第945話 信仰は物理的な力となりて
「……まいったね、これは。少しでも判断をミスれば、一気にもってかれる」
このキャラクターの体に冷や汗でもかきそうな緊張は、到達した敵の強大さからくるのは間違いない。
一瞬の油断が命に直結する。その実感が、指揮する手を震わせる。
これが敵と相対するのが自分であるなら良い。一発喰らえば終わりであるなら、喰らわなければいいだけのこと。
しかし、今回はハルの立場はただ命を飛ばすのみのもの。それが間違った際はもちろん、伝達の仕方に少し問題があっただけでもアウトである。
ハルの命令を(病的に)よく聞く兵たちではあるが、とはいえ彼らも戦のプロではない。命令の実行を少しでも躊躇すれば、命令内容の咀嚼が少しでも遅れれば、この強力な敵相手に一瞬で命を持っていかれてしまうことだろう。
「……全体、もう三歩引いてガードだ。……だが攻撃役の騎士たちは怯むな、君らは逆に前に出て叩け。撃破が一手遅れれば、それは味方の犠牲として返って来ると知れ」
「《はっ!》」「《ぐうううう、重い!》」「《この鈍亀がぁ……っ》」「《不甲斐ない!》」
「一撃受け止められたら迷わず下がれ! 多少余裕があると感じても、二発目を受けようと思うんじゃない!」
「《承知!》」「《交代します!》」「《だがこれ以上押されては……!》」「《ローズ様の指示に逆らうな!》」
「押されたらそのまま城壁内に逃げ込め。案ずるな、腐っても首都だ、そこそこ持つ」
敵の勢いに、徐々に守るべき街の方に押し込まれて行く民兵たち。
そこに到達されるくらいなら、我が身を盾にしてでも、という決意を全員が持っているが、すんでのところで命をもって止める無茶は押しとどめてくれた。
狂信するハルの命である、という一点が行動理念を上回っている。そこは感謝をしたいハルだ。
……しかし、その狂信がなければこうして命を張って前線に出ることもなかっただろうから、本当に感謝していいのか疑問が残るところである。
「しかし、いきなりキツくなるものだ……」
《デカいからな!》
《真打ち登場》
《足の遅い連中は強い》
《一撃が重い》
《やはり体重か……》
《お、ダマスクか?》
《何でもダマスク神鋼で考えるのはやめるんだ!》
《遅いユニットはその分強いのが常識》
《到着まで準備しろってこった》
足の速さ順で並んでやって来るモンスターを、その先着順に順番に処理しているうちはよかった。『握手会』などとも言うその様子、流れ作業で各個撃破するまでだ。
しかし、遅い者が混じり始めると一気に話が変わって来る。体が大きいモンスターが多い分、それだけ強力な個体が増えるのはもちろん、速い者も都合よく待ってくれる訳ではないからだ。
ライン作業のように処理していたリズムには狂いが生じ、噛み合っていた歯車は軋みを上げる。
巨大な亀のようなモンスターはそれだけ耐久力も高く倒すのに時間が掛かる。その間に、難なく処理できていたはずの雑魚に飛び掛かられ苦戦する。
ダメージを負った者が後ろの控えと交代する隙に、じわじわと民兵の壁は街の方へと押し込まれていったのだった。
「……まずいな。救援を向かわせるのはもちろんとして、首都とクリスタに分散させてはどちらも半端になる。ここは、片方は僕が出るべきか」
「判断は、慎重にお決めくださいお姉さま。ここでハルお姉さまが自ら向かえば、複数の作戦に支障が出ます」
「ああ。理解しているよアイリ」
逸るハルの気持ちに、あくまで冷静に冷徹に、アイリが進言してくれる。
ここでハルが大局を見誤れば、更に大きな犠牲が出る。ハルもそれはよく理解しているが、目前に迫る犠牲から、衝動的に崩してしまいそうだ。
「《サクラ殿下の仰る通りです!》」「《どうかご自重くださいませ!》」「《御身が降臨されるまでもありません!》」「《不甲斐ないこの身をお許しあれ!》」
「……急に押し返すな。あと降臨扱いするのは止めろ」
一応、王なのだから間違いではないかも知れないが、どう考えても神様扱いされている。
そんな信仰対象であるハルが出陣をチラつかせるだけで、兵の士気は上がりその気迫はステータスにも表れた。一時、形勢は逆転し敵の流れを押し返す。
……喜ばしいはずだが、素直に喜べないのは何故だろう?
