第984話 水底から伸びる支配の手
自転の異常によって再び昼になった浜辺にて、ハルたちはまた海に入って遊ぶことにする。
こんなに、一気に時刻の感覚が変わるほど星が傾いて大丈夫なのかと気になるものだが、そこも魔法によって影響が軽減されているのだろうか?
メタを含め、そうした星の運行に関わる大きな魔法を制御している神様は、改めて考えると神界ネットを作り上げたエメと同等の影響度を持っていると言えるのかも知れない。
なにせ彼らの働きがなければ、人間どころか生物は何一つ、この惑星の上では住めない環境になっていたのだろうから。
「そう考えるとメタちゃんはやっぱり偉いね。頑張り屋さんだ」
「ふみゃ~?」
「良い子だってことさ。ホタテ食べるかい?」
「にゃうにゃう! ……がつ♪ がつ♪」
バーベキューの具材、焼いていない生のホタテを与えてみると、がつがつ、と美味しそうに食むメタだった。
猫はホタテも食べるらしい。いや、メタは神様なので、実際の猫がどうかはまた別なのだが。恐らくは、過熱した方が無難であろう。
「あ、これ美味しいねメタちゃん。刺身でもいける」
「にゃうん!」
「女の子と海できゃっきゃうふふしないんすかハル様? みんなもう元気に行っちゃってるのに、一人だけのんびりメタちゃんとホタテ食べたりして。なんすか? 疲れたんすか? 駄目っすよハル様! そんなジジ臭いこと言っちゃ! 家族サービスの不足している旦那様は減点って相場が決まってるっす!」
「……やかましいのが来たな」
「うなー……」
エメである。先ほど脳内で彼女の偉業を褒めたのは軽率だったか、とまくしたてる彼女の様子を見て眉をひそめるハルだった。
水着は着ているようだがゆったりとした白シャツを羽織り、あまり肌を見せない装いだ。
ガードが固いのか、見せないことで劣情を誘うスタイルのつもりなのか?
「遅かったじゃないか、セレステも」
「いやなに、準備があってね。それに、この出不精を引っ張ってくるのに手間取ったんだよ」
「日差しがまぶしい……、くらくらする……」
「おやコスモス? よく来てくれたね」
「んー。アウトドアは趣味じゃないけど、たまにはお外で優雅にお昼寝するのも、あり」
「そっか」
既にハンモックセットを持って、休む気満々のコスモスも登場だ。南国風のビーチが実に似合わない。
彼女はアイリ以上のフリフリの付いたワンピースタイプの水着に身を包み、刺すような真夏の陽気に眩しそうに目を細めている。いや、目を細めているのは眠そうなのだろうか。
そんな、枕を抱えたビーチの似合わぬコスモスと並んで、こちらは浜辺の良く似合う健康的美女のセレステ。
相変わらず競泳水着のようなぴっちりとした装いが、すらりとスタイルの良い彼女の体つきをよく引き立てていた。
「海に入らないというなら、ビーチフラッグでもするかいハル? 旗は、そうだね。あの向こうに見える無人島にでも立てようじゃないか」
「いや道中で海に入ってるじゃん」
距離に関してはもはや突っ込まないハルだ。砂浜に立てた旗を目がけて走るゲームだが、もはやスタート地点以外に『ビーチ』要素が存在しない。
しかしハルとセレステが競い合うとなれば十メートル二十メートルでは話にならない。それはそれで、もはや何か別のゲームになってしまうのだった。
「いや海には入らないんだよ。かといって飛行も禁止。ここはひとつ、我々なら水上を走れるということを見せてやろうじゃないかハル!」
「おお! セレちんそれ面白そうだね!」
そんなセレステの戯れ言に、波打ち際で必死なルナを翻弄し続けるユキが反応する。
敏感なユキの肌に触れて先ほどの仕返しをしようとするルナだが、どうあがいてもユキの運動能力には敵わない。分かっているだろうに、なかなかムキになっているところが可愛らしかった。
そんなユキが水上走りを試してみようと思い切り水面を蹴ると、爆発するかのごとく水しぶきが上がりルナを飲み込む。
