第94話 平穏のうちの懸念ごと
その後の数日は、非常に平和に流れて行った。ただし、穏やかでは無かったかもしれない。
まず翌日の日曜は、プールどころではなかった。前提としてプールは完成しなかったのだが、もし完成したとしても言い出す余地など無かったであろう。
前日にアイリが一日旅行で屋敷を空け、メイドさんには休暇を与えた。
メイドさんはそれを“準備期間”と受け取り、戻ってきたハル達を待っていたのは、初日以上の熱烈なお祝い。その熱量を蹴って、『今日は皆で泳ぎに行こう』、と言い出す気は起こらない。
メイドさんのパワーに押されて、少し疲労するほどであったが、とても楽しかったのは言うまでもなかった。
その次の日からはハルは学園だ。当然ルナも一緒であり、屋敷は少し寂しくなる。
ルナはおとなしいが、その存在感は強い。メイドさんへの指示も堂々としたもので、ルナが居ると、彼女を中心とした空間が生まれる。
ハルも、日本に作り出した分身を遠隔操作しての初登校である。
通信が完全に遮断された校内でどうなるかが多少不安だったが、操作の基準がナノマシンではなく魔力であるため、何の影響も受けずに行動可能であるようだった。
念のため、自身の周囲に魔力を放射して保険としている(下校時に吸収して回収する)。
そうして騒がしくも心地良い祝祭の期間は、何事もなく終わりを迎えるのだった。
◇
「そんでハル君、お祝い期間終わったら何すんの?」
「何もしないよ? また平和な日々を過ごす」
「昨日までと変わらないじゃないの。ハル、何かゲーム的な目的などは無いの?」
「あ、そういえばこれゲームだった」
肉体がこちらに来ているので忘れそうになっていたハルだ。
もはやゲーム内の攻略は眼中に無いに等しいが、使徒はゲームのルールに縛られ、他のユーザーと、薄いとはいえど社会関係を構築しているのは変わらない。
完全には忘れないようにしないといけないだろう。
カナリーの事もある。彼女、いや彼女ら神々の目的は不明のままだ。ゲーム部分を無視するにはまだ早い。
「まあ、近々ひと波乱あるんじゃないかな。その準備でもしようか」
「わたくしとハルさんの婚姻を知らせる書簡を今朝メイドに持たせました。波乱は、分かりませんが、まあ動きはあるでしょう」
「『王女は嫁にやらんぞー!』って頭の固い貴族が乗り込んで来て、ハル君にみじん切りにされるんだね!」
「丸焼きではなくて?」
「いえ、どう文句を言おうが、わたくしの結婚はもはや動く事はないのですが……」
最近はアイリと二人で調理場に立つ楽しみを覚えたハルだが、人肉料理はご遠慮願いたい。みじん切りにも丸焼きにもしない。
そもそもこの神域は不可侵だ。カナリーの支配する領域に入った時点で行動の自由を制限できる。屋敷まで乗り込んでくるという事はまず起こらない。
とはいえ、アベル王子の時のように正式な要請でもあれば別か。
「文句を言ってくる奴は居そうなの?」
「それは、居るでしょうね。残念ながら……」
「気が滅入るね」
「申し訳ありません、わたくしの国の事情で……」
「夫婦なのだから助け合いなさいな、ハル。嫌味を言われる程度どうと言うことはないわ」
「もちろん助けるよ」
「ハルさんが憂慮しているのは、要職を失脚させた後に国が乱れる事ですよね?」
自然に心を読まれる。理解のある嫁を持つと心強い。
いささか理解がありすぎる気がするが。日に日に、精度を増しているような気もする。
「まだ失脚させるとは決まってないかな。脅迫材料を集めるのが面倒だなって思ってる所」
「わたくしともあろう者が、まだまだですね」
「ハル君、内政は好きだけど嫌いだもんね」
「内政の結果が出る瞬間は好きだけれど、その過程が煩雑になりすぎるのは嫌いなのよね?」
「君らも理解あるね……」
