メイドとお父様
『きっといつか貴女にも現れるはずよ?
何を捨てても構わない。
もうその人しか考えられない。
その人を手に入れる為なら、どんな苦労だって厭わない。いいえ、むしろ厭うという事すら思わなくなるの。』
そうお母様は言う。
でもその時の私には今ひとつ分からなかった。
そう言うとお母様は妖艶に笑みを深める。
『大丈夫よ。 だって、貴女は私達セーデルホルムの娘なんですもの。』
セーデルホルム伯爵家は女系の家だ。
代々の当主は女が務めることが多い。
別に男性が当主になるのは禁じてはいないし、実際に男が当主を務めることもあったらしい。
しかし、不思議と女当主の割合が高い。
……いや、正直に言うなら不思議ではない。
外聞を気にしてあまり吹聴はしていないのだが、その理由は私達セーデルホルムの女は狂愛の性質を強く持つからだ。
文字通り、愛に狂うのだ。
過去の例を見るとその相手は多岐にわたる。
平民や奴隷、他種族もいた。
何代か前にはやんごとなき高貴な方の子胤を頂戴した当主もいた。
伴侶になることは叶わなかったそうだが、家が不相応に位の高い伯爵家なのはその時の影響らしい。
ともあれ、どんな人物なのかは分からない。
しかし、私達セーデルホルムの女はたった1人の相手を狂う程に愛し抜く。
そして彼等の子胤を宿し子を産む。
見初めた相手の子は何度も産むが、それ以外の相手は蛇蝎の如く嫌い、手を触れさせる事すらしない。
この性質は貴族家にとって非常に困る。
女を嫁に出せないからだ。
見初めた相手が独身の貴族なら良い。
しかし、それが平民や奴隷、他種族だったら?
既婚者だった場合もあったらしい。
なので、比較的まともな恋愛観である事が多い男を婿に出し、愛に狂う女を当主にするのだ。
当主の肚から産まれれば、相手が何であれセーデルホルムの産まれになる。
相手が他種族でも、まぁ問題はなくはないが、何とか出来てしまうのが貴族というものだ。
そしてその歪な在り方を受け入れ、何とか次代を紡いで来たのが王国貴族セーデルホルム伯爵家なのだ。
―――最初、私はレオナルド様を嫌っていた。
私達が初めて会ったのは、あの方の10歳の誕生パーティーだった。
元々セーデルホルム家は社交的な方ではない。
それはお母様の代から輪をかけて酷くなった。
太陽の光に晒されると肌が焼け爛れてしまう体質のお母様とお姉様。
お2人の体調を慮って、私は常に薄暗い屋敷の中で生活をしていた。
そんな鬱屈とした日々の中、ある時一通の招待状が届いたのだ。
社交嫌いのセーデルホルム家ではあるが、流石に寄親の次期当主の誕生パーティーを断る訳にはいかない。
そのパーティーが夜会だったのも幸いした。
それは9歳の私にとっては初めての社交の場。
ウキウキしながらフィンスター家の大きな屋敷の扉をくぐったのを今でも覚えている。
初めて見かけたあの方は、大きな広間の真ん中でつまらなそうな顔をして座っていた。
周りの人達は異口同音にあの方を持て囃す。
学会で認められるほどの論文を書いたとか、剣も魔法も大人顔負けだとか、皆から神童だと賞賛されていた。
しかし、あの方はそんな名声に欠片程も価値を感じておらず、誰にどれだけ持て囃されようとも冷たい瞳でまだまだ精進が足りていないと返すだけだった。
私はあの方に嫉妬した。
誰もが羨む才家に産まれ、誰よりも高い才を持ちながら、どこまでも眩しい世界にいる癖に、その全てを手にしているはずの高貴な黒曜の瞳はそれに価値を見出さない。
それに対して私はどうだ?
《《こんな無様な有様なのだ》》。見比べるまでもないだろう。
あの方が認めないそれらは、私がこの暗闇からどれだけ手を伸ばそうとも手に入らない光なのに……。
結局、その時の私はあの方と話すこともなく、忸怩たる思いに苛まれながら帰路についたのをハッキリと覚えている。
そこから5年間、私は領地どころか薄暗い屋敷から殆ど出ることなく過ごした。
そんな私を不憫に思った母がフィンスター家への行儀見習いに行かないかと提案したのが去年の暮れ。4ヶ月ほど前の話だ。
レオナルド様に会うのは嫌だったけど、この薄暗い屋敷の中でいる生活にも嫌気がさしていた私はその話を受ける事にした。
5年ぶりに会ったレオナルド様は随分と変わってしまっていた。
些細な事で喚き散らし、怠惰な生活を続ける醜く太った豚のようなお方になっていたのだ。
そして、私はそんなレオナルド様に昏い愉悦を覚えていた。
まるで真っ白な新雪の平原を踏み荒す様な、美しい物を無遠慮に破壊する様な悦び。
私がどれだけ手を伸ばしても届かない眩しい場所に立っていた高貴な少年が、私のいる薄暗がりまで堕ちて行く。
そんなあの方を見るだけで、私の薄汚い嫉妬心は昏い愉悦で満たされて行った。
―――あぁ、もっと! もっと堕ちて欲しい!
