第961話 味の記憶と共感覚
「……と、いう感じでやっていこうと思ってるんだけど、どうかな?」
「現場を殺す気ですかぁ~?」
「大丈夫。カゲツは強いから」
「それは、仮にも神なんで強いですけどぉ。ウチにも可能と不可能がございますぅ」
「まあ、そこはすまないと思ってる。これから調整していこうか……」
つい楽しくなって、制作の実務担当のカゲツ抜きで好き放題に進めてしまったハルたちだ。
気付いてみれば、膨れあがった企画の規模は前回の大規模なものに迫ろうというほど。さすがにそんな規模の実現はハルやカゲツであろうと不可能だ。いつの間にこうなった。
そんな妄想がこれ以上、収拾が付かなくなる前にと、一旦ハルは今回の発起人であるカゲツの元へと中間報告へと訪れている。
ここはカゲツの用意した電脳空間の一角。これから作られるゲームが、実際に形を成してゆくその場所である。
話しているうちに、あれもこれもと、追加要素を加えに加えていってしまったハルたち。
大作RPGではないのだから、そんなボリュームなどかえって顧客を混乱させるだけである。『なにをすればいいか分からない』、というやつだ。
「じゃあここからそぎ落としていこう。まず、素材の収集に壮大な冒険が必要な部分だけど」
「いりません~。どうしてまた、そんなになったんですかぁ?」
「ご当地食材なんかあってもいいかなって話の流れでね。ファンタジー世界を、旅しながら食材を収集できれば楽しいだろう?」
「楽しいですけどぉ。コンセプトから逸れてますねー。あくまでこの企画は、現実と寸分違わぬ味覚の再現ですからぁ」
「だね。ファンタジー食材じゃ、その確認が取れない」
「恐らく無意識に、“誤魔化す”方向で考えすぎたのかとー。ファンタジーならば、言い訳が効きますからなぁ」
「かも知れない」
誤魔化しというよりは、“妥協”の癖かも知れない。限られたリソース、制限の中で、どこまで『自然に嘘をつく』のか。開発者として、よくそこを考える。
これはハルたちに限らず、多くのゲームで共通している。嘘が上手いゲームほど、良いゲームだ。逆にそれを乗り越えた『正直』なら素晴らしいものになるかと言えば、まるでそんな事がないのが難しいところ。
「そういう意味では、ウチたちのゲームは厳しいのかも知れません~」
「だね。本来、上手に嘘をついて誤魔化すべき部分で、完璧に正直であることを追及しなければならないんだから」
リアルであれば素晴らしいゲームとは言えない。むしろ、失敗するゲームが多く辿る勘違いだ。
ユキなどが特にこの部分はうるさい。一家言あるという奴だ。リアルを忘れて楽しむゲームで、なぜリアルの不便を痛感せねばならないのか。
そのユーザー目線を考慮せず、『リアルにすれば評価される』と思ってしまう開発者は多い。
ちなみにこの部分は開発者本人も理解はしていても、その上の出資者を納得させる条件にその『リアルさ』があるので泣く泣く組み込む、というパターンもあるが、今は余談だろう。
「ただ今回は、そこがリアルであることが絶対条件だから……」
「はいぃ。これは意外と、苦戦するのかもですなぁ」
「ですなー」
単純なゲームを作ればいいというだけのはずだったが、思わぬ難題であることを自覚し、むむむ、とふたり眉をひそめるハルとカゲツ。
逆に単純であるからこそ、難しい。ハルたちの妄想会議が、一晩明けたらいつの間にか追加要素もりもりの大作企画に膨れあがっていたのも、難しさからの逃避なのかも知れなかった。
「そもそも、そうしたマニアックな専門性と、多くの人を集めなきゃいけないというカジュアルさが、絶望的にマッチしていない」
「お金で集めるんではないんですぅ?」
「集めるよ。ただ本当にそうした人たちは、チュートリアルまでだね。気に入ってくれれば、何割かは居ついてくれる、ってのが狙いの策ではあるんだけど」
「そもそも絶望的にお肌に合わなければ、そのまま回れ右ですなぁ」
「ですなー」
「真似しないどいてくらはい~……」
カナリーとはまた違った、のんびりとした特徴的な喋りのカゲツだ。つい口ずさんでしまう中毒性のようなものがあった。
中毒といえば、以前ハルが月乃の依頼で不正を暴いた料理ゲームが、実際にある種の中毒症状を利用して評価を得ようとしていたのは以前も語った通り。
電子ドラッグとも称された脳内麻薬の過剰分泌。それにより、『ジャンクフード』などと呼ばれる微妙な味の電脳料理を、強引に美味しく思わせていたのだ。
ハルがその証拠を集め摘発し、開発者はお縄になった。
その者はなかなか再現できない味覚に業を煮やして手を染めてしまったようだが、それを切っ掛けに味覚ビジネスは衰退。
今日まで、ジャンクフードのままで進歩なく続いてきたという歴史がある。
「僕が閉ざした道を、僕自身でこじ開けるのか。それともマッチポンプビジネスなのか」
「なんの話ですぅ?」
「以前、電脳ドラッグの多幸感で美味しさを担保しようとした人が居てね。僕が捕まえたんだけど」
「あー、あー。聞きました聞きましたぁ」
どうやらカゲツも知っていたようだ。ハルの初仕事となる武勇伝。
今考えれば、もう少しやりようはあったのではないかと思えてくる。今のハルなら、果たしてどうするだろうか?
