第985話 難題が解けないならば力技で
海底にてセレステに先導されて皆で並び、謎の機械を前にする。
こうして海の中で、特殊な装備も付けずに地上と同じようにして行動しているという状態。それはかなりの違和感を覚えるものだ。
特に、人間組はその感覚に慣れぬ様子を態度に出してそわそわしている。
しかし考えてみれば、ハルたちは宇宙でもこの体表に纏った環境固定装置の効果で問題なく活動していたので、今さら海中程度でどうにかならないのは当たり前と言えば当たり前であった。
「セレステ様。そのおっきな“きかい”は、いったい何に使うのでしょうか!」
「うむっ。お姫様には見慣れぬ物だろうね。これは、一言で言うならば『エーテル生成機』。更に正確に言うならば、その餌の生成機なのだよ」
「エーテルさんの、おやつですか!」
「うむっ。ちなみに、そこの『元エーテルさん』にやるおやつは無い」
「頼まれてもそんなん食べませんよーわたし」
先述の通り、ナノマシンであるエーテルの増殖には専用の栄養素が必要になる。これはエメでなくとも、人間が食べたところで大した栄養には成り得ない。
それもそのはず。これは自然界では決して生成されない形の有機物であり、当然ながら主食とするのもエーテルだけだ。
「わたくしも、頂いたことがあります! ですが、おなかが膨れても食事としての意味はないのでしたね」
「そうだよアイリ。まあ、体内のエーテルを共生関係の微生物と考えれば、必要な栄養素と言うことも出来るけど」
「ナノさんと、共生ですか。むつかしいですー……」
「ミトコンドリアのようなもの、ということね」
「むむむ! ルナさんの言うことも、むつかしいです!」
まあ、ファンタジー世界の住人であるアイリには理解する為の常識が追いついていないだろう。今はぼんやりとした認識で構わない。
このような形式になった背景には大きく分けて二つの理由があり、そのどちらもが自然界に多大な悪影響を与えない為の設計思想となっている。
一つ目。従来の物質をエネルギー源とした際、自然界の物質を無尽蔵に食い尽くして際限なく増殖を続けてしまう危険性の抑制。
世界中に拡散されたナノマシンが、大地を、住居を、果ては人体を食らって増殖する懸念。これはどうしたって不安として持ち上がる。
実際に、不可能ではない。ハルがその気になれば、人一人を内側から綺麗に消滅させることだって可能である。
そしてもう一つ。こちらの理由を認識している者はあまり多くない。エーテル増殖用の栄養素が、他の生物の栄養源となり生態系バランスを崩す危険性の抑制だ。
工業用の排水が毒となったり、逆に栄養価が高すぎて微生物が増殖し過ぎたりといったイメージで考えれば遠くない。
環境問題を置いて考えても、他の生物に餌を掠め取られる心配がないというコスト面でのメリットもあった。
「そして、この星でエーテルネットが流行らない理由でもあるのだよお姫様。多少広がっても、燃料が無いからすぐ死んでしまう」
「わたくしたちのお屋敷でエーテルネットが使えているのは、ハルさんがごはんを作っているからなのですね!」
「働き者の旦那様だね。私も誇らしい」
「セレステはもっと働きなさいー。この自宅警備員がー」
「はっはっは」
まあ、見えないところで彼女も色々と動いているのだろう。こうして今回の計画を進めていたり、対コスモスやリコリスの件でも世話になった。
そんなセレステや、マリンブルーたちも含めたであろう新たな計画。それはこの煙突のような装置を使い、この星にも広くナノマシン、エーテルを普及することなのだろうか?