どこまでも醜く、どこまでも卑しく!
《《私と同じヒトデナシ》》になって!
その為なら、私はどんな事だってしてみせる!
……しかし、またレオナルド様は変わられた。
あの陽だまりの東屋で、あのお方は私に謝罪をされたのだ。
あの黒曜の瞳が私を、私だけを写し、
「―――この前はすまなかった。」
そう頭を下げたのだ。
私は困惑する。
何故? 貴方は私と同じ所へ堕ちたのに!
私と同じ醜い存在になったのに!
「気が済むなら好きなだけ殴ってくれても良い。……本当に済まなかった。」
―――殴る? 誰が誰を?
私が、レオナルド様を……?
こんな薄汚い、醜い私が貴方を?
そんな事、出来るわけない。
だって貴方は堕ちたはずなのに、私と同じ場所まで堕ちたのにまた前を見ようとしている。
そんな貴方をこの暗がりから抜け出そうともしない私が殴れるはずないじゃないか……。
そう。私は打ちのめされたのだ。
このままここを去ろう。
ここは私なんかが居ていい場所なんかじゃないのだ……。
そう考えたら何だか少し心が軽くなった。
これが最後だと思ってレオナルド様に初めてちゃんと話かける。
私の数少ない趣味である魔導具の話をした。
その瞬間、何故かレオナルド様に抱きしめられた。
「あぁ!ユーリア! 俺の女神様! 君は最高だ! 君の言葉のお陰で全て上手く行きそうだ!」
もう訳が分からない。
頭は沸騰し、心臓が痛いほど鳴っている。
女神? 私のお陰?
こんな私が……?
言葉の意味は理解出来ないまま、ただ胸の中で幸福感だけがジワジワと広がって行く。
……きっと私はこの時、レオナルド様に壊されたのだ。
いいや、もしかしたら折れ曲がった性根を直してもらったのかもしれない。
『大丈夫よ。 だって、貴女は私達セーデルホルムの娘なんですもの。』
お母様の言葉を思い出す。
あぁ……、これがそうか……。
これがお母様達が感じていた気持ちなのだ。
嬉しそうに走り去るレオナルド様の背を見送り私は実感する。
私は私の全てをあの方に捧げよう―――。
あの方が先へ進むのならその一助になろう。
あの方が堕ちると言うのなら私も共にどこまでも堕ちよう。
正しさも理屈も関係ない。
全ては、この胸の高鳴りが答えなのだ。
―――――――――
――――――
―――
月明かりがフィンスター=ヘレオール家の王都屋敷の中庭を照らす。
まるでこの世界の全てが寝静まってしまったかのような静かな夜。
私は1人であの東屋にいた。
意味なんてない。
ただ眠れなくて、何となく私が今の私になれたこの場所に自然と足が向いたのだ。
レオナルド様に抱き締めて頂いた場所。
東屋の柱に手を置き、自然と笑みが零れる。
「レオナルド様……。」
パン!
小さな破裂音がする。
ふと気付くと、私の右腕が吹き飛んでいた。
「――――――え?」
まるで蛇口が壊れた水道のように血が吹き出す。
私は事態が全く分からないまま、その場に倒れ伏した。
寝巻きが、地面が、私の血で真っ赤に汚れる。
ドクンドクンと心臓の鼓動が頭に響く。
―――あ、これは……ダメダ……。
「―――もしレオナルドが魔族に誑かされるとしたら、私はその魔族はきっとレオナルドのすぐ近くにいるのだと考えていた。」
霞んでいく視界の淵、暗闇から光る赤い瞳が目に入る。
御館様……!
「どう考えてもおかしいのだよ。
君は昼間、赤眼状態の全力の私と並走した。
そんな事はただの人間に出来るはずがない。」
どこまでも冷徹な紅の双眸が私を見下ろす。
ダメだダメだダメだダメだダメだっ!!
血が! 衝動が抑えられないっ!!
私の瞳が鮮血の様な赤に染まる。
力が、溢れ出す―――!!
溢れ出す血がその形を変えて無くした右腕を瞬時に再構築する。
バキバキと音を立てて犬歯が伸びる。
奇しくも今日は満月。
私の血が最も力を帯びる時。
「ああ、やはり。やはりそうだったか……。
君は上位魔族―――。」
そう。私のこの血には魔族の血が流れている。
それは血の盟主にして闇の眷属。
太陽に嫌われた不死の化け物。
魔族の中でも最強と名高い血を吸う鬼。
「吸血鬼……!!」




