第983話 彼の常識、世の非常識
「それよりもハル? その学園のことだけれど、休み明けから登校を再開するわよ?」
「ああ、うん。前期はなんだかんだで、ほぼ自主休学になっちゃってたね」
「いいのよ。どうせ最初から形式的な在籍なんですから。ついでに、今期で卒業するわよ」
「学校の卒業って生徒が自分で勝手に決められるものなんだ……」
「ああ、僕らの場合は特殊すぎるから、気にしない方がいいよユキ」
ハルとルナが在籍するのは特殊な形式の特待生クラスであり、通常の指導要領は適用されていない。
学生というよりも研究生といった立場であり、成果を出せば卒業が認められる場合もある。
逆に言えば、通常の期間を越えての在籍も可能であり、それを都合よく猶予期間として活用している者も多く居た。
ハルとルナも、特にルナは社会に出れば月乃の娘として非常に面倒な状況に巻き込まれることになる。
それを守る結界として、あの学園は割と都合よく存在していたのだった。
「つまり! ルナさんもついに、ハルさんと一緒になる覚悟を決めたのですね!」
「どちらかといえば、覚悟を決めるのはハルね? いいことハル? 残る期間中に、今の味覚データベースを含めて十分な成果を出すのよ」
「そう言われてもねえ。まあ、今のゲームは必ず仕上げるし、他にもやれるだけ頑張るけど。でも、とはいえ何をやったものやら……」
「ひゃうっ! ……もう、分からないからって変な所触って誤魔化さないの」
「変なトコ触れって言ったのはルナじゃないか」
「だからといって、急に腋はおやめなさいな。あなたの育てたお尻でも揉んでいればいいの」
また無茶なことを言う。反撃とばかりにオイルを塗る手を不意打ちで両脇に伸ばしたのが、よほど効いてしまったようだ。
真っ赤になって身体を強ばらせるルナがかわいい。普段の態度とは裏腹に、攻められ慣れてはいないルナなのだった。
「そいえば、ハル君はルナちーと結婚する為には、どんな偉業を成し遂げればいーんだい? そのあたりが、いまいちよー分からんくて」
「さあ? 僕もその辺は分からない。まあ、『これなら平民だったとしても仕方ないか』、って上流階級の紳士さん方が納得してくれればそれが合格ラインなんじゃない?」
「だったらハルさんならば、余裕なのです!」
ルナと、正確には月乃の家系と縁を結びたい勢力は非常に多い。ルナが卒業する、すなわち結婚可能になれば、そうした者たちがこぞって彼女にアピールしに来ることだろう。
その並み居る強敵達をはねのけるだけの実績を出せと、月乃からは言われているハルたちだ。
「……しかし、そのお母さまもなんだか、って感じよね? 本当にそんな証明、必要なのかしら?」
「おっ、反抗期かルナちー。だめだぞ、仲良くしなきゃ」
「月乃お母さんにはきっと、深いお考えがあるのです!」
「順調に懐柔されているわねぇあなたたちも……」
「買収されちった」
「美味しいお菓子を、いつもくれるのです!」
餌付けである。それでいいのか。
まあ、それは冗談だろうが、常識外の事情を抱えているアイリとユキの二人。それにカナリーも。そんな彼女らも文句一つなく受け入れてくれる月乃の器が大きいのは、間違いあるまい。
ルナも当然それは分かっているのだが、それでもなお、気になる点が出てきてしまうのは仕方ない。
親子であるという遠慮のなさもそうだが、最近明らかとなった月乃の過去、そして自らの出自から見える事情であった。
「だってお母さま、自分は結婚すらしていないじゃない? だったらいいじゃないの、それで。無意識のうちに、私も結婚しなきゃいけないと思わされてきたけれど……」
「んー。まあ、ね。一応、奥様もデータ上では結婚してはいるんだけど」
「そのお相手は、どんな方なのです?」
「分かったぜ。金で立場を買われた、哀れな一般人じゃ!」
「ユキ……、言い方……」
「残念。その男性はこの世に存在すらしていないよ」
「もう死んだ人の戸籍を使ったってこと?」
「いや。最初から存在しない人物だ。でっちあげだね」
金融、情報産業を牛耳る月乃だ。そんな一級の情報改竄だってお手の物。
ハルもそんな月乃によって、存在しない家系図をこの世界に挿入してもらって今生きている。
まあハルの場合は、月乃に頼らずとも自分でそうした改竄も行えるのだが。ちなみに、カナリーも遊び半分でよくやっている。
「……まあ、奥様の出した条件は、ルナの為というより僕の為なんだろうね。僕が世界に認められて、受け入れられて生きられるように。結婚をダシにして成果を上げろって言ってるんだと思う」
「あの人はハルには甘いですものね。なによ、私の夫にというよりも、『自分の義息子に相応しくありなさい』って言っているようなものじゃない!」
「おお! ルナさんが、珍しくぷんぷんなのです!」
「嫉妬かルナちー? お母さんに嫉妬か? 親子でハル君の奪い合いか?」
「黙りなさい」
挑発してくるユキに反撃しようとするも、オイル塗りの最中なので身動きが取れないルナだった。
いつもえっちな事を言っている割には、胸をさらけ出して起き上がることは恥じらうルナだ。淑女なのである。
そんなルナを優しくあやすように撫でながら、ハルもそれなりに真剣に、自分の今後の身の振り方を考えるのであった。
◇
「……しかし、どうしようかねえ。『成果』と一口に言っても、いったい何をすればいいことやら」
