第971話 まだ知らぬ人類の五感と六感についての考察
サービス開始の記念放送も無事に終わり、ハルは意識をゲーム内から引き上げる。
とはいえ一部はまだまだ全体の監視に残したままだが、もうさほど集中しておく必要はないだろう。並列思考の優先度はごく低レベルに。
そのぶん浮いた領域リソースで、ハルは帰りを待つ女の子たちの元に戻っていった。
「お帰りハル君。どだった? 順調?」
「ただいまユキ。そうだね、まあまあ順調だ。ほとんどのプレイヤーは、僕の思う通りに動いてくれているよ」
「おぬしもわるよなー」
「いえいえ。ユキ様ほどでは」
「……私は、陰謀より物理攻撃で解決したいかなー」
まあ別に、ハルとしてもユーザーを思い通りに動かしたいと思っている訳ではない。用意したコンテンツで、予定通りに彼らが楽しんでくれているのが嬉しいだけだ。
「データは順調そ?」
「うん。まあまあ。記憶のフィードバックから、日本人が日常的に食べている物のデータなんかは既に殆ど揃ったと言える」
「おお」
「これで、中級くらいまでのロードマップは埋めていけるかな」
「それでも中級なんだ」
「だね。その先が、少し躓きそうかな。普段みんなが食べ慣れない物は、推測でデータを埋めていかなければならない」
推測というと適当そうに聞こえるが、正確には計算だ。暗号解読のように、今分かっているデータから伏せられた残りの部分を割り出してゆく。
普段食べている物のデータが取れれば十分だろうと言えればその通りなのだが、『完全な味覚データ』を標榜して売り出す以上、そんな手抜きは許されない。
「そいやさ、今のゲームで、味覚嗅覚以外の再現度って、かんぺきな物なの?」
「んー、まあ、そこそこ?」
「そこそこなんだ。つまり完全じゃないと」
「そうだね。まず、なにをもって完全とするか、その定義が人類はまだ完全に出来てない」
「てつがくじみてきた……」
別に、そう難しい話ではない。人間は、自分の目で自分が何を見ているのか、それを全て正確に認識している訳ではないのだ。
もちろん、眼球が可視光線をどのように認識し、それを脳がどのように判別しているかはそれなりに明らかになっている。しかし一方で、映像処理する際に切り捨てられているデータがあるのもまた事実。
電脳世界では、その部分は最初から無いものとして扱われている。この時点で、現実の視覚の完全再現とは言えないだろう。
とはいえ、それを再現するのが必ずしも良いこととも限らない。理解していない物を理解しないままに再現するのは、どう考えてもバグの元だ。
「ユキなんかは、もしかしたら“あっち”ではそうした未解析データがあれば、それを認識してもっと有利になるのかもね」
「どーだろ。よくわからん。いらんものまで見えて、かえって混乱するかも。“こっち”じゃ、その普通の物までちゃんと見えてる気がしないし」
現実では、視界にフィルターが掛かったように虚ろに世界を認識してしまうユキだ。彼女にとっては、こちらの方が『何か足りない』状態。
そんなユキの例は極端であるとしても、五感というものはそうして一人一人微妙に違うもの。
その感覚の一部である味覚の再現を万人が納得するレベルで行うのは、ハルと神様と言えどなかなか骨の折れる作業なのであった。
「大変だねー。カナちゃんのゲームのデータを、そのまま持ってこれれば良かったのに」
「全くだね。とはいえ、あれは実際は『もう一つの現実』だから、叶わぬ願いさ」
むしろ、あの世界が徐々に知れ渡ってきているからこそ、味覚の再現を急がねばならないという事情もあるのだが。
ルナの話によれば、日々少しずつ、データの公表を求める声が増えてきているらしい。
求められたところでルナが応じる訳はないし、そもそもこちらもデータを持っていないので公表しようがないのだが。
そんなことをユキとつい立ち話してしまったが、どうやら他の皆もハルのことを待っているようだ。
ハルは、ユキと連れ立って、皆が揃っている食堂へと歩いて行くのであった。
*
食堂で準備されていたのは、ささやかな記念パーティー。ゲームが無事開始したことを祝う、身内だけのお祝い会だ。
今日はどの世界でも食べ物尽くし。テーブルの上には、メイドさんと共に皆が作った料理の数々が所狭しとひしめいていた。
「お疲れ様ですマスター! さあ、たっぷりと食べて疲れを癒すです! 白銀も、がんばってお手伝いしたです!」
