13 工場から脱出しました
「…女の勘?」
マイクは、リンの言葉を疑わしげに繰り返した。
冗談とも取れる言い方だったが、リンの表情は真剣そのものだった。
リンの勘を信じるマイクは、
「…わかった。ちょっと様子を見てみよう」
と、同意した。
マイクとリンは、そっと車から降り、駐車されていた黒の車の方へと近づいていった。
車内を覗いてみても、中には誰もいない。
トランクを開けてみても、特に怪しいものは見当たらない。
「…やっぱり勘違いだったか…」
マイクは、肩を落としてリンの方を見た。
剣持からも、
「…そろそろ戻るぞ」
と、声をかけられた。
渋々、車に戻ろうとしたその時だった。
路地裏の一角にある民家の一室の電気が点灯し、玄関のドアが開いた。
中から数人のがやがやと出てきたかと思うと、そのまま駐車されていた黒の車の方へと向かっていった。
その中には、なんと、あのカイの姿が紛れ込んでいた。
「…くそっ! こいつだ!」
マイクは、車から飛び出すつもりです、カイを逮捕しようと身構えたが、剣持に腕を掴まれて止められてしまった。
「…待てマイク! 相手は人数が多いぞ!」
剣持は、冷静沈着にマイクを制止した。
リンも、マイクの肩に手を置いて、
「…マイク、冷静になって。ここは無茶をするところじゃない」
と、宥めするように言った。
カイたちは、慌ただしく車に乗り込むと、部下の一人が重いスーツケースをトランクに放り込んだ。
どうやら、夜間に何かしらの重要な行動を起こす気配だ。
カイたちは、こちらに気づくことなく、急いで車を発進させた。
路地裏の暗闇に身を潜めていたマイク、リン、剣持の三人は、カイたちの姿を目で追った。
「…こっそり後をつけろ!」
マイクは、興奮気味に剣持を急かした。
しかし、剣持は落ち着き払った様子で、
「…あいつは用心深い。簡単には尾行させないぞ」
と、マイクを戒めた。
剣持は、車間距離を十分にとりながら、慎重にカイの車を追跡した。
しかし、すぐに察知されたのか、カイはわざと遠回りをするなど、執拗に後をつけられないよう妨害してきた。
しかし、T市の地理に精通している剣持は、巧みにカイの妨害をかわし、なんとか後をつけることに成功した。
やがて、車は市街地を離れ、郊外へと向かった。
辿り着いたのは、人通りの少ない寂れた一角にある、ひっそりと佇む機械加工工場だった。
工場の入り口付近には、数台の車が駐車されており、その中には、先ほど見たカイの黒の車も混じっていた。
剣持は、周囲の状況を窺いながら、車間距離を保ちつつ、カイの車の近くに駐車した。
車中で待機していたマイク、リン、剣持の三人は、息を潜めて工場周辺の様子を伺っていた。
「…誰もいないようだな」
マイクが、そっと車内を覗いて確認すると、剣持はゆっくりと頷いた。
堪えきれなくなったのか、マイクは車から降りると、そそくさとカイの車へと向かい、車内を調べ始めた。
念のため、他の駐車車両も一通り確認したが、いずれも人の気配はなかった。
工場の正面には、分厚い鉄扉が閉められていたが、その錠は開けられていた。
どうやら、カイたちは、この工場の中に姿を消したようだ。
カイたちは、間違いなくこの工場の中にいる。
緊迫した空気が張り詰める中、三人は、工場の鉄扉の前で立ち尽くしていた。
マイクは、そっと鉄扉を開け、工場内の様子を伺った。
しかし、視界に入る範囲には誰もいなかった。
不審を抱きながらも、マイクたちは工場へと踏み入った。
そこは、倉庫のようだった。
壁一面に棚が並び、その棚には機械部品らしきが入った箱が所狭しと積み上げられていた。
あたりには薄暗い明かりしかなく、辺りは静寂に包まれていた。
辺りを警戒しながら、マイクは棚の脇を進んでいった。
その時、前方から聞こえてきたのは、
「…よし… 品質は文句ないな」
という、聞き覚えのある声だった。
声のする方角に目を凝らすと、棚の隙間からカイの姿がかすかに見えた。
カイは、倉庫の中央にある広場で。
カイたち以外にも、10人以上の外国人らしき男たちが、カイたちと向き合うようにして立っていた。
会話の内容から、カイは、これらの外国人たちと武器の取引をしていることがわかった。
カイの側には、いつもの部下数名が控えている。
カイの目の前には、武器が入ったと思われる段ボール箱が置かれていた。
「…ヨーク、今回のは上物だな。だが、少し数は少ないんじゃないか?」
