第974話 強制休暇魔法
ぽてとも含め、急遽釣り大会の様相を呈してきたハルたちの休暇。
このままではいまいち休まらないどころか、湖の魚が絶滅してしまいかねない。
「これはいけない。ぽてとちゃんは、普段どんな風に釣りをしてるの?」
「えっとね。ぽてとはね、そんなに普段は急いで釣らないんだ。じっくりのんびり、魚がかかるのを待つんだよ? でもね! 本気を出したら、ぽてともすごいんだよ!」
「そっか。出来れば、普段のぽてとちゃんでいって欲しいんだけど……」
しかし、今のぽてとはやる気満々。久々に会ったユキと競う気でいっぱいになり興奮している。
この状態のぽてとをなだめるのは至難の業で、またハルとしても少々申し訳ない思いがあった。
「仕方ない。縛りでも設けるか、強制的に」
「おっ、なにやるんハル君?」
「しばりぷれい! ぽてと、しばるのも大好き。まけないよ」
要は、穏やかな湖面が透き通っているから、二人には容易に魚の動きが捉えられてしまうのだ。
そこが大幅に難易度を下げていると分かっているならば、それを封じてしまえばいい。そうすれば、今より多少はマシになるだろう。
「魚が簡単に見えちゃうからいけないんだ。よって、君たちの視界を封じさせてもらう」
「ぽてと、目隠し持ってる!」
「……何で持っているのかぽてちゃん。しかし、封じるってどうするんハル君? 魔法で湖を黒く染める?」
「海みたいになるのかなぁ。あ、そうだ、みんなで海にいく? ぽてと、お舟も持ってるんだよ」
「へえ、凄いじゃないかぽてとちゃん。一流の釣り人だ」
「えっへん。ぽてと、海の猫。うみねこ」
……それは鳥である。猫ではない。
それはともかく、二人の言っていることは当たらずしも遠からず。簡単に水面下が見通せない環境となれば、目視で魚に狙いを定めて引っ掛けるなどという神業も難しくなろう。
しかし、ユキの言もぽてとの言も、どちらも環境の方を変える物だ。それではハルとアイリが、肝心の休暇をのんびりと楽しめないだろう。
急に真っ黒になった湖面を眺めて過ごすことになったり、急に荒波に揉まれる休暇に様変わりしたり、それは避けたいところだった。
「環境に、手は加えないよ。弄るのは、君たちの視界の方だね」
「おっ? おおおっ? ぽてと、なんだか急にふらふらしてきちゃった……」
「あーあ。幼気な幼女に催眠かけちゃって。いったいナニする気なんだか」
「しないというに。人聞きの悪い……」
こちらのユキになると、ルナに負けずえっちな話題がお好きである。体の接触が苦手なくせに、挑発的なことだ。
そんなユキとぽてとにハルは、魔法をかけて精神介入している。これは勿論えっちないたずらをするため、ではない。
環境を変えて縛りプレイをするのではなく、彼女らの視覚の方を変えて縛るのだ。こうすれば、ハルとアイリにとっては穏やかで美しい湖のままで済む。
「君らの視界を奪った。これなら、さっきみたいに無双もできまい」
「おお? ぽてと、ちゃんと目はみえるよ?」
「いや、よーく見てみるんだぽてちゃん。この状態で、湖の中に魚は見えるかい?」
「おっ? おおー?」
ぽてとが両手を目の上にかざして、湖底に穴が開くほど覗き込んでみるが、彼女の主観では魚の気配は一切感じられない。
もちろん、魚が居なくなった訳ではない。ハルから見れば、今ものんびりと泳ぎ回る魚の姿が見て取れる。
「最近はずっと五感に介入する研究をしてたからね。それを魔法に落とし込めば、こんなところさ」
「何をしているのでしょう! ハルさん、わたくしにも、やってみてください!」
「ん、いいよ。とはいえアイリはすぐに戻そうね?」
「むむむむっ? むむっ! おお、すごいですー! お魚が、一気に見えなくなりました!」
今この三人は、魚の姿を認識できなくするフィルターが掛けられている。これは正確には目ではなく、脳に作用する魔法であった。
実際は目には魚の姿がきちんと映っているのだが、その情報を処理する脳がそれを判断できない。
その結果、自動で補間処理が入り、何も居ない穏やかな湖に早変わりしたように見えるのだ。以前も使った、『認識阻害の結界』の応用である。
「今回は応用編として、魚が泳いだ結果の航跡や、その他水中の魚が及ぼす全ての影響が認識できないようになっている」
「そんじゃ釣り上げても分からんじゃない! 楽しくないよーハル君ー」
「たしかに! ぽてとも、どうせなら魚を持ってドヤ顔キャプチャ撮りたいなあ」
「大丈夫だよ、慌てないで」
空中に、大きな『エア魚』を掲げてやりとげた表情を取るぽてとが可愛らしい。大物を釣り上げた際には、そうして写真を残すのだろう。
ハルは二人してそんなポーズをとるユキとぽてとに、先ほどユキが釣り上げた魚の方を見るように促すのだった。
「ほら、釣った魚を見てごらん。それも見えないかな?」
「おりょ? 見えるね」
「たしかに! どうなってるんだろう……」
二人が、ついでにアイリも覗き込む生け簀の中には、きちんと魚の姿が確認できたようだ。
これは、湖の中に居る魚のみが認識できなくなる設定が上手く働いた結果であった。
これなら無事に釣り上げることが出来れば、その時は問題なく喜びにひたる事が叶うだろう。
