2 闇の情報商人とカールギャングの内部抗争
情報戦はどの時代においても重要視されてきた。戦場において、有益な情報は戦況をひっくり返すほどの力すら持つ。ゆえに、情報は古くから資源として扱われてきた。表向きには、各国が公式の諜報機関, いわゆるインテリジェンス・エージェンシー (Intelligence Agency) を保有している。CIA (中央情報局) や MI6 (イギリス秘密情報局) などが有名だろう。彼らは国家の安全保障を維持するため、スパイを送り込んだり、盗聴を行ったりなどして、他国政府や組織の情報を収集・分析している。
しかし、その裏側にはもう一つの非公式の情報網が存在する。これが俗にいう裏の情報屋と呼ばれる存在たちだ。裏の情報屋は、国家が表向き入手できないような情報、あるいは入手しづらい情報を扱う。例えば、密輸ルートや麻薬取引の実態、テロ組織の動向、さらには汚職スキャンダルなど、表沙汰になりにくい機密情報だ。時には、表の諜報機関さえも裏の情報屋の協力を仰ぐことがある。裏社会との繋がりを持つ彼らだからこそ、表向けのルートでは掴めない情報を入手できる可能性があるからだ。
裏の情報屋にもまた、階層が存在する。大手情報商人ともなると、プロの諜報員を抱え、組織的な構造を有している。表向きは、喫茶店経営者、茶屋店主、アンティークショップの店主など、一見なんの変哲もない商人として活動している。中には高級クラブのオーナーやカジノの支配人など、成金趣味を前面に出す者もいる。彼らは政界や財界ともパイプを持っており、幅広い情報収集網を構築している。彼らの扱う情報は比較的正確であり、情報収集範囲もやや広めだ。地元の情報だけでなく、国外や、場合によっては外国の情報も入手することができる。当然、そういった大手情報商人の情報料は、相応に高額になる。
一方、小規模な情報商人となると、ほとんどが個人の非プロフェッショナルな情報屋だ。こうした者たちは、社会の底辺にいる者、浮浪者、物売り、ヤクザの構成員など様々だ。ただ、彼らが携わる業種ゆえに、大手情報商人では手に入らないような、地元の密告情報などを掴んでいる場合がある。例えば、裏カジノの営業場所や、暴力団同士の抗争の内幕などだ。しかし、小規模な情報屋の場合は、その情報源が限られているため、情報の信憑性は必ずしも保証できない。中には、デマ情報を掴んでくる者もいるので、警察や探偵などは情報を買う前に、その情報屋の過去の実績や評判を確認する必要がある。
今回マイクとリンが捜査を担当するカール組は、T市に本部を置いている。T市を拠点とするカール組の情報となると、小規模な情報商人ではなかなか入手が難しいだろう。そこで、マイクとリンは、過去に何度か協力を仰いだことがある情報商人「アカアリ(Pheidole spp.)」を訪ねることにした。
アカアリは表向きは古書店を営んでいる。一見すると、歴史書や文学作品が所狭しと並ぶ、ただの古本屋だ。しかし、アカアリの真の商売は、この古書の合間に紛れ込ませた、裏の情報なのだ。アカアリは、ヤクザの世界にも顔が利くようで、地元の情報には特に強い。密売ルートや組織内の権力争いなど、警察が表立って捜査しにくい案件の情報を得意としている。
店内は薄暗く、所狭しと並べられた古書が重厚な雰囲気を醸し出していた。客の姿はなく、カウンター奥の椅子で雑誌をパラパラとめくっていたのは、情報屋のアカアリだった。
アカアリの服装はいかにもヤクザ然としていて、派手なシャツに長髪、耳には光り輝くピアスがぶら下がっていた。彼が手にしているのは、いかにも男性向けの雑誌で、表紙にはグラビアアイドルが大胆な水着姿でポーズを取っていた。
マイクはその表紙に目を奪われ、思わず見入ってしまった。隣にいたリンが肘でマイクの脇腹をコツンと突いた。我に返ったマイクは気まずそうに笑いかえると、「アカアリさん」と声をかけた。
アカアリは雑誌をぱたんと閉じ、マイクを見ると目を輝かせた。アカアリも30歳ほどだが、いかつい見た目とは裏腹に、どこか飄々とした雰囲気を漂わせていた。
「おう、マイクちゃん。リンちゃん。久しぶりじゃねぇか。で、何の用だ?」
アカアリは気さくながらも、どこか油断ならない空気を纏っていた。用件を聞く前に、今回の事件について知っている様子だった。
「ローエンの件だけどさ、何か情報入ってないか?」
マイクは切り出すと、アカアリはニヤリと笑った。その薄気味悪い笑みには、情報を持っていることを匂わせていた。
「あるっちゃあるんだけどな」
アカアリはもったいぶったように言った。当然、情報はタダではない。
「どれくらい役に立つ情報なんだ?」
「三つあるんだが」
アカアリは指を三本立てて見せた。
