第988話 検証と実証の繰り返し繰り返し
食品を生成する装置。いわゆる『エーテルマテリアライザ』、その中でも『フードマテリアライザ』と呼ばれる設備は別に珍しい物ではない。
むしろ、どの家庭にもあり一般的に利用されている物だ。
忙しい者であったり、ものぐさな者は食事の全てをその装置で賄っている者もおり、またそれで健康的にもさほどの問題は出はしない。
特にゲーマーには、栄養補給をそれ任せにして廃プレイに没頭する者も多く居た。ケイオスなど、あれでもまだ自分で調理を頑張っている方である。
店舗経営している者でも、安価な所では全てのメニューを装置からの出力に頼っている店だって多かった。
「そんな従来の『プリンター』にあった問題点の、ほぼ全てを今回のコラボは解決したと言っても過言ではありません。まさに、夢の機能ですよ!」
店長が興奮気味にそう語っているように、俗称で『プリンター』と呼ばれるその装置には問題点も多い。
まずは何より、食品レシピの登録が非常に面倒。これが最大の問題だ。
小物やフィギュア、果ては家具や家までも、そうした物品のデータをマテリアライザに登録するのは意外と容易だ。中身が平坦で簡素な配列でも問題ないためである。
しかし食品となれば話は変わる。栄養素が平坦では健康上の問題を引き起こすし、味が平坦では食べた気がしない。食感が平坦では残念感が強い。
それを解消する為には、血のにじむような努力と、気の遠くなるような試行錯誤を経て、一品一品職人芸じみた丁寧さで登録していく必要があったのだ。
「私も登録にチャレンジしたことがありましたが、正直二度とやりたくないですね……、しかもそれだって出来が良いとは言えず……」
「一品完成させただけでも大したものですよ。レシピ登録者の方々の苦労には、頭が下がるばかりです」
「またまたご謙遜を」
これは謙遜でも嫌味でもない。ハルだって、よく生成機の世話になっている。まあ、主に作っていたのは栄養スティックばかりであるのだが。
その栄養スティックの味付けに使われていた技術がまさに職人技の極みとでも言うべき研究成果の結晶で、これこそが、ハルが元祖カゲツキッチンで使ったテクニックの元である。
食品メーカーの研究開発には、本当に感服するばかりだ。
「とはいえ、今回の技術はそんな方々に喧嘩を売るような内容でもあるのですけどね」
「それは、仕方ありません。新技術の発展の裏には、消えて行った既存技術がいくつもあります。エーテル文明が電気文明を駆逐したように。その時代の流れを掴んでこそ、一流の経営者と言えるでしょう」
勢いのある、自信たっぷりの発言だ。店長の若さが出ている部分も多々あるのだろうとハルは考える。
とはいえ、別にこれは彼が未熟だとか考えなしという訳でもない。一面では真実ではある。時流を掴み続けなければ、成功しつづけるのは難しいだろう。
しかし一方で、旧来の技術を大切に思い変化を恐れるのも、また自然なことで無視してはならないものだ。
急激すぎる変化は混乱を引き起こし逆に市場を停滞させる。そんな変化は、それこそあの大災害の時だけで十分だ。
「あくまで僕の技術で再現できるのは味だけ。栄養面では、既存の技術者の方々のお世話になっていきたいと思っています」
「……平気でしょうか? 利権団体からの、反発があるのでは?」
「まあその辺は、『親会社』が強い分野ですので。そっちに甘えようかと思います」
「おっと。なんとおそろし、いえ、なんとも頼もしいことですね! 当店も、融資の際には実にお世話に……」
「構わないわ? お母さまがヤバい人なのは事実ですもの」
「は、ははは……」
つい率直な意見が出てしまった店長である。娘である美月の存在を思い出し、慌てて弁解する。
まあ、この程度のことで月乃に告げ口したりするルナではない。むしろ、この中でルナが最も月乃に対して厳しい人間だったりする。
この周辺地域はそんな月乃のお膝元。金融業全般に強い影響力を持つ彼女に、このあたりの店の経営者は大抵が世話になっていた。
あらゆる距離を無にするエーテルネット全盛の現代でも、物理的な距離の近さと言うものは決して無視できない。結局、人間は肉体を持って生活するのだから。
そんな物質面においても革命をもたらすハルの新技術。
ハルがそちらの方面にも進出したことに、当の月乃は少々意外そうな顔をしていたものだ。
気持ちは分かる。ハルは電脳空間の専門であり、現実にはノータッチというイメージがあったのだろう。
「今回の技術、どこまで発展させるおつもりで?」
「もちろん、これで終わりじゃないよ。とはいえ、しばらくは様子見かな。話に出た、すり合わせもあるしね」
「歯がゆいですね。確実に世界が変わるというのに。しかし、仕方ないことですか。焦っても良いことはありませんしね!」
「まあね。あとは、無償で誰もが使えるようにはしたりしないつもりだ。僕らの収益にも関わる話だから、これは受け入れて欲しい」
「もちろん! いやしかし、この為にゲームその物は完全無料だったんですね。徹底的に計画された展開、お見それしました」
……申し訳ない。すごく褒めてもらっているのだが、実のところ全てがハルのその場の思いつきである。
もちろんそんな顔は見せず、『当然』といった顔のままポーカーフェイスを決めるハルだ。ハルのポーカーフェイススキルは、非常に高い。
店長は『料金が掛かる』という店にとってマイナスの発言を喜んでいるが、これも別に変な話ではない。彼はそれを支払えるからだろう。
となると、逆に払えない者と比較し優位に立てる。話題のゲーム内アイテムを提供できる店として、独自性を売り出せると考えているのだろう。むしろ無償技術にされては困る。
そんな、ここだけ切り取っても様々な思惑が渦巻く食品業界。
