第958話 技術開発は姑息に行われる
カゲツの提案した新ゲーム。これは、ハルたちに提案するから『ゲーム』という体をとってはいるが、その実彼女のやりたいことは『料理』の部分で間違いない。
正確に言うならば味覚シミュレーター。未だ完全再現には至っていない味覚や嗅覚の五感を、電脳世界にこの現実と同じ精度で実装することが目的だ。
「僕らがゲーム会社だからこそ、企画書はゲームとなっていますが、どうします? これを奥様が主導で開発すれば、それこそ完全に秘匿したまま完成させ、利益を独占できそうですが」
「だめよ!」
「はあ。それはまたいかな理由で?」
「そんなの、手柄がハルくんに行かないからに決まってるじゃない!」
「まあ、そんな気はしていました……」
月乃の企み、もとい、目的は色々と存在するが、その中の大きなものに『ハルとルナを結婚させる』というものがある。
ルナとの婚姻には対外的な障害が多く、いわゆる上流階級のお嬢様たるルナと、一般庶民ということになっているハルとの交際を認めない勢力も多い。
今は月乃の威光で大人しくはしているが、ことが結婚となると抑えが効かないだろうというのが月乃の見解だ。ハルも同じように思う。
ルナにはそんなこと気にすることなく、駆け落ち的に結婚してしまばいいという考えもあるのだが、母の希望とあって今のところは従ってきている。
ただ最近は、それもハルを再び管理者として据えようとしている故ではないかと分かり、以前より消極的になっていた。
「そうは言ってもお母さま? これは、一介のゲーム会社の扱える領分を超えているわ? 仮にこの技術が完成すれば、その使用権を巡り動く金額は今回の大会以上よ」
「大丈夫! 参加人数は今回よりぐっと少なくて済むだろうから!」
「……そういうことではなくてねお母さま?」
「もう! だからこそチャンスなんじゃない美月ちゃん! 歴史的ブレイクスルーを、ハルくんの手で成し遂げるの! その機会を逃すことなんて許容できないわ!」
月乃としては、まあそうなるだろう。この計画で動く金銭の量は、一取引だけでケイオスの手にした賞金額を軽く超えてくることが容易に想像つく。
それだけ影響力の大きな開発を成し遂げたとなれば、ハルの功績もまた甚大なものとなる。
それは、美月との結婚を正当化する大きな理由として働くだろう。
「まあ、もともと逃げられない状況なんですけどね。カナリーのゲームで既に、『味覚の完全再現』は行ってしまっていますし」
「ですよー? 『フラワリングドリーム』で知名度が上がったこともあって、最近は面倒な輩も増えましたからねー。ここはさっさと、汎用技術として確立した方がいいのかも知れませんー」
「カナリー様? 『面倒な』というと、どのような輩なのでしょう?」
「それはですねーアイリちゃん。同業他社のスパイなんですよー?」
「まぁ」
「なんか途中から結構きてたよね。あのゲームのシステムを探ろうって奴ら。あんま成果は出てなかったみたいだけど」
「そうだね。コミュニティで見る書きこみは、氷山の一角だろう。実際はもっと居るはずだよユキ」
「うへ~。なんか気持ち悪いなぁ」
味覚だけではなく、どう見ても新技術の塊であるカナリーたちのゲーム。その技術を求め、プレイヤーのふりをして調査にやってくる同業他社の者は多い。
今のところ何の成果も上げられていない彼らだが、通常のプレイをするつもりのない彼らに、カナリーたちも少々、辟易しているようだ。
そんなゲームを表向き買収し、自社運営としたルナの会社。彼らライバル企業の問い合わせ先も、当然のようにこちらに向いて来る。
味覚についても、いつまでも誤魔化しておけるものではないだろう。なればこそ、ここは自分の方から自社にて新技術の発表として公開するのもアリかも知れないのだった。
「決まりね! 『電脳世界の革命児、若き天才技術者ハル! 大企業グループ会長のご令嬢、美月ちゃんと結婚か!?』」
「まだそこまで決まってません」
「それに、そのアホな見出しはなんなのお母さま……」
「いいじゃない、ゴシップ臭くて! 実際、ニンスパの人外軌道アシスト機能も合わせて、ハルくんの功績は凄まじいものになるわよ。最初は、『ゲーム会社なんて地味』、ってお母さん思っていたけれど」
「ええ実際、地味に静かなポジションで、お母さまの影響下から離れてつつましく暮らそうとも思っていたわ?」
「もう! 美月ちゃんは意地悪なんだから!」
ルナも月乃を別に嫌っている訳ではないが、その影響力の強さと胸の内に抱く不穏な考えに、思う所がない訳ではない。
会社設立の当初から、そうした感情は少なからずあったようだ。
もちろん、ハルがゲーム好きだから単純にゲーム会社を選んだというのも、また事実であるのだが。
「しかし、『若き天才技術者』を名乗るには問題が一つ」
「なにかしら?」
「企画書の、この辺をご覧ください奥様。この計画の残念な部分が、そのまま書いてありますから」
「……ふむふむ。なになに? 『なお、本技術は開発中であり、完成はゲーム進行と並行して行われるものとする』」
要は、サービスを提供しながら、裏で必死に技術を開発していくということなのだった。
◇
「…………ん~?」
「絶賛開発中です」
