第十六章 幸せの魔除け
幸せとは何か考える。名前も無いような村で、大自然に従って生きて行く生活もあれば、大きな街で大きな志しを持って生きる道もあり、様々な挫折を乗り越えてみれば、あらゆることの妥協でいいのだと自分を納得させられる。
そんな観念的なことを考える余裕もあれば、尚いい。
ともすれば、ソニヤは今置かれてる状況をどう考えるのだろう?
反乱軍に厄介になって三日。毎日羽竜にしてやらてる感は否めなかった。
「わわわわわ!ま、待った!ちょっと待った!」
派手に尻餅を着き、木刀を構える羽竜に心から懇願した。
「待てるかっ!」
羽竜は木刀を、目を閉じたソニヤの脇に思い切り振り下ろした。
下は岩盤。木刀は真っ二つに折れ、尖端はムーンサルトを失敗した体操選手のように、とめどなく転がっていった。
「………ったく、情けないヤツだな。今のが本番なら、死んでたぞ」
「ほ、本番ってなんだよ」
「本番は本番だ。帝国の連中は、またシズクを奪いに来る。その時に戦えなかったら、シズクを守れないだろ」
「そんなこと言われたって、ボクは羽竜みたいに強くないし、あのクダイって人、羽竜の知り合いなんだからなんとか穏便に済ませてよ」
「バカか!」
「ひっ!」
「確かにクダイは知り合いだけどよ、俺が知ってるクダイじゃなくなってる。話し合いでケリなんて着かねーよ」
「だけど、この前は逃がしてくれたじゃないか」
「………アイツにはアイツの事情がある。俺達を逃がしたのも理由があるからだ」
否応なしにソニヤを引っ張り出し、剣の使い方を教え込んでやろうと思っていたのだが、本人にやる気が無いのだから先に進まない。
羽竜の気持ちとしては、避けられない戦いが必ず訪れると思うからこそ、ソニヤに少しでも自覚してもらいたいのだ。
ただ、羽竜の不器用なやり方と、そういった危機に直面したことのないソニヤとでは、温度差が激し過ぎた。
「ほら、起きろソニヤ。続きをやるぞ」
「ちょっと休もうよ〜。腹減ったよ〜」
「ダメだ!空腹時に訓練するのが一番いいんだ!」
「腹減ってたら、戦いも何も無いじゃん」
「常に腹を満たしていればいいけど、何日も食ってなかったらどうする気だ!」
「知らないよ〜。羽竜が戦えばいいじゃん。強いんだから!」
と言った瞬間、胸倉を掴まれた。
本気で羽竜一人に戦わせようとは思っていないが、つい感情的になっただけ。ソニヤに悪意はない。
「ご、ごめん!言い過ぎたよ………」
すると、羽竜はソニヤを離し、一呼吸する。
怒ったところで人生経験の差は埋まらない。
「クダイに似てるな」
「え?誰が?」
「お前だよ」
「ボク?」
「アイツも昔はパッとしなかった。やりもしないで無理だと決めつけ、ちょっと上手く行けばやれると思い込む。クダイには慕ってる男がいた。シャクスって言ってな、ある戦いで無茶をした俺とクダイを逃がす為に犠牲になったんだ」
「………死んだ……の?」
羽竜は小さく頷いて、
「シャクスが死んで、クダイは泣いて腐ってた。こっちから道を作ってやらなきゃ、何にも出来ないヤツだったんだ。でも今は立派な男になってる。フッ。一癖も二癖もありそうだけどな。多分、アイツは永い時間を生きて来て、受け身じゃダメなんだと気付いたんだ」
「………それとボクと、何の関係があるのさ」
「あんなひ弱なヤツでも、一人で生きて来れたんだ。お前には俺とシズクがいる。まぁ、仲間と呼ぶには日が浅いが、少なくとも一人じゃないんだ。今出来ることは、今やっておけ。すぐには強くなんてならないさ。それでも、積み重ねた力は、いつか必ずお前を救ってくれる」
「……………。」
「最後に頼れるのは自分だけなんだ」
その自分がつらいことから逃げてた自分だったら………きっと頼りにはならない。
やれることを確実にやって来た自分だけが、絶体絶命の中でも背中を支えてくれる。
リスペクトするなら、他人じゃなく自分でなければならない。
そのくらいでないと、命を賭けて戦えないのだろう。
もちろん、急にそれを分かれと言われても無理はある。
しかし、そういう話をする時、羽竜の瞳は遠くを見ていて、どこか果敢無気で脆い。
内に秘めた哀しみが、羽竜を蝕んでいるのだ。
「羽竜」
「わりい。つまんねー話だったな」
ソニヤは首を振り、
「続きをお願いします」
「ソニヤ………」
「まだ何も始まってないんだ。でも、始まってからじゃ遅い気がする。羽竜、ボクに言ったよね?女神様が白羽の矢を立てたのは、ボクにしか出来ないことがあるからなんだって。それがまだ分からない今、ボクは今のボクに挑戦することくらいしか出来ないもん。羽竜の期待に応えられるか自信はないけど、やるよ!」
「………ヘッ。生意気な野郎だ」
そう言った羽竜の顔は、疑いようもなく笑っていた。
「さ、羽竜。もう一回だ!」
木刀を構えるソニヤに、
「いいぜ。お前に教えてやる。武器なんて使わなくても戦う術があるんだってな」
羽竜は折れた木刀を捨て、ファイティングポーズを取った。
志しだけじゃ誰も救えない。力だけじゃ誰も幸せになれない。その全てを拳で教える。
ソニヤに、後悔をして欲しくないから。
「こいつは驚いた」
渓谷の上から、反乱軍のアジトを眺めクダイは呟いた。
馬を飛ばした甲斐あって、思いの外早く着けた。
「何を驚かれておられているんですか?」
部下の一人が尋ねると、
「君らには感じないかもしれないが、反乱軍のアジトにシズクがいる」
「え?」
そう言われても、誰も首を傾げる以外の行為を思い付かない。
「無論、フェニックスもね」
ざわついた。
羽竜の強さは本物だ。あの晩、羽竜と出会った者達は、増員された者達に“フェニックス”について語る。
それは既に伝説。
クダイも悪い気はしない。その“伝説”に一役買ってるのだから。
だからクスッと笑い、
「大いに語ればいい。フェニックスは伝説になり、僕は神話になる。ああ………胸が躍る。まるで恋をしたみたいだ」
それでも、クダイは浮足立つ心を抑え、
「一度街に戻ろう。奇襲は夜中と相場が決まってる」
命令を下す。
(羽竜。心はまだ少年のままかい?だとすると、君は僕には勝てない。………使える男かどうか、試させてもらう)
その心中に、魔除けのような志し。