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【短編読み切り】浮かべた空は何よりも 約9000字

作者: 38ねこ猫

え?私もうすぐ死ぬの?

余命宣告を受けました。

あなたが取る行動は?

どうしてこんなに広いんだろう。


抜けるくらいの青空には雲がなかった。青の濃いとこ薄いとこ。それしか目に映らなかった。ならいっそ、僕も吸い込んで欲しいとさえ思う。


庭の木も、芝生も、太陽の光によく映えて萌黄色の鮮やかなこと。


空気は暖かくて、ただじっとベンチに座っていた。

僕の反対側のベンチの横には、アジサイが咲き始めている。


「もうすぐ時間です。」

その声と、トンビの鳴き声が重なった。


…亡くなった。

もういないんだ。


お通夜も一緒にいたけど、なんか、嘘みたいって思って。でも、もう。


「足から順番に拾って骨壷に入れていきます。」

本当にいないんだ。




骨って、こんなに真っ白なんだ。

小さい。

こんなに小さかったかな。




ずっと一緒にいた滝川…旧姓で堀越結衣は、僕の親友だった。恋人よりも近くて遠くて。




近寄りたくない現実は、思っているよりも近くにいるんだって、あっさり認めるより他無かった。





滝川さんと結婚する。


そう僕に報告する結衣は、とても幸せそうだった。

結衣も滝川さんも市立小学校の教員で、小学校こそ違うが度々、研修で一緒になるうちに交際するようになったそう。


「でね、結婚したら犬飼いたいって。滝川さん。困っちゃうよね。私、猫派なんだよ。」

結衣は僕が夕飯の焼きうどんをちびちび食べている部屋で芋焼酎をお湯割りで飲みながら楽しそうに笑う。ソファーに体育座りしながら。

「どっちも飼えば?」

「…だからさ、晴って、なんでそうなわけ?無理だよ。どっちもは。」


小学生の時、僕の父親は結衣の母親と再婚した。

僕と結衣の気持ちは複雑で、まずはお互いがどんな人物なのか分かりあうために毎日話をした。


結衣はホラー映画が嫌いで、ディズニーが好き。餡子が苦手で、黒蜜は好き。病院が嫌いで、学校が好き。スイカが苦手で、いちごが大好きだった。

僕は、花が好き…それ以外に好き嫌いはこれと言ってなく、ただ、父と義母の今を受け入れるには抵抗があり、親たちとは口を聞かないと結衣の前で断言し、家庭の中で孤立しようとしていることに気づいたのか結衣は僕にずっとべったりくっついていた。



「ま、でも。結婚良かったね。」

「うん。」

「ふふ。」

「はは。」


そんな話をしたのは、つい3年前のこと。


ウエディングドレスを着た結衣は、ずっとずっと幸せに見えた。

ボルゾイって言う、真っ白くてデカイ犬も飼って、滝川さんとは絵に描いたように仲が良い。



僕は少しだけ寂しい気持ちにもなったけど、結衣は僕より数ヶ月だけ生まれるのが早かった同い年の義理の姉だし、幸せそうにしてるならって思って、そんな気持ちはどこかにしまっておくことにしていた。






火葬場から葬儀場へ戻る時、葬儀場から来た道は戻らない。

僕は、結衣の遺骨を膝に乗せて、バスの窓から見える景色を少し懐かしんだ。

結衣と一緒に自転車で通った中学校が見えたから。

「ありがとう。晴くん。」

喪主の滝川さんは位牌を持っている。

「いえ。このくらいは。」

「晴くんの話をする時の結衣、すごく楽しそうだったんだ。病院でも。あ、お見舞い、必ずお花持ってきてくれたよね。喜んでたよ。…ありがとう。」

「…いえ。そのくらいは。」

僕は少しだけ滝川さんが苦手だった。僕たちより8つ年上。嫌な人ではないけど、いかにも先生な感じ。取って付けたような褒め言葉。上部だけじゃんって…悪口しか思い浮かばない。