「まあ、仕方ないわよねえ。それだけの技術なんだし。頑張りましょうねハルくん!」
「仕方ないで済ませないでお母さま。もしずっと完成しなかったらどうなるの。槍玉にあげられるのは私の会社よ?」
「大丈夫! お母さんの会社が、その時は守ってあげるからね!」
「……そういうことではなくてねお母さま?」
実際、新技術を期待した者らからの落胆と疑いの目は避けられないだろう。そういう意味では、この計画はそこそこ高危険度と言えた。
「《まあ平気っすよ。未完成だからこその、『ゲーム』なんすから! これが最初から味覚シミュレーターとして売り出したり、味覚プラグインとしてパッケージしてたりしたら問題っすけど、ゲームなんすから問題ないっす》」
「物は言いようだなエメ。まあ、その通りなんだけど」
「ゲームなら最初は誰もが、レベル1ですものね!」
「《そうっすよーアイリちゃん。レベル1なんだから、最初は微妙な味でも問題ないっす! もっと言えば、レベルを上げても微妙なままだったとしても問題ありません。だとしても勝手にあっちで、『今後のアップデートで対応するんだな』、って納得するんすから!》」
「ど、どういうことなのでしょう!?」
エメが開発者として最低な、しかし現場においては絶対の真実であることを堂々と言い放つ。これもまた、事実ではある。
主にレトロゲームを、完成品として世に出た買い切りのゲームをプレイしてきたアイリにはあまり実感がわかないようだ。
事情がオンラインゲームとなると、開発は運営と並行して行われるのは当然。物語もシステムも、ユーザーの攻略に合わせて徐々に進んで行く。
それはもはや常識としてプレイヤーの意識に組み込まれており、サービス開始当初のゲームに未実装の要素が多くとも『そういうものだ』と普通に思われる。
味覚もまた、『ゲームだからそういうもの』として納得してもらおうというのが魂胆なのだろう。
なんだかゲームの悪い部分を都合よく利用しているようでハルとしては気が引けるが、まあ、良い手なのは間違いない。
「それに、この計画。多くの参加者が必要不可欠な企画です。それを集める意味でも、ゲームであるということは都合が良い」
「例の、人の意識を読み取るというあのシステムね! ハルくんもついに、自ら禁断のシステムに手を染めるようになってしまったのね。お母さん、嬉し悲しいわ……」
「使わないに決まっているでしょう。喜び漏れてますよ……」
とはいえ、今回のシステムを流用して開発が行われることは事実である。
味覚は主観だ。そして主観は、一人一人それぞれ異なるのが当然のもの。例えばハルが味音痴だったとして、ハルのデータだけを取ったら大変なものが出来上がってしまうのだ。
なるべく多くのサンプルをとって、全体の傾向として平均化し調整しなければならない。それもまた、元AIである神様の得意分野。
「確かにゲームならではね? 普通ならお金を払ってテスターを募り、実験に協力してもらわないとならない。それがむしろ、逆にお金を払ってくれるなんて、素晴らしいわね! 流石はハルくん!」
「……そこまで邪ではないですけど。僕としては、テスターからの情報流出を危惧しなくて済むのが有難いです」
「そこは、お母さんは逆かな。あえて情報流出させて現場を押さえ、相手の弱みを握るわ?」
「相変わらずえげつないことを言い出すわね、お母さまは」
「あはは。そだね、ルナちゃんのお母さんなんだな、って感じがする」
「……どういうことなのかしらユキ」
そのままの意味だろう。ルナもまた、よくえげつないことを言い出すのだから。
さて、そんな感じで色々と問題は多かれども、カゲツの企画は承認の方向で話がまとまった。
味覚の完全再現を目指した新技術を搭載したゲームとして、食べ物系の新サービスをルナの会社で提供することが決定する。
料理系のゲームにするのがいいだろう。今回は珍しく、ルナ本人が主導で企画が進行することになった。
社長だから当然、という意味ではない。ルナの好きなアイテム開発系ゲームの中に、料理要素を取り入れたものを開発するのだ。そのゲームシステムデザインをルナがする。
食材アイテムを素材として集め、料理スキルに放り込んで料理アイテムを生成する。
それを売って生計を立てる、お店屋さんゲームでもいいだろう。スキルの進化と共に品質も上がり、収入も増えて行くのだ。
そうやって徐々に進歩していく自らの腕と並行し、料理の味も向上していく。その為の研究を、裏で必死にハルとカゲツで回していくのである。ある意味ユーザーとの真剣勝負。
そうして最初は低品質素材しか仕入れられず、料理のスキルも未熟。その設定ならば誤魔化しも効く。
研究が完了したら、そこに『アップデート』と称して更新を入れていけばいいだろう。
「問題は果たして、僕らの側の研究が順調に上手く進むのかってことだけど……」
「がんばりましょうねハルくん! お母さん、またいっぱい人を集めてあげるから!」
「……出来れば今度は撤退可能な小規模でスタートしたいんですが」
そのハルの切なる願いは、一言で却下された。どうやら腹をくくるしかなさそうだ。
そういった感じで、味覚および嗅覚の完全再現を目指した、お料理ゲームの運営が決定したのであった。




