第五十九章 忘れないでいる為に
「待てよ」
苛立ちを剥き出しにしてソニヤは吠えた。
吠えられたサマエルは、小型犬の甲高い声を無視してオリシリアを抱えたままバジリア帝国を後にしている。
警護すべきソニヤとシズクよりも先をだ。
「サマエルッ!」
肺活量を使いきるように叫んでみる。すると、ようやくサマエルは足を止めた。
既に数回は呼んでいる。今ので反応がなかったら、どういう行動に出たか責任は持てなかったところだ。
「なんだ?」
「なんだじゃないよ!なんでオリシリアを生き返らせてもらわなかったんだ!」
苛立ちの根本はそこにある。今すぐではなくとも、ジーナスの魔力が回復してからでもよかったはず。共にここまで旅をしてきた仲間だし、オリシリアがサマエルに好意を抱いていたことは、彼自身気付いていただろう。
確かにサマエルの強さは今のソニヤには必要不可欠な存在だが、強くなくともオリシリアも大切な存在に代わりはない。サマエルもそう思っていると信じていただけに不愉快だった。
「くだらん」
「な………くだらないってどういう意味だよ!お前、最低なヤツだな!」
「人が生き返ることが、そんな簡単な話だと思うか?」
「何?」
「死んだ人間を再び蘇らせるなんて都合のいい話はない」
これだからガキは。そんな素振りでサマエルは溜め息を吐いた。
「じゃあ、あんたが今ここにいるのはどういうことかしら?一度死んで、生き返った事実があんたじゃない!」
シズクも腑に落ちないでいた。オリシリアを生き返らせるチャンスを拒んだのだ、思惑など無かろうと思うしかない。
「死とは時間の流れから外れるということだ。如何なる生命体も、時間無くして生きることは不可能。死んだ人間を生き返らせるには、相応の代価を支払わねばならん。お前らはジーナスが神だから、死人を蘇らせることが出来て当然だと思っているのだろうが、時間の恩恵を受けて生きるのは神とて同じこと。時間という概念の下に存在するものが、安易にその“縛り”を無視は出来ん」
「………ってことは」
何となく理解出来たような出来ないような勘の悪いソニヤに、
「ジーナスはオレに何らかの細工を施してるはずだ。例えば………」
「た、例えば………?」
シズクも息を呑んだ。
「その気になればいつでも消せるような………な」
命を掌握されたまま生きるような………そんな“縛り”を背負わせたくはなかった。
言い換えれば操り人形。“縛り”とは生き返らせる側ではなく、意志を無視され生き返らされた側にのみ存在する理不尽なルール。そのつらさは、知識としてだけではあるが、知っていたサマエルにはよくわかる。
「数知れず試され、数々の神々が完璧な魔法に仕立てようとして失敗した呪い。もっとも、普通なら生き返らせたとしても、今のオレのように自我を保っていられるのはほとんど例がないと言ってもいい」
ジーナスの魔力の強大さを思い知る。生き返った者に自我まで与えるのだから。そこに思惑は存分にある。
「いずれにせよ、いつかオレを殺すだろう。そんな束の間の夢を………オリシリアに見せたくはない」
強面のサマエルの顔が………淋しげで、どこか怒りを感じる顔だった。そう見えたのは気のせいなんかじゃない………そうじゃないと思いたい。ソニヤもシズクも、皮肉は言わず、
「わかったわ。オリシリアを埋葬しましょう。………楽しかったもの。そうでしょ?ソニヤだって………」
「そうだね。オリシリアをきちんと埋葬しよう。ボクの用事はその後だ」
「ありがとう」
「なんでお礼を言うの?」
「だって、さっきまでのソニヤ、なんか怖かったもの」
「そ、そう?それにしても、は、羽竜はどこ行ったんだ?」
そんな怖い顔をしてたのかと困惑しながらサマエルを横目で見る。
「なんだ?」
「べ、別に」
どんなに怖かったとしても、コイツほどではないだろうと思いながら、
「ほんと、羽竜はどこ行ったんだよ」
さっきまで忘れてた仲間の安否を思い出していた。
「心配するだけ無駄だ」
察したようにサマエルが言う。
「なんだよ、仲間だろ?まあ、オマエら二人には理解し難い何かがあるみたいだから皆まで言わないけど」
「ククク」
「な、何がおかしいんだよ!」
「アイツは不死鳥だ。正確に言えば不死鳥の力を継いでいる。本気でヤツを殺すには、特別な方法、あるいは特別な力で不死鳥の力を消す必要がある。それは簡単なことではない。クダイでも、ヴァルゼ・アークでもだ」
サマエルはオリシリアを見つめた。
生き返った自分は、いつかジーナスにまた殺される。不誠実で不確かな蘇生術では、もしかしたら欠陥があるかもしれない。完璧な蘇生術など、見たことはおろか、聞いたこともない。伝説ですら。
そんなリスクをオリシリアに背負わせたくなかった。
彼女は、ただ普通の人間。完璧な蘇生をしたとしても、再び戦火に巻き込むようなこともしたくない。
こんな気持ちは初めてだった。誰かの先のことを考えて決断するなんて。
「……………」
サマエルは、まだ微かにあるその手の中の温もりを、忘れないでいようとしていた。