そんな、不思議な目隠し状態にて、ハルたちののんびりとした釣り休暇はようやく始まったのであった。
*
「むぅ。目が見えなかろうが問題ないだろと思っていたが、これはなかなか、むつかし……」
「ぽてともだ! はんせいしなきゃなあー」
「あはは。偉いぞぽてちゃん」
魚が認識できなくなったユキたちは、途端に魚がかからなくなる。感覚でどうにかなると高をくくっていたようだが、そうそう甘くはないはずだ。
本来、ちらりと見える魚影を捉え、無意識に脳内で処理しているような『勘』も一切働かない。魚に関する全てが認識から除外されているからだ。
例外は、魚が針に掛かった後のみ。その影響が湖から出て、竿にまで伝わって来てはじめてだ。つまりは一般の釣り人とまるで同じである。
「くっ、ハル君め……、強制的にのんびりさせられてしまった……」
「ぽてとは、これも悪くないなあ。魚を取るのも好きだけど、釣りは暇つぶしにもなるからね」
「落ち着いてるなぁぽてちゃんは。歴戦の釣り人の風格たっぷりじゃ」
「むふー! ぽてと、だいべてらん!」
自慢げに顔を上気させるその姿からは、一気に歴戦の貫禄が抜けていってしまった。可愛いので問題なし。
そんなぽてととは、直接こうして話すのは久々なハルたちだ。自然、魚を待つ間の会話はこれまでの、顔を合わせていなかった期間の話となっていく。
「ぽてとさんは、普段はどのような釣りをしているのですか?」
「うん! ぽてとはね、海から山から、どこでも釣りをするんだよ。最近は、海に行くのが多かったかなあ。沖のギリギリにまで漕ぎ出して、生態調査をしてるんだ!」
「すごいですー!」
本当にすごい。本格的である。マリンブルーとモノの戦艦イベントが終わった今、海の先にはゲーム的な攻略要素は全く存在していない。
そこに入り浸るのは、もはや完全にただの趣味。ましてや生態調査となると、釣るため食べるための域を超えていた。
ちなみに、もしぽてとが専門家顔負けの魚に関する知識を持っていた場合、少しまずいことになるかも知れない。
このゲーム仕立てにした異世界の『ワールドマップ』は、激変する惑星環境の中を切り抜いたここだけの楽園。
その境界を一歩踏み越えれば、調整されていない環境と地続きだ。
そんな外部の影響を大きく受けるのが海である。海の生態系を調べていけば、その事実に行き当たる可能性はゼロではない。
実はぽてとは、一般プレイヤーの中では最もこの世界の秘密に迫っている一人なのかも知れなかった。まあ、あくまで可能性の話である。
「でもね、ぽてとは、少しつよくなりすぎた……」
そんなぽてとが急に、憂い顔で湖に目を落として黄昏れる。
その様子は深刻そうに見えて、実のところただ雰囲気に浸っているだけなのだろう。ユキも過剰に心配することもなく、ぽてとの次の言葉を待った。
「ハルさんの言っていること、少し分かるんだー。本気でやったら、ぽてと、取れない魚なんていないもん!」
「楽しむための釣りじゃなくて、『魚を取る作業』になっちゃう訳かー。わかるなー」
「生態系壊滅タイムアタックしようとしてた奴が何を言っている」
「あはは。そう言うなってハル君。ハル君も分かるっしょ」
「まあね。極めたゲームは作業になりがちだ」
試行錯誤している過程が一番楽しいとするならば、そうなってしまったぽてとは退屈だろう。
だがぽてとは、さほど悲観しているようには見えない。きっと、何か手を打っているのだろう。
「だからぽてとは、考えたんだ。今ハルさんがやったように、難しくしちゃえばいいんだって!」
「それでぽてちゃん目隠し持ってたんかー」
「具体的には、どうなさっているのです?」
「うん! おしえてあげる! まずはね、<飛行>フィッシング! ぽてとは、飛んでいる間しか魚を釣っちゃだめなんだ」
「ふらいどぽてとだ」
「そう。ふらいどぽてと!」
シルフィードの言語教育はどうやら行き渡らなかったようである。まあ、可愛いので良しとしよう。
そんな飛行ぽてとは上空へと舞い上がると、非常に長い釣り糸を湖に垂らす。その<飛行>維持もハルのように無限には出来ず、やがてMPが切れ、へばって降りてきてしまった。
「こうして修行しながらも、ぽてとは日々新しい釣りにちゃれんじするの」
「楽しそうですー!」
「確かに、良いアイデアかも。うちらだと修行にはならんけど、単純に高いトコからやるだけで高難度ミッションになりそう。こんどやってみよハル君」
「確かに。面白そうだね」
「どうせなら、戦艦からやりましょう!」
「さすがにそれは高すぎるよアイリ……」
「モノ艦長のお舟を使うの? そのときは、ぽてとも一緒にやりたいなあ」
残念、その戦艦ではない。モノが艦長をやってくれているのは同じだが、ハルたちの戦闘専用艦は宇宙空間にある。
さすがにそこからの釣りは、ハルであっても難易度が高すぎるだろう。成功したら奇跡でしかない。
そんな、楽しくもくだらない事を話しつつの、ハルたちの釣りは続いていった。
未だ、針に魚が掛かることはなし。しかし、穏やかでゆったりとした休みの空気が、ようやく流れ始めた気がしてきたハルなのだった。




