第992話 究極の贅沢を万人に
ソフィーに最高の一皿の提出を求めると、彼女にしては珍しく恥ずかしがって、少々渋りながら作品を提出してきた。
こんなに自信なさげな姿を見せるのは普段無いことだ。いつだって前向きで、向かうところ敵なしのソフィーとしては見られない姿。
自信満々に生肉の盛り合わせを出してきてもおかしくないと思っていたハルなので、こんなことに何だか安心する。
しばらくそうして可愛らしくもじもじしていた彼女だったが、意を決しての提出をついに決意したようだ。
「……こうしてても仕方ないよね! はい! これどうぞ! 当店の、自慢のメニューです!」
「ありがとう。頂くねソフィーさん」
「おや? これはぁ」
「うぐっ……、そ、そうだよっ……! 今他のお客さんに出してるのと、同じメニュー、です!」
「カゲツ。あまりソフィーちゃんをイジメないの」
「申し訳ございません~。イジメたつもりはありません~」
「なんでかカゲツは無意識に威圧しているように見えるんだよね」
何故だろうか。こんなにおっとりしているのに。ソフィーも、不手際を責められているように感じてしまったようだ。
まあ、彼女の場合はまず最初に自信の無さが態度に表れてしまっているのが大きいのだが。
そんなソフィーが出してきたのは、現在通常の審査員に振る舞っているのと全く同じ物。
そう言うと、まるで特別な一皿を用意できなかったかのように感じられるが、ソフィーの求めた店のコンセプトはそうではない。
全てが、最高の一皿。彼女の店では、客を問わず全て最高の一品でもてなすのだという気概の表れがこのメニューに溢れていた。
「これに関しては、僕らが間違っていたのかも知れない。客を選んで料理を変えるなど、もしかしたら料理人にあるまじき態度だったのかも……」
「……ハルさん、感化されとりますよぉ? 確かに、それが出来れば理想ですけどぉ。現実にはそう理想通りはいきません。材料に限りがあるのは、むしろリアルの方ですよ~」
「まあ、そうなんだけどね」
綺麗ごとで商売は回らない。理想論で経営はできない。
仮に今のソフィーと同じ手法で店を回そうと思ったら、何十頭も牛を丸ごと仕入れて、貴重な部位だけ取って他は廃棄しなくてはならない。
果たしてそんな店が、理想の料理店と言えるだろうか? 確実に、接客態度以外の部分に問題があるだろう。
「とはいえこの世はゲーム。このルールの中でなら、ソフィー様の仰ることが真実」
「そうだね。この世界においては、全ての客に平等に最高の料理を振る舞ってくれる理想の店なのかも知れない」
「うんうん! そうそうその通り!」
「しかぁし、この試合で評価されるのは、店の理念にあらず。ただ味のみが正義となりますぅ。ではでは、いざいざ実食。実食と参りましょ~!」
ついに食事にありつけるとあって、カゲツもテンションが上がってきたようだ。
言ってしまえばこのゲーム、このカゲツがただ『人間の味覚で美味しい物が食べたい』という一心で作り上げられたようなもの。
それをハルが経済的価値の出る形に味付けしはしたが、根底の部分にあるそれは少しばかりも揺らいでいない。
そんな、こちらも己の欲望をむき出しにしたカゲツを伴って、ハルは宮殿のごとき豪華な『ブース』へと案内される。
中へと入り席に着き、文字通り『空気が変わった』ことを肌で実感すると、すかさずソフィーがそこへお皿を両手に運んでくる。
鼻腔をくすぐる香ばしい香りに、否応なく食欲をそそられるハル。
カゲツなどは、周囲に憚ることなく舌なめずりなどして見せている。何だかんだ言いつつ、試食を大変楽しみにしていた彼女であった。
「うんうんうん、たまりませんわぁ、これは。お肉の焼ける匂い、ソースの甘い芳香。それらが渾然一体に混ざりあい、ブースの中に広がりますぅ」
「すっかり香りフェチになったねカゲツ」
「フェチではないですぅ。求道者なんですわぁ」
「フェチの人はみんなそう言う」
「むぅ~。まったく、誰のせいでこうなったのだと~」
危ない発言を口走ろうとするカゲツに、少々鋭く目くばせをするが、彼女も決してそれ以上は語らない。