波に飲まれてあわれ流されるルナ。特有のジト目をより深くして、うらめしそうに水中から顔を出してユキを睨んでいる。
女の子たちの、そんな微笑ましいやり取りを、ハルは砂浜の上から眩しそうに見守っていた。ハルが目を細める理由は、きっとこの陽光の勢いだけが原因ではないだろう。
「本当に、エメの言う通りジジイじゃあないかハル。なんだいその、孫を見るような目は? もっといやらしい視線で彼女たちを見てやりたまえよ。せっかくの水着が泣くというものだ」
「それはそれでどうなのセレステ……?」
「つまりセレステはそのぴっちりウェアでハル様を誘ってんすね? いやっすねー、こんなドスケベ女神が同じ屋根の下に居たとは! 気を付けなきゃダメっすよハル様! この女きっと、『泳ぎを教えてあげる』とか言って押しつけがましく密着してくるっすよ!」
「いやコイツにこそ気を付けるがいいハル。きっと機を見てこのシャツを濡らし、事故を装い中のドスケベ水着を見せつける気に違いない」
「仲いいね君たち」
今は同じ屋根の下で暮らしている二人だ。仲がいいことは良いことだ。
ハルはそんな二人に一切興味なさげなコスモスと共に、そんな二人が仲良く喧嘩する様を少し離れて見守っているのだった。
*
さて、そんなコスモスがいそいそとハンモックを木々に取り付けて、その中ですやすやと休暇に入った頃、エメと遊んでいたセレステの表情がにわかに真剣みを帯びてきた。
やはり、彼女がこの地に来たのはただ遊びの為ではないらしい。真面目な事だ。
今日もこの地にて何らかの、仕事の予定があって来ていたようだった。
「さてハル。我々がこうしてシールドの外に飛び地に領土を構えたこと、単にバカンスの為の酔狂という訳ではない」
「だろうね。突拍子もないことをする君らだけど、非効率なことはしないことは一貫している」
「うむっ。まあ、遊び心が足りないとなじってくれても構わない。だが何をするにも、タダでは転ばないのが神というものさ!」
「別に、いいと思うよ。むしろ仕事の中でも、こうして遊ぶことを交えてくれて嬉しいよ」
「ははっ。あまり不意打ちで褒めるのは止めてくれたまえよ」
手をひらひらと振って、照れ隠しをするセレステ。
どうやら彼女も、そして恐らくマリンブルーもだろう。ハルたちが別のゲームに掛かり切りになっている間に、こうして別の事業に取り組み始めていたらしい。
ジェードやマリーゴールドに負けじと頑張った、というところだろうか。はたまた単に暇だったからか。
特にセレステは、ゲーム中にも直接ハルを支援してくれた事もあり忙しいことである。
「それでー? なにをやってたんですー? こんな景色のいいだけの僻地を支配してー」
「カナリー。君は知っておいてくれよ……、仮にも少し前まで運営の一員だったじゃあないか……」
「私はもう引退しましたのでー」
引退すると言ったら引退する。ずるずると、元の職場に顔を出す役員のように成りはしない。
そんな堂々としたカナリーの態度に、流石のセレステもそれ以上何も言えなくなってしまったようだ。
「やれやれ。気楽なリタイア生活とは羨ましい。こちとら、永久就職の二十三時間休みなしだというのに」
「あっ。こいつ今さりげなく嫁アピールしました? 嫌っすねえ。実際は自宅警備員の癖して。あと地球時間に換算したら一時間浮くじゃないっすか。駄目っすよそんな程度でブラックを語っちゃ! ブラック度合いは、百時間以上の連続で語るんすよ?」
「そもそも、辞めたいと言えばハルさんは止めませんよー。この押しかけ女房がー」
「はっはっは。響かないねぇそんな言葉」
相変わらず、神様同士でちくちく粗探しする様子は健在だ。何時もの事なのでハルも特に止めない。
むしろこの様子が継続していることが、まだカナリーもかつての同僚と繋がっているようで嬉しかったくらいだ。
「……本題に戻りましょうかー。こうしていると、ハルさんが旦那様じゃなくて『お父さん』になっちゃいますー」