「とりあえずセレステ、説明を。疑問点に関しては、後から聞くことにするよ」
「うむっ。任せたまえハル。ではまずこの装置からだね。といってもこれに関しては、私はさほど関知していない。基礎設計はマリンブルー、開発は当然、メタにやってもらった」
「にゃうにゃう!」
「メタちゃんはホントに何でも出来るねえ」
「なーう。なうん」
「セレステの手柄じゃないじゃないですかー。解散ー」
「まあ聞きたまえカナリー。このプロジェクトそのものの、発案が私なのだから」
つまり設計思想の部分がセレステの意思によるものだ、ということだ。まあ、重要な部分だと誇っていいだろう。そこが無ければどんな技術があってもプロジェクトはスタートしない。
「この装置の機能は単純。置いておくだけで、メンテナンスフリーで半永久的にエーテルの餌を吐き出し続ける」
「完全自動化だ。修理コマンドも、数が増えると手間が馬鹿にならないからね」
「そうとも、ユキの言う通り! 装置は当然この一基のみで全てを賄える訳ではなく、各地に多数配置する。故に、ハルも大好きな完全自動化が求められるのだよ」
「僕らは、数が少ないからね」
人並外れた処理能力を持つハルたちではあるが、かといって決してそれは無限ではない。
細々とした仕事、その一つ一つは問題にならないとしても、恒久的に必要な処理を増やし続けていってはいずれ破綻する。
人間であれば、他人に仕事を振る、という形で成立する簡単な問題も、神の間では難しい。
そして、この世界の人々に任せられる仕事でもない。そもそも、彼らはまず自分達の生活を安定させる事すらままならぬ身だ。
「ナノさんのごはんは、何を材料に作られるのでしょうか!」
「良い質問だお姫様。無から有は生まれない。かといって魔力を消費しては本末転倒だし、機械に魔法は使えない」
「魔力圏内、つまりハルとあなたたちの『領土』でしか使えない装置ならば、魔法で良いですものね?」
「流石はルナだ。先読みされてしまったか。そう、後述するがこの装置は、いずれ領土の外でも運用する予定だ。しばらくは、この周辺だけで経過を見るけれどね」
このような装置など無くても、エーテルの餌を生成する方法はある。そう、<物質化>だ。
それには大した手間もかからず、ハルが使う分のエーテルは全てこの方法で生産されている。
しかし、広範囲に恒久的に、となれば手間はもちろん消費魔力も馬鹿にならない。
星を覆う魔力の絶対量がまだまだ不足している現状、あまり余計な支出、固定費の増加は避けるべきだろう。
そこで考案されたのがこの機械式。物理的な処理のみで生成を完結させる、魔力的に非常にエコな装置なのである。
「さて、材料だったね。その材料は、なんと魚! ……という訳ではない」
「そうか。この海に魚の姿がほとんど見えないのは君のせいだったかセレステ。なんて酷い奴だ」
「冗談だからね!? ……こほん。材料はハルなら察していると思うが、海水さ。無尽蔵に存在し、しかも全自動で補給される。これほど適した素材が他にあろうか」
「しかし、効率その物はそんなに高くないのではー? そこそこ無茶な配列変換してるでしょー?」
「そこは仕方ない。何より運用に手がかからないことを重視した結果だ」
もっと構造的に近い物質を掘り当てて、それを元に生産する。そうすれば生産効率自体は大幅に上のはず。
事実、メタ本人はそうして近い物質を集めて効率的に変換することを得意とする。メタの工場は、そういう場所だ。
しかし、それには多かれ少なかれ、自分で材料を集める手間が掛かるのは間違いない。
その点海水が原料ならば、セレステの言ったように勝手に次々と流れ込む。多少の効率低下を差し引いても、この自然の全自動システムは魅力的だったのだろう。
「特に、エーテルネットが装置の周囲に構築されれば、そのネットも自動メンテナンス機構の一部となる」
「そこがエーテルネットの強みだね。装置本体に機能をそこまで詰め込まなくても、外付けでシステムを補完出来る。現に日本では、機器それ自体が持っている機能なんて微々たる物さ」
だが、ここで一つ問題が出てくることになる。その利便性は、エーテルネットが機能している日本での話だ。