「《左様。陛下がお出ましになられる必要など、どこにもございませぬぞ?》」「《しかり。ここはどうか我らに、お任せ下され》」
「……来てしまったか。こちら側の鈍足ユニット」
そんな戦場に響く、頼もしい救援の声。確認してみれば、首都の防衛線に追加で参戦するNPCたちが居る。
彼らは民兵が苦戦していた大型モンスターの一撃を受け止め、逆に一気に弾き返していた。
そんな、頼もしくも素直に喜べない、遅れて参戦した味方側の増援に、ハルはどう反応すべきかしばし頭を抱えるのであった。
◇
「……民兵隊、騎士団、ともに今のうちに体勢を立て直せ。ひとまず今は、『神官隊』に丸投げしろ」
「《『今は』、だけでよろしいのですかな陛下?》」「《ここは、全て状況をお任せ下さってもいいのですぞ?》」
「調子に乗るな。……まったく。僕は出撃命令など出していないというのに」
「《公爵様!?》」「《それに財務官殿も……》」「《いえいえ、元、公爵ですよ。お間違えの無いよう》」「《その通り。我らは今は、神国に仕える一介の神官なれば》」
「なら神国で仕事をしてろ……」
アイリス首都の危機に駆けつけたのは、かつて王城にて政務に励んでいた『真の貴族』たち。アイリスの国政改革の際、ハルに連れられ神国行きとなった、引退した者たちだ。
そんな文官が出てきて何を、と思うなかれ。彼らは元々、カドモス公爵が切り札として呼び出したモンスターの不意打ちにもびくともしなかった精鋭たちだ。
そんな、当時の裁判長を筆頭に、神への祈りという名の修行を一心に続けた僧兵が集結する。
問題があるとすれば、民兵以上に祖国を守る使命に燃えており、民兵とは違ってハルの言う事を聞かなそうな点だ。
「……とりあえず、勢い余って突出しすぎないように。今は僕の部下なんだ。指示には従いなよ?」
とはいえ、窮地に駆けつけたヒーローであるのは違いない。そんな謎に筋肉質だった元高官たちが腕まくりする様を半目で見ながらも信頼して任せ、ハルはクリスタの街側へと対処を集中する。
ひとまず、彼らが到着したなら王都は問題ないだろう。増援はクリスタ側にまとめ、そちらの民兵を守護してもらう。
「遊撃隊として各地を回ってくださっているルナさんたちが向かえば、この窮地はひとまず乗り越えられそうですね」
「そうだねアイリ。妙な展開ではあるが、助かったのは事実なので受け入れよう……」
ルナとユキの、高レベルの前衛二人と、クランメンバーの補給部隊。彼女らが赴けば、クリスタの方もなんとか持ち直せるだろう。
ハルがそう盤上の戦況を組みなおしていると、そこに加わってくれるという申し出の声が掛かった。
「《我もクリスタへと同行しよう。転移陣を使わせてもらって、構わぬか?》」
「おや。クライス皇帝。地上に残っていたのかい?」
「《無論だ。この身は民を守る一振りの剣。もとより優勝とやらには、興味はあらぬ故な。それと、今の我は皇帝ではない。ただの<冒険者>よ》」
「なるほど。本当に、生粋の勇者なんだね、君は」
「《ははは。<勇者>に至れなかったこの身を笑ってくれて構わぬぞ》」
「いいや。君こそ真の勇者だろうさ」
アベル王子と同様、異世界からの出向組であるクライス皇帝。常に人助けを絶やさない『勇者ロールプレイ』は、ラストバトルが始まった今でも健在のようで、冥王討伐には赴かずに地上を守ってくれているようだ。
そんな彼も、窮地に陥ったクリスタ防衛に向かってくれるという。これは素直にありがたい。ハルは快く、直通の転移を許可してやった。
首都に次ぐ大都市として発展したクリスタは、めでたく神国からの転移門が設置されている。
まあめでたくも何も、その許可を出したのは<神王>であるハル本人なのだが。
「《それではな。必ずや民を守り切ってみせよう》」
「ああ、頼んだよクライス」
そんなクライス皇帝を送り出し、ハルはひとまず持ち直した戦況にほっと息をつく。
皇帝の、<王>の座に就きつつもその本当の望みはこうしてその身で民を守ること。そんな『なりたかった自分』を演じられたクライスのゲームもそろそろ終わる。
彼は、最後まで変わらず民の為の勇者様を貫き通したようだ。人気取りの為ではない、その心の底からのロールプレイは、ハルだけでなく見る者を感動させた。
《かっけぇ……》
《彼こそが真の<勇者>よ……》
《口調は偉そうだけどな!》
《無粋な事を言うな》
《何かの間違いで優勝してくれないかな》
《難しいだろうなぁ》
《優勝しなくても、『クライス珍道中』は永遠だ》