窓から見える景色。

僕の職場のホームセンターが見える。園芸コーナーの花の苗を買って庭に植えるのが僕の趣味。







去年の春。

最近結衣がよく転ぶと、滝川さんが実家に遊びに来た時に両親に話していた。

両親はその話を、もともと結衣はドジな子だからと、受け流すように聞いていて、僕は少しだけ心配な気がした。


廊下の窓の外には小さな庭。趣味で花壇を作り花を植えていた。


結衣が座って外を眺める姿は、子供の頃から変わらない。隣に座るとこちらを見て目を細める。


「お花、タネから咲かせたの?」

「まさか。苗を買って植えた。うちの店の。」

「へえ。晴はお花好きだねずっと。」

「なんか、かわいいから。」

「へえ。」

立ちあがろうとしてふらついているのが見えた。頭を抑えるのが気になった。

「頭痛いの?」

「違うよ大丈夫」

「よく転ぶの?」

「うん?なんで?」

「滝川さんが心配してる。」

「…サンとお散歩してる時たまたま…。」

「サン?」

「うちの犬。男の子だから、サン。」

「ふーん。」


結衣はもともと貧血のある体質だった。


小学校の修業式で突然、隣でしゃがみ込むから僕は驚いた。ふざけてるのかなって思ったら顔色が悪くて汗が吹き出してきて。どうしたの?って聞いたら、前が見えないって。先生が駆け寄ってきて、一緒に保健室に連れて行った。ベッドに横になっている結衣を見て、このまま死んじゃうんじゃないかって不安になっていたら、保健室の先生は貧血だねって。僕はよくわからなかったけど、なんか可哀想だなって思ったのを覚えている。


「病院、行きなよ。」

僕が言うと

「いやだ。」

病院嫌いの意地っ張りは健在で

「大変ことになる前に治しなよ。」

「病院はコンビニじゃないんだって言われたくないの」

変な屁理屈を言ってくる。

「知らないよ。」

「何が?」

「…死んでも。」

「大袈裟だよ、晴。」

「葬式、行かないよ。」

「何それ。来てよ。顔の周りにお花飾ってよ。晴、お花のセンスいいし。だからさ、私に似合うお花ちゃんと選んでくれそう。」

「バカ。」

「なんで?バカって言う方がバカなんだよ。」

僕を見下ろしながら、その顔は優しく笑っていた。



病変なんて、普通に生きていたらやっぱりわからなくて、結衣自身もこの時は自分に何が起きてるかなんてわかってなかったみたい。






遺影って、なんでこんなに良い写真なんだろう。


祭壇に並んだ遺骨、位牌、遺影。線香の煙と、僧侶の読経。

結衣のクラスは3年2組。男の先生と一緒に20人くらいの児童も参列している。


全部、架空の出来事に見える。



目の前の現実なのに、僕は今夢の中にいるかのようで、滝川さんが喪主席でハンカチで目元を押さえているのもテレビドラマのワンシーンに見える。父も義母も瞼が腫れていて、義母が握りしめる数珠からギリギリ音がする。うるさいからやめて欲しいけど、娘が自分より先に逝ってしまったのだ、無理もないのだろう。