「……本当に、これで正解だったのでしょうかおねーちゃん。マスターは、あちらでも沢山の食べ物に囲まれていました。すぐに食べたくはないのでは?」
「そんなことねーです。あっちで食べてもお腹はふくれません。メタちゃんだって、そう思うですよね?」
「みゃう! ふみゃー?」
「ありがとう、白銀、空木も。メタちゃんもお料理を手伝ってくれたのかい?」
「にゃっ!」
自慢げに鳴きながら片前足を上げるメタである。どうやらメタも、メイドさんのお手伝いをしてくれたようだ。
……どうやって? まあ、あまり気にしない方が良いだろう。猫らしからぬ器用さで、クッキー生地だって伸ばして見せるメタである。クリームの泡立てだってやる。きっと何でも出来るだろう。
「お帰りなさいハル。食欲は?」
「まあ、そこそこ。そもそもあっちの意識は分身みたいなものだしね」
「では、こちらでもたっぷりと頂きましょう!」
「ああ、そうしようかアイリ」
皆で席について、『いただきます』を唱和する。完全に日本の食卓だが、テーブルの上には見慣れぬ料理がちらほら。
これは、メイドさんたちの作であり得意料理。異世界に特有のものだ。
こうした料理のデータも反映出来れば更に計画は進むが、いかんせんハルたちだけではサンプルが少なすぎる。
そんなことも団欒の中で話しつつも、ハルたちは食事を進めていった。
「そうだ! また、“こらぼ”をしましょう! こちらの世界のイベントで、特定のお料理を皆さまに振舞って、あちらでも同じ物を出すのです!」
「確かに、そうすれば記憶からその味が引き出されて、データがリンクされるかもね」
「良い考えではないでしょうか!」
「確かに理屈の上では良さそうですがー、やっぱり規模の問題は付いて回りますねー。悲しいことにこちらのゲームはー、参加者がそれほど多いとは言えませんしー」
「も、申し訳ありません、カナリー様……!」
「アイリちゃんのせいじゃないですよー」
「それならむしろ私が日本で、コラボ商品でも売り出した方が良いのかしらね?」
月乃が大々的に宣伝した前作と、その派生作品である今作、それと比べてしまってはどうしても仕方ない面はある。
なにより、こちらは最初から有料ゲームだ。参入障壁はどうしても高かった。
「今から無料にしてもいいんですけどねー。ですが私はもう引退した身ですしー。意見する立場には居ませんしー」
「……いや、僕も今のままでいいんじゃないかと思う。むしろ、異世界への流入者は、今のところは抑えておきたい」
「有料だったのはモラルを保つ為だもんね」
「まあー、ユキさんの言うことも事実ですがー、実際のところは宣伝費用を稼ぐためと、アメジストの奴に『使用料』を払う為ですねー」
「さいきんよく聞く名だ」
アメジスト、神様たちがゲームを作るにあたり、欠かせぬ存在である『スキルシステム』の設計者だ。
こちら側には直接参加していないが、これまでずっとかなり深く関わってきている神だと言える。
そんなアメジストは、システム使用料として日本円を求め、カナリーたちはそれが元で課金システムの実装に踏み切った。
特に、『超能力系』と言われるスキルの使用料が高額となるようで、取りにくかったり未実装だったりして煙たがられていたのであった。
「そいやさ、結局、超能力ってどういう存在なん? さっきハル君と話してた、謎の感覚と関係あるん?」
「あるとも言えますし、ないとも言えますねー。五感の外の力、いわゆる第六感って奴でしょうからー。私も詳しくないので、あまり聞かないでくださいー」
「それでも、今後無視してはいられなそうよね? 私も、自分ごとだったようだし」
「そうなのです! リコリス様も、関わっていたと聞きました!」
「あんにゃろは自分の行動の言い訳に使っただけみたいですけどねー。まあー、隠すことでもないですし、お菓子の肴代わりに語るとしますかー」
「お菓子が肴じゃないんだねカナちゃん……」
主食と同時にお菓子を頬張っているカナリーだ。そろそろ、彼女の味覚も矯正した方がいいのだろうか? 真剣に悩むハルだった。
アイリやメイドさんたちは、主神であるカナリーを甘やかすというか、彼女のすることに決して文句をつけない。こうした明らかなマナー違反にも寛容だ。
