1 裏切りの終焉
店内は薄暗く、まるで昼の喧騒を遮断するように静けさが漂っていた。日本酒を注ぐ音が心地よく響き、会話の低いうなりと混ざり合って温かみのある雰囲気を醸し出していた。O市の活気あふれた一角にあるその日本料理店は、仕事帰りの客でにぎわっており、お酒もよく流れていた。
右奥寄りの中央には、一際存在感のあるテーブルが置かれていた。まるで王座のようにどっしりとした造りで、ほかのテーブルとは一線を画していた。
そのテーブルには、一人の中年男性がゆったりと座り、片手に酒杯を持っていた。彼の名はローエン。T市で二番目の勢力を誇るギャング組織“カール”の幹部だ。上品なスーツに身を包み、醸し出されるオーラからも一目見ただけで重要人物だとわかる。しかし、その気品とは裏腹に、鋭い眼光は時々店内をスキャンするように動いていた。彼の背後には、左右一人が立っていて、鋭い視線で店内を警戒する様子が窺えた。ボディガードに違いない。
突然、店の自動ドアが勢いよく開き、不穏な空気が店内に流れ込んだ。黒い服に身を包んだ二人組が入ってきた。不穏さの原因は、彼らが手にしているものだった。AK47と呼ばれる自動小銃。店内を見渡すと荒々しい声で怒鳴りつけた。「黙って頭を下げろ! 動くな!」
客たちは恐怖に震え、言われた通りに頭を下げた。中には顔を覗かせる者もいたが、震える手で口元を抑え、必死に音を立てないようにしていた。しかし、そんな中の一人、ローエンだけは堂々と正面から二人組を見つめていた。何事にも動じない、肝が据わった態度だった。
その時、黒いウィンドブレーカーとサングラスをかけた30代くらいの男が、悠然と店に入ってきた。彼はどこか落ち着き払った雰囲気を漂わせており、店内をゆっくりと見回した。そして、先ほどローエンの視線を浴びていたローエンのテーブルにまっすぐ向かうと、すっと椅子を引き寄せて腰を下ろした。そして、サングラスを外すと挑発的な視線でローエンを見つめた。この男こそ、同じくカールの幹部を務めるカイだった。
「……カイ、一体何のつもりだ?」ローエンは不快そうに口を開いた。カインとの間には、常にピリピリとした緊張感が漂っていた。お互いに出世を競い合い、情報戦も繰り広げていた。だが、ローエンはそれを裏切りとは考えていなかった。
「ローエン、裏切りは一番嫌いなんだろ」カイは声を荒げて叫んだ。その場にいた全員が息を呑んだ。ローエンでさえも、一瞬言葉を失った。
ローエンはカイに薄く笑みを浮かべた。しかし、それは決して本心からの笑みではなかった。むしろ、カイの言葉の裏に隠された真意を探ろうとするかのような、探りを入れるような笑みだった。
カール内での情報戦や競争を裏切りと呼ぶのかどうか、ローエンには今ひとつピンとこなかった。同じ組織内での競争は黙認されており、それが裏切りかどうかはグレーゾーンだった。まるで、会社での同僚同士の競争のようなものだ。もしケイがこの競争が裏切りだと言うなら、ローエンとカイは何度も裏切った。だから、ローエンはカイが言う“裏切り”の詳細を待っていた。
しかし、ローエンは知らなかった。カイが言う“裏切り”とは、ローエンがT市最大のギャング組織“康九”にカールの情報を売り渡したことを指していたのだ。これはカールの裏社会でのビジネスに多大な損失をもたらした大問題だった。
もちろん、カイはローエンを陥れようとしている。カイはテキストゲームをしています。彼はローエンがすぐに反論できない、逃げられない言葉ではなく、抽象的な言葉を使っています。組織内でのメンバー同士の競争はある程度認められている。しかし、組織の利益を裏切るような行為は絶対に許されない。そのような裏切りが発覚すれば、組織の上層部は躊躇なくその者を抹殺するだろう。
だから、誰もが“組織の裏切り”という罪状を背負いたくないのだ。裏切りが事実となれば、死が待っているだけだからだ。
ローエンは今、緊張と警戒感に包まれていた。不用意な発言が命取りになりかねない状況だった。彼は沈黙し、まずはカイの次の行動を観察しようと考えた。
苛立ちが込み上げる中、沈黙が張り詰めるばかりだった。説明を待っていたローエンだったが、カイはただ不敵な笑みを浮かべるだけで、説明する気配すら感じられない。ローエンのボディーガードはカイの態度が傲慢で、彼のボスのローエンを少しも尊重しないのを見て、思わずカイに叫んだ。
「カイさん、あなたはここで騒ぎを起こすつもりですか?」
しかし、その言葉は不吉な前兆となった。不意打ちのように、ボディガードの頭部が机に押し付けられる。瞬きする間もなく、鋭い刃が眼前をよぎった。ローエンのボディガードは、悲鳴すら上げられずに絶命した。