「なんだって出来るじゃんハル君」
「そうです! いっそのこと、今考えている『エーテルネットの制限の撤廃』、それをハルさんの仕業と公表するのは……! ダメそうですね……」
「うん。それは難しいねアイリ。確かに非常に大きな功績だろうけど、それが知れれば『何でそんな事が出来るのか』が問われることになるだろう」
そこがハルにとって面倒なことだ。功績を上げろと言われて、それは特に難しいことではない。しかし、その内容は現実的に人間に可能な範囲の物であることが求められる。
管理者としての特権を使いやりたい放題に偉業を連発しては、後の立場が面倒なことになるだけだ。
神輿として担ぎあげられるか、邪魔者として排除されるか、はたまたハルを例外とする法律が新たにでっち上げられるか。
どれもゴメンである。ハルはそうした騒がしさとは無縁に生きていきたいところであった。
「頼りない旦那様ねぇ。あなたやろうと思えば、それこそお金儲けの手段なんかいくらだってあるでしょうに」
「苦手なんだよねそこが。何をすれば社会の為になるのかが、いまいちよく読めない」
「ハルさんは対人戦特化、ですものね!」
「うん。個人の思考を読むのは得意なんだけど。対面セールスやっても仕方ないよね」
「効率が悪すぎるわよ。もっと普段から、アンテナを張っておきなさいな。さっきの話だってそうよ? この星の生物について、無頓着すぎよ」
ルナは、どうやらこの星の新種を調べることで何か良い商売の種を思いついているようだ。これは、後で誰かにデータを提供してもらっておいた方がいいかも知れない。
どうにも、ハルはのんびりし過ぎているようだ。ルナも別に怒っている訳ではない。勿体無いと思ってくれているのだろう。
そんな自分に情けなく思うハルだが、そこで思わぬところからハルに援護射撃がかかった。ユキである。
「それは違うと思うぜルナちー。ハル君きっと、何が商売に繋がるか分からないんじゃないんだよ。逆に、分かり過ぎるから価値に違いが見いだせないんだと思う」
「なるほど! ハルさんにとって、地を這う虫けらの営みなど誤差程度にしか見えないのですね!」
「……そこまで言っとらん。アイリちゃん、カナちゃんの悪い影響受けてない?」
「わたくし、信徒ですので!」
「あっ、うん。まあ、それはいいとしてさ」
良いとしないで欲しい。しかしまあ、その例えは傲慢すぎるとしても、あながち的外れとは言い切れない。
例えば、<物質化>で魔力から金を生み出せるハルにとって、金本位制の経済などあまりに脆い物。そうした『やりすぎ』を思いついては無意識に却下するという作業は、確かに普段から行っているかも知れない。
「それはいいとして、ハル君はきっと、新生物なんて特別な物じゃなくても、その辺の小石からでもきっと新事業を立ち上げられる」
「すごいですー! ハルさん、出来そうですか!?」
「ん? うん、まあ。とりあえず地球の小石なら。人間の生活圏で常にエーテルに曝され続けた道端の石は、希少物質が取り出しやすい形に変質してるんだ。エーテルネットの浸食のようなものだね。そのことを利用すれば、石拾いだけでも収益は上げられるんじゃない?」
「……初耳だわ」
「うん。だって効率最悪だからね。言っても仕方ないよこんなこと」
「なっ? ハル君の視点はこーなんよ」
「やはり神視点、なのです!」
神視点は、少々違う意味にならないだろうか? いわゆる、『ゲームの三人称視点』や『視聴者目線』がそう呼ばれる。
しかし、確かに言われてみれば納得のハルだ。ハルにとって、効率面で話にならないからと切り捨てた技術であっても、日本人の経済活動から見れば有用な事は多いかも知れない。
それを独善に切り捨てるのは、上位者の傲慢と見られても仕方のないことなのだろうか?
先ほどの例で言っても、そんな物質であれど<物質化>でいくらでも量産出来てしまうハルだった。
「……確かに、これはハルの怠惰ではなく、まだまだ常識知らずなのが原因かも知れないわね? 今後の方針を、考えた方が良いかも知れないわ」
「おっ、何か閃いたのか、『色欲』のルナちー」
「大罪の話ではないわ? でも後でユキは覚悟しておくように。私の『色欲』を、見せてあげるとしましょうね?」
「うへー、藪蛇。しかしつまりは、ハル君が非効率と切り捨てた中で、常識的に使える技術が何か無いかみんなで検証するってことか」
「楽しそうです! あとわたくしは、『暴食』がいいです、いっぱい食べます!」
確かに、神様に対してよく『常識がない』と揶揄するハルだが、そのハル自身もまだまだ常識というものを学び足りないようだ。
自分にとって当たり前のことでも、世間にとっての『常識』ではない。そのギャップにこそ、名を上げるチャンスが埋っている。
しかし重要なのは、やり過ぎてしまわないことだろう。ハルの正体が知られるようになってしまっては意味がない。
その為にも、常識の勉強は必要だ。何をされるのか、少々怖い所だが。
まあ、今はそんなことよりも、このビーチでも休暇を楽しむとしよう。そんな普通の安らぎからも、見えてくるものはあるはずだ。
ハルたちは、水平線と並行に這っていた太陽が、再び直角に空に昇り昼になる、そんな非常識極まるこの星の海にまたくり出していくのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




