第四十七章 呪縛
赤い髪の男が扉を開け、シズクとセルバ卿を誘う。
そこも、それまでと変わらないガラス張りの空間。
二人が部屋へ入ったのを確認すると、男の姿が変化する。
「お、お前は!!」
角が消え、赤い髪は黒く染まる。瞳も、自分達と変わらないその姿に、セルバ卿は見覚えがあった。
「久しぶりだな」
男が言った。
「知り合いなの?」
目を丸くしているセルバ卿に、シズクが尋ねる。
顔見知りなことに違いはないが、
「名前は知らん………たしかなのは、私とシュナウザーに、ゴッドインメモリーズが発動する瞬間の力を使うことを教えてくれた男だ」
心中する為に。言いかけた言葉をシズクは呑み込んだ。
もう皮肉り甲斐がなくなった。その必要がなくなったと言うべきか。
なんだか話が見えなくなりつつある。セルバ卿とシュナウザーは、この変身する男にゴッドインメモリーズの本来の使い道とは“別”の道を示したと言う。あらゆる可能性を排除しないとして、なぜこの男はそんなことを教えることが出来るのか?
すうっと男を見る。精悍な顔つきは、髪の赤い時とは違って、とても涼しげな印象を受ける。
つまり、好青年と言うこと。
悪者には見えないが、今まで感じたことのない、何とも言えない不思議な雰囲気がある。
「改めて名乗ろう」
男は、恐らくセルバ卿に言った。
「俺の名はヴァルゼ・アーク。重力と空間を司る悪魔の神だ」
「神………?」
緊迫した状況で聞く男の自己紹介とは違い、冷静に神と名乗られ、思わず口を吐いたのは、シズクだった。
すると、ヴァルゼ・アークはシズクを見て、
「信じる必要はない。俺が何者であれ、誰にも関係のないことだ」
「そ、そうかしら?神様ですって言われて、か、関係なくはないでしょ」
緊張する。何故だかは知らないけど。
「フッ。萎縮するな。神とは、人間と区別する単なる種族に過ぎない。取るに足らない」
シズクが納得することも関係ないようで、
「セルバ。感謝しよう。媒介を連れて来たことを」
「ふ、ふざけるなッ!私とシュナウザーを利用したのかッ!?」
「そうだ」
「な………ッ」
「熱くなるな。持ちつ持たれつ、そういうことにしておけ」
「バカにするな!貴様の為にシズクを探したわけではないッ!」
「心配することはない。お前の望みはきちんと叶えてやる」
「黙れッ!もはや誰の言うことも聞かぬ!」
怒りに身を任せたセルバ卿は、シズクを引き寄せ、喉元にナイフを押し当てた。
「ゴッドインメモリーズは、私とシュナウザーのものだ!」
「セルバ、ゴッドインメモリーズを使わなくとも、お前とシュナウザーにかかった魔法は、簡単に断ち切ることが出来る」
「フン、直接、命を断つ気なのであろう?残念だな、過去に私がそれを試さなかったと思うか?」
「……………。」
「このナイフで、何度も胸を突き刺した。それでも、死ぬことはなかった!ゴッドインメモリーズでしか、永遠の孤独から解放されることはないッ!」
「永遠の孤独?本当にそうか?」
「そうだ!例え、誰かに心を開いても、同じ時間を生き続けることは出来ぬ!別れを何度も強いられ、結局は、自分自身の中でしか生きられない私の気持ち、貴様に分かるかッ!」
「分からんな。お前は永遠の孤独と言うが、お前と同じだけ生きて来た者がいるだろう?」
「………?」
「………おいおい。素の反応か?シュナウザーがいたじゃないか。何万もの年月を、お前の望みを叶えてやろうと、ずっと傍でお前を見守って来た。孤独なんかじゃない。お前の為に一生を捧げたんだ。お前は誰より幸せだったはずだ。………幸せという言葉を知っていたならな」
「シュナウザー………」
そう言われ、じっくりとまでは行かないが、思い返せば、ヴァルゼ・アークの言葉を否定することなど出来ない。
ゴッドインメモリーズを発動させた瞬間から、今日までずっと一緒だった。ずっと自分の為に働いてもらった。笑ったこともあった。あの日、ゴッドインメモリーズ発動の失敗から、離れることなく、誰より信頼して来た。
「セルバよ、お前にかかった魔法は、効力とは裏腹にそれほど強くはない。が、命を断つには、そんなありふれた刃物なんかでは無理だ」
ヴァルゼ・アークは、鞘から黒い刃の剣を抜き、
「お前にかかった魔法を断つには、その魔力を上回る能力を秘めた魔具でなければならない」
一汗。セルバ卿のうなじを這う。
「死ぬという、当たり前の最期を見失い、生きることの幸せさえ忘れた者よ、未練ごと俺が断ち切ってやる。あの世でシュナウザーに礼を言って来るといい」
「………!?ま、待て!今、なんて言った?あの世………?」
「ああ。ついさっき、誰だか分からんが、シュナウザーに引導を渡したようだ」
「………お……おお………シュナウザー…………」
女の顔になる。険しい表情は、ナイフが落ちた瞬間から、“役目”を終えたのだ。
「永い時間、ご苦労だった。もう誰もお前達を苦しめたりしないだろう。安らかに眠れ」
禍々しい剣が、セルバ卿の心臓を貫いた。
誰にも等しく訪れるはずの死。だからこそ、誰もが死から逃れようとする。
その等しいはずの死を求めたセルバ卿とシュナウザーは、望んだ形ではない手段で、呆気なく叶えられた。
シズクは思う。運命が存在するのなら、何の為にあるのだろうか?
人の意志は、人の思い通りにはならない。偶然も必然も、結果として用意されたものが全てならば、人が自我だと認識するものは何なのだろうか?
「世界でたった一人の魔法使いよ、ここが終着ではない」
ヴァルゼ・アークが言う。その意味は、今ある疑問に比べればそう難しいことではない。
「全ては、これから始まるんだ」
だだっ広い部屋の奥。巨大な十字架のレリーフが縦に割れ、白い光が漏れる。
そして、更に十字架に括られた女性が姿を見せた。
「あれは………!」
シズクにも分かる。女性が誰であるのか。
「彼女はジーナス。邪神と呼ばれし哀れな女神よ」
世界に必要なのは、神様なんかではないと思った。
元々、必要なものは何もないのだ。必要と感じたものは、いつも人が生み出して来た。
………その中に、ただの一度も神を創造しようとした歴史はない。