18 刑事のジレンマ
ファイルを開いたマイクの目に飛び込んできたのは、ユータがハッキングの罪で逮捕されたという記録だった。
内容は、3年前にクラスメイトからの通報で警察に身柄を拘束されたというものだった。
どうやら、ユータはハッカーとして、何度も警察署の監視システムに侵入していたらしい。
書類を読んだマイクとリンは、驚きを隠せない様子だった。
「…まさか、ユータがハッカーだったなんてね…」
リンは、呟くように言った。
マイクは、少し複雑な表情を浮かべながらも、
「…誰かを追跡していたのかもしれないな。探偵の素質があるのかもしれないぞ」
と、冗談めかして言った。
リンは、失笑しながら、
「…他人のプライバシーを侵害している行為は犯罪よ。冗談じゃないわよ」
と、マイクを牽制した。
マイクは、黙り込んで、ファイルの内容を凝視し続けた。
ファイルには、警察による捜査結果も記載されていた。
それによると、ユータが警察署の監視システムに侵入した直接的な証拠は見つからず、クラスメイトに実害もなかったため、クラスメイトたちの理解も得られたようだ。
その結果、ユータは反省文を提出し、二度と警察のシステムに侵入しないことを約束させられた上で釈放された。
「…ほら、大したことないじゃないか。クラスメイト同士のふざけ合いだったんだろう」
マイクは、肩をすくめながら言った。
リンは、眉を寄せたまま、
「…ふざけ合い? いい悪いを履き違えているんじゃない? クラスメイトをハッキングで監視するなんて、冗談じゃないわよ」
と、マイクの考えに反論した。
マイクは、リンの真面目な表情に気付き、少し気まずそうに、
「…まあ、幸いクラスメイトは被害に遭ってないみたいだし…」
と、ぼそっと呟いた。
気まずい空気を払拭しようと、マイクは、
「…さすが秀才大生だな。警察署の監視システムに侵入されても、警察は何も手出しできなかったみたいだし」
と、話題を変えようとした。
しかし、リンは、
「…彼の能力の高さはどうでもいいわ。ただ、能力の使い方が間違っているだけよ」
と、一蹴した。
「…確かに…
…能力は、間違った方向にも使えるし、もちろん正しい方向にも使えるよな。
…そういえば、ユータのおかげで、カイを探す方法が思いついたかもしれない」
マイクは、考え事をしながら言った。
「…ルールを守った上で、まともな手段でね」
リンは、念を押すように言った。
「…わかってっるよ、分度守るつもりだ」
と、マイクは、ぐったりと答えながら、剣持の出勤を待ちつつ、ユータの情報を読み返していた。
午後、資料室でマイクは退屈そうに苛立ちを募らせていた。
そろそろ捜査に出ようかと考え始めた矢先、剣持がようやく警視庁へと入ってきた。
マイクとリンは、待ちわびた様子で剣持を迎え入れ、三人は早速、捜査の成果を報告しあった。
「…T市の麻薬密売は、主に二つの組織によって牛耳られていることがわかった。
…一つはカール・ギャング。
…麻薬密売を取り仕切っていたのはローエンだったが、ローエンの死後、カイが引き継いでいるようだ。
…二つ目はカンフー・ギャング。
…こちらはボニーが麻薬密売の責任者らしい。
…T市での麻薬市場のシェアは、この二つの組織でほぼ二分しているようだ」
剣持は、集めた情報を淡々と説明した。
「…そうか…ボニーって奴を甘く見ていたな。
…表向きはコンビニの店長をしているようだったが、裏では麻薬組織のボスだったとは…」
マイクは、少し悔しそうな表情を浮かべた。
「…ボニーがカンフー・ギャングの麻薬密売を取り仕切るようになったのは、つい最近のことなんだ。
…カンフー・ギャングは、最近は表社会での事業にも力を入れていて、政府とも協力関係にあるらしい。
…ナオキ組長は、合法的なビジネスを拡大させるために、カンフー・ギャングの闇の仕事を完全に分離させる決断をしたらしい」
剣持は、マイクの疑問に答えるように情報を付け足した。
マイクは、眉をひそめながら、
「…つまり、ナオキ社長は、カンフー・ギャングのアイデンティティを、完全に合法な組織に変えようとしているのか?…
…それに対して、カンフー・ギャングの他の幹部は何も言わなかったのか?」
と、興味を持った様子で尋ねた。
「…ナオキの考え方は、ギャングの幹部の大半から支持されたらしい。
…ナオキは、裏社会の仕事を続けることを望む組員には、その仕事を譲る約束をしたそうだ。
…ボニーの上司も、まっとうな商人になりたがっていたため、ボニーに麻薬業務を任せたようだ」
剣持は、カンフー・ギャング内部の事情を説明した。
「…なるほど…そうなると、警察が今後ボニーを逮捕しても、カンフー・ギャングから抵抗はないのか…」
マイクは、少し安堵した様子で言った。
「…その通り。だから、ボニーは最近、協力してくれる相手を探していたそうだ。
…最初はカール・ギャングに協力を求めたようで、ローエンと話し合いをしていたらしい。
…だが、ご存知の通り、ローエンはカイに殺されてしまった。
…今では、ボニーはカイと手を組んでいるという情報もある」
剣持は、マイクとリンに新たな情報を伝えた。
「…なるほど…だから、前回ボニーを追跡した時に、偶然カイに遭遇したわけか」
リンは、これまでの捜査結果と照らし合わせて理解した様子だった。
「…となると、今後カイを探す際には、ボニーの存在も考慮に入れて捜査する必要がありそうだね。
…もしかしたら、カンフー・ギャングの裏社会の他の事業も、カイと協力している可能性があるんじゃないか?」