「情報の値段はいくらですか?」
マイクは交渉モードに入った。アカアリは値段を提示してきた。
「一つ目は2万、二つ目は4万。三つ目は…おまけだ」
マイクは眉をひそめた。ちょっと高すぎる気もしたが、今他に頼れる情報源もなかった。
「ちょっと高くないか?」
「情報は金だぜ。それに、裏社会の情報なんて、常に危険と隣り合わせなんだ。命懸けで仕入れてるんだと思ってもらえよ」
アカアリはさも当然のように言った。マイクはため息をつき、ポケットから5万円札を取り出した。
「5万で全部話せ。それでいいなら、今すぐ話してくれ」
アカアリは札束を手に取って、その厚みを確かめるように指で撫でた。
「わかったよ。じゃあ、順番に話してやる」
アカアリはやっと本題に入り、三つの情報をマイクたちに話した。
「一つ目、カール組の内紛。ローエンとカイの間で意見の相違があったらしい。二つ目、カール組組長の娘、ジェシーがO市にいる。アンティークショップを経営しているらしい。三つ目、カイは康九組と密かに通じていた」
マイクはメモ帳にこれらの情報を書き留めると、アカアリを睨んだ。
「情報の裏は取れたのか?」
「まあ、八九分は当たってるだろ。だが、残り一分は保証できねぇ。裏社会の情報なんて、常に流動的だからな」
アカアリは肩をすくめた。マイクは情報源の信憑性を見極めなければならなかったが、今はこの情報を頼りに捜査を進めるしかなかった。
「…なるほど」マイクは呟くと、怪訝そうな表情でアカアリを見た。「三つ目の情報は一番重要そうなのに、タダでくれるのか?」
アカアリは肩を竦め、さも当たり前のように言った。「そりゃそうだろ? 情報の内容だって、段違いに重要だ。だが、誰もそんな情報に金を出してくれないんだ」
マイクは眉を寄せた。「どういう事だ?」
「今の状況を考えてみろ。カール組と康九組の抗争に関わる情報だ。それを警察に売れば、双方から狙われるだろう。ヤクザの世界でも、裏切り者の情報は命取りになる。特に、今回の件はカイが仕組んだことなら、真っ先に俺を消しにくるのはカイだ」
アカアリは事もなげに言い放った。マイクは言葉を失った。確かに、その通りだった。この情報は非常に重要ではあるが、表沙汰になった途端、アカアリにとって危険なものになる。
「だったら、黙っていればいいじゃないか?」リンが口を挟んだ。
アカアリはニヤリと笑った。「そうもいかない。情報商売をしている以上、情報は流さなければならない。だが、この情報は誰も欲しがらない。だから、タダで渡すことにしたんだ。それに、マイクさんなら、この情報の価値を理解してくれると信じていた」
マイクは複雑な表情でアカアリを見た。アカアリの言うことも一理あった。しかし、マイクは自分が親切な人だと思っていないので、アリは無料で彼に重要な情報を提供します。警察とすれば、裏社会の情報は常に必要とされている。アカアリが容易に手放さないような情報は、非常に価値が高いはずだった。
「…わかった。感謝する」
マイクは礼を言うと、リンと共に店を出た。
車に乗り込み、エンジンをかけると、マイクはアカアリから得た情報について考え始めた。三つの情報はどれも重要だったが、特に気になるのは三つ目の情報だった。カール組と康九組はT市を二分する大きな勢力だ。この二つの組織が争うとどんな大きな災いをもたらすか想像し難い。そして、アカアリの情報通り、カイが康九組と密かに手を組んでいたのだとすれば、裏切り者はカイである可能性が極めて高い。
「アカアリの情報網、なかなか強いね」
運転をしながら、リンが呟いた。
マイクはハンドルを握りしめながら苦笑した。「あのボッタクリ野郎、情報高すぎだろ。5万も取られたぞ」
リンは笑い出した。「ボッタクリ?嘘でしょう? 彼があなたに無料で情報をあげたんじゃないの?」
「タダでくれたって… あいつの言ったこと、聞いてたろ? 売れないからくれたんだって」
マイクは照れ隠しのように文句を言った。アカアリが好意で情報をタダでくれたとは思えなかった。しかし、裏社会の情報商売においては、売れない情報はむしろ邪魔になる。それを警察に流すことで、アカアリはマイクとの関係を良好に保とうとしているのかもしれない。
リンは笑みを浮かべて話題を変えた。「そうだ、ジェシーって綺麗らしいじゃん」
「綺麗?」マイクは少し驚いた顔をした。「……俺の隣にもいるけど」
リンはわざとらしくため息をついた。「あはは、皮肉かよ。でも、綺麗なら、情報聞き出しやすいかもね」
マイクは照れながらもハンドルを握り直し、アクセルを踏んだ。車窓の外の景色が流れていく。ジェシーから、カイの居所や今回の事件の詳細を引き出すことができるだろうか。今後の捜査の成否は、ジェシーとの接触にかかっていた。