第986話 まだ見ぬ強敵へ備えよ
エーテルネットその物が持つ仕組みとしては、ただ『情報を伝える』それだけだ。
与えられた情報を他のナノマシンに受け渡し、それが特定の性質を帯びていた場合にのみ物理的な現象を伴って効果を表す。
世界には多種多様な情報が溢れており、そんな情報もすぐに、他のデータに上書きされて消えてしまう。
しかし、もしこの世界にエーテルネットを使う者が誰一人として居ないなら。
「まるで海の中を水が延々と巡るように、データは大きなうねりとなって延々と循環し続ける。発展性はないが、それ故に手間もかからない」
「確かに。これは日本じゃ、試したくても絶対に試せない方法だね」
しかし、それでもなお解せない点はまだある。そんな壮大な、エーテルネット亜種を展開していったい何を成そうというのか。
エーテルには、そもそも大きな欠点がある。大質量を動かすことが苦手だという点だ。
当然である。その正体はナノマシン、単体では微粒子に過ぎない存在だ。それが、苦手とはいえ目に見える力を発揮できているだけでも、大したものなのだ。
「セレステたちの目指しているシステムについては分かったよ。しかし、本当に実現可能なの? 惑星規模の開拓に必須な出力を得るのは並大抵のことじゃないよ?」
「そうね? そんなことが可能ならば、今の日本はもっと物流面で発達しているはずよ?」
「ハルもルナも厳しいじゃないか。流石、現役日本人だ。現実を知っている」
現代の日本では、物理的に大きな力を発揮させる場合は多くの場合が人工筋肉を利用した機構を利用している。
筋肉と名前はついておれど、見た目としては似ても似つかない。性質上、近しいというだけだ。
伸縮により力強く引っ張り持ち上げる力と、そこから一気に伸張することによる瞬発力。それにより、大抵の動作が実現可能だ。
筋肉と言う名に侮りを覚えることなかれ。前時代のエンジンや、モーターと同等の出力は生み出すことが出来る。
実際、現代の自動車だって人工筋肉で動いている。筋肉自動車だ。ついに筋トレは、自動車を動かす領域にまで至ったのである!
……まあ、そんな冗談はともかく。逆に言えばその程度が限度だった。その自動車も現代ではさほど使われていない。
前時代に多く見られた重機による大規模建築などは姿を消し、今は逆に小さな物を積み上げる形での建築が盛んである。
「まあ、そのテストも踏まえての実証実験だと思ってくれたまえ! なにせこんなこと、日本ではしたくても出来ないだろう?」
「まあ、そりゃあね。既にネットワークの大半が、生活に必要なデータで埋められている」
大規模実験の度に、それをいちいち消去させてもらっていては生活が成り立たない。
人々の現状維持を求める心が、これ以上の発展を妨げているのもまた事実ではあるのだろう。別に、それを悪いことだとは思わないハルだ。
だが、此処にはそれは無い。全てがまっさらな領域であり、リソースをどう使おうが自由。
それにより、まだ見ぬエーテルネットの活用法なども解き明かされる希望を秘めているのも確かであった。
「それにハル。このシステムが完成すれば、君はそれこそ『神』になれる」
「……意識拡張の処理領域拡張か。確かに有効だけど、それでも、きっとそこまで大げさな変化はないさ」
「そうかな? システム完成の暁には、この星全てが君の物になるに等しいのだよ?」
「……今だって持て余しているんだ。これ以上、意識拡張領域が広がってもね? それに、誰も繋いでいない領域なんて単に広いだけのワークスペースだよ」
最近はほぼ出番がない、ハルの意識拡張。自己の意識をエーテルネットそのものと同一化することで、人の身でありながら圧倒的な処理能力をわが物とする。
それも、日本人の繋いでいるネットであればこそ。彼らの使っていない処理能力を間借りしているからこそだ。
確かに、この星も含めて使用スペースが増えればそれだけ力も増すが、それは単純に二倍になったりしないだろう。
そもそも、二倍になったとして何をしろというのか?
「相変わらず、セレちんはハル君の為にお節介焼いてるんだねー」
「うむっ! 当然だろう。私はハルの騎士なのだからね。主の為に、日々奔走するのも当然のこと」
「相変わらず、騎士と言う割には裏工作が好きねぇ?」
思えば最初から、セレステは見かけによらず政治力に長けていた。勝つための準備は怠らない。
むしろ、今までの『星の為』という理屈は全て建前で、今のこの言葉こそが本心なのではないか? そう疑らずにはいられないハルだった。
「……まあいいや。この件はお前に任せる。好きにやれセレステ」
「もちろんだとも! 必ずや、君の期待に応えてみせようじゃあないか!」
「ハルさんもこの女に割と甘いですねー。どーせロクなことになりませんよー?」
「そっすよ! それに、ハル様のお役に立つって言うんならこんな事より家事でもしたらどうっすかこのニート! ごくつぶし! 本体はいつもお屋敷でごろごろして、ジャージでぐーたらしてるだけじゃないっすか!」
「おっとメタちゃん。言われてしまったね? 毎日ごろごろしていてはいかんらしい」
「ごろ♪ ごろ♪」
「メタちゃんを盾にするんじゃないっす!」
ごろごろと喉を鳴らすメタを抱えて、知らんぷりを決め込むセレステだ。ペットの飼い猫と同列で良いのだろうか?