「今の僕なら、」
「合法の範囲内で、おりょーりに電脳ドラッグぶち込みますかぁ?」
「違う……」
あまり不穏なことを言わないで欲しい。それでは、自作自演ではなく模倣犯だ。
とはいえ、考え方自体はそうそうズレてはいない。いや、麻薬効果を発生させるということではない。まずは純粋な味での勝負を諦めるということだ。
「僕がカゲツのキッチンでやったのと似たことだ。味覚だけがまだ無理なら、他の感覚も合わせることで不足を補う」
「また嗅覚に激しく訴えかける、あの作戦ですかぁ?」
「いや、今回は少し違う。実際、嗅覚も使うんだが、今回はそこに留まらず視覚や、聴覚なども同時に使用してみようと思っている」
「目や耳で楽しませる、雰囲気作戦ということで?」
「いや、そういうことでもない。もっと直接的な作戦だ。複数の感覚をリンクさせ、混線させてみる」
このあたりが、少し攻めた、『合法の範囲内』の部分。味覚再現システムの未熟なうちはそうした合わせ技を使い、ファンタジーな味覚として、客の心を掴もうと考えるハルなのだった。
◇
「『共感覚』、というものがある」
「基本的にウチたちには縁がないものですなぁ」
「そうかもね。君らは、一つの感覚をそれぞれ独立したソフトウェアで運用しているから」
「はいなー。して、それをどのように使うおつもりで?」
人間の脳は、五感という末端感覚器から得た情報を脳という中央演算処理装置に放り込んで外界の情報を処理している。
その処理の際に、時おり複数の感覚情報が混線のような状態を引き起こしてしまうことがある。
それが共感覚。例えば、色が音付きで見えていたり、音を聞くのと同時に味を感じていたりだ。
「以前、自分の体で共感覚を強引に引き起こすテストをしていた時に」
「なにを危ないことやってるんですかこのひとはぁ~」
「……まあ聞けカゲツ。僕もやんちゃな時期があったんだ」
「今も大概ですなぁ」
その共感覚に興味があり、自分の脳内でテストをしていたことがある。
どうしてそんな事をしていたかといえば、思考が複数あるハルにとって、どの感覚がどの思考領域の担当なのか、それが気になったからだ。
脳の領域が分割されたハルは、例えば中には『味覚の無いハル』が存在するのではないか、『嗅覚の無いハル』が存在するのではないか。
だとすれば、それら個別のハルが統合されたときに、共感覚じみた『バグ』が発生してしまうのではないか。
そうしたある種の自分自身に対するデバッグ。その一環で、共感覚を発生させて実験してみたことがある。
「結果、どうなったんですかぁ?」
「結論としては、『どの僕も変わらぬ五感を備えている』。まあ、当たり前だ。今も僕の分身が並列行動しているけれど、そのなかに一部の感覚の欠けたハルなんて居ないからね」
「確かにー。そうしたデメリットがあるならば、今までの時点で目に見える形で表面化しとりますなぁ」
そう。結果としてそうした実験はハルにとって特に必要ない、杞憂として終わった。
しかし、その際に得られたデータは決して無駄にはならない。こうして今回、活用できているのだから。決して危険なだけの火遊びではなかったのである。そうなのである。
「結論から先に言おう。その僕の作った共感覚システムを応用して組み込めば、ユーザーがネット上で感じた以上の感覚を、本人の中から強引にアップロードさせられる」
基本的に、味の記憶というのは脳内で再現できないものとされている。記憶ができないのではない。『思い出す』という行為が出来ないのだ。
視覚なら情景を思い起こすように、聴覚なら旋律を思い起こすように。『脳内再生』することが出来ない。
しかし、どこか他の感覚とリンクさせてやれば、それは不可能ではないということがハルの実験で分かった。
ハルが『味付きの色』を見た時に、口の中に広がった奇妙な味は確かにハルの脳が『脳内再生』した味なのだ。
そのシステムを利用して、参加者には各々、美味しかった記憶を自分で勝手に思い出してもらうのだ。
「しかしそれでは、素のデータが取れず、ノイズになってしまいませんかぁ?」
「もちろんなるね。だから、ゲームそのものを二つのフェイズに分けようと思う」
一つはそうした特殊な感覚を使った、大衆向の領域。あまり凝った調理スキルは要求せず、食べるものも五感をフルに使って必要以上に美味しく、感動的に頂いてもらう。
二つ目がそんな小手先の、小賢しいテクニックなど使わない求道者向けのフェイズ。完全再現した味覚で、現実とまったく同じ条件で料理に挑んでいただく。
その二段構えで、ハルはゲームを構成しようと考えている。これならば、求道的すぎる設定にライトユーザーをバタバタとふるい落とすことも避けられるだろう。
加えて、ストイックな部分を奥の方に配置することで、先延ばしに出来るという狡いことも目論んでいるハルだ。
おまけの隠し要素として配置しておけば、そこに辿り着くまでに時間が掛かることも自然と受け入れて貰いやすい。
「……まあ、そんな感じで色々と卑怯な面はあるが、この設定でどうだいカゲツ?」
「いいと思いますぅ。大枠はそれでやってみましょう~。ライトユーザーは、どの世界でも大事ですからなぁ」
「そうだね。特に今回は」
いかに金銭収入が、太客のみで賄えるといえど、データ採取が出来ねば本末転倒。
ハルはその難しすぎるバランス取りの綱引きを、カゲツと慎重に考えていくのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