ローエンは自分の右横に倒れる部下の様子を、まるで時間が止まったかのように茫然と眺めていた。鮮血が光る刃を拭いながら、カイは獲物を狙う獲物のような視線でローエンを見た。
「裏切りの結末だ」
簡潔だが、重くのしかかる言葉。説明は一切ない。ローエンには、この沈黙劇の恐ろしさがあまりにも鮮明に理解できた。説明もないまま、ローエンが今の状況を組織内の個人的な争いと誤解し、焦りから「裏切りの意味」を吐けば、カイはそれを裏切りの自白として利用するつもりなのだ。そうすれば、上層部に「ローエンが裏切った」と報告し、自分が正当な処置を取ったと主張できる。
しかし、ローエンが真実を説明すれば、上層部は必ず裏切りの有無を調べるだろう。真偽が明らかになるまでは、誰もローエンに手出しできない。
だが、絶望的な状況だった。AK47を持った男が二人もいる。ローエンには逃げる術も、自由に話すこともできない。沈黙するしかない。どんな言葉も裏切りを認めるかのような響きを持ってしまう。罠だ。ローエンはカイが彼に仕掛けた罠だと推測した。組織は、内部抗争による私刑を禁じている。明確な裏切りの証拠がない限り、殺害は許されないはずだ。
しかし、ローエンはカイの野望を見誤っていた。カイは常に傲慢であり、今回はローエンを陥れることに固執していた。ローエンがレストランから出ることも、真実を語ることも許さない。ローエンが裏切りを否定しなかった。沈黙は、ある意味で肯定と同じだ。カイは、上層部の咎めを逃れるための口実を手に入れた。
不敵な笑みを浮かべると、カイはゆっくりとローエンの左隣に回り込んだ。ローエンは咄嗟に動こうとしたが、身体が言うことを聞かない。恐怖が全身を駆け抜け、指先の震えが止まらない。そして、電光石火の速さで拳銃を取り出し、ローエンに向けて引き金を引いた。銃声が店内に響き渡り、ローエンの意識はゆっくりと遠ざいていった。
発砲音とともに、店内が一瞬血に染まった。悲鳴を上げることもできず、ただ床に伏せてやり過ごすしかない。客たちは恐怖で震え、カイに少しでも目を向けようものなら命がないと直感していた。
ニヤリと笑みを浮かべたカイは、サングラスをかけた。そして残された客たちに向けて、皮肉めいた口調で言った。
「すまないな、皆さん。…どうぞ、お食事を続けてくれ」
何事もなかったかのように、カイは部下たちを従えて悠然と店を出て行った。残されたのは、血の海と、恐怖に打ち震える客たちだけだった。
銃撃事件は瞬く間に街中を駆け巡り、O市警視庁にもすぐさま情報が入った。今回の捜査を担当するのは、実績のあるコンビ、マイクとリンだ。
マイクは28歳。一見シニカルで無精に見られがちだが、根は優しく仕事に対しては責任感が強い。勘が鋭く、取り調べにおいても巧みな話術で容疑者の心を開かせるのが得意だった。相棒のリンは26歳。ショートカットの髪型からはラフな印象を受けるが、実態は非常に几帳面な性格をしている。現場検証においては微細な証拠も見逃さず、分析能力にも長けていた。
二人は現場に急行し、鑑識作業の様子を静かに見守っていた。現場検証の結果、被害者はローエン、T市のギャング組織“カール”の幹部と判明した。状況的に、ギャング同士の抗争による粛清と推測された。容疑者として浮上したのは、ローエンと同じくカール幹部だったカイだ。
しかし、カイはローエンを射殺して以降、姿を消していた。警察はいくら捜査網を広げても、カイの足取りを掴むことができない。事件は膠着状態に陥っていた。
「チッ、まったく手が出せねぇな」
マイクはため息をつきながら、事件ファイルをめくった。眉間にしわを寄せ、現場写真を眺めていたリンが口を開いた。
「…情報屋にでも当たってみる?」
情報屋への協力を得ることは、警察としてもよくある手段だった。しかし、ギャングがらみの話となると、情報料も跳ね上がるだろうし、何より信用できる情報かどうかが問題だった。
「ああ、それも検討してみるか。だが、ギャングがらみの話となると、情報料も跳ね上がるだろうな」
マイクは眉一つ動かさないが、内心は少し躊躇していた。リンはそんなマイクの様子を見透かすように言った。
「仕方ないでしょう。手掛かりがないよりはマシです。それに、ギャング同士の抗争なら、情報が漏れる可能性も高いと思います」
リンの言葉に一理あると考えたマイクは、渋々ながらも情報屋への連絡先をリストから探していた。情報屋への協力を仰ぐのは、警察としても最終手段の一つだった。