「それでは、ご親族様よりご焼香をお願いします。」


儀式的な進行に従って、席を立って祭壇の前に立った。






結衣が病院に運ばれたのは、それから2ヶ月後。体育の授業中、足がもつれ激しく転び立ち上がれなくなったそう。転び方が良くなくて骨折したらしい。

結衣にとって初めての入院生活を送ることになった。

捻挫以外にも耳を疑うことを聞かされた。


脳出血。


医師によれば、それは度々起きていたそうで、気づかないほどの症状だったそう。


「暇、ねえ、晴。暇なんだけど。」

喋る方にはなんら問題はなかった。

でも、右の手足には麻痺が残っている。

「それが一命をとりとめた人物が言うセリフ?」

「晴、私を説明しないで。」

「滝川さんは?」

「来るよ、毎日。ほら見て。差し入れだらけ。」

ベッドの横のテーブルには、ブドウ糖が入っているチョコレートのいろんな種類のものが並べられている。

「真面目だね、滝川さん。」

「うん。酸素と糖が必要だからって。」

右手をしきりに摩りながら話すのが痛々しい。

「だから早く病院に行けって言ったんだ。」

僕は少しだけ結衣を怒った。病気の発症は本人のせいではないことを理解した上で。

「貧血の時は、採血が怖くて病院に行かなかったね。」

「だって、…痛いじゃん。」

「虫歯の時も、音が嫌だって言って歯医者に行かなかったから、歯を抜くことになった。」

「あれは乳歯だったからセーフだよ。」

「僕の言ってる意味、わかってないね。」

少しだけ自分が苛立つ理由を探した。

行き着いたのは結衣が痛い目に遭うのが嫌だと言う気持ちだ。

「…怒んないでよ。」

僕が怒るとしゅんとしてしまうのが、結衣の子供の頃からのくせ。

「これあげようと思ったけど、やっぱり持って帰ろっかな。」

「え?」

僕が持っていったのはディズニーの絵柄の包装がついた棒のキャンディ。

「欲しい!」

「じゃ、約束して。ちょっとでも体が変な時はこれからは病院に行くって。」

「約束する。」

「どうぞ。」

「ありがとう。」

子どもみたいに笑う顔は、僕がずっと見てきた顔だった。


小、中、高…ずっと一緒に学校に通っていた。

高2で、結衣に彼氏ができるまでは。

僕にもその頃、彼女ができて。

休みの日は、別々に出かけることも多くなって、朝とか夜ご飯とかすれ違いになって少しだけ距離ができた。

結衣は気が強いから彼氏と喧嘩することもあったみたい。僕と彼女の関係を上手く行っていると決めつけて泣きながらずるいずるいって言ってきた。どうして?って聞くとただ泣くだけで、落ち着くように、ハチミツを入れたホットミルクを作ってあげた。

