第95話 幽体研究所
幽体研究所。プレイヤーキャラの体、魔力で織られたその肉体を強化するための施設。あくる日の放課後、ハルは一人でそこを目指していた。
一人である、つまりアイリは傍らに居ない。分身を単身、神界に飛ばしての訪問になる。
現在、ハルが転移する時の状況は複雑だ。原因は勿論、アイリが一緒に付いてくる事。
これは、どのハルが転移しても同じであり、分身が転移すると、本体のハルと共にアイリも転移される。
以前は、分身の片方だけをカナリーに頼んで転移して貰っていたが、アイリとの関連付けが行われてからは、カナリーはそれを渋るようになった。
闘技場の時にアイリの転送だけ妨害していたように、不可能な訳ではないようだが、出来ればやりたくないと表情に出ている。
元々、神界にアイリを連れて来るために無理を言ったのはハルなので、今は出来るだけ彼女に従っている。
「でも不便な物は不便だよね」
「でもこうして抜け道を見つけちゃうのがハルさんですよねー」
「抜け道は狭くて通り抜けにくいけどね」
なのでハルは今、転移を挟まずにここへ来ている。方法はプールの時と同じ、カナリーの魔力内への分身の生成だ。
カナリーの目を使うと、彼女の魔力内へ自由に視点移動が出来る。それを基点に、そこに<魔力操作>を実行、分身を作り出す事で擬似的な転移が可能だ。
空間接続ではなく、分解再生成ということになる。
自分の体の傍にある魔力と違って、少し操作し難くなっていたが、最近は登校用ボディの出し入れで多少はそれにも慣れてきた。
ただし、目的地である研究所には、カナリーの魔力が無いため直接送り込めない。
まずは彼女の運営するカジノ施設の一角に、ハルはその身を作り出していた。
「流石はオーナーですね。転移に縛られないそのイカサマ的発想、私感激しちゃいます!」
「アルベルト」
「こらー。ディーラーがイカサマ肯定するんじゃありませんー」
「てかバニーさんでも忠犬になるんだね君。スーツだけじゃないんだ。キャラ付けはどうしたのさ」
「バニースーツって言いません?」
それは何か違うと思う。
「それに、どの私も私には変わりませんから! 今日は遊んで行かれますか?」
「いや、今日は他の施設に用があってね。新しく出来た研究所」
「そうでしたか、では私がご案内しましょうね!」
「店員が持ち場を離れるんじゃありませんよー」
「姿が見えないのに何か女性の声が聞こえますね。幻聴でしょうか」
仮にも本当のオーナーに向かってこの言い草。仲が悪い訳ではないようだが、カナリーとアルベルトはこういうことが多い。
今、カナリーとは<神託>で会話している。本体はハルの本体と同じく屋敷でお留守番だ。
「まあ、バニーさん連れて外歩いてたら目立っちゃうしね。遠慮させてもらうよ」
「残念です。では、スーツの方の私を連れて来ますね!」
「いや人の話聞いて? というか現地にも別のアルベルト居るでしょ。それで良いじゃん」
「まーその、居るんですが、研究員タイプは喋りにくいって言うか」
演じ分けによる弊害があるようだ。アルベルトも色々と大変である。
好みのキャラ、苦手なキャラ等、居るのだろうか。もしそうなら、“全ての自分が等価”だった頃に比べて、変化が起こっているのかも知れない。
ハルが彼のキャラクター性を定義したことによる影響だ。少し誇らしくもあり、また不安もあった。
「聞き分けなさいー、そしてお仕事に戻りなさいー」
「支配人もたまにはカジノに顔出して下さいよ。カナリー様だけ会えない、って噂になってますよ」
「気が向いたら来ますー」
「オーナーと支配人って別なんだね。更に謎になったんだけど」
尚も案内したがるバニーアルベルトを押し留め、ハルはカジノを出て研究所へと歩を進めた。
*
研究所、そう聞くと閉鎖的で陰気なイメージを受けるハルであったが、実際に目にした幽体研究所は、どうやらその真逆を行くようだった。
「キラキラしてる……」
「研究成果、筒抜けですねー」
壁面は開放的なガラス張りで、随所にクリスタルが浮遊して輝きを放っている。外延部には庭や池が広がり、建物の内部からガラス越しに眺める心を和ませるだろう。
小川も流れているようだ。そのほとりにはユーザーのグループが腰掛け、ウィンドウを片手にああでもない、こうでもないと、展望を語り合っているようだった。
どこを見ても四角く切り取られた近代的な建物の造形だけが、ここがお堅い施設なのだと保障する唯一の部分に思える。
「まあ神界の施設はどれも近代的だから今更か。プールとかあるしね」
「カジノの歴史は結構古いですよー」
「そうなの? でもお城や神殿ほどじゃないよね」
「それはまー」
「魔道研究所に期待だね」
開設待ちの施設は残り一つ。魔法の神オーキッドの担当施設だ。
プレイヤーカスタマイズとくれば、次は魔法カスタマイズが来るかも知れないというハルの安直な発想だ。正式な告知はまだ何もされていない。
