第98話 信仰とお国柄
時は初夏であり、若葉も深く青々とした色をたたえる頃。だというのに、まだ少し肌寒さが残るような風が吹く。避暑地としては申し分ないかも知れないが、その雰囲気に浸るには今日は空の曇り模様が生憎だ。
生身の肉体になる前のハルであれば、さして気にしなかった程度の温度変化だろう。数字で言えば5℃の違い、と黒曜によるデータが出ている。高温、寒冷、共に耐性の高い使徒の体なら誤差の範囲だ。
だが今はそれも必要以上に敏感に感じる気がする。最近は肉体の感覚を、制御せず直接感じる事に重きを置いているハルだった。
ハルとアイリは今、少年神マゼンタの守護する赤の国、その中にある彼の神域へと訪れている。北東方向になるとは聞いていたが、思ったよりも緯度に差があったようだ。
辺り一面を草原の絨毯が覆っていたカナリーの神域とは違い、目に入る緑はまばらで、暗い土肌が露出している所も見える。
そうかと思えば、足元を見れば背の低い緑色がびっしりと敷き詰めてあり、こちらの方が絨毯らしい、と主張していたりする。苔のような物かと目を凝らしてみれば、これも小さな木の一種であるようだ。
アイリが座り込んで、それをまじまじと眺めていた。今日もアイリはかわいい。
木々の植生も変わっているようで、ねじくれて枝葉の少ない、背の低い木が多い。これでは森になっても、日光を遮らなさそうだ。
「針葉樹林が似合いそうな雰囲気だね」
「それはどんな物なのですか?」
「寒いところによく生えてるイメージの木。僕も実物は詳しくないや」
「そうなのですねー」
日本の気候に近く、もう夏の暑さが迫っているカナリーの神域に合わせた服で着たので、この土地には合っていない。
自然な肌感覚、季節感を大切にするのであれば、これは宜しくない。すぐにアイリの上着を取り出して、出来る男をアピールすべきだろう。
「まあ、自然な感覚を大事に、とか言いつつ、不快感を覚えたらすぐナノマシンで体温調節しちゃうんだけどね」
「ナノさんを使ったハルさんの手管は素晴らしいですね! わたくし、今年の夏はずっと涼しく過ごせそうです」
「我が妻よ、手管言うんじゃない」
「まあ。失礼しました」
結局、慣れないハルのにわか仕込みな拘りなど、この程度であった。
大気中にナノマシンが散布されている日本のようにはいかないが、体内に増殖したナノマシンだけでも、体感温度を快適に保つ程度の体温調節なら容易だ。
日本から持ち帰ったそれを、冷房代わりに使っているハルとアイリだった。メイドさんの視線がだいぶ羨ましそうなので、彼女たちにも移植する事をそろそろ真面目に検討しようと思うハル。メイド服は暑そうだ。
「ハル、手管はダメなのかい? 手練手管と言うじゃあないか」
「良いけど、夫婦間で使ってるといやらしく聞こえない?」
「ふむ、そういう意味もあったねそういえば」
そしてここに居るのはもう一人。何故か付いて来る事になった、武の女神セレステだった。
◇
「セレステ様は、暑さは感じないのですか?」
「うむ、そういった感覚は神には不要だからね。暑がりの神、寒がりの神など、威光を、信仰を世に知らしめるのに向かないだろう?」
「親しみやすさで広がる信仰とかもあるけどね。カナリーちゃんを見てみなよ」
「……カナリーの信仰が広がったのは、ほとんど姿を見せなかったせいで神秘性が高まったためさ。そしてカナリーの勢力が強大になったのは、ハル、君が居たからだ」
「冷静な意見どーも」
この女神、人間になりたい割に神である事に固執している。強情な女神だ。
いや、セレステが人間に成りたがっているというのは、ハルの勝手な想像でしかないので、そこを基準に考えるべきではないのかも知れないが。
──とはいえ、さほど的外れでは無いと思うんだけど。
「しかしその口ぶりだと、信仰と勢力の強弱に因果関係は無いのかな?」
「うむ、無いよ? その発想は地球の神からかな?」
「うん。僕の国ではよく聞く話だね」
「羨ましい話だ。そんな仕様なら私も、もっと信仰獲得のために躍起になっていただろう」
日本の神様はそういった神話を持っているという事ではない。民間伝承として、よくあるタイプの話だった。
認められ、祭り上げられた神は力を持ち、逆に忘れられ、捨て置かれた神は力を失う。
更には、何でもない所に新たに神性を“作り上げて”、それに信仰を捧げるなどという事もある。それこそ、昨日まではただの石だった物が一瞬で御神体だ。
そうした複雑な宗教観を持つ日本人からしてみれば、魔力のある世界、信仰が増えれば魔力も増えると考えてしまうのが自然ではないだろうか?
