第998話 世界に踏み出す味覚たち
慌ただしい作業が続きながらも、なんとかリアルコラボの当日を迎えた。ここから数日、実際の店舗にて入賞者たちの料理が提供されることになる。
華々しく飾られたメニューの数々はどれも絢爛豪華に輝いて見え、よくあるイベント店舗とは見るからに一線を画している。
これが、気軽に食べられると思えば、並んでいるうちからテンションも上がるというものだ。
そう、既に会場には行列が作られ、イベント店舗の内外で待ち時間が発生していた。
これは、人気度の高さもさることながら、提供するメニューに問題があったと認めざるを得ないだろう。
いや、多様化するメニューによる合成時間の弊害は、材料の事前準備、いわば入念な下ごしらえと、最新設備の導入により強引に解決した。
しかし、それでもなお予想以上の待ち時間が生じてしまっている。それが、メニューの消化速度の問題である。
胃の中での消化の話ではない。一人が一皿を食べ終わる、スピードの話だ。
「まいったね、どうも。考えてみれば当たり前の話だ。生身の人間は、ゲームの中のように食べられない」
当たり前の、本当に実に、当然の話である。
カゲツほどとはいかないまでも、ゲーム内では皆、食事のスピードは現実と比較し数割高速化する傾向があるようだ。
空腹、満腹の概念が存在しないゲーム内では、どうしても無意識にそうなるらしかった。
そこを計算に入れていなかった分の遅れが、こうして行列となって顕在化している。
まだまだハルも、現実の商売は素人だということだろう。それが形になって突きつけられているようだ。
こうなってくると、ミナミの提出したアイスという形のメニューの優秀さが分かるというもの。
その提案者本人が、今ハルの隣にてフォローの言葉をかけてきてくれていた。
「しょうがないですよ、初めてなんですし。むしろ、初めてでこの程度の混乱ってのは上々ではないでしょうか」
「ミナミは慣れてそうだよね。まさか現地に来るとは思わなかったけど。普段も来てたり?」
「はあ、まあ、普段というほど経験はないですが。やるときは。どうせバレませんし」
「油断大敵だよ。……しかし、確かにバレなそうだね。いつもの憎まれ口はどうしたんだい?」
「勘弁してくださいよハルさん。裏ではこんなもんですって」
まあ、『キャラクター』として大げさな演出をしているミナミだ、普段からあの調子では、生きづらいことこの上なかろう。
本日はオフ(オフラインの意)として、真面目な社会人としての登場であった。
そんなハルたちは今、スタッフとして裏からこっそり、繁盛する店の様子を視察している。
「軽いメニューが多くなりがちなのは、なにもボッタくってやろうって意図ばかりじゃないです。回転率が下がると、パンクしちまいますから」
「それで量が控えめなんだね。単純に増やしてやればみんな満足、とはいかない訳だ。勉強になる」
「いや増やそうと思って増やしちゃえる人もそう居ないでしょうけど……」
妙に礼儀正しくなった本体のミナミはちらりと、奥に用意された『在庫』の山と、所狭しに増設された新装備へと目を向ける。
なんとか当日までに完成し最適化の目途もたった装置の数々が、次々と多様なメニューを吐き出している。
その中には華々しいメニューには乗らぬ隠された商品もたまに混じっており、ハルの苦労の甲斐を感じさせる。
注文の際に、ゲームのARメニューを店内で展開し、そこを経由して注文することで、落選参加者の作品も注文が可能となっていた。
どれも個性に富んでおり、食べられないことを惜しむ声も多かった。
そこで、実際にそれを拾い上げてしまうことが、必ずしも正解ではないしワガママなのは自覚している。
しかし、今回に関しては無茶を通したことに悔いはないハルである。
「入賞した君には、少し悪いことをしたかな。せっかく勝ち取ったトロフィーの、価値を下げるようなことをした訳だからね」
「いえ、そこは、主催者の意向が大事でしょう。多くの人にとっては、良い結果なんでしょうし。まっ、まぁ? 本音を言えば、ちょ、ちっとだけ悔しさあったりなんかしちゃったりしてぇ! ……ですね」
「……うーん、この不自然さ」
間違いなく本人ではあるのだが、どうも上手くスイッチを入れきれていないようだ。躊躇いが混じる、まるで他人が演じているかのような『ミナミ』であった。
「ハルさんは、本当にそのまんまですね」
「うん。まあ。もうずっとこうだからね、僕は」
「尊敬します、自然体のままあれだけのプレイを、いえ、それに収まらずにこんな偉業まで」
「そう手放しに褒められてもね……」
「ファンなんで、自分」
嬉しいは嬉しいが、反面申し訳なさも出てくるハルである。
ハルにとって、これが『自然体』かといえばそうとも言い切れない。実際、嘘の自分という訳ではない。ただ、演技している部分がないとも言い切れない。