もちろん日本のネットと繋がれば、この異世界でもエーテルネットの一部として問題なく機能はする。しかし、処理能力に関しては話が別だ。
エーテルネット内部における情報処理を担っているのは、ご存知、人間の脳その物。
全国民が接続することによって、その処理能力を拠出し合い、人口が増えるほど力となる。
しかし、その力もやはり無限ではない。己と全く関わりのない土地、しかも異世界に対して割く力など持ち合わせてはいないのだ。
誰しも、限りあるリソースは己や己の同胞の為に使いたい。
「……それでセレステ。肝心の自動化の為の処理能力、それはどうやって確保するんだい?」
「当然の疑問だね。それをこれから、説明しようじゃあないか」
さて、お手並み拝見といったところか。果たしてセレステは、この難問を、いったいどのように解決していくというのだろうか。
*
水の中を優雅に泳ぐ人魚のように、セレステは装置の周囲をくるりと漂う。ハルたちもそれに合わせ、海底をゆっくりと、装置を中心にして見学していった。
さほど大きな機械ではない。機能は本当に最低限、生産と、自己メンテナンスのみに振り切った構成なのだろう。
この機械にも勿論、エーテルネットを機能させる力などない。エーテルは『ナノマシン』と呼称されてはおれど有機物。基本的に、機械とはさほど高相性ではないのだ。
「結論から言えば、情報処理を担当する人脳に当たる機構は存在しない。色々と案は出たがね、全て廃案となった」
「どうせ、こっそり日本からリソースを間借りするとか、NPCにこっそりエーテルを感染させるとかー、しょーもないこと考えてたんでしょー?」
「ははは。バレたか。流石はカナリー。悪知恵に関しては右に出る者なしだ」
「……前者はともかく、後者じゃないの?」
さすがに、日本人からこっそり処理能力を奪うことはハルが止めなくてはならない。元管理者としては、許容できる話ではない。
しかし、後者、『NPCに処理能力を拠出させる』ということであれば、理屈として問題ないのではなかろうか? ハルはそのように考える。
これは別に、異世界人なら搾取しても良いということではない。
ただ、ここは自分達の星だ、再生の為の開拓案に、自分達のリソースを提供するということならば、自然な流れではなかろうか。
「その案も出たのだがね。我々の間で意見が割れた。最終的に、全員賛成にならないならば禍根を生むということで、それは見送ったのだよ」
「……ああ。なんとなく、誰が賛成で誰が反対か予想できる」
「反対にも色々理由があってね。彼らの人権を尊重したもの、秘密裏にやることを良しとしないもの、あとは副作用的な影響が読めないことを心配したものだね」
「僕も、最後のヤツはリスクだと捉えるよ」
今までこの世界に存在しなかったエーテルネットに異世界の人々が接続して、予期せぬトラブルが巻き起こる可能性は十分に考えられる。
あの国々を『ゲーム』として運営しているセレステたちにとって、そうした未知のリスクは対処不能の『バグ』となりかねない。
「日本人もダメ、NPCもダメ。人脳が何処にも存在しないのでは普通に考えて企画倒れだ」
「当然ー、自分達で動かすなんてのも本末転倒ですねー」
「そうだね。さすがに効率が悪い。しかし、ここで私は思ったのだよ。必ずしも、本来のエーテルネットと同等の機能がある必要はないとね」
「要は、必要ない機能を削除して負担を減らすってこと?」
「うむっ。完全に全自動とはいかないが、我々からのコマンドは最小限で良いように、内部でただ命令処理を無限ループさせる。あとは規模の力で、強引にリソースを確保する。この装置の設計思想と、同じという訳だね」
エーテルネットその物にも、わずかながら処理能力が備わっている。人は、それを増幅することによって生活に役立てているのだ。
しかし人間と関われねばその処理速度など微々たるもの。セレステはそれを、機能を極限にまで絞ることと、規模を惑星レベルに拡大することで、強引に解決しようとしているようだ。
それはまるで、何百桁の掛け算が大変なので足し算で強引に解いていくような、力技極まる解決法なのだった。




