第968話 味見の重要性
ハルはマツバのプレイしていたエリアを抜けて、事前に誘っていた他のプレイヤーの様子を見に行くことにした。
彼らも既にチュートリアルを終え、今はいわゆるゲーム本編に突入。その攻略に勤しんでいる。
とはいえ競争するものでもなく、RPGのように決まった大目的があるわけでもない。
ここから先は、何をしていくにも個人の自由だ。逆に言えばプレイヤーごとに様々な特色が出る所。ハルと視聴者は、その変化を楽しみにしながら世界を渡る。
そして、その最初に訪れた世界は、少々予想以上に変化の激しい世界となっていたのであった。
「解体! 分解! みじん切り! 完成! あっ、ハルさんだ!」
「こんにちはソフィーさん。……いま完成って言った?」
「うん! だって料理として判定されてるし! 煮たり焼いたりしなくても完成なんだから、楽でいいよね」
「まあ、楽ではあるね。料理人側は……」
実に素材の味が楽しめそうなワイルドな料理である。刺身とも言う。ミンチとも言う。
とはいえその調理がただの手抜きかといえばそんなこともなく、見るからに一流の料理人が行う、美しすぎる包丁捌きがそこにはあった。
流石はソフィー。生き物の体を斬らせたら並ぶ物なし。ではなく、刃物の扱いは実に手慣れたものだ。
「しかし、このプレイスタイルには少々問題があるね」
「ええっ!? 私、なにか間違っちゃったかな!? 軌道修正お願いしますプロデューサー!」
「いや、僕は君のゲームスタイルにまで口出ししたりしないけど……」
あくまで今回は、公式キャストとして宣伝担当になってもらっているだけだ。そのプレイ内容をどうしようと、ソフィーの自由。
しかし、これは良い機会かも知れない。この攻略スタイルでは、とくに序盤の今は問題が大きいというのを彼女を通して、見ている者たちに説明していくのもいいだろう。
「まず、別に刺身専門店というのは悪い訳じゃない。このゲームでは、特に生ものを取り扱う際の防疫の為の許可などは必要ないからね」
「ふんふん! リアルではそんなのあるんだね!」
まあ、現実においても形骸化して久しくはある。
エーテルネットの普及により、細菌等に対する対策技術は非常に向上した。生肉生魚を食べても、食中毒に陥る危険性は前時代と比べ大きく下がったのだ。
店主が何をするかといえば、特に何かをする必要もない。ただ提供する食材にナノマシンをぶち込んで、殺菌プログラムのスイッチをオンにするのを忘れないようにするだけ。
そうすればあとは勝手に、食材の中でエーテルが菌に絶対に勝ち目のない包囲殲滅戦を仕掛けてくれる。
新時代における防疫は、同じスケールによる物理攻撃なのであった。
「ただ、単純に今は、素材の味がそのまま出るっていうのはマイナスが大きいね」
「そうなんだね!」
「……そんな人ごとのように。味見はした?」
「してない!」
まあ、そうだろう。ソフィーはただ包丁が振るいたいだけで、料理の美味しさを追及したい訳ではない。
とはいえ、味見は重要だ。これは料理の基本中の基本、という訳ではなく、お客様に対する思いやり、という訳もなく、このゲームの目的にとっての重要性だ。
味覚データの収集は、主に店主であるプレイヤーからのデータ採取で行われる。よって、きちんと味見をしてもらわねばデータの収集がいつまで経っても進まないのだから。
ならばここはソフィーを通じて、視聴者たちに味見の重要性というものを叩き込んでいかねばなるまい。ハルはそう決意した。
「いいかいソフィーさん。料理人たるもの、味見は絶対に欠かしちゃ駄目だよ」
「よく聞く気がする!」
「もちろん皆がそう言っているのには理由があるんだ。食べ物っていうのは、人間にとって欠かせず、生きる為に重要な物。特に、自分じゃなくて他の人にお出しするんだから、その人の体のことを常に気にして作らなきゃいけないよ」
「うんうん! 大事そうだ! ……でも、このゲームのお客さんはみんなNPCだよね?」
「…………」
「…………」
鋭い指摘だ。流石はゲーマー。判断の論理が実に効率的である。そして倫理が実に欠如している。
