第979話 女心と、重力異常の空
さて、まずは何をして遊ぼうか、なにから始めるべきか。ハルがそう悩む素振りを見せると、ルナとアイリからすかさず厳しい視線が飛んできた。
まず何をするかなど決まっている。伝説のオイル塗りイベントを行うのだと、その力強い瞳は雄弁に物語っていた。
まあ、それでもいいのだが、正直できることなら逃げ出したい。だが彼女らに逃がしてくれる気はなさそうで、いつもならそうしたお世話は何も言わなくても積極的にこなしてくれるメイドさんすら微動だにせず気付かぬふり。
全員が共謀して、ハルにオイル塗りをやらせたいようだった。
最後に一縷の望みをかけて、マリンブルーの方に目をやってみると、意外にも彼女からは助け舟が入るようなのだった。
「だめだぞみんな♪ ここの一日は気が短いからね、遊ぶのを後回しにしていたら、あっという間に日が暮れちゃうぞ♪」
「そうなのですか! マリンブルー様!」
「初耳ね?」
「本当だぞ? ぐずぐずしてたら、すぐに夜になっちゃう♪ そしたら、それはもうバーベキューの時間なのだ♪」
「そうだね。ここは『ゲーム内』よりも、地軸の乱れを大きく受ける。ゆっくり遊んでいたら、いつの間にか日暮れになっているのかも」
「それはいけません! 夜は海から上がって、波打ち際で遊ぶのです! 花火もします!」
「確かに、お決まりね?」
助かった、のだろうか? いや、単にイベントを先延ばししたに過ぎないだろう。本当にハルが助かる為には、オイル塗りイベントを忘れるほどに、次々とイベントを開始していかねばならない。
欠片でも憶えていれば彼女たちは、花火をしながらでもオイルを塗られたがるのだろうから。
ハルはマリンブルーに『よくやった』と目線で伝えると、皆と早速の海遊びへと進んで行くのであった。
マリンブルーの方も、親指を立てて応えてくれる。一仕事終えた女の顔だ。
「……で、本当に自転やばいの?」
「やばいぞ♪ ゲーム地域を離れちゃうと、この星はどこも“こう”だからね。そんな中で必死にやりくりして、なんとか昼間の時間を均等に維持してるんだよ♪」
「大変だ」
「だぞ♪」
冗談ではなく、大変そうだ。どうやら『世界の果て』を兼ねるシールドが、時には反射鏡の役割を果たし、時に狂った方向から飛んでくる陽光の調整も行っているらしい。
確かに考えてみれば、自転がおかしいのだから、例え一日の時間が安定していても、太陽の角度がたまに狂っているのはどうしようもない。
それも、処理しているのはシャルトだろうか? だとしたら相変わらず損な役回りだ。彼の仕事がとにかく重要なものが多すぎる。
それでは、今回こうして『領土』を広げても、それを現地民に開放してやるのは難しいか、などとハルが考え始めたあたりで、海の中から複数の呼び声があった。
……別に海底からの誘いではない。単に行動の早い女の子たちの誘いである。
「おーい! なにしてんのさーハル君ー! さっさとこいこいー」
「つめたくて気持ちいいのです! それにとっても、浮くのです! これが、うみ!」
「アイリちゃん? いきなり飛び込んでは危ないわよ? ……何でだったかしら?」
「まあ、アイリの体調は僕が管理してるから問題ないよ」
ちなみにルナも、以前よりエーテル制御にて急激な環境変化からは体を守っている。準備体操の重要性は、どうやら形骸化してしまったようだ。
そこはハルも同じ。準備もそこそこに、遊びたい盛りの女の子に続いて、自身も海へと入って行った。
「おおー、冷たいですねー」
「うん。確かに冷たい。気持ちいいや」
「とか言ってる場合ですかーハルさん? 地上は南国っぽいのに、この海温はー」
「まあ、確かに普通の気候じゃなさそうだね」
「バグってますねー?」
自転が乱れれば、海流も乱れる。今は寒冷地から、冷たい水が流れ込んでいるようだ。
海流が乱れれば、生態系も乱れる。こんな状況で、曲がりなりにも自然が維持されているのは、災害当時の人々と、それに協力した神様のおかげであった。
「メタちゃんに感謝だね」
「ふみゃう♪」
「お、メタ助も来たか。ねこかきかー? そんなんできちんと泳げるのかぁ? うりゃ、うりゃ!」
「んなっ!? ぬみゃーごっ!」
のんびりと猫かきで泳ぐメタに、ユキがそのキャラクターのステータスをもって遊びをするには大きすぎる波を起こしてメタを巻き込む。
この、大波に翻弄される可愛い猫が、当時からそれこそ今に至るまで、この星の環境を維持し続けてくれた張本人だった。
「……メタちゃんの為にも、なるべく早く星の運行を正常化してやらないとね。やはり開拓は積極的に進めなければ」
「それよりもハル? 今はメタちゃんの為を想うなら、あのやんちゃ娘を止めるべきではなくって?」
「ねこさんを、波から救い出すのです! とうっ!」
「ふみゃみゃみゃみゃ!?」
逆巻く波の渦にアイリも飲み込まれ二次災害に陥るかと思いきや、アイリは器用に波をかき分け、メタを抱きかかえて救い上げる。
流石は、一流の魔法使いだ。慣れぬ海とはいえ、自然干渉の腕はお手の物。
そんな彼女たちの遊びは、年頃の女の子の平均から見れば少々激しいものとなりそうだ。