まあ、『これがこの家のマナーでもいいか』、などと思って結局口に出さずに終わってしまうハルもまた、カナリーを甘やかしすぎなのかも知れないが。
そんなカナリーが、彼女の推測する超能力について解説していった。
「以前話したかは忘れましたがー、超能力ってのはー、私たちが作り出した力じゃありませんー。厳密には、魔法じゃないってことですねー」
「聞いた気がするわ? 確か、人間の中に時おり発現する人が居るのよね? お母さまのように」
「そうですよー。とはいえその期間は短く、力も微弱。そんなか細いデータをかき集めて、形にしたのがアメジストってことですねー」
「目覚めても、すぐに使えなくなっちゃうんだ?」
「そうなんですよー?」
なんとも不思議な話である。人間は記憶が薄れることは普通のことと思えても、一度習得した技術を忘れることは想像しにくい。
よく『自転車の乗り方を忘れることがない』というあれである。
しかし、超能力に関しては、その力に目覚める者が出たとして、すぐにそれは消えてしまうようである。
なので、彼らは次第に夢や勘違いであったとその力を記憶からも消し、社会にも記録として残ることはなかった。月乃の例は、どうやらかなりの例外のようである。
だがそんな、本人すらも忘れ去ったデータを、エーテルネットを通じて病的に収集していた神様がいた。それがアメジストということのようだ。
「……使えなくなるってことは、スイッチのオンオフがあるってことだよね? どこにあるんだろ、そんなスイッチ」
「確かに興味深いわね? じゃあ今日は、ユキのスイッチを徹底的に探してみることにしましょうか」
「や、やめれルナちゃ……!」
「そのスイッチにはおおよそ見当がついていますー。恐らく遺伝子で間違いないでしょー」
「カナちゃんも流さないでルナちゃんを止めて……!」
わきわきと怪しい手つきで、現実では大人しいユキに迫るルナだ。食事時である。はしたないのである。
そんなルナだが、ユキのスイッチを探すよりもカナリーの話が気になったようで、その手を止めて大人しく席に戻った。
「……遺伝子なの? だとしたら、先天的なもので、出たり消えたりしないのではないかしら?」
「それが、ルナさんや奥様ちゃんの例なんでしょうねー。奥様ちゃんが研究していたのも、きっとそれですー」
「じゃあ、アメジストが研究していたというのは?」
「お察しの通り、後天的な遺伝子変異ですー。『エピジェネティクス』という奴ですねー」
人間の遺伝子は、生まれた時から決まっており死ぬまで変化しない。常識ではそう思われている。実際、正しい。
しかし一方で、それこそある種のスイッチのオンオフをするように、同じ遺伝子配列であっても違う振る舞いをすることがあるのもまた研究で分かっているのだった。
超能力が出たり消えたりするのも、そのエピジェネティック的振る舞いが関係していると、カナリーは踏んでいる。
正確なところはアメジストにしか分からないが、ハルもまた、リコリスの実験していたデータを解析するにその可能性は高いと思っていた。
何かの切っ掛けで、その遺伝的スイッチがオンになってしまい、時間の経過と共に次第に薄れてなくなっていった。
そう考えれば、辻褄の合う話だ。しかし原理を知ってもなお、分からない部分はある。動力だ。
「その超能力とやらのエネルギーって、どこから供給されてんの? やっぱエーテルエネルギーなのかな?」
「いや、エーテルネットの普及前から、そうした噂は絶えないことから見るに、それはなさそうだよユキ」
「そか。じゃあ、科学的な力なん?」
「それもない。もし地球の科学で定義できる力なら、とっくに体系化されてる気がする」
「これも、仮説はありますねー。エーテルネット以前から、存在することが確定している奇妙な力なら、あるじゃないですかー」
「魔力! なのです!」
「正解ですー」
地球のことだというのに、変な話だろうか? いや、考えてみれば、おかしな話ではない。魔力はもともと、地球人の夢から生まれると異世界人は考えてきた。
それが、次元の狭間を通して異世界へと流れ、何故かそちらに留まっていく。
であるならば、その魔力が流れる前に、自分で使ってしまえる仕組みがあれば、地球においても魔法を使えることにならないだろうか?
それが、超能力の正体なのではないかと、カナリーは推測しているのであった。
※誤字修正を行いました。




