第973話 釣りの極地
わが物顔で湖のほとりに陣取ったハルたちは、次々と湖面に釣り糸を投げ込んでいった。
透き通る湖面に広がる波紋は美しく、またその澄み切った水は、奥に落ちてゆく針の姿まで見通せるようだ。
ハルたちはその針に、魚が食らいつくのをのんびりと待つことにした。
「わたくし、知ってます! これが、『釣りゲー』というやつなのです!」
「釣りゲーってか釣りそのものだぜアイリちゃん。こっちの世界では、釣りって存在しなかったりするん?」
「いえ。釣り自体はありますが、さほど普及はしていないのです。とくにわたくしの、梔子の国においては。もちろんわたくしも、釣りをするのは初めてなのです!」
「ふーん。魚があんま好きじゃないんかね」
「そういう訳ではありませんが。ですが、日本の皆さまよりはお魚を食べていないと実感しました! どうしても、群青の国以外は海に面していませんからね」
「それにどうやら釣りよりもみんな、魔法で獲ってしまうみたいだしね」
基本的に西端の、マリンブルーの治める藍色の国『群青』以外は海なし国家だ。
それゆえどうしても、魚を食べる機会というのは薄くなる。文化的にも、魚料理はあまりメジャーではなくなって行き、メイドさんの料理として食卓に上る機会も薄かった。
「わたくしお寿司が、気に入りました! 今日は釣った魚を、みんなお寿司にしてやるのです!」
「んー。ここの魚をよく知らないけど、淡水魚はあまりお寿司には向かないかもね?」
「そうなのですか! 残念ですー……」
「まあ、お寿司は外部に依頼しようか」
「出前、という奴ですね!」
「誰も辿り着けなさそうだ。そんな異世界からの出前依頼を受ける可哀そうな店はどこかなハル君?」
「せっかくだし、ソロモンくんの実家にでも頼んでみるか」
もちろん、届け先は日本にある家の方だ。天空城に届けろなどという無茶は言わない。
カゲツの天上キッチンにて、ソフィーに迫るほどの包丁捌きを見せていたソロモン。あれは、武器の延長としての上手さではない。
当時から推測の一つにはあったことではあるが、実家が料理関係の営みを行っており、そこからくる経験であったようだ。
彼の実家は寿司屋。生魚を下ろす包丁の腕は、そこで培ったもののようだった。
今の仕事を見ていると店を継いだりする気はないようだが、本人もそれなりの腕だと思われる。釣り終わったら釣果を持ってお邪魔してみようか。
「ソロもん驚くぜーきっと。よし、たくさん仕事を与えてしんぜよう。いざ! 針よかかれー!」
「まあ実際のところ、こっちの魚はどこか違うだろうから、ソロモンくんにはお見せできないけどね」
とはいえ、それはそれ。隣のユキに触発されて、ハルも釣竿を持つ手に気合を入れる。
ユキの『針よかかれ』の掛け声は、獲物が針にかかることを祈った発言ではない。針を獲物に向けて、突撃させる為の号令だ。
この湖はとても透き通っており、魚が優雅に泳ぐ様もまたはっきりと見通せる。
特に今のユキのような視力、動体視力に優れた者にとっては、その魚が餌を狙っているか否かまではっきり判別できてしまうのだ。
「よっ! ほっ! うりゃりゃりゃー、針突撃ー!」
そんなユキにとって、ただ魚のかかるのを待つ時間など退屈なもの。
ユキが手首を器用にスナップさせると、餌のついた針はまるで生き物のように自在に水中を踊り始める。
それは、餌を魚の獲物である虫のように擬態させて動かすテクニック、ではない。
針の動きはそんな範囲で収まるものではなく、むしろ自分から魚を追い回し、魚の口の中に向けて正確に放り込んでしまったのだった。
「すごいですー! わたくしも、やってみたいです!」
「おっと、この技は一朝一夕じゃ身に付かないぜーアイリちゃん。これは私が以前、蛇腹剣を操る訓練の副産物で会得したもの……」
