4 緊迫の対峙:法の網をかいくぐる犯罪者
黒服の男たちを倒した直後、応接間は緊迫した空気に包まれていた。マイクは左手で拳銃を構え、カイに真っ直ぐに視線を向けた。カイは両手を頭の上に上げ、抵抗する意思がないことを示した。
マイクの右手は、震えるジェシーをそっと抱いていた。咄嗟の行動とはいえ、異性との密着にジェシーは少し照れていた。
「大丈夫か?」
マイクの低い声が、頭上で優しく響く。
「…う、うん…」
ジェシーは小さく頷き、身を離そうと微かに抵抗した。見知らぬ男と、しかも直前まで命の危険を共に過ごした男との初めての密着。ジェシーには、どこか不思議な感覚が生まれていた。さっきのような、マイクの腕の中にいたかった、そんな淡い気持ちが胸の中で燻っていた。
マイクを見上げる視線は少し伏し目がちになり、ジェシーはマイクの顔に浅い傷があることに気づいた。
「…あなたも大丈夫なの?」
「…擦り傷だろ、大したことない」
マイクは気のない声で答えたけれど、その声はジェシーにはどこか優しげに響いた。二 人の間に、何とも言えない微妙な空気が流れていた。
「…助けてくれて、ありがとう…カ…イさん」
ジェシーは震える声で、カイの方へ向いて頭を下げた。
「…これは私の義務です、お嬢様。」
カイは少し荒れた声で答えた。彼の瞳には、複雑な感情が渦巻いているのが見て取れた。
マイクは、拳銃を向けながらも、カイに声をかけた。
「…君には郵便局での発砲事件の疑いがある。事情を聴くために警察署に同行してもらう」
カイはすんなりと両手を前に出した。全く抵抗する様子がない。
「…構わない」
そんなカイの様子に、ジェシーは不思議そうな表情を浮かべた。ギャングのような荒っぽい人物のはずなのに、妙に素直に従っているように見える。
「…マイクさん、カイさんはどうするの?」
ジェシーは、マイクが離れるのを不安そうに尋ねた。
「…それは、事情を調べてみないとわからない」
マイクは、曖昧な返事しかできなかった。
マイクとリンは、今後の対応について話し合った。マイクは、自分がカイを警察署に連行し、リンはジェシーの安全を確保しつつ、鑑識課が現場検証を行うのを待つことにした。
リンも同意すると、マイクはジェシーに「じゃあ、また会う」と声をかけ、カイを連れて応接間を後にした。
連行される際も、カイは大人しく従っていた。ギャングのような荒くれ者が、ここまで素直に警察に協力するとは、マイクも少し意外だった。
普通の人間なら、到底経験できないような殺戮を、一体何度繰り返してきたのだろう。過去の暗闇を抱いているはずなのに、ケイは無関心でどうでもいい様子だ。マイクは、複雑な思いを抱きながら、カイを車に乗せた。
車の中で、マイクはカイの横顔を睨みつけた。カイは窓の外の景色を眺め、口元を僅かに曲げていた。
その微かな笑みの意味が、マイクには全く理解できなかった。
厳しい白の照明が、取調室を不必要に明るく照らし出していた。マイクは、机を挟んでカイと対峙していた。沈黙が張り詰め、緊迫した空気が漂う中、マイクは口を開いた。
「…供述を拒否するつもりか?」
マイクの声は、低く沈んでいた。しかし、その中には、諦めきれない強い意志が込められていた。
「…弁護士が来るまで黙秘する」
カイは、小さく呟くように答えた。彼の瞳は虚ろではなく、どこか挑発的な光を宿していた。
間もなく、ドアが開き、弁護士が入室してきた。短時間の打ち合わせの後、マイクは再びカイに視線を向けた。
「…それでは、改めて状況を説明する。一月十五日午後七時二十七分、O市東区十六番地にある日本料理店にて、発砲事件が発生した。警察は、君がその発砲事件に関与している疑いを持っている。さらに、ジェシーさんの屋敷での銃撃戦にも、君が居たことは確認済みだ。今、いくつかの質問をさせてほしい」
マイクは、淡々と事実関係を述べていった。
「…君はある人物、ローエンという男を知っているか?」
「…知ってるさ。俺もローエンもカール組の構成員だった」
カイは、何事もなかったかのように答えた。
「…ローエンの殺害について、君が何を知っているか? 警察は、君がローエンを殺害した疑いを抱いている」
マイクは、一気に核心に触れた。しかし、カイは動じる気配さえ見せない。
「…殺害? そんな話は聞いてないぜ。最近、ローエンとは連絡を取っていなかったし…」
曖昧な答えが返ってくる。マイクは、苛立ちを覚えながらも、冷静さを保つように努めた。
「…ローエンがO市で何をしていたのか、君には分からないのか?」
「…知らねえよ。俺の部下じゃないんだから、行動報告をする義務はないだろ」
カイの答えは、挑戦的だった。マイクは、資料を確認しながら、次の質問を投げかけた。