彼女らの言うとおりだった。流石に長い付き合いなだけある。
ハルは内政は好きだけど嫌いだ。好きな部分は、自分が手を離しても、自動で資源を生み出すシステム及びその構築。
だが本筋に関わらない部分で手順が複雑化しすぎると、流石に辟易してくるというものだ。
今回はリアルな政治なので話がややこしいが、『内政』がアイリとの生活、『煩雑な事』が政治に関わる事全てと当てはめれば遠くないだろう。
「とはいえ、動きがあるとしてもまだ先でしょう?」
「そうだね。書簡を出したらそのターン中にイベントが起こる訳でもなし」
「やっぱ政治って時間かかるんだね。リアルタイムはゲーム向きじゃないね」
「リアルタイム内政とか、どんな層に需要があるんだ……」
「あるのではないかしら? リアルを忘れて別世界に没頭したい人には」
このゲーム、“街が現実同様に作りこまれている”割には、現地での生活はさほど流行ってはいない。
もちろん観光は人気だ。生活、というのはそれを越えて、現地住人と深く交流する事。つまりはハルのようなスタイルの事だ。
その理由の一つに、イベントの流れが遅すぎるというのがあるだろう。何をするにしても待ち時間が長すぎる。ゲーマーには相性が悪すぎる要素であった。
「リアルを忘れたい人も、いいとこスローライフ目的なんじゃない? ハル君みたいにさ」
「僕は別にスローライフ目当てな訳じゃないけど」
「ハル君は恋愛シミュレーションだもんねぇ」
「わたくし目当てですね!」
その通りだった。言葉にされてしまうと少し恥ずかしい。
「今のとこ、騎士になった彼くらいかな? そういうプレイは」
「そうだね。まあでも、確かに居ないとは限らないよね、ルナの言うとおり」
「ええ、世界を自由に動かしたいという野望と、それに見合う才能を持った人間が居れば」
「ハルさんの世界では、それは叶わないのですか?」
「かなわないねー」
絶対に不可能、とまでは言わないが、こちらの世界に比べて隙が無いのは間違いない。
難度は高いが、神の使徒としての立場を生かして権力者に取り入れば、本人の才覚次第ではリアル内政ゲームに手を伸ばせる。
一応、そういった可能性にも考慮を入れた方がいいのだろうか。使徒によって国が動き、その影響がアイリまで及ぶ。そんな状況にも。
「まあ、何にせよ先の話だよね、ハル君。時間さえあれば、キミなら何とでもなるでしょ」
「まあ、準備はしとくよ。……何の準備をすればいいのかイマイチ分からない部分が多いけど」
何せ国同士の事、しかもゲームのルールから外れた場所だ。ゲームシステムによる対処が通用しない。
だがアイリと共に居る以上、嫌だと言っても避けて通る事は出来ないだろう。何せ今はハルもその伴侶だ。否応無しに政治に組み込まれる。
とはいえ焦っても仕方ない。この日はその話はそこで終わりにし、久々に映画を見て過ごす事にした。政治の事を考えるのも大事だが、アイリとの生活を楽しむ事の方が大切だ。
アルベルトを通してこの世界でネットにも接続できるようになったので、ハルの記憶の投射を通さずに、データの直接上映が可能だ。
ただ、新しい問題も出てしまうようだった。再びメイドさんにはモニターが見えなくなる。メイドさんの体内にはまだナノマシンが居ないためだ。
再び仲間はずれにしてしまった事を申し訳なく思ったが、お祝いの影響で通常業務が溜まっており、気を取られなくて丁度良いとの事。彼女たちへのナノマシン投与は、後日に回される事になった。
*
さて、国の問題もそうだが、ルナに言われたように、ゲーム的な目的も定めないといけない。目的を見失っているという自覚もある。
ゲームを開始して以降、考えて見れば目的はほとんど向こうからハルの方へやってきていた。
アイリと共に居る、という所だけは自ら選んだものだが、思えば自分で方針を選ぶという事はして来なかったように感じる。