「じゃばらけん!」
刀身が分割され鞭のように遠距離攻撃も出来る剣である。基本的に、ファンタジーな代物とされてきたが、ユキにとってはその操作もこの通り。
そのテクニックによって強引に餌を食べさせられてしまった哀れな魚は、抵抗むなしく一本釣りと釣り上げられてしまうのだった。
「よーし、一匹目ふぃーっしゅ!」
「ふぃーっしゅ! さかなー、です!」
「さかなー」
初めての釣りに、アイリもユキも楽しげだ。もちろんユキは釣りゲーにおいてもベテラン中のベテランだが、実物の魚を釣り上げたのは当然はじめて。
インドア万歳なユキにとって、それは新鮮な体験であるに違いない。だがしかし。
「……これでいいのだろうか?」
「いかんです! これでは、また『攻略』になっちまうです! 『休暇』はもっと、ゆっくりと楽しまなきゃいけねーです!」
「いえ、おねーちゃん。楽しいって言えるなら、それでいいのではないでしょうか? じっとしてストレスが溜まっては、意味がありませんし……」
「ふみゃ~? しゅっ♪ しゅっ♪」
かく言う白銀と空木とて、本気で魚を釣り上げる気であれば既に一匹、二匹と釣果を得ていよう。
あくまでそれはせず、湖底を揺蕩う魚の動きをのんびりと眺めるのが、おつであるという主張らしかった。
メタもその趣旨に則って湖岸に寝そべっていたようだが、今は釣り上げた魚にその爪を光らせることに必死である。
「ほーれメタ助、食べたいかー?」
「にゃう! ……うにゃー?」
「ねこさんは、生はお嫌ですものね! あとでみんなで、お料理しましょうね」
「みゃうみゃう♪」
「贅沢な猫ちゃんめ。だが良いだろー。待ってるがいいメタ助! すぐに次のもその次のも釣り上げて、今夜のごはんにしちゃる!」
ユキが次の一匹を釣り上げようと、針に餌をセットしようとする。そして、そこでふと気付いたようで、取り付けるのは止めてそのまま湖へと凄い勢いで放り投げた。
その勢いが殺されきらぬうちに、ユキはまた魚の口めがけて針先を操り、簡単そうに引っ掛けてしまう。
「うっしゃ二匹目ふぃーっしゅ! これぞ釣り奥義。ダイレクトフィッシングじゃ!」
「すごいですー! 釣りゲーでレベルマックスまで上げたキャラの糸にはすぐに獲物が掛かるのは、この技を使っていたのですね!」
「いや、それは単にゲーム的な都合なだけだよアイリ。こんな人外の技を想定されてたまるか」
「えー。失礼だなぁハル君。いうてハル君だって、このくらい出来るだろうに」
「まあ、出来ないことはないけど……」
「よっしゃ。そんじゃ競争だ。どっちが多く、魚を討伐できるか、勝負!」
「やめようね? 僕らが本当に本気で勝負したら、この湖から魚が一匹残らず消えてしまう」
ゲーマーの危険な思想であった。獲物は、無尽蔵に供給されつづけると思っている。
いや、よしんば思っていないにしても、一匹残らず獲り尽くすことに快感を覚える。
どちらにせよ、ここの生態系が崩壊することは必至。それは断じて避けねばならない。ユキの魔の手から、異世界を守ることを心に誓ったハルだった。
「まあ、別に消えてもいーですけどね。あとでわたしが責任もって、マゼンタの生体研究所で増やしておくです!」
「にゃにゃ!」
「そうでした! メタちゃんのプラントで増やせばいーです。放流です!」
「にゃんにゃん♪」
「白銀も変なとこで肯定に回らない……」
振り回されるはハルのみだ。やはりハルは、女の子たちの中においてはこういう役回りなのだろうか。
まあ、嫌な気はしない。とはいえ、生態系の破壊は断固阻止だ。ユキにはどうにか、大人しく休暇を楽しんでもらわねばならない。
「むっ!? 立ちふさがるかハル君! なるほど、『魚が取りたければ僕を倒してからにしろ』ってことだね。強敵だ……」
