第五十三章 記憶の中の少年
「サマエル………」
派手に吹き飛んだサマエルに駆け寄った。オリシリアは、サマエルの胸に顔を伏せ嘔咽する。
その姿に、ソニヤは何も想うことは出来ない。何故なら、
「所詮、俺の敵ではない」
悪魔がすぐ目の前まで来たからだ。
威圧的な口調でも態度でもないのに、雰囲気で圧倒される。
対峙してみて初めて分かる。触れてはいけないもののようなものだと。
血で染め上げたような真っ赤な髪と瞳。
ソニヤは、アスカロンを構えたいのだが、面倒なことに蛇に睨まれた蛙にされてしまっている。
諦めるなと言われても、それは当人には酷な話だ。次元の違いをまざまざと見せつけられたのだから。
「お、お前が………全て仕組んだのか?」
精一杯の言葉は、ヴァルゼ・アークの微笑を加速させた。
この空間は、既にヴァルゼ・アークの支配にあるということか。
上手く言葉の真意が伝わってくれればいいが、もしすぐにでも戦いになったら………そっちの方で頭がいっぱいだ。
奇跡なんて起きたところで、この悪魔の神には勝てないだろうと。
「全て?フッ。それはどの辺りからを言ってるんだ?」
「どの辺りって………」
それが分からないから“全て”なのだ。
「仕組むも何もない。小細工するのは主義じゃないからな。この世界にやって来て、ゴッドインメモリーズのことを知った。こう見えても色々、地道に調査をしてシズクに辿り着いたんだ。………もっとも、彼女には随分と手を焼かされたようだ。シュナウザーも、セルバも、まさか自分達が戦ってる相手が、裏で糸を引いていたとは思ってなかったようだしな。もう少し、俺が手を出していれば、すんなり事が進んだかもしれんが」
「だったら、最初からそうすればよかったじゃないか。そうすれば………くっ、一体どれだけの人達が死んだと思ってるんだ!」
「人がどれだけ死のうと、世界は何も変わりはしない。例え、ひとりも残らなかったとしてもだ」
「なんてヤツだ………悪魔は所詮、悪魔ってことか!」
「お前は何か勘違いしている」
「勘違い?ボクが?」
「お前は肉を食ったことがあるか?」
「………ある………けど?それが何の関係があるんだ!」
「動物は、生きる為に必要な殺生をする。だが、人は違う。必要以上の殺生をし繁栄する。自分達の社会を維持し、世界に君臨することを目的として。そんな人間達が何人犠牲になろうと、哀しむ必要はない」
勝手な理屈だ。犠牲になっていい命など………
「………何の真似だ?」
「神と呼ばれる者が人を軽んじるのなら、人は神を必要としません!」
話の途中で、オリシリアがヴァルゼ・アークを後ろから短剣で刺した。
重厚な鎧の僅かな隙間を縫って、見事に短剣は刺さっている。床に赤い血液が滴り落ち、ダメージがあることを伺わせてる。
「オリシリア!」
ソニヤが叫ぶとも、オリシリアはヴァルゼ・アークから離れない。
「人が神を必要としない?それは結構なことだ。………が、それはお前達、人間の思い上がりだ」
血が流れているのに、眉ひとつ歪めず、相変わらず涼しい顔をしている。
ヴァルゼ・アークは、手を背中に回し、オリシリアの手を掴み、短剣ごと引き剥がす。そして、その涼しい顔でオリシリアに向き合い、
「人間は、何か事が起きる度に神に祈る。自分達を救ってくれと。だが、よく考えてみるといい。どうして、人間だけに都合のいい神がいると思う?人間の為だけに存在する神など居ない。人間が他の生き物の都合を考えないように、神も人間の都合など考えないということだ」
「そんなこと………!」
「言い切れるか?神は人間に慈悲深いと」
そんなこと分かるわけがない。オリシリアは数多くいる人間という種族のひとりでしかない。神に祈りを捧げてはいたが、直接会ったのは、この悪魔の神が初めてなのだから。
悪魔からなのか、それとも神だからなのか、一言一言が脳を支配するように浸透してくる。 それは、もうひとりの自分を作り出す。葛藤の始まりだ。
「悩むといい。神の声など、誰も聞いたことがない。だが、お前は聞いた。それを答えとするか、疑惑にするかはお前次第だ」
そうヴァルゼ・アークが言うと、ソニヤに嫌な予感が走った。そして咄嗟に、
「ダメだ!オリシリア!離れて!」
叫んだが、その意味まで考える余裕はない。
「…………!?」
瞬間、脇腹に風が吹き、激痛が全身を駆け巡った。
「オリシリア!」
ヴァルゼ・アークが、魔法だか何だかは知らないが、指先から光線を出したのだ。
「あ……う………」
崩れ落ち、うつ伏せに倒れる。
「何てことを………何てことをするんだ!オリシリアは女だぞ!」
「だからどうした?女と言えど、戦場へ足を踏み入れた以上、死神に付き纏われるのだ。女だから殺されないなんて理屈は通じない」
「最低なヤツめ!絶対許さないッ!」
何の算段もなく振り上げたアスカロンだったが、振り下ろしたところでヴァルゼ・アークに刃を取られ、
「くっ!くそっ!」
どんなに力を入れても、払えない。
「お前を見ていると、ある少年を思い出す。望まぬ戦いに巻き込まれ、決して強くはないが、果敢に運命に立ち向かっていた」
ソニヤをそのまま後ろに押し倒す。
「うわっ!」
「優れた剣を持っていても、主がこれではな」
スッと自分の剣の切っ先をソニヤに向ける。
「サマエルでさえあのザマだ。お前では役不足だろう」
「ならば、僕が相手になろう」
凜とした声がした。
「………誰だ、貴様?」
ソニヤに切っ先を向けたまま、突如、現れた長髪の白い鎧の男を見た。
「懐かしい。やはり、あなただったか」
ヴァルゼ・アークは男に見覚えはないが、向こうは知っているようだ。
「こんな形で再会出来るとは………僕はつくづく運がいい」
「………俺を知ってるようだな?」
「今、あなたが言っていた少年。それって、僕のことでは?」
「まさか………!」
悪魔の顔色が変わった。
言われれば、記憶の中の少年の面影がある。
「ク……クダイ……」
その名を、ソニヤが口にして確信する。
「クダイだと………!?」
「魔帝ヴァルゼ・アーク………あの時の礼をしたいと思っていた」