カイは、手にした拳銃やサブマシンガンを検品しながら、外国人のリーダー格と思われる男に話しかけた。
その男は、ヨークと名乗った。
コロンビアの麻薬密売組織「ルカス」の一員らしい。
ヨークは、
「…残りの9箱は、そっちの棚にあるぞ。で、約束の品は用意できたのか?」
と、怪しげな笑みを浮かべながらカイに尋ねた。
ヨークの言葉に合わせ、カイの部下の一人がスーツケースを開けた。
中から取り出されたのは、白い粉が詰まったビニール袋だった。
薬物だと、マイクは直感した。
受け取ったヨークは、中身を確認すると満足げな様子で頷いた。
「…これで残り9箱の武器を確認してもらっていい」
と、カイに促した。
マイクは、静かに剣持に通信機で応援を要請するよう合図を送った。
しかし、通信機を持った剣持は、険しい表情を浮かべてマイクの方を見た。
「…通信が入らない…」
マイクとリンも、慌てて自分の携帯を確認した。
やはり、電波が圏外だった。
通信手段を断たれた三人は、お互いにアイコンタクトを取り合い、工場からの脱出を優先する腹をくくった。
工場内に忍び込んだはいいが、思わぬ事態に巻き込まれ、窮地に陥ってしまったのだ。
最悪の事態を想定したマイクは、それ以上情報を収集するよりも、一旦離脱することを優先すべきだと判断し、リンと剣持に後退するよう合図を送った。
工場からの脱出を目指し、剣持が振り返りながら出口へと向かった時だった。
不注意にも、コーナーに置かれていた鉄バケツの上に積まれていた部品が、剣持の腕に当たって落下してしまった。
金属同士が擦れる音が、取引中の両者の注意を引いてしまった。
二人組の構成員がマイクたちを発見すると、間髪入れずにサブマシンガンを乱射してきた。
銃撃を避けるため、慌てて近くの鉄バケツや木製の棚に身を潜らせるマイク、リン、剣持の三人は、絶体絶命の窮地に陥った。
マイクとリンには、もちろん銃器など持ち合わせていない。
剣持は、携行していた拳銃を抜いて応戦しようとしたが、引き金を引く勇気が出ない様子だった。
自分たちに向かって迫ってくる二人組の構成員を見て、剣持よりも先に反応したのはリンだった。
咄嗟に剣持の拳銃を奪い取ると、リンは躊躇うことなく発砲した。
鋭い銃声が倉庫内に響き渡ると、一人の構成員が胸を押さえ、床に崩れ落ちた。
仲間の射撃が止んだかと思う間もなく、残りの一人がリンに向けて銃を撃ってきた。
リンは咄嗟に身を屈め、間一髪で弾丸を回避した。
しかし、その隙を突くように、ニヤリと笑みを浮かべたカイが姿を現した。
距離はあったものの、拳銃を構えてゆっくりとこちらに近づいてくる。
状況は極めて切迫していた。
残りの構成員が駆けつけ、三方を囲まれれば、マイクたちはもはや生きながら帰ることはできないだろう。
マイク、リン、剣持の三人は、互いの顔を見合わせながら、苛立ちと焦燥感に苛まれながらも、次第に冷静さを取り戻していく。
死の恐怖が迫り来る中、これまでの喧騒が嘘のように静寂が訪れ、三人の瞳には、覚悟の光が宿っていた。
一瞬の隙を見逃さず、リンは再び銃を放った。狙撃は成功し、もう一人の構成員も倒れた。
その時だった。
マイクが身を隠していた鉄バケツの真横へと、手榴弾が転がってきた。
絶体絶命のピンチ。ためらいの隙はない。
マイクは咄嗟に身を乗り出すと、手榴弾を拾い上げると、渾身の力を込めて、カイがいる方角へと投げ返した。
爆発!
辺りが閃光に包まれ、轟音が倉庫内を揺るがせた。
混乱に乗じて、マイクは叫んだ。
「…出ろ! 早く出ろ!」
リンと剣持を促すマイクの声は、焦燥感に満ちていた。
カイとその手下たちは、パニックを起こし、手榴弾を避けるために必死の行動を取っている。
この隙を逃してはならないと、マイクはリンと剣持を鉄扉の方向へと押しやった。
鉄扉へと駆け寄り、マイクは扉を勢いよく閉めると。
鉄扉からは、銃弾を跳弾させる音が激しく響いてくる。
「早く乗れ!」
剣持は、すでに車のエンジンをかけて待機していた。
二人が乗り込むと同時に、剣持はアクセルを踏み込んだ。
剣持は、アクセルを踏み込むと、車はその場を猛スピードで離れた。
後方からは、怒鳴り声と銃声が入り混じった音が聞こえてくる。
マイクは、後ろの座席で肩を大きく上下させながら、必死に息を整えた。
リンは、拳銃を握りしめ、固く唇を噛みしめていた。
剣持の顔は、青ざめていたが、ハンドルを握る手は決して緩むことはなかった。
三人は、互いに言葉を発することができなかった。