神界の施設はプレイヤーの遊戯用ということもあり、どれも近代的な造りになっている。下界、アイリの世界とはがらりと雰囲気が変わる。
カジノに始まり、公園、プール、ショッピングモール、そして研究所。
セレステの闘技場が一番古い造りだろうか。だが古代を感じる部分は闘技場の本体、戦闘用フィールドだけで、ロビーには大型モニターが多数配置され、近代的なスタジアムといった様相なのは変わらない。
そんな開放感溢れる幽体研究所へと、ハルは足を踏み入れる。
扉は二重のゲートになっており、学園が思い起こされて何となく出鼻をくじかれる。内情はやはり研究所である、と主張しているのだろう。
ご丁寧に、エアロックじみたゲートの内部には魔力が無かった。二枚目の扉を抜けると、魔力の色が赤に変わるようだ。
「この仕掛け気づくの僕だけじゃん……」
「自己満足なんでしょうねー。そういう仕掛けを作った事に満足して、実用度は考慮していない」
「僕もそういうとこあるけどさ」
「ハルさんに気づいて貰えて喜んでるんじゃないですかー?」
「思惑通りみたいでヤだな。空白地帯に僕らの魔力流し込んでやるか」
ロビーには誰も居ないようなので、カナリーと二人の独り言に興じる。
今は放課後すぐの早い時間だ。もっと人が居る事を警戒していたが、何処にもプレイヤーの姿は見当たらない。
代わりに、白衣を着た女性がハルの方へと歩いて来た。
「ようこそ……、お待ちしていました、ハル様……」
「アルベルト」
「アポイントは入れてないんですけどねー」
当然、アルベルトだ。ゆっくりと静かに話す彼女の声は、少し聞き取りにくい。
なるほど、これがキャラ付けなのだろう。わざと聞き取りにくく喋っている。会話に難があるという彼の言う事も最もだった。
「でもここにバニーさんはありえない事には変わらないけど」
「おもいっきり声響いちゃいそうですねー」
ロビーは上階まで吹き抜けになっている。騒がしいカジノでもよく通るようにハキハキと喋るバニーさんアルベルトでは、ここでは少々やかましい。
この、しんと静まり返った静寂さ加減と、清潔さを感じる澄んだ空気は、何となく神殿を思い出す。
静謐さはともかく、空気が澄んでいるのは神界ではどこも当たり前なので、錯覚でしかないのだろうが。
神界には不純物が存在しない。物質そのものがほぼ無いのだ。
それなのに特別な空気感を感じるというのは、雰囲気の成せる技か、それとも逆に、ここには空気中に何か含まれているのか。
「滅菌エーテルの匂いとか」
「特別なマシンなんですかー?」
「いいや、ナノマシンの組成そのものは同じ。プログラムがちょっと凶暴なんだ」
「初耳ですね。研究不足でした……」
洗浄用のナノペーストだけでは満足できず、空間そのものを病的に滅菌してまわるナノマシンが導入された研究所。
そのものに匂いは無いが、鼻の内部で処理が行われる事で独特の臭いが発生する。そんな事を、ハルはふと思い出した。
「ここには特別そういった物は配備されておりません……、雰囲気に、よるものではないでしょうか」
「だろうね。ちょっと酔ってたかも」
「自分にですかー?」
「カナリーちゃん、姿が出て無いと思って言いたい放題だね。呼び出して頭わしゃわしゃするよ?」
「おっかないですねー?」
言葉に反して堪えた様子は無い。
仕方がないのでハルは屋敷の中のカナリーの本体を自分の本体で捕まえて、宣言通りわしゃわしゃした。
突然のハルの凶行に、アイリがきょとんとしていた。
*
白衣のアルベルトに案内されて、ハル達は施設内部を進む。
研究所はどこもガラス張り、いや、これも透明なクリスタルなのだろうか。床にも一面敷き詰められており、注意して見ないと浮遊している錯覚に陥る。
その床は透明度が高く、反射はほぼ無い。芯になっている鋼板が透けて見えている。その板には幾何学模様が掘り込まれており、時おりそこに光が流れていた。
何となく、“未来感”という物を感じさせる演出だ。
「僕らの世界、見た目は前時代とさほど変わらないからね。未来のイメージってもの当時からの引継ぎらしいね」
「無骨さは減って洗練されてると思いますよー? 十分未来的になったのではないでしょうかー?」
「確かにガラス張りは増えたんだろうね。道路も綺麗になってるし」
前時代の記録映像を思い返し、それと比較する。
確かに綺麗にはなったが、方向性はさほど変わったようには思えない。というのは、ハルが今の世界に慣れ親しんでいるから出る感想だろうか。
そんなSFじみた通路を通り、ハルはその壁面に並んだ扉の一つへと入る。
「……こちらになりますね」
「ここからは私が引き継ぎましょう」
「個室になった途端出てきたよ」
「そういうとこ本当アルベルトですよねー」
覇気の無い研究員の喋りに耐えかねたのか、スーツのアルベルトが転移してくる。
研究、つまりプレイヤーのステータスの調整は、この個室の中で行うようだ。どうりで誰もロビーや廊下には居なかったはずである。