《永遠に残すな》
《いいや、あれは後世に伝えるべきだね》
《彼の国の国民にも伝るべきだ》
《やめてさしあげろ》
「……どう思うんだろうねえ。自分の国の王様が、勇者としてはっちゃける様子を見るってなると」
日本人なら、そこそこ長い期間弄られること必至だ。そのしがらみのないクライスだからこそ、出来たロールプレイでもあるのだろう。
当たり前といえば当たり前の話だが、元々日本において立場のある人物が本名でこのゲームを遊ぶ例はあまりなかった。そういった事情があるからだ。
ハルや月乃が、性別すら変えているような事情と似たようなものである。
「さて、そんなことはいいか。ユキ、そっちは間に合いそう?」
「《おうさー。残念ながら皇帝陛下にはポイントは渡らないよー。何故なら、この私が到着したから!》」
「《大型の相手をすればいいのね、私たちは?》」
「ああ、頼んだルナ。小型だけなら、民兵でもルーチンワークで処理できるから」
「《モンスター精肉工場だ! ベルトコンベアで流れてくる敵を、刻んでは処理し、刻んでは処理》」
「《……二人とも、人間をパーツ扱いするのは感心しないわよ?》」
ゲーマーの悪い癖である。ユニットは消耗品であり、換えのきくパーツ。普段はそれでいいハルとユキだが、今回はそうはいかない。
全員生存、一人も使い潰すことなく、帰還させねばならない。
そんな話をしつつユキとルナがいち早く現地へと到着した様子を、ハルたちはモニター越しに確認する。
鍛えるだけ鍛えて振るう機会の無かった<槍術>、その鋭すぎる一撃が、民兵をてこずらせていた亀型モンスターを串刺しにした。
「《うりゃあ! うーん、好き放題暴れていいってのは気分が良い! このオリハルコンの槍も、血に飢えておる》」
「《……そんな軽い武器、よく自在に扱えるものねユキ?》」
「《ん? 軽いんだから当然じゃないルナちゃ?》」
「《少なくとも私には、特にこのゲームでは無理ね》」
「《そか。私としては、流行りのダマスク神鋼よかこっちのが好み!》」
「《あれはあれで極端すぎよ……》」
そう語るルナは日本刀を二刀流で構えつつ、ときおり片方を投擲し敵を蹴散らしている。
投げつけられた剣は“着弾”と共に爆発し、込められたエネルギーを周囲に解放し敵を葬り去っていた。
そんな戦場にクライス皇帝も合流し、布陣は更に盤石になる。強敵はユキたちの手によって処理され、すり抜けた雑魚も民兵によって危なげなく撃破されていった。
精肉工場のコンベアはかつての安定稼働を取り戻し、繁忙期は無事に解消され乗り切った。
あとは、誰が最も肉を処理して賞与を得るかの争いとなる。
《ローズ様、お疲れさま!》
《なんとかデスマを乗り切った!》
《連休が欲しいぜ……》
《やってもやっても終わらないタスク》
《それどころか増える案件》
《前倒しされる納期》
《モンスターはその象徴だった!?》
《ボーナスも出るしな》
「君たち、エメの喜びそうな話をするのはやめるんだ……」
そんなハルたちの例えに乗って、視聴者たちもネタに興じてくれている。なんだか、皆思う所があったりなかったりするらしい。
しかし、そこでボーナスのことが話に出ると、安堵に満ちていた視聴者たちの空気も不穏なものが満ちてくる。
自身の給与が心配になったから、ではない。ハルの稼ぎ、『冥王ポイント』の取得が少ないのではないかと心配になったからだ。
《ローズ様、ポイント平気そう?》
《くっそー、指揮官は忙しすぎるぜ》
《ハンデきつすぎー!》
《これが運営のローズ様対策か》
《焦らしてくれるぜ、この商売上手め!》
《ここからですよね、お姉さま!》
《巻き返せそうですか!?》
「ああ、心配いらない。その為に、僕は出撃を控えてこの場に留まっていたんだからね」
「最後に総取りするのは、お姉さまなのです!」
もちろん、本当にハルが優勝してしまってはそれもそれで問題が出る。しかし、だからといって露骨に手を抜くわけにはいかない。
あくまでも『ローズ』は優勝を目指し、最善手を打っていかねばならないのだから。
「その準備がそろそろ整う。僕の<精霊魔法>が、全世界のNPCに行き渡った」
「つまり、世界中の民が<支配者>の対象となったのですね!」
「ああ、そこから得られる圧倒的な力。それを今から、お見せするとしようじゃあないか」
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




