無いのはせつない。
「重要な任務だあ?ケッ!所詮は税金で飯食う役人だろ!エラソーに全部の宿抑えやがって!」
夜の街中を、酔っ払いのように喚き立てる羽竜を、ソニヤは反面教師にするのだった。
矢先、何かがソニヤの身体にぶつかって倒れた。
「きゃっ!」
その悲鳴から、女であるのは解明された。
「ご、ごめんなさい!大丈夫です………」
抱き起こしてやろうと、手を差し延べた瞬間、
「助けて下さい!」
腕を鷲掴みにされた。
「え?え?」
「追われてるんです!お願いします!」
女はフードで顔を隠してはいるが、まだ若い声色を奏でていることから、ソニヤと変わらないくらいの年齢だと分かる。
「追われてるって………」
ソニヤは、おろおろしながら羽竜を見る。
「なんで俺を見るんだ」
当人としては、不機嫌も相成って、正義の味方を気取るつもりは無いらしい。
「だって………」
だが、田舎者の少年は、見て見ぬフリはしたくないようだ。
「ほっとけ。そういうことに首を突っ込むと、面倒に………」
そう言いかけた時、
「居たぞッ!」
カシャカシャと音を立て、白い鎧の集団………騎兵隊がやって来た。
「………言わんこっちゃねぇぜ」
羽竜は溜め息を吐いた。
騎兵隊は、フードの少女を見つけるや否や、羽竜達を取り囲む。
その迅速かつ隙の無い訓練された行動に、羽竜は目を細め警戒する。
「見付けたぞ。勝手に逃げやがって」
騎兵隊の一人が怒りの篭った口調を見せる。
逃げることを一々告げるバカは居ないと、教えてやろうとも思ったが、
「お前ら!その女をこっちに渡せ!」
そういうやり取りは望んでいないらしい。
差し詰め、無駄に怒ってるところを見るに、逃げられた責任が付き纏っているのか、必死だ。
「渡すも何も、俺達は関係ねーよ。ソニヤ、行くぞ」
どこぞの蛮族ならまだしも、身分の高い輩にケンカを売って得したことなど一度もない。
しかし、それは経験から学んだもの。
経験の無いソニヤには理解出来ない言い分だ。
「待ってよ羽竜!」
少女が震えていた。それがソニヤの正義感に火を点ける。
「ソニヤ!」
「震えてるんだよ!この子………こんなに震えてる」
するとソニヤは、
「この子が何をしたんですか」
騎兵隊に向かって噛み付いた。
「それはお前らの知らなくていいことだ!」
「でも!女の子一人を騎兵隊が追い回すなんて異常です!」
「小僧………我々に盾突くのか!」
剣が抜かれた。問答する気はないのだろう。
ソニヤを傷付けてでも少女は奪う気らしい。
さすがにソニヤも唾を呑んだが、
「子供相手に剣はないだろ」
右腰の剣の柄を掴み、羽竜が前に出た。
「貴様………剣を抜いたら………」
「抜いたらなんだよ?俺は今、機嫌が悪いんだ。さっさと諦めて帰れ!」
「なんだとぉ………ッ!!!」
羽竜の暴言に我慢しきれなかったのか、抜いた剣を振り抜いて来た。
ガキンッ!
「危ねぇ危ねぇ」
それを、羽竜がいつの間にか剣を抜いて防いだ。
「い、いつの間に!?」
「ナメると怪我じゃ済まなくなるぜ?」
真っ赤な刃で受け止めた羽竜の早業に、騎兵隊が舌を巻く。
彼らとて剣を扱うプロだ。羽竜が本物かどうかは、すぐに察しがつく。
「いつまで待たせるんだ」
それは静かで、穏やかな青年の声だった。
どよめく騎兵隊が、しつけられたように押し黙り、道が開く。
「たかが少女一人も捕まえられないのか」
その青年もまた、白い鎧を纏い、両方の腰に剣を提げている。
「ジェ、ジェネラル!」
そう呼ばれた青年は、長い髪をなびかせやって来る。
「居眠りをして逃げられた挙げ句、見知らぬ少年に馬鹿にされて、情けないと思わないのか?」
「す、すみません!すぐに片付けますので!」
怒った様子のない青年に、怒っていたはずの騎兵隊員が怯えている。
ジェネラル………将軍。お偉いさんもお偉いさん。
顔の見えないマスクを被った騎兵隊員の年齢までは分からないが、ジェネラルの地位を与えられるには、青年はあまりに若い。
「無理だ」
「はい?」
「無理だと言ったんだ。君らの敵う相手じゃない」
青年は………微笑み羽竜に近寄る。
「久しぶり。会いたかったよ………羽竜」
そして、口にした。羽竜の名を。
当然、
「………誰だ、お前?なんで俺の名前知ってるんだ」
羽竜はそう言った。
この世界に知り合いなどいない。
ソニヤに会うまでに数日は経過していたが、言い直せばソニヤが初めての知り合いだ。
知らぬ相手に自分の名前を口にされ、緊張が走る。
「僕が分からないのかい?まあ、無理もないか。あの頃より、ずっと大人になったしね。でも、君は変わらない。見た目も、口の悪さも」
「あの頃だって?」
「思い出さないかい?ほら、僕の顔をよく見て」
早く分かって欲しい。そんな気持ちが丸見えだ。
だが、一向に不可思議な顔をする羽竜を見て、彼の記憶をかすめることはないと分かると、
「なら………これなら思い出してくれるかな!」
右腰の鞘から、先程の羽竜に劣らないほど素早く、剣を抜き振るう。
言うまでもなく、羽竜はまた受け止める。
「テメェ!いきなり何しやがるっ!」
「アハハ!さすがだね。お見事」
本気で剣を振るって来た。殺すつもりと言うよりは、羽竜の実力を知るからこその行動だ。
「俺はお前なんか………知らねー!」
カチンと来た羽竜が、力一杯押し返す。
「よく見てごらん。この剣を」
それでも青年は、微笑みを消さずに抜いた剣を横にして突き出す。
民家の窓から漏れる明かりを消し去るほどにまばゆく輝く刃。その色は………
「その黄金の刃………ジャスティスソード!?」
ようやく、羽竜の中で青年が誰か思い出した。
「お前………まさか………!」
羽竜の反応は、青年を大いに満足させた。
「言っただろ。久しぶりって」
「ク………クダイか!?」
世紀の難問を解き明かしたほどの驚愕で、羽竜は目を丸くする。
「思い出してくれて嬉しいよ。そう、僕だよ。クダイだ」
それは喜びの再会か。それとも歓迎されぬ再会か。
今はまだ、誰にも分からなかった。