第十二章 一輪挿し
実によく出来た集落だった。
四方を断崖絶壁に囲まれ、とてもじゃないがこんな場所に好き好んで来る奴はいない。
その断崖絶壁のあちらこちらにある洞窟を利用したという集落は、仮に敵が攻めて来たとしても矢で充分に集中放火を浴びせられる。
「いつまでこのままなの?」
シズクは、拘束され手首を縛られた不快感を、一緒に拘束されたソニヤと羽竜にあらわにした。
「さあな」
羽竜は横たわりやる気のなさげに答えた。
それに不満を持ったシズクは、
「あなたはどう思ってるのかしら?」
ソニヤに標的を絞る。
「ボ、ボク?」
「他に誰がいるの?」
ハッキリしない男だとシズクは思う。
可愛い顔してキツイ女だとソニヤは思う。
互いにいい印象はないものの、ソニヤとしては羽竜のような接し方が出来るほど“大人”じゃない。
「わかんないよ。今は待ってるしかないだろ」
「頼りになんない奴」
「なんだとぉ!だってしょうがないじゃないか!こんな状態でどうしろってのさ!」
縛られた手首を突き出す。
「怒鳴らなくても聞こえるから」
そんなソニヤに、シズクは冷たく言い放つ。
「もう頭にきたぞ!助けてやったのに、なんて礼儀のない女だ!」
「助けてくれたのは羽竜でしょ!」
「一々カンに障るな!少しは黙っててくれないか!」
「エラソーに!何も出来ないくせに!」
「君だって同じだろ!」
「私は世界ただ一人の魔法使いだもの!」
「ボクは女神の啓示を受けたんだぞ!」
こうなると子供の喧嘩だ。
魔法の使えない魔法使いと、啓示をくれた女神の名前すら知らない純朴な少年。
関わらないのが一番だと羽竜は知っている。
それでも、二人の会話は機密に値する内容だ。
羽竜は無視しても、そうでない者もいる。
「興味深い話だな」
ハッと、声のする方を見ると、
「じっくり聞かせてもらおうか」
ツンツン髪を立て、無精髭を生やした男がソニヤとシズクを見下ろしていた。
長居する気は更々なかったのだが、行く宛てもなく、せめてこの世界の素性を探ってからでもと、サマエルは思っていた。
ただ、理由はそれだけでなく、
「あっ、起きてらしたんですね」
小屋の主である、この女性にもある。
「朝早くから熱心なことだ」
「でも、その日食べる野菜を、朝早く採るのがわたくしの日課ですので」
そう、彼女がサマエルを引き止めていたのだ。
森の中の小さな小屋。ここで彼女は一人暮らしをしていた。
淋しかったのか、随分とサマエルに良くしてくれる。
「朝食、すぐ作りますから」
と、新妻のように振る舞う。本人は楽しんでいるらしく、鼻歌も聞こえてくる。
「オリシリア」
不意に、サマエルに名を呼ばれドキッとして振り向く。
サマエルを見付けてから十日が経つが、名前を呼ばれたことなどなかった。
もっとも、呼んで欲しいとも言ってないのだが。
「はい。なんでしょう?」
サマエルのニヒリスティックな眼差しにときめいてしまう。
「この辺りに街はないか?もしくは城だ」
しかし、出て来た言葉は色気の欠片もないものだった。
「お城………ですか?」
「そうだ。とりあえず人の居る場所へ行きたい」
「行きたいって………まさか、ここを出て行かれるおつもりなのですか!?」
「こんなに身体を休めたのは、もう遠い昔だ。おかげで、英気を養えた。ここに留まる理由はなくなった」
「そ………そんなこと急に………」
急に言われるのが普通なのだろう。
サマエルは来るべくして来た客ではないのだから。
そんなオリシリアの淡い心などサマエルが知る由しもなく、
「オレには目的がある。休息の分、先を急ぎたい」
言いたいことだけを言う。
引き止める理由も見当たらないオリシリアは、諦めに譲歩する形で、
「ここから北に行ったところに、バジリア帝国があります。この世界は、バジリア帝国によってのみ統治されていますので、一番人の居る場所はそこしかないでしょう」
「珍しいな。つまり、他の国が存在してないってことか」
「帝国を中心に、四つの大きな街もありますが」
「クク………良からぬ臭いがしやがる」
世界そのものが、ただひとつの国。
そんなことが成立するものなのかと、謎めかないはずがない。
「飯はいい。世話になったな」
サマエルは立ち上がり、重そうな鎧をあっという間に纏う。
「サマエル。もう一晩だけでも居て頂けませんか?」
そう引き止める自分が、不埒な人間にさえ思える。
それでも、なぜだろう?サマエルに行ってほしくない。
「いや。もうここに用はない」
そして、外へ続く扉の前に立つ。
背中にオリシリアの視線を感じる。いつもなら気にもならない視線。それが、今日は罪悪感にも似た感情が、心の隅を突っついている。
「サマエル」
寂しげなオリシリアの声が気になる。………不思議な感情ではあったが、サマエルは外へと出る。
果たすべき目的の為。修羅になる為。そんな理想を追い求める道に咲いた一輪の花。
「オリシリア」
「は、はい………!」
こんな言葉は、最初で最後だと思っていながら、
「縁があったらまた会おう」
どこかに期待を込め言う。
見知らぬ世界で見知らぬ女性に助けられた時から、サマエルもまた望まぬ運命に招かれていた。