「晴のバカ。誰にでも優しくしたらだめなんだから。」

言われた意味がわからなかった。目の前で泣く子を放っておくのはなんとなくいけないような気がして少しだけ優しくしただけだ。

「彼氏、どんな人?」

「イケメン。」

「ふーん。」

「みんなに優しくするんだもん。私を放っといてるのに明日菜に、頭ポンポンしてた。」

「…誰?」

「あたしの嫌いな彼氏と同じクラスの子。」

「…ふーん。やきもちか。」

「ダメ?」

「複雑。」

「だから、明日菜の方が好きなの?って聞いたの。」

「結衣、大胆な。なんて?」

「明日菜と付き合うって。」

「しんど。」

「悔しい。二股じゃん?これ。」

「………で、泣いたのか。」

「悲しい。」

「そいつだけが男じゃないよ。乾杯しようぜ。」

「晴がバカで良かったよ。」

ホットミルクを入れたカップをカチンと合わせて、結衣を元気付けたつもりだったが、この日、実は僕も彼女と別れていた。

僕も泣きたかったからちょうど良いなって思ったんだ。

「結衣、きっともっと良い人がいるよ。…僕も別れた。」

大声で泣く結衣はきっと僕の分まで泣いてくれているんだと思ったら僕はあまり悲しくなくて、寧ろ、清々しいくらいだった。






僕が結衣の代わりに泣いたのは、後にも先にもこの時だけだったことは誰にも言わないつもりだ。


退院してから3ヶ月後。


目が見えづらい。頭が毎朝痛い。

そう思って眼科に行ったら脳神経外科の受診を勧められてたそうだ。


脳に腫瘍があり、取ることは不可能。


そう診断されたそう。


それを話してくれたのは土曜日の夜で、僕は夏の処分品の線香花火を買い、家に持ち帰って1人で楽しむつもりだった。

滝川さんが実家の用事で泊まりに行っているからと、結衣がサンを連れて実家に泊まりに来た時だった。


花火やる?って聞くと大きく頷くから、蚊取り線香とライターと線香花火を持って庭に出た。

ひまわりの首が垂れ下がり、夏が終わるのを知らせている。

線香花火の火玉が少し大きく丸まって火花をジジっと散らす時、結衣がゆっくり話し始めた。


「え?何それ。」

「ん?そのままだよ。」

「滝川さんに言った?」

「うん。」

「なんて?」

「泣いてた。…かわいそうって。」


僕の線香花火から火玉が土に吸い込まれた。

「あーあ、晴。揺らしちゃダメなんだよ。」

結衣の線香花火は火玉が小さくなり最後の火花を散らし静かに火を消す。

「…そんな、冷静に聞ける話じゃないよ。」

「大袈裟だな。」

結衣は袋から、2本の線香花火を取り出して僕に1本渡してくる。

「ライター貸して。」

「花火どころじゃ…」

「…晴が慌てても何も変わらないんだから、花火やろうよ。」

結衣は、笑っていた。

自分の頭の中で大変なことが起こっているのに。

「専門的なことは、専門家に任せれば良いんだけどさ。専門家が、お手上げなんだもん。しょうがないよね。」

結衣はずっと笑っていて、でもそれは仕方なく笑っているのではないことはよくわかった。でも、僕には受け入れ難い真実で

「そんな、諦めないでよ!」

結衣の肩を掴んで、語気を荒げた。

「え?なんで晴が泣くの?」

「…死ぬってこと?」

僕の問いかけに結衣は表情を暗くすることはなかった。

「人間なんていつか死ぬじゃん。それが早くなっただけでしょ?」

「嫌じゃないの?」

「最期、苦しいのかなって思うと…まあ、ちょっと。」

「そういうことじゃない。まだ、やりたいこととかあるんじゃないの?これから先、まだまだ…。それが全部、未来とか全部…」


結衣が、僕の涙を指で拭う。

「未来のことなんか考えたことないよ。は、嘘だね。ごめん。考えて、考えて、私、やっぱり悔しくて泣いたけど。だけど、もう良いの。」


僕は結衣の手を握った。力を込めて震えながら。

「自分だけ、答え出すなよ。吹っ切れたみたいに。」