「初日からアベルが来てたしね。選ぶも何もなかった」
「と言っても、最近の問題ごとはハルさんの選択の結果だと思いますけどねー?」
「まあ、確かに……」
この世界に肉体が転移してしまったのもハルの行動の結果だし、世界について探る事になったのもハルの選択の結果だ。
セレステやアルベルトと戦う事になったのも、まあその延長と言えるだろう。
「……いや、僕のせいだけじゃないよね? だいぶ神様の都合入ってるよね。対抗戦だってさ」
「否定は出来ないですねー」
恐らくこのゲームそのものが、その神様の都合で作られた以上、仕方の無い事もあるのだろう。
だが、何時までも受身でいるのは国同士の問題以上に危なっかしい。少しずつ、そこの根本的な部分、このゲームの成り立ちについても踏み込んで行った方がいいのかも知れない。
「ルナが運営会社を買収しちゃって、それで解決すれば楽で良いんだけど」
「あー、ハルさんが人任せですー。そんなだからユキさんにヒモって言われるんですよー?」
「僕だって協力はするさ。でもルナの資産には逆立ちしても敵わなくてね」
「金を複製して稼げばいいのではー?」
「いやこの世界じゃないんだから……」
何を危ない事を言い出すのだろうか、この神様は。確実に出所を疑われる。この世界のようなザルな監視体制ではないのだ。
分子レベルで完全に一致している事が分かれば大騒ぎだ。向こうのエーテルは簡単にそこまで解析するだろう。そういう面倒は避けたい。
「そもそも向こうって、金にそんなに価値は無いしね」
「でしょうねー。ハルさんほどでは無いでしょうけど、作り出せますもんねー」
「骨董品とか、一点ものに価値が集中してるね。今は行けなくなった火星の石とか凄い値段だったよ」
「ではそれをコピーしてー」
「やめんか」
危ない橋を渡らせるのが大好きな神様だった。困ったものである。
「まあ、実際のところはですねー。幾ら積んでも買収は不可能だと思いますよー?」
「……だろうね。向こうで金が価値を成さないように、君らも向こうのお金に価値を見出してない」
「あれば便利ですけどねー」
ゲームの宣伝に、ゲーム購入等によって得た資金を使っているようだ。アルベルトの体や事務所の購入費用もあるだろう。
最近では珍しい初期費用の必要なタイプだった事も、今なら理解出来る。その宣伝費用のため、最初の一手が必要だったのだ。
そうして人を集め、魔力を増やす。人数の増加に躍起になっていたのもそのためだろう。
「最近はあまり宣伝してないね。もう十分集まったの?」
「何を持って十分とするかは難しいですねー。でも今後もサービスの充実は続けて行きますよー」
「またカナリーちゃんは、そうやってはぐらかすー。……まあ、楽しみにしてるよ」
「乞うご期待ですよー?」
大分ゲームの裏側まで精通してきたと自負しているハルであるが、カナリーはまだ全ての事をつまびらかにはしてくれない。
ハルも、アイリとの結婚という一つの目的を果たしたため、以前よりもそこに興味が無くなった部分がある。そのため、そういった部分への追求はしなくなった。
ある種、ぬるま湯の如き穏やかさ。停滞を好むハルにとっては、望ましい部分もある。
──だけど、彼女ともいつか、障壁を挟まずに自由に話したい。
本音で話すばかりが美しい関係ではないだろう。だが話さない事と、話したくとも話せない事は違う。
制限ではなく、彼女の選択した言葉が聞きたい。
「少しばかり、他の神様とも交流してみようかね」
「浮気ですかー?」
「浮気じゃないよ」
むしろ彼女のためだ。彼女の望みを、外側から見つけてやりたい。
さしあたっては、最近出来たという研究所、プレイヤーキャラの改造施設。謎多き『赤』のマゼンタを訪問してみよう。そう、方針を決めるハルだった。




