マジMagic〜魔女の悪戯
魔法使いの女子高生・時鳥鈴音が、魔法を信じない理科教師・佐々木先生を放課後の教室で面白おかしくからかう物語。鈴音は不思議な現象を魔法で引き起こし、佐々木先生はそれを科学で説明しようと困惑する。魔法使いの秘密を抱える生徒と、科学一筋の教師によるコミカルな日常を描く。
「ねえねえ先生」
放課後の理科室。ガランとした空間には、時鳥鈴音の声だけが響いた。担任の佐々木は、分厚い参考書から顔を上げずに答える。
「なんだ、時鳥。今日は掃除当番だろう。早く済ませて帰れ」
「えー、先生ってばつれないなあ。せっかく残っててあげてるのに」
鈴音は化学の教科書をパラパラとめくりながら、わざとらしくため息をついた。佐々木は眼鏡の奥の目を細める。
「居残りは君が授業中に居眠りをしていたからだろう。いいから早く…」
「あ、そうだ先生」鈴音は突然顔を上げ、化学の元素周期表を指さした。「この前先生が言ってた『水銀は生きているみたいに動く』って、あれって本当に生き物なんですか?」
佐々木は呆れたように息を吐いた。「比喩表現だと言っただろう。金属が液体である様子をそう表現することがあるんだ」
「ふーん」と鈴音は納得したような、していないような曖昧な返事をした。「でも先生、もし本当に水銀が意思を持っていたら、面白いと思いません?」
「ありえない話をしても仕方ないだろう」佐々木は再び参考書に目を落とした。その瞬間、佐々木のコーヒーカップの中で、漆黒の液体がまるで生き物のように蠢き始めた。小さな塊になったり、細長く伸びたり、まるで意思を持っているかのように形を変えている。
「あれ?」鈴音はわざとらしく首を傾げた。「先生、コーヒーが踊ってるみたい」
佐々木は目を疑った。今、確かに自分のコーヒーが異常な動きをしていた。しかし、瞬きをした次の瞬間には、いつもの静かなコーヒーに戻っている。
「気のせいだろう。疲れているのかもな」佐々木はそう呟き、自分の考えを打ち消そうとした。
「そうですか?」鈴音はにっこりと微笑んだ。「じゃあ、今の見ました?」
佐々木は訝しんだ。「何がだ?」
「先生のコーヒーが、一瞬だけ生き物みたいに動いたんです」鈴音は真剣な表情で言った。「私、ちゃんと見ましたよ」
「まさか…」佐々木は自分のコーヒーカップを再び見つめた。黒い液体は静かに表面を映していただけだった。「そんなはずはない。物理法則的に…」
鈴音は化学の教科書を閉じ、立ち上がった。「先生、今日はありがとうございました」
「いや、まだ掃除が…」
鈴音は言葉を遮って続けた。「さようなら、先生!」
そう言って、鈴音は軽い足取りで理科室を後にした。後に残された佐々木は、冷たいコーヒーを前に、理解不能な出来事に頭痛を感じていた。
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翌日、放課後。佐々木は今日も理科室で事務作業をしていた。昨日の一件以来、どうにもコーヒーの味がしない。気のせいだと思いたいが、やはり何か引っかかる。そんなことを考えていると、ドアがノックされた。
「先生、時鳥です。掃除当番、今日からですよね」
現れたのは鈴音だった。佐々木は眉間にしわを寄せた。「ああ、そうだったな。サボらずしっかりやるんだぞ」
「はーい」鈴音はのんびりとした調子で返事をし、ほうきを手に取り始めた。その動きは実に優雅で、本当に掃除をする気があるのかと疑いたくなるほどだった。
鈴音は壁際の棚を掃き始めた。その時、一つの試験管が棚から転がり落ちた。
「おい、危ないぞ!」佐々木が声を張り上げたが、試験管は無情にも床に落ち、音を立てて割れた。
「あーあ、割っちゃった」鈴音は特に焦る様子もなく言った。「先生、ごめんなさい」
「ったく、お前は…」佐々木はため息をつき、飛散防止のメガネをかけた。「片付けるから、手を出すなよ」
佐々木が近づくと、割れたガラス片がキラキラと光っている。そこに、ほんの少しだけ残っていた液体が、なぜか勝手に泡立ち始めた。ブクブクと泡が大きくなり、ガラス片を押し上げるように盛り上がっていく。
「え、なにこれ?」佐々木は思わず後ずさった。泡はさらに大きくなり、試験管の破片をまるで生き物のように包み込み、そして──。
