第四十五章 人は知る
神殿を上に上にと、シズクを連れ走っていたセルバ卿だが、ようやくその足を止めた。
それまで、辺り一面ガラスがひしめいていたのが、そのフロアは迎賓するかのように、それでいて威厳のある雰囲気のあるものだった。
「フフ………ようやく辿り着いた」
不敵に笑うセルバ卿は、シズクの手を離した。
シズクもおとなしく着いて来たというのは、ジーナスに会い、聞きたいことがあるのだと分かっている。振り解かれるのを待つことはないのだ。ここまで来て、シズクが駄々をこねる確率などないのだから。
「嬉しそうね」
穏やかに、シズクが口を開く。登って来た階段の正面奥には、それは立派な扉がある。何やら複雑な文字列が刻まれ、十中八九そこにジーナスが居ることは確実と言える。
セルバ卿の笑みが、そう語っていた。
「もちろんだ。ジーナスを倒し、これでようやく解放される。尽きることのない時間の地獄から。後はシュナウザーが来るのを待つのみ!」
死にたいと言うのだから、なんとも奇特な女だと思う。
ただ、余程ジーナスに恨みがあるのか、“無駄死”にはなりたくないらしい。
「待つだけの時間があればの話だ」
そこへ、
「オラトリオ」
セルバ卿の顔を曇らせた。
目を掛けてやったという想いもある。何かを企んでいる気はしていたが、目を掛けただけあり、最後にクダイを仲間にして立ちはだかるとは、流石だと認めてやらざるを得ない。
「シズクを渡してもらおう。代わりに、介錯を務めてやる」
「何をバカな。死ぬことを許されない私は、言わば不死身の身。首を落とされたとしても、死にはしない」
そう宣言するセルバ卿に、
「本当にそうかしら?」
オラトリオではなく、シズクが言う。
「何?」
「首を落とされて、生きてられる人間はいないわ」
「分かっておらぬようだな。私もお前も、人間ではなく媒介だ。人の合理が通用するわけがない」
「自信があるなら、試してみれば?」
シズクに言われ、「では」と、頷くだけの根拠も自信もなかった。
人の寿命を過ぎて、初めて死ねない身体だと気付いたこと。万が一にも、自ら命を絶つなど考えもしなかったのも事実。
「どうしたの?恐いの?」
残して来たシュナウザーはどうなっただろうか?“死”を意識して、恐怖に見舞われる。
長い時間を生きて行くことに疲れ、ゴッドインメモリーズの力で存在そのものを消したい。そんな想いも、嘘のように無くなっていた。
不老であることは間違いない。数万もの年月を過ごして来たのだから。
だが、不死であるかどうかは別だ。媒介であっても、食事をし、臓器に活力を与えている。
媒介は魔法そのもの。その魔法が、生命としてセルバ卿を生かしているのなら、予想されない事象での死は充分有り得る。 オラトリオの手にする剣が、死神の鎌にしか見えない。
「フッ。戯れ言を。私の最期は、シズク、お前を魔法に還して成就させる。くだらんことに付き合う気はない」
「そう?禁忌だかなんだか知らないけど、それはあんたが、ジーナスに言われて勝手に思い込んだことなんでしょ?真実は、ジーナスしか知らないのよ。あんたもシュナウザーも、最後の最後まで踊らされてるって、気がつかなかったわけ?」
「う、うるさいッ!小娘がッ!」
焦る。ジーナスを敵だと思いながらも、永遠の孤独を強いられる理由を説明されたことを、疑いもなく鵜呑みにしていた。
しかし、もしシズクの言うことが的を射てるのなら、ジーナスは………
「このガラスの神殿から出られない自分に代わって、私をここに………ううん、私じゃなくてもいい。媒介を連れて来るように仕向けたのよ」
この少女は何を言っているのか。セルバ卿にも、オラトリオにも分かるはずもない。
「知った風な口を利くでないッ!私は………私とシュナウザーは、気の遠くなる時間を………」
確証のないシズクの言葉を、捉える角度が見えない。見えて来ない。セルバ卿には、シズクの戯れ言だと思う反面、気の遠くなるほどの長い年月の中で、心当たりが無いわけでもない。
「真実はどうでもいい。斬ってみればわかる」
オラトリオが切っ先で、軽くセルバ卿の腕を傷つける。
赤い血液が流れ、痛覚が仕事を始めた。
「痛むなら、不慮の死は有り得る………そういうことかな?」
賢く、穏やかで礼儀を弁えた男が、嫌らしい笑みを見せた。
「己ッ!オラトリオッ!」
「両親の仇は取らせてもらう!お前さえ居なければ、家族は………いや、世界は平和だった!」
「自惚れるなッ!たかだか一人の人間が世界を憂いたところで、未来は変わらない!」
「だからこそ、ゴッドインメモリーズで世界をリセットし、新たな世界をやり直すのだ!」
「戯けッ!やり直した世界に、お前は存在しないのかもしれんのだぞ?!そんな不確実なものに、何の意味がある!」
「ゴッドインメモリーズを発動させた後の世界など、誰一人知る者はいない。ジーナスを除いてな。本当に神々が現れて聖戦を起こすのか、それさえジーナスが語ったことではないのか?」
「……………!」
「例え、新しい世界に自分が居なかったとしても、運命だと思って諦めるさ。全ては、神のみぞ知る!………終わりだ、望み通り死ぬがいい!」
振り上げた剣は、一気に振り下ろされた。
思わず目を閉じたシズク。セルバ卿。
悲鳴があったのかさえ分からず、静寂の中、シズクはゆっくり視界を働かせた。
そこには、血飛沫を浴びたセルバ卿がいた。………が、微動している。恐らくは、恐怖で震えている。生きている。血飛沫は、セルバ卿のものではないと知ったのは、横に視線を動かすと、
「ぐあっ………あう……………っ」
呻いて腕を押さえたオラトリオがいたからだ。だが、押さえた腕は、肘から先が剣を握ったまま落とされていて、無かった。
「神のみぞ知る………愚かな考え方だ」
カツン、カツンと、音を立て歩く者が居る。
「運命とは、抗う術の無い、歩くことを既に決められた道を言う」
三人が息を呑む。
ガラスの壁に、黒光りする鎧がチラチラと映り込む。
「如何なる神でさえ、苦悩し、屈して行く」
静かな口調が響く。
「嘆き、慟哭を上げよ」
漆黒の鎧に、側頭からは天を貫くような雄々しい角が生え。血よりも濃く赤い髪。
「人に出来るのは、せいぜいそのくらいだ」
瞳さえ赤く染まり輝き、見つめられたシズク達は、喉元を圧迫される。
「人の意思ですら、運命付けられているのだからな」
威厳と尊厳、孤高と悲壮を兼ね備えたその男は、明らかに人間ではなかった。
「………知ってるか?」
人は知る。得体の知れない存在を前に、無力と無知、
「宇宙に心があることを」
足掻くことすら赦さぬ、闇があることを。