第三十七章 思惟(しい)
「お前は道案内だけでいい。バジリア帝国に着いたら、近くの町で休んでいろ」
サマエルは、オリシリアにそ言った。
キンキンと、金属がぶつかり合う音が響いている。
ソニヤと羽竜が稽古をしているのだ。その光景を見ながら、サマエルとオリシリアは話していた。
バジリア帝国までの道のりを知っていると言ったオリシリアは、道案内を喜んで買って出た。
「あら、シズクはわたくしの大切なお仲間ですわ。ただ待つだけなんて出来ません」
「足手まといだと言ったつもりなんだがな?」
きついことをズバッと言われるのも慣れたもので、
「あなたに助けてもらおうなんて思ってません。自分の身は、自分で守ります。その程度の護身術は心得てます」
跳ね返すほどの気力がある。
その態度が、自分への好意とは別の物であると、サマエルは見抜いた。
オリシリアは、両親を殺したという兄を追うと公言しているが、どこに居るか最初から承知済み。目的は、バジリア帝国にある。
彼女にとっては、来たるべき時なのかもしれない。
「あの二人を見ていると、思うことがあります」
オリシリアの視界には、シズクを取り戻す為に強くなろうと必死のソニヤと、それを叶えてやろうと必死の羽竜が映る。
クダイが自分達を待つのなら、しばし猶予があると踏んでもいい。そう思い、出発までの僅かな時間を、ソニヤは無駄にしたくないと申し出た。
アスカロンを振り回すソニヤは、勇敢に見える。
オリシリアには、その勇敢さが羨ましかった。
「わたくしにも、彼らのような力があったら………と」
「まさか、実の兄に挑む気か?」
「さあ、どうでしょうか。………あの日、兄が両親を殺した事実。理由を聴くのが先です。返答次第では………」
「お前の兄がどんな男かは知らんが、女の腕で事を成せるほど、安易なものではあるまい。まして、お前が護身術を心得ているのであれば、それ以上のものを身につけているんじゃないのか?」
「……………。」
「クク。今は言わなくていい………だが、帝国に着く頃には話す準備をしておけ」
「え………?」
思いがけない言葉だった。
ふと、隣に立つサマエルの横顔を見ると、その瞳は軽く目を閉じ、何かを考えたような間を作ると、
「お前には命を救われた恩がある。探してやろう。お前の兄を」
「サマエル………」
「帝国に居るのだろう?クックッ………分かりやすい女だ」
そう言って、オリシリアを見た。
人相の悪いサマエルが、天使に見えた瞬間だった。
一瞬、見惚れていると、
「ぐわっ!!」
呻き声で目を覚まされた。
羽竜の声だった。
「イテテテ………」
何が起きたかは見ていなかったが、不思議なことに羽竜がトランスミグレーションを落とし、左手を押さえていた。
「ご、ごめん羽竜!」
意外だったのは、むしろソニヤの方だったらしい。
羽竜には本気で挑んでも結果が見ていた。当然、この結果は不可抗力。羽竜の油断が招いたもの。ソニヤはそう思っている。
「大丈夫?つい本気になっちゃって」
「あ、ああ………大丈夫だ。ちょっと手首を捻っただけ……イテッ」
激痛を感じながら、ソニヤが見せた一瞬の力に武者震いさえした。
「待ってて!今、タオル濡らして持って来るから!」
アスカロンを放り、足早に宿へと向かった。
「油断するからだ」
サマエルが近寄り、苦言を言った。
「してねーよ。マジで受け切れなかったんだ」
アスカロンの力なのか、シズクへの想いの強さなのか、いずれにしても尋常じゃない衝撃だったのは間違いない。
サマエルは、アスカロンを拾い、その毅然たる容姿を観目する。
「神からの贈り物だ。曰く付きであることは間違いあるまい」
タダほど高い物はない。そう言わんとしているように聞こえた。
「どっちにしても、“そんなモン”寄越すくらいだ、クダイだけをどうこうすればいい問題じゃなさそうだな」
「邪神に魅入られし勇者か………ククク」
「何がおかしいんだ?」
「小僧の行く末が楽しみでな」
「性格悪いぜ。お前」
望まない道を歩んで来た。後戻りのない道を。
クダイが変わってしまったことを、分かってやれないほど子供じゃない。
今、ソニヤがそういう道を歩もうとしているなら………それは無理だろうと諦める。
ソニヤはシズクを救うことしか頭にない。その為にアスカロンを手にしたのだ。
行く末を見る。そんな暢気なことを考える気には到底なれなかった。
−君は思ったことがないのか?自分のいた世界に帰りたいとか………好きな人に会いたいとか………−
クダイの言葉が頭を離れない。
それはきっと、後悔をしているから。
心が悲鳴を上げ、信念は霞む。
想うのは、遥か最果ての過去。