第一章 少年と運命
「ふわぁ………」
早起きして魚を釣りに来てはみたが、物静かな空気と川のせせらぎが、優しいハーモニーを奏で眠りを誘う。
意気込んでたのも、餌を針に付けて放った第一投だけ。
小一時間、何の音沙汰もない。
水面下には馬鹿にしたように、魚の群れが泳いでいる始末。
釣れる者と釣れない者では何がそんなに違うのだろう?そんな素朴な疑問も、今日はどうでもよかった。
「帰ろうかなあ」
少年の名前はソニヤ。近くの村に住む十三歳。
釣りをするのは昼間がもっぱらなのだが、今朝は妙な夢を見たが為に早起きに繋がったのだ。
「………変な夢だったなぁ」
−……ニヤ………−
「う〜ん………ふにゃ………」
−ソニヤ………起きて………−
「ふぁ……なんだよ………」
目を擦る作業を始め、なんだかよく分からないまま目を凝らす。
暗がりの中、キャンドルに灯を点けるなんて気は回らない。
−ソニヤ………−
「…………ん〜?…………ひいぃぃぃぃっ!!」
頭が覚醒するに連れて、ようやく目も慣れて来た。が、そこで見たのは、
「オ、オバケ!!」
身体がオレンジ色に発光している女性。
頭にティアラを載せ、それはお姫様のような女性なのだが、
「だ、だだだだだ誰っ!?」
−聞きなさい、ソニヤ−
取り乱すソニヤを、綺麗な鎮声で落ち着かせる。
今は、ソニヤの気持ちを汲んでやる時間がない。
与えられた僅かな時間で、確実に伝えたいことがある。
「どうして、ボクの名前を知ってるの?」
女性の心中を察したわけではなかろうが、直感で敵ではないことを知り、そして穏やかな声に導かれるように、胸のざわつきが無くなった。
−ソニヤ。私は女神。今こうして話せる時間は限られています。どうか、黙って私の話を聞いて下さい−
「………う、うん」
−この世界を統治するバジリア帝国が、魔法を使い何やら良からぬことを企てているようなのです−
噂は聞いている。小さな村を騎兵隊に襲撃させては、焼き払い壊滅させていると。
だが、それは無差別に行われているものではないらしく、帝国から近いところもあれば、船でしか行けない村まであるという。
つまり、何らか条件があると見て取れる。
「知ってるよ。でも、魔法ってのは初めて聞いた。魔法って、お伽話に出てくるヤツだよね?」
無邪気に尋ねるソニヤに対して、女神は表情を曇らせていた。
−………ゴッドインメモリーズ−
「え…?ごっど………何?」
−ゴッドインメモリーズ。この世界に存在するただひとつの魔法−
「ゴッドイン………メモリーズ………。ねぇ、それってどんな魔法なのさ」
−今は詳細を伝えられません。ですが、決して人類に栄華をもたらすような魔法ではないのです。それに、既に世界はバジリア帝国の統治下。ゴッドインメモリーズを使って、世界を支配したいと言う目的ならまだしも理解は出来ますが、この世界でゴッドインメモリーズは、誰も必要としていないはずなのです−
「…………なんかよく分かんないけど、凄い魔法なんだね」
−ソニヤ。帝国を止めて下さい。ゴッドインメモリーズを発動させてはなりません−
「ちょっと待ってよ!なんでボクが!?」
−あなたしかいないのです−
「冗談はよしてよ!ボクは剣も持ったことがないんだぞ!無理だよ!」
−大丈夫です。私には見える。あなたの強い運命に惹かれ、時の旅人がやって来るのが。彼らは、あなたの味方になってくれるでしょう−
「と、時の旅人!?」
−頼みましたよ、ソニヤ。世界を救うのです−
そう言い残し、女神は消えた。
「おいっ!………なんだよ………世界を救えって……」
それは、神の啓示だった。
現実に女神はいた。
しかし、啓示は具体性が乏しく、時の旅人だかなんだかが、いつ味方になるのかも分からない。
「無責任だよ」
神様というのは、そういうもの。そう物事を解釈するのには、若干十三歳のソニヤは無理な話だ。
唐突に突き出された神様からの頼み事。釣れない魚。冴えない頭。
何をどうしていいかも不明でいると、視線の先が真っ赤に光った。
「…………。」
釣竿が手の平から抜け落ちたことに気付かず、口をあんぐりと開けたまま立ち上がる。
夕べの一件もあるし、発光色は違うが、まさかまた神様かと川を渡る。
そうっと近付いて様子を伺う。
獣でないことは間違いないだろうが、得体を確認するまで気は抜けない。
木に身を擦り寄せ顔だけを出してみる。
「うっ…………くそ………」
そこには、真っ赤な宝石のような鎧を纏い、その背には翼の形をした炎………いや、炎の翼と表現した方がいいだろう。
そんな姿をした少年が倒れていた。
「…………は………」
少年はソニヤを見つけると、何かを訴えかけている。
ソニヤはと言うと、
「あ、あの………」
どう声をかけるべきか迷っていた。
少年の悲痛な表情は、やがて力を無くし、
「は………腹減った………」
意識が途絶えた。
「な………何なんだ……?」
女神の言っていた時の旅人。きっとそうなのだ。
ソニヤの運命が引き寄せた、別の運命。
誰も止められない運命の物語が歩み出した。