こうして自分自身を常にどこか冷めた目で俯瞰している自分も居る以上、ハルの自意識という物は定義が難しい。
とはいえ、そんなハルの事情をミナミに話しても詮無いことだ。彼はそもそも、ハルの秘密を知りはしない。
「その君が、今日はどうしてわざわざここへ? 別に、ただ僕に会いに来たって訳でもないんだろう、ファンとして」
「その気持ちももちろんあるんですが、そっすね、一応仕事です。色々聞いてこいって言われてますね」
どうやら、いよいよ話が大きく動き出すようだ。ハルの『ゲーム』は、むしろここからが本番。
ハルとカゲツの作り上げようとしているヴァーチャル世界の味覚データベース。そして、それをリアルへと出力するシステム、加えてその為の新たな装置。
それらを巡り、『大人達』の目論見も着々と動き出そうとしているようだった。
◇
「とりあえず、なんか食べながら話そっか」
「あ、はい、じゃあ俺はコーヒーを……、ってハルさんカツ丼っすか!?」
「いいツッコミだ。調子が出てきたじゃあないかミナミ」
「いやぁ……、今のはナチュラルに出た方のツッコミと言いますか……」
どうせなのでケイオスの作品である三色カツ丼を近くの専用マテリアライザで合成し、それを食べつつミナミと話すことにしたハルだ。
どこの世界に大盛りのカツ丼食いながら商談する奴が居るのか、とミナミも呆れ顔である。居るところには居るだろう。やはり根が真面目だ。
実際に目にすると確かにそのボリュームによるインパクトは大きく、カツの一切れ一切れに迫力がある。
これは、優勝にかける気合がそのままボリュームにも表れてしまった事が感じ取れるというものだ。ケイオスらしい。
こんな物ばかりが出ていれば、なるほどそれは店の回転率も落ちるというもの。子供でも分かる理屈というものだ。
「ふむ? こうして食べていては話が進まないから、普通の商談ではカツ丼を食べないんだね」
「それは別にいいんですけど、ハルさん見かけによらず食べるんですねぇ」
「ん? いや、僕は元はプレイヤーというより技術者だしね。食べようと思えばいくらでも食べられるという事を、こうしてアピールしているという訳さ」
「いや答えになってないっす……」
ゲーマーだから食が細いと思った、という意味でもないようだ。線の細いハルなので、食も細いと思ったのだろう。
まあ、理解はしている。『技術者だから』が答えになっていないのも理解している。ハルなりのジョークである。
何のことかといえば、エーテル技術を扱うことに長けた者は、そうした体調管理も含めた環境操作だって行えて便利だ、という話である。もちろん、大盛りのカツ丼だって素早く消化できる。
今まさに周囲にある中での例で言えば、まだまだ暑い日の中でも快適に過ごせる空調制御。関係者以外の出入りを察知する警報機など、それらもハルの手による作品として目に見えず周囲の空気中に存在している。
前時代における『家電』に相当する物も、こうしたエーテルプログラムとして存在していることは多かった。
それらを自作できる技術者は、既製品を使わずに色々と便利な事が出来る、というパフォーマンスなのだ。
まあ、嘘である。せっかくなのでケイオス作のカツ丼を実際に食べてみたかったというだけである。
「それで、なんの話だっけ?」
「えっ、あっ、そ、そうでした。あれ何を言おうとしたんでしたっけ……? こ、これが、ハルさんの商談術……、すっかりペースに乗せられてしまった……」
「いや違うが……、すまない、ふざけ過ぎたようだね……」
どうやら普段からボケの蔓延する環境で過ごしすぎたらしい。ツッコミ不在の状況で、あまりボケてはならない。ハルは反省した。
反省ついでに、予想されるミナミの提案についても先手を打ってしまうとしよう。
ミナミの、いや彼のバックに居る者たちの求めることについては大方予想できる。イベント展開、特にヴァーチャル寄りの展開を重視しているはずだ。
もしかしたら今のようなリアル展開も視野に入れているのかも知れないが、メインはヴァーチャルのはずだ。
その為に使う、味覚データベースの提供を求めてきたと見てほぼ間違いない。
色々と、使い道は多そうだ。今後の活用の仕方によっては、十分にコストも回収可能だろうとハルも思う。
例えば、ミナミのようなキャラクターを演じている者達を大勢集めて、ゲームの枠に縛られぬ料理イベントを独自に展開したりだとか。
どうしてもカゲツのゲームの枠内だと不自由も多く、また一般ユーザーとの同卓も避けられなくなる。ミナミの様にフットワークが軽い者ばかりではない。
そうした接触が出来ないキャラクターであっても、自社システムであれば気軽に参加できるだろう。
まあ本来は、ミナミを通してなど行うべきでない交渉だが、これはハルが『子供』だからだろうか。
そこに少し引っ掛かりを覚えはするが、とはいえ記念すべき第一歩だ。彼らの今後の活用法を、楽しみに見守るとしよう。