「ですが、神々は使徒の方々の信仰を糧にして神威を強められるのではないですか?」
「良い視点だ。やるね、ハルのお姫様は。それともハル、キミの入れ知恵かな?」
「そうだとしても、答えに行き着いたのはアイリが賢いからだよ」
確かにハルの考えを読めるアイリではあるが、論理的な帰結を導いたのは本人の能力あってのものだ。丸コピーとは訳が違う。
「まあ、信者の数と質で、生み出されるエーテル量が変わるのは一目瞭然だし」
「そうだね。確かに私達は、キミ達の信仰を糧としていると言える。これは現地の人間の信仰よりも、よほど重要で実利的だ。だから、間違ってもこの地で新たに神性を見出して、それを信仰したりしてくれるなよ?」
「それは、例えばどんな物なのでしょうか? わたくし、そこは実感が沸かないのです」
「こればかりは予想が付かないな。そうだね。例えばアイリが女神様のように可憐だから、アイリに信仰を捧げるなんて事も起こり得るかな」
「まあ」
「おやおや」
神の目もはばからず、ふたり、いちゃいちゃする。
正直新たな信仰対象として、どんな物が選ばれるかは全く分からない。この世界ではありふれた土産物の置物が、日本人の感性に触れた結果ノリで祭り上げられるなんて事も考えられる。
アイリの髪を梳きながらハルが思うのは、今ここで新しく神性が発生した場合のこと。
この世界も勿論だが、ハルの世界でもそうだ。信仰、という明確な方向性を持った人の意思の流れは、ネットワークに乗って集積された場合、そこに人格を発生させたりするのだろうか。
集合意識によって発生した新たな意識。馬鹿げた話だと、笑い飛ばす事は出来なかった。
この世界の神も、未だにどんな存在なのかハルも分かっていないのだから。
◇
そんな、神と信仰についての話で盛り上がっていると、ルナとユキが転移で到着する。
彼女らはこの地へのパスは貰っていないが、パーティリーダーのハルを目印にして飛んできた形だ。
「神域のセキュリティも甘いのね? 転送は妨害されるかと思ったわ」
「ハル君のチケットが特別だったんじゃない? 『同行者二名まで可能』、って」
確かに契約者がフレンドを招きいれてしまえば入り放題だ。そこはどうなっているのかハルも少し気になるが、カナリーの神域には誰も入れる気はない。答えは出なくても問題無いだろう。
もし無理だったら、ハルが自前で<転移>する気でいた。
「セレちんも。付いて来るなんて珍しいね。どったの?」
「うむっ、神同伴など滅多に無い事だ。誇りたまえよ」
「アイリちゃん、珍しいの?」
「珍しいと言いますか、わたくし共の基準では絶対にありえない事ですね……」
「私達は、カナリーで慣れてしまっているから、新鮮味が無いわね?」
セレステが悔しそうな顔をする。カナリーのゆるゆるな対応は、彼女としては一言物申したいようだ。
「そんで、どったの?」
「ああ、ハルはお姫様に色目を使われるのを嫌うからね。その割に自分で手を汚すのは嫌うようだから、狼藉者は私が切り捨てようかと思ってね」
「喧嘩を売りに来たのかいセレステ?」
「ははっ、事実じゃないかハル。そうでなくとも美少女揃いなんだ。絡まれたらどう対処する?」
「む……」
言い方は挑発的だが、言っている内容は最もだ。
プレイヤーはNPCに危害が加えられない。ハルは例外になっているが、ルナやユキはその設定のままだ。手分けする時などに、神が直接間に入ってくれた方が面倒が無くて助かるのは事実。
しかし、向かう先はそんなに物騒なのだろうか。
「安心したまえよハル。今のこの体であっても、本気を出せばキミには反応出来ない。私による殺人を止められなかった責任を悔いる必要は無い」
「殺す前提で語るのやめよう?」
「ハル君、反応出来ないの?」
「出来るけど、『やめろセレステ』って言うのは間に合わないだろうね」
「それは、後悔が余計重くなるパターンではなくて?」
「別に後悔しないけど、特には」
仲間になっても、こういう物騒な所は変わらないセレステだ。いたずらっぽい笑顔を飛ばして来る。
アルベルトといい、極端なキャラクター性を立たせようとするのはAI故なのだろうか。
「セレちん何かヤンデレさんっぽいね」
「ヤン……」
ユキのそのある意味で的を射た評価に、セレステはがっくりと気勢を削がれてしまっていた。
想い人の気を引くために物騒な手段を取る系の病んデレヒロイン。なるほどそうかも知れない。
評価が不服であるなら、是非改めて欲しい。
◇
そうしてしばらく雑談しているが、マゼンタが出てくる気配は無い。
先に街を見て来いという事なのか、それとも実はセレステが苦手だったりするのか。
「仕方が無い、街を見てこようか」
「どうやって行くのハル君?」
