2 泥棒は帰っていった
泥棒にトイレの使い方を教え、食事を作り向かい合って何もしないでじっと時間が過ぎるのを待つ。
あらかた家にあった食い物を食べ尽くして、そして泥棒は「ありがとう」と言って消えて仕舞った。
「一体何だったのかしら。消えたってどういうこと?」
泥棒がテーブルに金色のコインを2枚置いていった。
手に取ってみると、ずっしりと重い。
「金貨?泥棒がお金を置いて行く分けないじゃ無い。馬鹿馬鹿しい。」
燃えないゴミ入れ箱に捨てる。
仕事は無断欠勤してしまった。一応会社に連絡を入れたが。
買い物をしないと食べる物が無くなってしまった。カップラーメンや、袋麺まで食べ尽くされてしまったのだ。食い物を盗む泥棒なんて、何処の国出身だろうか。考えても訳が分らない。
警察には連絡をして来て貰った。色々聞かれたから、正直に答えたら、変な女扱いをされた。
自分でもそう思う。消えて仕舞った泥棒の説明はどう考えてもおかしいと思われるだろう。
次の日からはまた普通の生活に戻れた。
会社に行って仕事をして、帰ってくる。その繰り返しだ。
偶にはお酒でも飲もうかしら、と考えてウイスキーを買ってきた。氷も忘れない。
お風呂に浸かりまったりとして、ウイスキーを飲む。風呂に入ってお酒を飲むなんて何となく退廃的で、少し浮かれる。
ほろ酔い気分でスマホを見ていると、ふと小冊子に目が行く。泥棒が忘れていった小冊子だ。
捨てようと思っていたが、其の侭本棚に入れてしまっていた。
「この文字は何処の国の文字かしら。調べてみよう。」
小冊子を開いて、暗記シートを挟んだページに目が行く。
暗記シートには日本語で書かれているように見える。
【異世界のマニュアル】
【異世界へ行ったら、魔法は厳禁。まずは異世界の生活を体験してみよう。異世界ではどんな物を食しているか。どんな家に住んでいるか。どんな本があるのか、どんな人がいるか。異世界で死ぬのは3回までで、それ以上はゲームオーバーだ。初めから遣り直しなさい。異世界の人を傷つけてもゲームオーバーだ。心して異世界に望め。さすれば君は力が倍増するであろう。】
「なんだこれ。ゲームの攻略本か?」
小冊子から目を反らすと、そこに小さな老人がいた。ビックリしてのけぞる。
「こりゃあ失礼しました。私は魔法使いのデゼベルと申します。お見知りおきを、コイーズ様。」
今にも死にそうな年老いた老人だ。痴呆症なのか、自分の事を魔法使いなどと言っている。可哀想なので話を聞いてあげることにしたけれど、この老人はどこから入ってきたのだろう。
コッソリ、スマホで警察に連絡をしておく。信用してくれるかしら。
手が僅かに震えている老人。彼が話し始めたので、お茶を出してあげた。
「オオ、済まないのう。丁度喉が渇いていたのじゃ。オオー旨い茶じゃ。」
老人の話を要約すると、異世界へ来ると、望みの力が手に入ると言う事らしい。ふーんそうですか。
どうでもいい話を延々と聞かされていい加減疲れてきた。痴呆の老人は、機嫌良く私に言った。
「そろそろ、何か食べさせてくれんかの。」
図々しい痴呆老人だ。仕方がないので、袋麺をゆでて、味噌ラーメンを作ってあげた。
「こりゃあ旨い。何という至福の味じゃ。異世界とは素晴らしい物じゃな。」
ラーメンを美味しそうに食べ、ジュースも飲んで、トイレに行きたいというのでトイレの使い方を懇切丁寧に教えた。以前の泥棒がトイレ便器の水を飲もうとした経験があったので、水はここでは飲まないでね、と言って置いた。
本が読みたいというので、漫画本を渡した。老人は漫画本に暗記シートをかざして読んでいた。
老人が眠くなったというので布団を敷いて寝かせてあげた。
老人は、異世界に来ると、自分のレベルが上がり願いが叶うのだ。と言ったので、
「デゼベルの願いは何?」と聞くと
「長生きじゃ。」
と答えた。でしょうね、今にも死にそうな痴呆老人だもの。
次の日老人はお礼だと言って金貨を置いて消えた。
私は、老人が置いていった金貨をじっくり見て、若しかしてこれは本物の金貨かしらと、慌てて宝飾品店へいって鑑定をして貰った。
なんと、この金貨は純度九十九パーセントの本物の金貨だった。速攻売ってきた。これだけで今月のお給料を軽く超えてしまった。だとすれば、ゴミ箱に入っていた金貨も本物では無いだろうか。
急いで家に帰り、金貨をゴミ箱から取り出した。
「危なかったー。明日、燃えないゴミだった。捨ててしまうところだったじゃ無いの。」
この金貨も明日売ってしまおう。無断欠勤が続いて何となく気持ちが落ち着かない。
私は、昔から、学校も仕事も生真面目に熟すタイプだ。いい加減な仕事をしているのを見るとイライラしてしまう。職場ではさぞ嫌われていることだろう。でも、そのお陰で、職場は廻っているのだ。
事務を馬鹿にしてはいけない。私がきちんと管理しているから、不正など誰も出来ないのだから。
仕事には余り面白みがないが、決められたことはする、それが私の矜持だ。