「あ、元の試験管に戻っちゃった」鈴音は無邪気な声で言った。
佐々木の目の前には、割れる前の完璧な状態に戻った試験管が転がっていた。
「は、はは、ははは…」佐々木は乾いた笑い声を上げた。「夢でも見てるのか、俺は」
「夢じゃないですよ、先生。ほら、触ってみてください。全然割れてない」鈴音は差し出された試験管を指差した。
佐々木は恐る恐る試験管に触れた。確かに、ひび一つない。彼は信じられないという顔で鈴音を見た。
「君…何かしたのか?」
「えー、何もしてませんよ。私、ただ見てただけです」鈴音は澄まし顔で答える。その瞳は、何かを企んでいるかのようにキラキラと輝いていた。
「ま、まさか、これは、分子レベルで再構築されたとか…?いや、そんなことはありえない。熱も加えていないし、触媒もない…」佐々木はぶつぶつと独り言を言い始めた。彼の頭の中では、これまでの科学の常識が音を立てて崩れていくような感覚が広がっていた。
鈴音はそんな佐々木を見て、心の中でしめしめとほくそ笑んだ。
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それからも、鈴音の「悪戯」は続いた。
ある日は、佐々木の机の上に置いてあったはずのチョークが、いつの間にか色鉛筆の束に変わっていた。
「時鳥!またお前か!」佐々木が怒鳴ると、鈴音は「えー?何のこっですかー?」ととぼけるばかり。
「このチョーク、確かにここに置いておいただろう!」
「私が置いたのは、先生が昨日貸してくれた色鉛筆ですよ。先生、もしかして、記憶が…?」鈴音は心配そうに佐々木の顔を覗き込んだ。
佐々木は自分の記憶を疑い始めた。確かに、鈴音に色鉛筆を貸した覚えは…いや、ない。断じてない!しかし、目の前には色鉛筆の束が、まるで最初からそこにあったかのように鎮座している。
またある日は、授業中。佐々木が板書をしていると、黒板に書いたはずの文字が、突然消えたり現れたりする現象が起きた。生徒たちはざわめき、佐々木は額に脂汗をかいた。
「おい、誰だ!こんな悪戯をするのは!」
教室の隅で、鈴音だけがにこにこと楽しそうに佐々木を見ていた。彼女の指先が、わずかに揺れているのを、佐々木は気づかなかった。
放課後、佐々木は鈴音を呼び出した。
「時鳥、正直に言え。最近の奇妙な現象は、お前がやっているんだろう」
鈴音は目を丸くした。「えー、何のことですか先生?私、何もしてませんよ」
「とぼけるな!チョークが色鉛筆になったり、黒板の文字が消えたりするなんて、普通じゃないだろう!」佐々木は普段温厚な教師らしからぬ剣幕だった。
「先生は、魔法とか、信じますか?」鈴音は真顔で尋ねた。
佐々木は鼻で笑った。「馬鹿なことを言うな。魔法なんて、科学では証明できないただの幻想だろう。私は理科の教師だぞ。非科学的なことは一切信じない」
「ふーん」鈴音はつまらなさそうに言った。「じゃあ、先生が信じないなら、それは全部先生の気のせいですね」
「気のせいなものか!」佐々木は机をドンと叩いた。
その瞬間、理科室の壁に貼ってあった人体の骨格模型が、ガタガタと音を立てて踊り始めた。カチャカチャと骨がぶつかり合う音が響き、まるで愉快なダンスを踊っているかのようだった。
「ひぃっ!」佐々木は情けない声を上げて飛び退いた。「な、なんだこれは!?」
鈴音はケラケラと笑い出した。「ほら、先生、骨格標本まで踊ってますよ!これも気のせいですか?」
骨格模型は数秒間踊り続け、やがてピタリと動きを止めた。佐々木は呆然とその場に立ち尽くしていた。
「信じないって言うから、ちょっと刺激を与えてみました」鈴音は悪戯っぽく舌を出した。「先生は、本当に面白いですね」
佐々木は言葉を失っていた。目の前で起こる現象は、どう考えても科学では説明がつかない。しかし、魔法だなどと認めるわけにはいかない。彼の科学に対するプライドが、それを頑なに拒んでいた。
「くそっ…!」佐々木は頭をかきむしった。「一体、どうなっているんだ…!」
鈴音は満足げに微笑んだ。魔法が使えても制限が多すぎるし、何かの役に立ちたいとかも思わない。私はただ、先生の困った顔を見るのがたまらなく好きなのだ。
現代に残る唯一の魔法は「言葉」だと思います。
人を幸せにも出来るし、いとも簡単に殺すことも出来る。