「私が死んだら悲しい?」

「当たり前だろ。」

「でも、それって失うっていう寂しさでしょ?」

「ずっと一緒にいたんだから、そうだろ。」

「それ、晴の都合だからね。」


僕のそばからライターを手に取って線香花火に火をつける。勢いのあった炎は火薬を丸め儚いオレンジ色になり。

「私、たぶん。」

「え。」

「…やりたいことは、全部やったよ。」

大きな火玉となる。

「蕾から牡丹。晴は、ここ。私も、ここが良かったな。」

線香花火の序盤。

「松葉。滝川さんは、ここかな。学年主任だし。仕事盛りだね。」

火花が激しく散る。

「柳……うーん。お義父さんお母さんかな。まあ、定年にはまだまだもう少し時間あるか。」

火の勢いは衰えて、火花が細い。

「散り菊。私はここ。」

菊の花びらが1枚ずつ散るように火花がパラパラと落ちていく。

火玉も小さくなり静かに火が消えた。


「考えてみたら、やりたいこと全部やってたの。」

結衣はゆっくり静かに話す。僕を落ち着かせるように。

「まず、1つ目のやりたかったこと。イケメンと一緒に暮らしたい。」

「は?」

僕が、冷めた顔をすると結衣は少し顔を赤らめた。

「ママレードボーイ。お母さんの部屋にあって。昔の漫画なんだけど、憧れちゃった。

私ね、不謹慎なんだけどさ、離婚したてのお母さんに、今度お父さんになる人はイケメンの子どもがいる人にしてって、言ってたの。

そしたらなんと!次のお父さんには晴がついてきました。」

「僕のこと、おまけだと思ってない?」

「うわ、自分のことイケメンだと思ってる。」

「バカ、思ってないよ。」

「バカはやめて。」

結衣が冗談ぽく笑うから釣られて僕も笑う。


「2つ目は、学校の先生。」

「叶ったね。」

「学校大好きだから、本当に嬉しかった。クラス担任は大変なんだなって、思ったけど…楽しい。」

「いいね。」

話を聞きながら、ひまわりを眺める。思い頭をぶら下げて暗闇に佇む。


「まあ、運動会はもう1回で良いからやりたかったし、あと6年生の担任もやってみたかったけど…。それは滝川さんに私の分もやってもらおうかなあ…と、思って…おります。」

「託すってこと?」

「うん。あ、3つ目は結婚は、晴より先に!」

左手の薬指にはめた指輪を誇らしげに見せてきた。

「絶対、絶対、晴に勝つって決めてたから。」

「…結婚に勝ち負けないだろ。」

「そだね。で、晴、結婚は?」

考えたこともなかった。

「考えてない。」

「ふふ。晴らしい。」

結婚を考えたことがなかったのは、隣にいる相手を結衣以外に想像したことがなかったから。

「…なかなか趣味が合う人がいない、かな。」

「そっか。お花ね。え?いるって絶対。頑張れ。」

「うん。がんばるわ。」

でも、自分の相手を探すことより、結衣のためにできることを探そうと思った。泣いてしまった以上、それが1番大事だと。


「結衣、僕にしてほしいことある?」

最後の線香花火1本ずつ手に持って火をつけた。

「お花…。」

「え?」

「晴の好きなお花いっぱいちょうだい。」

「…いいよ。」

2人とも火玉が途中で落ちて、花火会はあっけなく終わって。名残惜しくて手を繋いだ。


この時間が長く続けば良い。永遠に隣にいてほしい。

そう思うのは、この時、この瞬間だけだったのか、いやもっと昔からそうだったのか。

どちらにせよ、失うならいっそと頭をよぎったのは間違いなかった。

僕は汚い、と少し自分が嫌になる瞬間だった。





焼香の列は、思っていたより長かった。小学校の関係者が多くて、子どもたちも見よう見まねで結衣に手を合わせる。

弔辞には、3年2組の代表児童がお別れの言葉を贈ってくれた。大人のようにすらすらと読み上げていく。学級委員長のような優秀な児童なんだろう。結衣には自分の子どもはいなかったけど、子どもたちに囲まれる毎日は幸せだったんだろう。