ハルたち一行はとりあえずその複雑さを忘れるように、生成されたお菓子へと手を伸ばす。最近はだんだんと発展してきたその味わいに、プレイヤーの盛り上がりも加速しているようだ。
そのとろける甘さに夢中になる一部女子を眺めながら、ハルもまたその姿に表情を和らげるのだった。
*
「いやー、食べましたねー。しかし正直、食感は今一つでしたー。要改善ですよーハルさんー。手を抜いちゃいけませんー」
「げっ。あれでもパイ生地なんかかなり頑張ったんだよ……?」
「積層レイヤーだからって、ほとんどコピペしたでしょー? 分かるんですからねー、そういうのー」
「カナリーちゃんはグルメだね」
店を後にし、おのおの感想を語り合うハルたちだが、そこでカナリーからは特にダメ出しをいただいてしまった。
そのあたりは、どうしても既存の病的とも言える職人芸に軍配が上がるだろう。
「どうせ、既存業界と住み分ける為に手を抜いたのではなくて? ハルはその辺、甘いのだから」
「そうなのですか?」
「別に、そんなことないさ。面倒なだけ。とはいえ僕としては、珍しい仕事なのは確かだね」
「……また誤魔化して。この人ね? 『誰がどれだけ被害を受けるか』も計算出来るから、あまり新しい産業には進出したがらないのよ」
「ハル君らしい悩みだねぇ」
「……そんな聖人じゃないよ。僕の頭は、都合の悪い情報は完全に無視したり忘れたり出来るんだから」
実際、そういった試算を出してしまうことはあるが、それら全てを直視していたら一歩も動けなくなる。
これは確か、以前アベルに語ったのだったか。『王になりたいなら適度な鈍感さこそ大切』。民の痛みを全て背負っていたら、確実に王が真っ先に潰れることになる。
まあそれでも、なるべく波風立てないようにと振る舞うのが、ハルの根底にある性質なのだが。
「まあまあ。そんなことよかさ? 今回のコラボって結局なんの為だったの?」
「分かっているでしょうユキ? リアルも交えての、味覚のデータ取りよ?」
「それはー、分かるんけどね? でもそんならさ、ゲームに無い食べ物でテストした方がいいんちゃう?」
「それが、どうやら違うらしいのよ?」
「そなんだ」
「そうなんだよユキ。まずはゲーム内味覚が、リアル味覚と比べて本当に正しいのか、これを確定させることが大切だ」
「数字の穴埋めパズルと同じですねー。一部でも数字が『確定』することで、連鎖的に次の数字も論理的に証明することが可能になりますー」
「すごいですー……」
もちろん数字パズルほど単純な話ではないが、やっていることの根っこは大差ないのもまた事実。まあ、少々パターンが膨大過ぎるか。
あとは結局、地道で泥臭い総当たり作業が最後には待っている。そして、そうした作業は神様の大得意分野だ。
「まさか、データ取りの為に闇鍋パーティーイベントを開催する訳にもいくまい」
「えっ? 楽しそうじゃん?」
「そりゃユキはね……」
「……楽しいか否かは別としてもね? 世の中には法的に食べられないものだってあるわ? しかし、『完全なデータベース』を謳う以上、そうした物のデータも含めないといけないのよね」
「矛盾! なのです!」
「その矛盾を解消するのが、論理的な証明なんですよー。まあ作ったところで、誰にも使われないデータが出来るだけなのですがー」
あまり乗り気ではないカナリーである。手を抜ける所はとことん手を抜きたいと顔に書いてある。
これはなにも、彼女が怠け者だからという話ではない。ユーザーから見えない部分は削って、その分のリソースを確保するということは重要なこと。
見えない所まで作り込む事こそ美徳とする考えもあるが、カナリーはリアリストだ。限りある魔力資源を扱ってゲームを作っていたというのも大きいだろう。
「だからカナちゃん、おぱんつ穿いてないんだ」
「そうですよー? どうせ見えないんですからー、削ったって問題ないんですよー?」
「穿こうよ……」
カナリーのゲームでは性的要素の排除の為か、自分達の気分の問題か、神のスカートの中身はシステム上決して見えない。
だがその一般プレイヤーに掛けられる制限の一切を序盤に取り除かれたハルは、当然スカートの中も見え放題だった。
今思えば、ハルに見せつける為にそうしていたと考えられなくもない。痴女である。
そんなカナリーも、当然ながら日本においてはきちんと下着を着用させている。ご安心いただきたい。
……余談であった。非常に、非常にどうでもいい話である。
「まあいいですー。どうせその演算するのは、カゲツとあとはエメあたりなんですしー」
「《ケンカ売ってんすかカナリー! 当然カナリーも手伝うんすよ! おらっ、その無駄に得たエーテルネット管理者の立場はハリボテですか! その能力を生かして、今こそ現場を救うヒーローになるんすよ!》」
「ハリボテですよー」
「《あっさりと認めたっ!?》」
「喋ってないで働きなさいー」
現在、日本からの情報提供を受けて、地獄の更新作業の真っ最中なエメである。
カゲツは何も言ってこないが、これはむしろ軽口を叩く余裕もないと言うべきか。
ハルもまた、管理者としての強みを生かして日本側のデータを編纂する役目でも担った方が良いだろう。
そんな、カゲツたちの努力によって、ゲームは更なる深みのある味の再現が可能となっていった。
その結果生まれた新たな料理を、また更に日本へとマテリアライズし持ち帰る。そのデータを更にフィードバックする。
そのループによって、次々とパズルの『穴』は埋められ全体像が明らかとなっていく。
そうして徐々に徐々に完成を迎えつつあるデータベースを使い、ゲーム内ではかつてない広範囲での食材を用いた、大規模大会が開催されようとしていたのだった。