ハルはそんな元気な子たちからは少し離れ、のんびりと波の余波に揺られるカナリーとルナの傍に寄り、その遊びを見守っていくのであった。
*
「青春ですねー。水掛け合いっこですねー」
「……そんな平和なものかしら、あれ? 見ようによっては、互いを攻撃しているようにしか見えないのだけれど?」
「二人とも元気がありあまってますからー。一般人には、少々きついですよー」
「そういえば、カナリーも今は私と同じようなものなのね」
「ですよー?」
神の体を捨て、人の身に生まれ変わったカナリーだ。かつての魔法による万能性は消え失せて、今はルナと同じくただ波に揺られるばかり。
いや、正確にはハルと同じ構造の体なので、ことエーテル操作に関しては万能なのだが、ここ異世界にはナノマシンの大気は存在しない。今は本当に、ただの人である。
「ハルさん助けてくださいー。流されますー」
「ハル、私も流されそうよ、水着が。むしろ流されたわ? だから今海にもぐれば、生まれたままの私が拝めるという訳」
「だめだよルナ。ここは人類文明が皆無の未開の地なんだから。そんなエーテル縫製の布なんか海に流しちゃ」
「……確かにそうね? 残念だわ。履きなおしましょう」
「そこで納得しちゃうあたり、ルナさんも根が真面目ですねー」
そんな風に両側からくっつかれながら、しばらくハルはアイリとユキが巻き起こす波の余波に揺られる。
いつの間にかメタは二人のじゃれあいから離脱し逃げ出していたようで、波が比較的穏やかなハルの周囲を漂っていた。
「この海流って、北の方から来たんでしょメタちゃん? こんなの来てて、大丈夫?」
「にゃっ!」
「まあ当然大丈夫じゃないんですがー、各環境で生きる生き物はーそれぞれ一定数現地で確保しているので大丈夫みたいですー」
「……ふなーお」
「でもそれ以外の生態系は、残念ながら維持しきれていない部分もあるようですねー」
「メタちゃんのせいじゃないわ?」
「そうだね。メタちゃんはよくやってるよ。たぶん」
「うみゃ~~?」
あまり興味がなく、現状を詳しく認識していないハルだった。いつまでもそんな態度でそんな事を言っている場合ではなく、そろそろ本腰を入れてこの問題の解決に乗り出した方が良いのかも知れない。
ようやく大型のゲームも一段落ついたことだ。この機会に、気合を入れるべきか。
ハルはメタと握手するように両手を繋ぎ、その猫の身と一緒になって波に身を任せる。
……今さらだが、猫は海に入るものだっただろうか? むしろ、普通の水にすら入るのは嫌がる生き物ではなかったか。
まあ、いいだろうそんなことは。ぷかぷかと浮かぶメタは、実にリラックスしていて愛らしい。気持ちよさそうだ。
「……およ?」
「むむっ!?」
そんな風に思い思いにハルたちが海で遊んでいると、太陽が急に直角じみたコースで水平に沈んでいくと、夕を通り越して一気に夜までもが近づいててくる。
これが、重力異常の引き起こす恐怖。太陽が真下に沈み、先ほどまで明るかった空は既に夕闇の星が輝いていた。
まるでゲームの時間帯切り替えでも見ているようだが、残念ながらこの星ではこれが現実。こんな環境で、よく自然を持ち直しキープしているものである。
「おっ。夜時間になたっ」
「お仕事中止です! 今からわたくしたちは、バーベキュータイムなのです!」
「まちかねた。さあ、こうしちゃいられない。さっさと上がろうハル君」
先ほどまでは激しいバトルを繰り広げていた宿命のライバルたちが、こぞって我先にと、沖へと上がって行っている。
くいしんぼうなことである。とはいえ、ハルも興味がある。いったいこの星のバーベキューでは、どんな料理が出てくるのか。
今はカゲツの料理ゲームを展開中ということもあって、そこに純粋な興味もあるハルだ。
たくましい女の子たちに続いて、ハルもまた砂浜へとその身を上げてゆく。
どうやらオイル塗りについても忘れてくれたようだ。このまま食事をして、また慌ただしく昼夜が変わったりすれば、その時はもう思い出すこともないのかも知れない。
「せっかくだから、星を眺めながらオイルを塗ってもらうというのも良いかも知れないわね?」
「!! ふおおおおおおお! それは、素晴らしい判断ですねルナさん! わたくし、全力で支持しちゃいます!」
……駄目だったようだ。まったく、忘れてくれていなかったらしい。
まあ仕方ない。ここは、腹をくくるしかないようだ。幸い今は、マリンブルーが準備中のバーベキューセットに皆のその目は釘付けのようだ。
もしかすると、食べている間にサンオイルのことは頭から抜けてくれるかも知れない。食べると胃に血が行くということだし。
そんな、いまいち腹を決め切れないハルと、捕食者じみた女の子たち。
その捕食者たちはとりあえず物理的な食欲を満たすことを優先してくれたようで、デザートに回されたハルは自分の番を慄きながら待つこととなるのであった。
今はとりあえず、未来のことは忘れて異星の海鮮を楽しむとしよう。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