皆ここに来たら、さっさと研究室に引きこもって作業に励むのだろう。効率を考えるとロビーになど居る時間が惜しい。
……何だか変な所で、実際の研究所じみていないだろうか。
「まあ、せっかく来たんだし試しにどんな物か見てみようか」
「ハルさん、本来の目的を忘れないで下さいねー」
個室になった事で、カナリーもウィンドウから出てくる。神率の高い部屋だ。
まあ、神界はどこもアルベルト率は高いのだが。
「アルベルトがここに案内したんだから、ここで待ってればいいんじゃない?」
「ハルさんアルベルトに目的話しましたかー?」
「ああ、しまった」
何となく、神には勝手に情報が伝わると思い込んでいた。伝わるのは常に<神託>で接続されているカナリーだけだ。
アルベルトには、ここに用事があるとだけしか言っていなかっただろうか。それならば、普通は研究室を使って作業をしたいと思うだろう。
「マゼンタに会おうと思って来たんだ。普通は何処に行けば会えるんだろ」
「ご安心下さい。この部屋は特別室です。適当に動き回るよりも目に留まるはずですよ」
「そうなの? 他の部屋と変わらなく見えたよ」
「実際、変わりません。ランダムに入れ替わる判定の部屋に、私の案内で入った時のみ特別になります」
やはりアルベルトはなかなか出来る男だった。……案内したのは女性体だが。
本来これはマゼンタの使徒となったプレイヤーのために用意された仕様のようで、彼に会いたいというプレイヤーが来た時に使われるようである。
ロビーから自動で部屋まで転移したり、勘で適当に扉を選んだだけではたどり着けない。
もしやプレイヤーとは会いたくないのだろうか? そう思ってアルベルトに聞くと、やはりこの機能が使われたのはこれが初めてのようだ。
「やっぱり神様って面倒くさがりなのかな。ああ、アルベルトは働き者だけど」
「恐れ入ります。……そうですね、マゼンタは特にその傾向が強いのではないかと思います」
「一応、契約者は居るんだよね。その人達はどこで契約したんだろ」
「稀に、研究所内や外の庭に居ることはありますよ。ですが神殿が多いでしょうかね」
「神と確実に会えるのは神殿になりますからねー。捧げ物してお祈りしてれば出てきますよー」
「出てこない人が言わないで下さいよカナリー」
そ知らぬ顔をした彼女は、神界では会えない事で有名な神様のようだ。様々な憶測が飛び交っている。
中にはハルが運営の人間、という物もある。確かに一人しか契約が出来ていないとなると、そうも思われるだろう。
ゲーマーとしては不公平性を指摘したくもなるが、何も知らないユーザーに神域に出入りされても嫌なので、ハルも何も言わない。人間そんなものである。
「じゃあやっぱり此処で待ってようか。それで、作業するにはどうするんだろ」
「その巨大なクリスタルに触れると、内部へ入り込めるようになっています」
「ふーん。入らなくてもメニューで弄れそうだね」
「流石はハル様、ご理解が早い」
案内を袖にされてもアルベルトは揺るがない。徹底して忠実な従者だった。
特に何のアナウンスも無くこうなったが、彼の立ち位置は今どうなっているのだろうか。システム的にハルの味方なのか、場合によってはまた敵対する事も有りうるのか。
「……いきなりアトラ鉱を要求された。エンドコンテンツだね、これ」
「レベルキャップになった人向けの施設ですねー、基本的には」
「HPMPだけは、まあ多少軽めか」
「見えるステータスはそこだけですからね。基本的にはHPMPを伸ばす施設だと考えてよろしいかと」
アトラ鉱、というのは鉱石類アイテムの中でもかなりのレア鉱石である。反則じみた収集力を持つハルも数個しか所持していない。
単純に、出現率が低すぎるのだ。一日中ずっと炭鉱夫となって、一個出れば万々歳、という程度しか出ない。ここのマゼンタが担当する赤の国のダンジョンにでも行けば、もっと出るのだろうか。
自力収集にしても、アイテム交換やゴールドでの購入にしても、ステータスアップには非常に労力を要求されるようだった。
「開始一、二ヶ月のゲームがやる内容じゃないね。萎えて落ちないこれ?」
「そこにモチベーションを見出す方もいらっしゃいますので。それにユーザーの皆様は他の部分に価値を見出されているようですよ?」
「こっちか。体の形を変える方ね……」
ネコミミ搭載モードなどと言われている奴だ。キャラクタークリエイトの幅を大きく広げる新機能。これもアイテムを使うが、そんなにレアアイテムは要求してこないようだった。
「ハル様もお付けになりますか、ネコミミ」
「お前は何を言っているんだアルベルト。付けるわけないだろ」
「しかし奥様方には、ウケが良いかと」
「む……」
ハルに生えたネコミミを、目を輝かせて弄るアイリとルナ。そんな光景が脳裏をよぎるが、頭を振りつつ振り払うハルだった。
振った勢いでネコミミが飛んで行く様が幻視され、また微妙な気分になるのだった。