短くはあるが充実した人生…そんな言葉が思い浮かぶ





病室はいつも明るい空気が漂う。

学校帰りの数人の児童が2人ずつお見舞いに来ていた。僕は休みの日に花を届けて、児童と結衣は花を囲んで写真を撮っていた。

「先生、いつ戻ってくるんですか?」

そんな質問は、僕が見ている限り毎回だった。結衣は少し困りながらも、元気になったらだよって明るく笑っていた。

僕はそんな様子を見ながら持ってきた飲み物を冷蔵庫に入れたりしていた。

「先生、早く戻ってきてください。」

児童が1人そんなことを言った。

引率の先生と一緒に帰る児童に手を振り、視界から児童たちがいなくなると少しだけ寂しい顔を見せた。


「みんな、帰っちゃったね。」

「待たれてるんだ、私。」

病気になってから、結衣が寂しい顔をするのを初めて見た。

「…私、幸せすぎるよね。」

「ん?」

病気で入院してるのに幸せって言葉が出てくるのはなんでだろう。

「うちの学校に来られて良かった。先生になれて良かった。私、子どもたちに会えて良かった。

入学式からずっと一緒だった。

あの子たちが、私、大好きなんだよ。

大好きって言わせてくれる、こんな幸せ、他にあるかな?無いよね。」

結衣の横に座る。

「…そうだね。奇跡じゃない?」

僕にしがみついて泣く。

結衣が日々を大事にしてきたことを感じずにはいられなかった。

「うん。奇跡だよ。」

涙を流して、それでも笑って。

僕は結衣が安心するように背中をさすった。もう少し、もう少しだけで良いから、結衣がまた学校に帰れるようにって願いながら。


夕方、庭に出た。沈んでいく夕日。

眺める横顔は今までに無いほど綺麗だった。

「ねえ、私が死んでも晴は泣かないで。」

そんなことを呟いた。

「いや、約束できないけど。」

「晴の泣いた顔、かわいそうだから見たくないよ。」

「…自分勝手だな。」

夕陽が沈んで空はピンクに青にオレンジに水色に…。

「ねえ晴、また会いましょうの時に贈るお花は?」


2人の影は長く伸びていた。





「結衣先生、さようなら。」

児童代表のお別れの言葉。

結衣の遺影は、変わらず笑顔だ。


滝川さんが声を殺して泣いている。肩を震わせて。

父も静かに。義母は、目に当てたハンカチをずっと外さない。


でも、僕は約束を守っていた。


朝、出棺する前には棺の中の結衣の顔の横にはダイヤモンドリリーを添えた。


だから、結衣との約束は絶対に破れない。

って。



結衣がいなくなって寂しいと思うのは僕の都合だから、寂しくないわけはないけど、悲しいとは思ってはいけないと自分に言い聞かせる。


結衣と僕は1番の親友。

長い時間、一緒に思い出を共有してきた。

残されたなんて思っていない。



告別式も三日七日法要も全て終わって、祭壇に飾った花が僕の手元にある。


「晴くん、最後までありがとう。これ、結衣から晴くんに。今しか渡せないから。」

滝川さんは、僕にそう言って封筒を渡してくれた。

「なんですか?」

「わからないけど、病院のベッドにあったんだ。」

封筒を開けようとする僕を滝川さんが、家に帰ってから開けたらと止める。

「晴くんにこんなこと言ってはいけないけど。僕ね、結衣については、晴くんに嫉妬してる。」

滝川さんのその顔は、いつもの先生らしさを失っていた。

「え?なんで今、そんなこと。」

「いや、寧ろ今だよ。」

「は?桂

「2人、血が繋がってないんでしょ。なのに姉弟って。もしかしたら、どっちかが、好きだったかもしれないし、結衣は晴くんの話をするといつも楽しそうだったし。なんか、大人気なくてごめんね。言っちゃえって気分になって。なんか、急に。」

はははって、照れて笑う滝川さんに僕はふふって笑った。

「ないですよ。結衣のことは好きだけど、女性だとは思ってません。姉って感じです。あ、空気ですね。」

「空気か。…もっと、嫉妬するよ。」

僕の言葉を深掘りしすぎてるなって思った。

滝川さんと初めてフランクに話せて、結衣が作った縁は続いていきそうな気がした。



持ち帰って飾った花はダイヤモンドリリー、勿忘草、青いアネモネ。

結衣を僕が忘れないというよりも、僕を結衣に忘れてほしくない、僕が結衣にまた会いたい。そんな気持ちで選んだ花だった。

生まれ変わっても、結衣と家族になれるだろうか。


もらった封筒を開けてみる。

子どもの頃、初めて撮った写真だった。

「なんでコレ持ってんのかな。」


裏を見ると


出会ってくれてありがとう、またね。


僕には勿体無い言葉だった。

僕たちが出会った理由はなんだったのかな。


涙が滲み始めるから、慌てて上を見る。


すぐに涙が引いてくれるから助かった。


廊下に出て、窓を開ける。

僕の植えた花が綺麗に咲いている。

風が優しく吹いて心地良い。


結衣を思い浮かべて顔を上げると星空が嘘みたいに綺麗だった。

失った人、残されたもの。

そう思って生きない選択が必要じゃないですか。

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