マイクは、今後の捜査方針を考え始めた。
「…それは、さらに検証が必要だが、可能性は高いと思う」
剣持も、マイクの考えに同意した。
三人は、新たに浮かび上がった情報を元に、さらなる捜査計画を練り上げていった。
「…剣持の情報は本当なのか? どれも重たい内部情報じゃないか」
マイクは、剣持の話に疑いの目を向けた。
「…ソースは間違いない。警視庁はカンフー・ギャングに潜入させている人間が居るんだ」
剣持は、自信を持って答えた。
「…潜入…じゃあ、カール・ギャングにも潜入している密偵はいるのか? カイに関する情報も掴んでいるのか?」
マイクは、興味津々に尋ねた。
剣持は、少し気まずそうな表情を浮かべながら答えた。
「…カール・ギャングにも潜入させてる…んだけど、カンフー・ギャングとは状況が違ってきているんだ。
…カンフー・ギャングは、今まさに全面的に堅気な組織に変身しようとしている。だから、情報を取りやすいんだ」
マイクは、剣持の言わんとすることを察した。
「…なるほどな…」
と、納得した様子で頷いた。
剣持は、話を続けた。
「…今回出回った新しい麻薬は、多くのバーで出回っていて、ジャンキーの間では人気が高いらしい。
…しかし、どうやら流通量が足りていないようで、今は市場に出回っていないようだ」
「…出回ってない? ってことはT市の麻薬の取り締まりが強化されてるのか?」
マイクは、意外そうな表情を浮かべた。
「…そういうわけでもないらしい。とにかく、品切れなんだ」
剣持は、肩をすくめた。
「…もしかしたら、今回の新しい麻薬は、市場の反応を見るための試験販売みたいなものではないだろうか」
リンは、冷静に分析した。
「…自分もそう思う。新しい薬物だし、人気が出るかどうか、麻薬密売人たちもわからないだろう」
剣持も、リンの推測に同意した。
「…他に可能性があるとすれば…」
マイクは、考え事をしながら口を開いた。
「…カンフー・ギャングが裏社会の仕事を切り離し、組織改編をする中で、今の密売人や密売ルートが再構築されているのかもしれない」
マイクの推測に、リンと剣持は共に大きく頷いた。
「…どちらの可能性にしても、今後T市にはもっと多くの新しい麻薬が出回るようになるだろう」
剣持は、今後の見通しを話した。
「…そうだな…だからこそ、新しい麻薬の糸口を掴まなければいけない。
…今後、ボニーとカイを監視し続ければ、必ず密売の証拠を掴めるはずだ」
マイクは、決意を新たにした表情で言った。
「…俺は、ボニーをマークし続ける。必ず奴を刑務所送りにしてやる」
剣持も、マイクの言葉に力強く同意した。
マイクとリンは、集めた情報を剣持の前で共有した。一通りの報告を終えると、部屋の中では沈黙が流れた。
マイクは、重苦しい空気を打ち破るかのように、
「…お前達はかなり重要な情報まで調べ上げてきたんだな…
…俺の方はというと、ちっとも役に立つ情報が掴めなくてよ…」
と、落ち込んだ様子で言った。
剣持は、マイクを慰めるように言った。
「…そんなことはないさ。今回俺がこんなに情報を得られたのは、密偵がいたことが大きいのは確かだけど、もう一つの理由はカンフー・ギャングの再編成が情報収集の難易度を変えたからなんだ。
…以前は、カンフー・ギャングの密売に関する情報は警察にも全く入ってこなかったんだから」
リンも、マイクをフォローするように言った。
「…剣持が言う通りよ。我々のチームの最終的な目標は、カイを逮捕することでしょう?
…それが一番重要で、一番難しい任務なのよ。
…私たちがやっているのは、側面からカイの情報を集めるという、比較的簡単な仕事。
…マイクは正面からカイを探すという、難しい仕事を背負っている。
…もし、あなたが我々の仕事をすることになったら、きっと上手くできるはずよ。逆に、あなたの仕事をやる人間は、あなた以上に上手くできる人間なんていないじゃない」
マイクは、リンの言葉に少し救われたように表情を緩めた。
剣持も、マイクを励ますように言葉を続けた。
「…リンが言う通り、仕事の成果は、仕事の難易度に大きく左右される。
…簡単な仕事なら、大勢の人がすぐに成果をあげられるけど、難しい仕事は、そもそも出来る人が少ないし、出来たとしても完璧にこなせる人は稀だ。
…それは誰でもわかっていることだろう?
…だから、カイの情報が手に入らなかったくらいで落ち込む必要はないし、自分の能力を疑わないでくれ。
…俺は、マイクを信じるよ」
剣持は、まっすぐな眼差しでマイクを見つめた。
そして、リンは、マイクの肩をポンと優しく叩いて、
「…私も、マイクがカイを捕まえられるって、ずっと信じてたよ」
マイクは、リンと剣持の温かい言葉に胸が熱くなり、
「…ありがとう…お前達のおかげで、また頑張る気力が湧いてきたよ」
と、感謝の言葉を述べた。
しかし、時間は刻一刻と過ぎていく。
第三回超国家企業発展会議が開催されるまでに、一刻も早くカイを見つけ出す必要がある。
マイクは、考え事をしながら口を開いた。
「…俺には、カイを見つける方法があると思う。
…T市全員の通話を監視申請を出したい。
…電話でカイが特定されれば、通信信号の位置情報を通して、カイの居場所を追跡できるはずだ」
マイクは、決意に満ちた表情で言った。
剣持は、マイクの提案に少し考え込んでから答えた。
「…確かに、それはカイを見つける方法の一つではあるだろう。
…しかし、T市全員の通話を監視するためには、警察署長の許可が必要になる」