「いや、まず倒す倒さないの思考はやめてのんびりしない? その為に来たんでしょユキも」
「うん。どうやらそうらしい! でも、それは“あっちの私”の考えだ。こうしてこの体にログインしてしまった時点で、そんなのきれいさっぱり置いてきた!」
「相変わらず不思議だこと……」
「こ、ここは、やはりハルさんが体で抑え込むしかないのではないでしょうか! どきどき!」
「アイリも変な方向に話をこじらせようとしないのー」
まあ、騒がしかろうが休暇は楽しめている。こんな形の休暇もいいかとハルが折れそうになったところで、その気配を察知したハル。
この湖を囲むようにある林の中に、ハルが何者かの気配を察知したことを、ユキもまた察知する。
睨み合いを止めた二人が揃って、そちらの方向に鋭い視線をやると、その殺気に驚いたのか、どしり、とその場で誰かが尻もちをついたような音が響いたのだった。
*
「み、みつかっちゃった~。ころさないで、ください!」
「殺さないよぽてとちゃん。安心して出ておいで」
「おー。ぽてちゃんじゃん。どしたん? うちらをスパイしてたん?」
「んーん? ちがうよ? ハルさんユキさん、王女さまこんにちは! ぽてとも、釣りをしにきたんだよ。ここは普段は誰も居ないから、ぽてとびっくりして隠れちゃったんだー」
「こんにちは、ぽてとさん!」
木陰から姿を現したのは、猫耳が可愛い少女のぽてと。シルフィードのクランに加入しているメンバーであり、姿と気配を完全に消せるユニークスキルを持つ。
その猫耳も相まって、まるで最近までのメタのようだった。
彼女はその言葉の通りに釣竿を担いで、ぴょこぴょこと愛らしくも元気にこちらの方へと寄ってきた。
白銀と空木は、視線を送ってみれば既にそこにはもう一切の痕跡が存在しなかった。
こちらの<隠密>も、また流石である。世界が変わろうが、その技術に衰える様子なし。
「おひさしぶりです! 最近は、ぽてとと会えなかったね。ハルさんたちは元気だった?」
「うん。元気でやらせてもらってるよ。まあ僕らは、半分引退したような身だからね」
「ぽてちゃんは元気そうだね。いーことだ」
「ぽてとはとっても元気です! でも、会えなくてちょっぴり寂しかったなー」
「そかそか。可愛い奴め。そんじゃ今日は一緒に遊ぼうか!」
「うん! 楽しみだなぁ。……あ、でも、ひみつの集会だったんじゃ。ぽてと、消されちゃう!?」
「消さないよ。安心して」
まあ、秘密といえば秘密だが、白銀と空木がいち早く姿を隠したのでそこまで問題はない。
それにこう見えてぽてとは非常に口が堅い。約束したことは決して破らない。今もまた、『しーっ』、のポーズをとって、秘密を守ることをアピールしている。
まあ、約束していないことは、ぽろっと口にしてしまうことがあるのが子供らしいが、そこはハルたちが気を付けてやればいいだろう。
こう見えて、天空城や神界の事情については、シルフィードより詳しい気がする少女なのだった。
「うっし、そんじゃ何して遊ぶか。やっぱ、エクストリームフィッシングかな」
「ぽてと、負けないよ。ぽてとのすきるにかかれば、野生の魚だって手づかみだもん!」
「チート! なのです!」
「やめなさい君たち……、本当に生態系が崩壊しそうだから……」
釣りに関しては、このぽてとはこちらの世界では大先輩である。
攻略中から既に、海に川にと世界各地の釣りスポットにて魚を探し求めて旅していた彼女だ。
そんなぽてととユキが競えば、この湖の魚など一瞬で絶滅してしまうだろう。
そんな思わぬ来客も加えての、ハルたちの束の間の休暇。なんとも騒がしく、続いていきそうなのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