相手は生きていないのだから、体を慮る必要なし。毒を食わせようが腐りかけを食わせようが、データ上満腹になっていれば問題ないのだ。
なんと危険な考えか。ソフィーの将来が偲ばれる。しかし、これに関して何かを言う権利などハルにはなかった。ハルだって、普段は同じように考え同じように行動するのだから。
「……いいかいソフィーさん。確かにこれはゲームだけど、こういったものはゲームだからといって気を抜いていいものではない。一事が万事、という言葉もある」
「確かに! 大会がなくても、毎日の練習はサボらないよ!」
「そうだね。偉いぞ。ならそれと同じだ。それに、ゲーム内のことだけで考えても、美味しい物をお出しするということが攻略に直結するのは間違いない」
「とにかく数をこなせば、それでいいんじゃないのかな?」
「それが出来ればね。でも客足は基本的に、店の評価に依存する。特に序盤は来店頻度が低い」
「貴重な経験値は、最大倍率でゲットしなきゃいけない訳だ!」
「そういうことだね」
理解してくれたようである。いつの間にか料理の心得からゲームの心得になっている気がするが、ハルも味見さえしてくれればそこは別にいい。
根本的な部分で、不道徳なところが隠し切れないハルだった。
しかし、ソフィーの言は単なる言葉遊びではなくシステム的には非常に正しい。
もしこのゲームで誰よりも早く、誰よりも繁盛する店を作り上げようと思ったら、その効率を極めることは避けて通れない。
まだまだレアな敵を、最高の経験値効率をもって撃破し、店の経験値をアップさせる。
そうすることでエンカウント率はアップし、更なる成長が見込めるようになるのだ。
そんな大切な序盤で、刺身だけ出してお帰りいただくのはなんとも勿体ない。
これが、忙しくてメタの手も借りたいほどの繁盛店ならば回転率アップとして一応アリな戦略ではあるのだが、そんな状況とは程遠い。
序盤はどんな店舗であろうと絶対に、一品一品に魂を込めて高評価を掴み取ることが必須のゲームデザインなのである。
「という訳で、味見はしようね。見ている君たちもね。ブースは接客の際だけでなく、味見であっても問題なく利用可能というのは覚えておいて損はないだろう」
「あっ、そっか! 味見もブースで出来るんだ!」
「まあ、ソフィーさんの気持ちも分かるよ。『コレ』を味見したところで、意味なんてないと思うのは自然なことだ」
二人の目の前に並ぶのは、恐ろしい切れ味にて惨殺された肉片。もとい、様々な種類のお刺身。
しかしその味は、例のジャンクフード状態の、お世辞にも美味しいと言えない物だ。これは、味見しようとしまいと揺らぐことはない。
ただそんな食材であっても、ブースで食べればそこそこの味となる。ハルとしてはむしろ店主がその落差からくる感動に夢中になり、ひたすら味見を繰り返してほしいくらいだ。
「やっぱり、お刺身専門店はきついのかなぁー」
「……んー。そうだね、もちろんそういった明確な意思があるのなら誰に憚ることもない。しかし、システム的に序盤は不利だということは認識しておいた方が良いね」
「縛りプレイの部類だ!」
「うん。やはり最初は、総合レストランとして進めるのが効率は良い。しかし、放送的にもいい機会だ。ここはひとつ、刺身専門店として進めてみようか」
「おお! これでまた肉が斬れるね!」
「……言い方はもうちょっと考えようかソフィーさん」
斬殺系アイドルは正直どうなのだろう。まあ、ソフィーの売りはそうした戦闘技術の高さであるので良いのかも知れない。
……本当に良いのだろうか? まあ、今は良いということにしておくハルだ。
そんな、刺身専門店を開くにあたって、今足りない物は圧倒的に高品質な素材、生肉生魚だ。
従来通りの味気ないそれから脱却すべく。ハルとソフィーはひとまず厨房を離れ、素材の仕入れに向かうのだった。
*
「市場だ! 結構賑わってるー!」
「うん。店主たるもの、食材の仕入れにも気を遣わないとね。定期的に、市場マップには足を運ぶことをお勧めするよ」