そんな自宅警備騎士隊長も、裏では色々と働いていたようだ。それがこの先どのような結果をもたらすかは未知数だが、まあ見守ってやるとしよう。
そんなハルの思いに返事をするかのように、装置は、ぼこり、と生成した餌を海中に吐き出すのであった。
*
海底散歩から帰った一行は、その後は比較的のんびりと砂浜で過ごした。
ルナもアイリもさすがに疲れたか、最初のように水に入ってはしゃぐ気にはならないようだ。
ユキだけが元気に、海面を爆発させながらの水上走りの練習に励んでいた。
「しかし、気になりますね! これからどんどん、装置を増やしていくのですよね?」
「そうね? 神様の生産力だもの、惑星を覆うなんてのも大言ではなくて、なんだかすぐにでも達成してしまいそうね」
「ですね! みなさま、すごいですから! ……しかし、そうなるとどうしても、気になることが」
「他の神連中の反発ですねー」
「はい、カナリー様。邪神さまたちは、認めてくれるのでしょうか?」
「確かにね? 無味無臭とはいえ、自身の領域を浸食されるに等しいわ? 黙って受け入れるのかしら?」
この星には今も、各地に神々が散り散りになって点在している。
神界ネットで皆が繋がってはおれど、その一方でそれぞれが独立して自分の領土を守っている。
その物理的な領土に、風に乗って、また波に乗って、エーテルネットが浸透してきたら。その時彼らはどんな対応をとるのだろうか?
物理的に無害だからと無視するか。魔力を使ってその侵入を阻止するか。それとも侵略行為だとして『邪神』として逆侵攻してくるか。
そこが、まだ彼らの多くは知らぬハルには読めないところであった。
「なに、気にすることはない! 文句を言ってくる者は、返り討ちにして麾下に加えてしまえばいい。この、私のように!」
「……よもやそれが狙いなのではなくてセレステ?」
「そだねー。そうやって、私もまんまと捕獲された」
「君は君で、己の所業を棚上げするんじゃないよコスモス……」
ハンモックから、もそもそ、と起きだしたコスモスが輪に加わる。
確かにセレステの行いは、『ハルの為』をうたった自軍の拡張とも取れる。ジェードの警告した、善意による命令違反そのものだろうか?
確かに全ての神様を従えて制覇勝利してしまえばその後の面倒は考えずに済むが、果たして本当にそれで良いものか。悩みは尽きないハルだった。
「でも、備えは、必要。またどっかの神が、自分勝手な都合で暴れ出すかもしんない。そう、私のようにー」
「そうとも。平和な時こそ、軍備を備えておかねば」
「武神様は熱心だねえ」
まあ、理屈は分かる。ハルも戦略シミュレーションでは迷わずそうするだろう。
しかしどこかで、やはり皆を信じたいという思いがあるのは確かだった。ハルのそんな優しさによる隙をセレステが補ってくれているというのであれば、文句を言う筋合いはないのかも知れない。
「実際のところ、どうなのセレステ。コスモスも。外の神様たちの間に、何か不穏な動きがあったりする?」
「するよー。いつも怪しい。だいたい怪しい」
「それでは答えになっていないよコスモス。まあ、実際そうなのだけどね!」
「よー分からん連中ばっかりですからねー。まったく、何を考えているんだかー」
「あまり他の神様を知らないけれど、カナリーにだけは言われたくはないと思うわよ……?」
考えが読めない代表、かつ裏で動き回っていた代表のカナリーである。今のところ、彼女ほど明確に自分の望みを叶えた神様もいない。
そんなカナリーと同様に、神々はそれぞれ己の目的を持っている。
彼らが、周囲の被害を無視してその目的に向け邁進し始めたのならば、カナリーの時のように無事に済むとは限らない。それこそコスモスの時のように。
そう考えると、過剰とも言えるセレステの備えも、一概にやりすぎとは言えないかも知れなかった。
「……まあ、考えていても仕方のないことではある。魔力が増えれば、解決する問題なのかも知れないし」
「そうですねー。結局は資源ですからー、全員に行き渡るだけの量があれば、大抵の問題はなんとかなりますー」
「その為には、またゲームを作って、頑張らないといけないのですね!」
「そうだねアイリ。まあ、別にゲームじゃなくてもいいんだけどね」
とはいえ、これまでの経緯でも、ハルの得意分野で考えても、『次もゲーム』というのは丸いのだろうか。
ナノマシン同様に、魔力がこの星中を満たせば、それを巡って神様同士で争うこともない。
やはり、また何かの形で、日本の人々を巻き込んだプロジェクトを立ち上げる必要はあるのだろう。
その為の第一歩として、まずはカゲツの料理ゲームを仕上げねばなるまい。
休暇は終わり、明日からはまた運営業務に励むとしよう。ハルはそう決意し、今度は“本当に”水平線に沈み始めた美しい夕日を、皆と共に噛みしめるよう眺めるのであった。