何のことかと言えば、前作のカゲツにまさにその香りの暴力を叩き込んだのは、ハル本人だということだ。
当時はハルは『ローズ』として姿を偽っていたので、そこの話題を深堀されては困る。カゲツのちょっと危ない、反撃であり茶目っ気だった。
「しかし、この焼き加減、これはプリセットの焼き色ですね?」
「ぐぐっ、す、鋭いっ!」
「当然ですぅ。このゲームのことなら、隅から隅まで把握してますから。侮られますな?」
「だから威圧するなと……」
言外に、『減点対象だ』とその目が語っている。
初期設定のままの調理法を使ったら減点だと知って、放送を並行して見ている参加者の多くが、ぎくり、と身を強ばらせたことだろう。
このゲームでは調理の経験が浅い者でも問題なく店に出す料理を作れるようにと、肉体操作のアシスト機能が付いており多くの者がそれを使っている。
アシストに身を任せるままに作っていけば、それだけでプロ顔負けの料理を完成させる事が出来るので、それで満足している者も多いだろう。
しかし食べる側のカゲツは、決してそれでは満足しない。あくまでそのレベルは、最低ライン。
いかに一般的に優れて見えたとしても、『最低ライン』では評価の方も当然ギリギリ。
とはいえ手動でやったところで、アシストの腕を下回っていたら当然アウト。そんな、優しい顔に似合わず激辛評価のカゲツなのであった。相変わらずだ。
「私、こう見えてお料理にはうるさいので」
「いや知ってるけど」
「でも! 他は完璧だもん! 無理してそこを自力でやるより、お任せして他に力を入れたんだから!」
「……ええ。見てましたよ、ソフィー様の華麗な包丁捌き。おソースの方もしっかりと調合を頑張られましたんは、この香りで分かっておりますぅ」
まるでモンスターを退治しているかのような、ソフィーの派手な解体ショー。映像の派手さは味には関りがないとはいえ、カゲツはそこもしっかりと評価をしているようだ。
料理人顔負けどころか、全参加者を引き合いに出しても敵なしのその腕前。それは素早さによる効率のみならず、全て一ミリの誤差もなく均一な仕上げとしてメニューの平均化に貢献していた。
「その断面が織りなす舌触り、早く味わいとうございます。もう待ちきれません。ソフィー様、こちらのメニュー、題名をなんと言いますか?」
「うん! 私の最高傑作にして、当店の定番料理! その名も、『絶血のシャトー』!!」
「まぁまぁまぁまぁ! なんと心躍る響き! ではではではでは? そろそろお口に運ぶといたしましょーか!」
なんともソフィーらしい、強そうな響きだ。ところでどういう意味なのだろう……?
既にハルがそんな疑問を挟める雰囲気ではなく、二人はまさに臨戦態勢。ここはハルも、その味をもって答えを導き出すとしよう。
カゲツに続き、ハルもナイフをその手に取り目の前の肉へと滑らせていくのであった。
◇
「これは! この味はぁ~っ!!」
「うん。とっても美味しい。想像以上だよソフィーさん」
「やたっ!」
「冷静に言っている場合ですかハルさんー! ただのステーキ、言わば焼肉。そんな単純な枠に収まらぬ暴力的かつ理知的な味わいが、この肉の牢獄には捕われ詰め込まれているというのに!」
「牢獄……?」
何で牢獄なのだろうか。シャトーだからだろうか? 塔だったり牢獄だったり、肉も色々と忙しいものだ。
事前の辛口評価は何だったのか、いざステーキを口にすると、カゲツの表情は一転して甘々そのもの。
この料理と、それを拵えたソフィーの全てが愛おしいとでも言うように、言葉の限りを尽くして褒めちぎる。
確かに美味しい料理だが、その勢いに言葉を挟む隙を見失うハルである。
「肉質は柔らかでありながら、それでいてしっかりと歯を押し返す獣の歯ごたえ! ほぐれる繊維は藁のような雑な束にあらず、まるで絹糸のようにふんわり。ソースのほのかな甘みが絡みつくのは、一転して野生の力強さ。それでいて、一切の獣臭さを感じさせないのは徹底した血抜きの妙。これまさに、絶……、血……っ!」
「カゲツが嬉しそうで良かったよ」
もしや全員この調子で審査するのだろうか? ハルは付いて行けるだろうか?