「…君自身は、なぜO市にいたんだ?」
「…旅行だろ。気分転換に来たんだ」
カイは、笑みを浮かべながら答えた。その表情には、何らかの意図が隠されているように見えた。
「…君が銃撃事件を起こした当時、どこで何をしてた?」
マイクは、直接的な質問をした。
「…覚えてないな。飯食ってたかもしれないし、歌ってたかもしれないし、寝てたかもしれない」
カイは、とぼけたような口調で答えた。
「…しかし、目撃情報がある。銃撃事件当時、君が東区十六番地付近にいたという証言があるんだ」
マイクは、切り札のように、目撃情報を提示した。
カイは、一瞬、表情を硬くした。しかし、すぐに嘲笑まじりの声を上げた。
「…冗談だろ。俺はそんな所には行ってないぜ」
焦りや動揺といった感情を一切見せない。マイクは、さらに追求することにした。
「…事件当時、君がどこにいれば証明できる? 慎重に思い出してほしい」
マイクは、真摯な態度で促した。
「…西区にあるカラオケ店で歌ってた」
カイは、ようやく具体的な場所を口にした。
「…いつ入店して、いつ退店した?」
「…一月十五日の午後七時に店に入って、夜十一時に出た」
マイクは、怪訝な表情を浮かべた。
「…そのことを証明できるものはあるのか?」
「…ある。店のスタッフが証人になってくれるはずだ」
カイは、自信満々だった。
マイクは、すぐに部下にKTVに電話をかけるよう指示を出した。やがて、部下が戻ってきた。
「…KTVのスタッフの話では、カイさんの言う通りでした」
部下の報告に、マイクは肩を落とした。
「…君はなぜ、ジェシーさんの屋敷にいたんだ?」
マイクは、本題に迫った。
「…君と同じ理由だろう? ジェシーさんに用があって、会いに行ったのだ」
カイは、皮肉めいた笑みを浮かべながら答えた。
マイクは、一瞬言葉を失った。
その時、マイクの同僚がメモを渡してきた。内容はリンからのメッセージだった。
「…ジェシーさんの屋敷で君が使用していた拳銃は、登録情報が確認できない。どう説明する?」
マイクは、諦めずに別の切り口を探った。
「…俺の銃じゃない。友人の物だ。俺は登録されているかどうか知らなかった」
カイは、相変わらず余裕の態度を崩さなかった。
マイクは、沈黙した。カイの弁護士は、この沈黙を利用して、
「…証拠不十分です。カイさんの身柄をすぐに解放するべきです」
マイクは、苛立ちを覚えながらも、まだ諦めるわけにはいかなかった。ローエン殺害事件に関して、カイは完璧なアリバイを。
取調室を出たマイクは、張り詰めていた緊張から解放されるように大きく息を吐いた。同僚たちに「交代で取り調べろ。中断するな」と指示を出した。
リンがジェシーの屋敷から警視庁に戻ってきたところだった。
「リン、ジェシーの方はどうだった? 何か情報が得られたか?」
マイクは、期待を込めてリンに尋ねた。
「…特に収穫はありませんでした。ただ、ジェシーによると、カイさんは単なる訪問客だったようです。なぜ黒服の男たちに狙われたのかも、その男たちのことについても、彼女は何も知らないと言ってました」
「…黒服の男たちの身元は特定できたか?」
マイクは、一縷の望みをかけて尋ねた。
「…地元の愚連隊だ。窃盗や暴行、殺人などの前科はあるが、特定の組織に属しているわけではなく、T市にも来たことがない。ジェシーさんとも接点はないはずだ。今の所、彼らの目的は不明だ」
リンは、肩を落として答えた。マイクも、落胆の溜め息を漏らした。彼はジェシーからケイについての画期的な情報を得ることを期待している。
カイが殺し屋であることは分かっている。しかし、警察が彼を起訴できるほどの決定的な証拠は揃っていない。釈放すれば、今後再びカイを拘束するのは難しくなるだろう。
実際、今回の屋敷での出来事にしても、カイが自ら姿を現さなければ、未だに彼を見つけることはできなかったのだ。
24時間はあっという間に過ぎ、マイクはカイを釈放する以外の選択肢がなかった。取調室を出ていくカイは、机の上に千羽鶴を残していった。
「…ローエンへの供養だ。いつか、君にも贈るかもしれないな」
不敵な笑みを浮かべながら、そう言い放ったカイ。
その手に握られていたのは、一羽の黒鶴だった。不吉とされる黒の折り鶴。それは、露骨なまでのマイクへの呪詛に他ならない。
怒りに震えるマイクは、何とかカイを引き留めて、再逮捕しようと考えた。だが、正当防衛が認められる可能性が高い屋敷での銃撃戦と、アリバイが成立しているローエン殺害事件。現在の状況では、カイを拘束する理由は見当たらない。
歯を食いしばり、カイが悠然と去っていく後姿を見送るしかなかった。