「有情だねカナリー。『お爺ちゃん』と言わないのは」
「駄目な娘たちを見守る目をしてたっすねえ……」
「してないがそんな目は……」
ハルがどんな目をしていたかはさておき、確かにセレステの計画は気になるところ。
どうやら此処ではない何処かにその計画の核となる場所があるようで、皆を先導してセレステは一歩先を歩き始める。
「確かに、ここで雑談をしていても仕方がない。どれ、ついて来たまえ。我らの計画の心臓部をお見せしようじゃあないか」
「なうなう!」
「おや、メタちゃん?」
「メタちゃんもこいつの計画に嚙んでいるんですかー?」
「がつ♪ がつ♪」
別に、物理的に噛みついている訳ではない。参加している、という話だ。カナリーがおやつを差し出したりするので、話がややこしくなった。
それはさておき、メタも関わっているとなれば、それはきっと機械に関係する何かだろう。
そんな物が何処にあるのかと思ったら、セレステはずんずんと海に入り、沖の方へと歩を進めて行く。
「おりょ? セレちんどったん? 潜るん? あっ、分かった。その水着ってダイビングスーツだったんだ」
「いやいや、違うとも。確かに素材はそれっぽいかも知れないが……」
「そんなに穴だらけでセクシーなダイビングスーツも無いわよね?」
背中が大きく開いた大胆なセレステの水着である。お尻の手前まで切れ込みが入った、攻めたデザインだったことが彼女の後ろに付くと分かったハルだった。
そんなセレステは、ざぶざぶと水をかき分けながら水深の深い所へと進んで行く。
その様子に興味を引かれたユキたちも交えて、大所帯となってハルたちは海の中へと潜って行った。
「生身の人は、環境固定装置をオンにするよ。せっかくの休暇ではあるけど、さすがに素潜りじゃ厳しい気配がしてきたからね」
「息はなんとかなるとしてもー、水の中じゃ喋れませんからねー」
「なんとかなるのですか! 流石はカナリー様なのです!」
身体の表面に空気の層を纏った一行が、まるで全身を覆う潜水服に身を包んだかのように水面下へと入って行く。
普段空気中で生活していると気にならないが、水の中に入ると体表に固定された空気の層が丸わかりだった。
「そのカナリーがどうして息を『なんとか』出来るかと言えば、体内でエーテルを生み出してそれを自由に操れる為だ。そのことと、今回の件は無関係ではない」
「じゃあこの話は、エーテル関連の計画なのか」
「そうともっ」
「あっ、アイリちゃん。ここで言う『エーテル』は、魔力じゃなくて地球の方のエーテルっすね。わたしの元の名前でもないっすよ」
「なるほど!」
要はナノマシン、エーテルネットワークの根幹を成す微小な有機物。
単体での寿命は短く、自己増殖するための、自然界にはない特殊な物質がなければすぐに死滅、分解してしまう。
その為、ハルたちが生活で生み出している程度のエーテルでは、この異星の地に定着することは一切無かった。
「さて、そろそろだ。見たまえ諸君」
そうしてセレステに案内された海底に見えてきたのは、話の流れからの予想の通り。
この全く人の手の入らない大自然に似つかわしくない、巨大な機械の塊。恐らくはメタの作品だろう。
それはがっしりと海底に根差し、太い煙突のような身を突き出す形。上から見れば内部は空洞だ。
その空洞から何を吐き出すのかと言えば、この流れから言って一つしかない。
ナノマシン・エーテル、いや正確には、エーテル増殖用の餌となる物質。それを海流に乗せて吐き出すための増殖炉が、この装置の正体と見て間違いないだろう。
「そろそろ、実験してみようじゃあないかハル。この星における、エーテルネットの展開。そしてその、半永久的な自動稼働。その力はきっと、私たちの開拓に大いに役に立つはずさ」
「にゃうにゃう!」
二人の言葉を合図にするように、装置は低くうなりを上げて、その稼働を開始したのであった。