「飛んでだけど? 首都は近いらしいし。何処も神域と首都は近く設定されてるのかね?」
「私、飛べないや」
「あ、しまった」
そういえば、ユキは<飛行>を持っていない。失念していたハルだった。
彼女は普段、<飛行>以上の速度で走るので問題になっていないが、全員で揃って飛ぶとなると問題だ。
実利的な問題は無いだろうが、何となく、疎外感が出てしまう。
「誰か一緒に走ってー」
「セレステ、走って」
「ハルではダメなのかい?」
「僕はアイリを抱えるから」
「余り物の押し付け合いしないで! てかアイリちゃん飛べるじゃん! ハル君、私をおんぶしてよ」
それは、ハルとしては構わないとは思うのだが、ユキの方は大丈夫なのだろうか。
あまりハルから言い出すには抵抗があるアレコレが。
「ユキ、そうするとハルの背に当たるけど平気なの? あなたの大きなおっぱいが」
「ぐはっ!」
平気ではないようだ。真っ赤になってフリーズするユキ。
メンバーの中で一番、女性らしさを主張するスタイルのキャラクターでプレイしているが、一番男女関係に免疫が無いのがユキだった。ちなみに、次点はハルである。
なお、純情ではない。よく猥談とか言い出す。
「わたくしの代わりにユキさんが抱っこされれば解決ですね!」
「それもその、ちょっと、恥ずぃ……」
また消え入りそうな声になる。これも厳しそうだ。
「まあ、一先ず僕が行って、そこに全員を転移させれば良いよね」
「ハル君ー! 最初からそれ言ってよ~」
「いじわるね、ハル」
ルナがジトーっと目を細めて睨んで来るが、原因の大半を占める彼女には言われたくは無い。
確かに、気づいていてユキを弄っていたが。
……それとも、転移などせずに運んでやれという事だろうか。乙女心を汲んでやれという事なのか。表情を読むに、どうやらそちら側であるらしかった。難しいものである。
しかし、言ってしまったものは仕方ない。ハルは分身を作り出すと、首都の方向へと<飛行>させる。
<飛行>する分身の眼下に広がる風景は、やはり寒冷地に特有の、中でも山岳地帯の特徴が多く出た物のようだ。
白い岩肌が多く目立ち、高速で通り過ぎていく景色の中には、ときおり山の中腹あたりに、色とりどりの花畑のような物が見えたりする。
ハルの思い描いていたイメージと違い、かなり緑も濃く色付いているようだった。短い夏を精一杯満喫しているのだろうか。
「梔子から、どの程度離れてるかも分からない訳だしね」
「ハル君なに言ってんの?」
「ハルさんは景色を見ているのです」
「最近はハル検定でアイリちゃんに負けるわ」
「ルナさんも接続しましょう!」
「良いかもしれないわね?」
「お姫様の精神は愉快な事になっているのだね」
「《ハル様、太陽と星座の位置から大よその距離は算出可能です》」
分身で風景に浸っていると、本体の方が姦しかった。
ハルも話に入りたい所だが、それよりも気になった事がある。メニューを見ると、分身は既に神域を出て、首都の圏内へと入ったようだ。遠く、城塞都市のようなシルエットも見えてくる。
気になったのは、その名前。メニュー内のマップには、現在地の地名、当然国名が表示されている。
「おや、気づいたのかい、ハル」
「セレステまで表情を読むの止めて欲しいんだけど……」
「はは、私はAIだよ? 隙を見せる方が悪い。意識せずとも読んでしまうものさ」
「何かあったのかしら、ハル?」
何かあったと言うか、あるべき物が無かったというか。
「それがどうやら、この国の国名、『ヴァーミリオン』らしいんだよね」
「一応、『赤』ではあるわね……」
「『紅』ではなくなっていたのですね」
「梔子とか瑠璃とか来てる中でそれは無いねー。どうしたんだろ運営?」
運営であるところのセレステへ視線が集まる。
彼女も、自分に言われても困るといったように肩をすくめるだけだった。
「文句はマゼンタに言ってくれたまえよ。奴の管理不足が原因さ。本当は紅のはずだったんだよ?」
「どうしてこうなった。セレちん、説明」
「損な役回りだな、これは。まあ、簡単に言ってしまえば反抗期さ。この国はね、我ら神への信仰を失ったんだ」
「それで日本風の名前から脱却したんだね」
「微妙に色が抜け切れていないのが世知辛いのだけれど?」
「考えられません……」
日本人組の淡白な反応とは対照的に、アイリは衝撃が大きいようだ。信仰に篤いアイリのことだ、無理もない。
袖を引いてくるので、抱き寄せて安心させてやる。
セレステが、信仰について話を誘導していたのはこの前振りだったのだろう。
ハル達にこの問題を解決させるつもりでもあるのだろうか。神様同伴はその為だろうか。
だとすれば、少しばかり頭の痛い問題になってきたようだった。