なんだか料理の味とは別の所で、心配になってきたハルである。
「しかし、確かに凄いねこれは。こんなものが、通常攻撃として出されている店はそりゃ強いね」
「そうなんだよハルさん! そしてこれは、リアル展開の際にも、その、お、お得ですよっ?」
「……なんだいそのポーズは?」
「あ、アピールのポーズ?」
「……うん。頑張っているのは分かってるけど、味以外のアピールは受け付けないから」
「がーん!」
体を謎にくねらせて、何かを表現しようとしたソフィーのポーズ。残念ながら、何を語りたかったのは伝わってこないので、深くは突っ込まずにリアル展開について聞くことにした。
「それで、何がお得?」
「そ、それはですな! やっぱりコピー可能だって言うなら、最高級品をコピーしまくるのが人の夢だと思うの!」
「なるほど。一理ある」
「最高級レア部位を、無駄なく複製できることが、商業的強みにもなるってことですなぁ。これなら確かにリアルも含めて、一切の誇張なく『常に最高傑作』が提供できます~」
「でしょうでしょう!」
「まあ、それは他の参加者も、条件は同じだけどね」
「がーん! ハルさんが厳しい!」
「身内だし、それなりに」
とはいえ、そこまで含めて店のコンセプトなのだとしたら、恐れ入る。もっと考えなしで、本当にただの効率重視だと思っていたハルだ。これは謝らなければならないだろう。
現実では、こんなレア部位のみの提供などしていては、いったい幾ら払わねばこれを食せるものかも分からない。
それを、無駄を気にすることなく誰にでも平等に提供できる。それが、シェフソフィーの心意気。
その理念までも含めた彼女の思想に、心打たれた者も多そうだ。事前審査で稼いだポイントも含めて、このままストレートでソフィーが優勝か、そんな空気も流れ始める。
しかし、カゲツの、この食神の審判はそうそう甘いものではないのであった。
「その心根はとーっても素敵ですぅ。私もつい、感動してしまいましたぁ。……しかぁし、それと味とは別問題ですなぁ?」
「ぎ、ぎくぅ!」
「果たしてその立派なお題目に、味の方は追いついてらっしゃりますでしょーか?」
「カゲツ。また厳しいとこ出てるよ」
「……どーしても、おりょーりの評価に嘘はつけないんですぅ」
お前たちは最初から嘘がつけないだろうに、というツッコミはなんとか我慢するハルだった。
「ということは、まだまだ改善点があると?」
「はいなー。妥協たっぷりのこれを、量産して良しとするのは逆にソフィー様の高潔な理想に傷をつけますー」
「ふむ? そう言い切るってことは、ハッキリとした『欠点』ってわけだ」
「その通りですぅ。まずは、やはり焼きがどーしてもイマイチ」
「んー、そうだよね、やっぱり。アシスト頼りだもんね」
「落ち込まないでくらはい~。これは、舌触りまで計算に入れた素晴らしい切り口を殺してしまう雑な焼き入れのシステムに腹を立ててるだけなんですから~」
「だからといって、アシストはこれ以上強化しないからね?」
「そですなぁ。それからもひとつ。肉に、厚みが足りません」
「ぎっくぅ!?」
「……ソフィーちゃん、自覚あったんだ」
「だって、これ以上厚くすると、一頭から取れる枚数減っちゃうし……!」
効率を重視する心が裏目に出たようだ。ある意味そこで『ケチ臭い』判断をして、最高の贅沢などと語れない、ということだろう。
とはいえカゲツがここまで厳しく指摘したのも、ソフィーのステーキが非常に美味しかったからに他ならない。
逆に言えばそこを改善すれば、真に最高の一皿となる可能性を秘めていたということだ。
残念ながら、恐らくソフィーの優勝はなくなっただろう。
しかし、これにめげず、今後も彼女には頑張ってもらいたい。そんな、彼女のプロデューサーとしての身内びいきな思いで見送る、ハルなのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