「……でもハルさん。お店の食材は、使っても使っても無くならないよ?」
「そうだね。でも、補充されるのは最低ランクの食材だけなんだ。そして、ソフィーさんに必要なのはどう見てもこっち」
「おお!」
ハルが案内したのは、鮮魚を扱うエリアに、肉類を扱うエリア。ここでゴールドを使って食材を仕入れることでブースに頼らない料理の基本性能をアップさせるのだ。
「ブースの強化倍率をいくら増やしても、基本値が低ければ頭打ちになる。特に、ソフィーさんのような素材の良さを引き出す料理なら、なおさらだ」
「うん! 分かった! ここで良い素材を仕入れることが、そのまま私のお店の評価アップにつながるんだね!」
「そういうことだね」
酷評はしたが、ソフィーの包丁の腕は超一流だ。これは流石の一言である。
その腕から生み出される刺身もまた一級と言っていいだろう。あとは、素材の品質さえ良ければ評価も勝手に上がっていく。
そこで重要になるのが、この市場マップ。ここで『目利き』をすることは、彼女のみにあらず全てのプレイヤーにとって必須と言えた。
「こんにちは!」
「おう、いらっしゃい。新しい肉の仕入れがあったよご店主。買って行かないかい?」
「おお、新商品!」
見ればソフィーの訪れた肉屋には、早くも新商品の入荷があったようだ。
これは、攻略と共に解放されていく要素の一つ。その攻略とはソフィーの店の発展だけではなく、実は全てのプレイヤーの攻略状況が関わっている。
アイテム一覧の中にはいくつか『new!』マークがついた物があり、それは外の地域から輸入されてきた物という扱いだ。
その『外』というのが、他のプレイヤー。この世界全体で料理界が盛り上がれば盛り上がるほど、それに刺激されて材料を扱う業界も活性化していく。
その熱量は次々と新素材を市場に流し、相乗効果で界隈は更に発展するのだ。
……という、設定になっている。実情は、各プレイヤーから集めた味覚データをリアルタイムで反映し、進化したアイテムを新商品として追加しているのだった。
「ふ~~む。どれが良いんだろう。やっぱ高い奴かな?」
「ソフィーさん。そこは味見しないと。忘れちゃ駄目だよ」
「えっ!? 商品の味見出来るの!?」
「もちろんだぜ店主さん。俺達も、自慢の商品がどんな味か分かってくれれば、売れると確信しているからな」
「うわぁ、ありがとう!」
もちろん、詭弁である。この世界には味見を拒むNPCなど一人も存在しない。問いかけに対する答えは様々だが、基本的に市場の人間は主人公に対して実に都合の良い人々なのだった。
ソフィーはそんな新商品を、あからさまに用意された『試食』コマンドから味見を試していく。
しばらくいくつかの肉や魚をもぐもぐしていた彼女だが、どうやらお気に入りの食材が見つかったようだった。
「よし! これを買って帰ろう! これをお刺身にして提供すれば、お店の評価アップ間違いなしだ!」
「気に入ったのがあったかな?」
「うん! もうこの時点でかなり美味しいよ! ブース使わなくても普通に食べれちゃうくらい! 凄いねこのゲーム。この感じだと、まだ先があるんでしょハルさん?」
「もちろんだよ。全体の攻略が進めば進む程、市場も活性化するシステムだ。ああ、もちろん、自分の店の評価も高くないといけないけどね」
「がんばる!」
これが、ハルがシステムに落とし込んだ言い訳としての仕組み。
高級食材の実装は、全体の進行度に左右される。だからその為に、ゲーム全体を盛り上げてくださいね、という言外のメッセージ。
普通のゲームなら収益の為だが、このゲームは味覚の為。味覚データが集まって、初めて次のステージに進めるのだ。
そんな、ある種病的に味見を推奨してくる料理ゲーム。まあ、味見は実際、非常に大切なので問題ないだろう。
そんなゲームでのデータ採取は、どうやらハルが思うよりも早いペースで進行してくれているようだ。新商品の入荷が早い。
期待感を胸に二人は店へと戻り、ソフィーは買ってきた食材をさっそく切り刻んでいくのであった。




