第929話 不安を煽るのがお仕事
「あらら。バレちゃった?」
「やっぱり奥様でしたか……」
最高のタイミングでハルの利になるポジションを取り、感性は現代人で、さりげなくハルの思想を誘導しようとする。
なおかつ<神王>ローズがハルだと知っているといえば、月乃以外に居ないだろう。
とはいえ、分かったからどうという問題でもない。ゲームクリアの前に、一つの疑問が解消してスッキリとしただけだ。
「しかし、何で保険屋さんなんです奥様?」
「『月乃』! もしくは『お母さん』! ……は、今はいっか。この姿なことだし。少しキモいわ?」
「……姿についての言及は止めましょう。僕も流れ弾に当たる」
お互いに本来の性別とは異なる見た目に少々気まずい空気の流れるハルと月乃であった。
そこは努めて無視しつつ、二人は話に戻る。
「どうして気付いたのかしら? ハル君には、なるべく接触していないつもりだったけれど」
「強いて言うなら最初からです。『保険屋』登場のあまりの都合の良さに疑っていました。決め手になったのは、先日直接お会いした時に保険屋は一切ログインしていなかったことですね」
「あらあら。目ざといわねこの探偵さん……」
更に言うなら口には出さないが、月乃を疑い始めてからその動向は逐一チェックを行っていた。
そんな中、月乃の活動中には絶対にログインしていない保険屋は疑惑の対象だったのだ。推理というより、ハルならではのズルである。
「話を戻しましょう。なぜ保険屋さんなんです?」
「それは、ありもしない不安を煽って相手を誘導する、お母さんにぴったりの職業だからよ!」
「全国の保険屋さんに謝ってください……」
「残念だけど、お母さんのやっている本来の保険業だってそんなものよ? 電脳関係、特に『ログアウト障害保険』なんて本来、いったい誰が必要としているのかしら?」
「それは、まあ……」
ユーザーに『こんな事故があったら危険ですよ!』と不安を煽り、要りもしない保険を契約させる。無駄なお金を支払わせる、いや、巻き上げる。確かに悪魔のような商売だ。
エーテルネットが世に出てこのかた、そんな不要な保険もまた並行して増えて行った。
確かにゲーム世界に閉じ込められる可能性を想像すると恐ろしい。しかし、その為の法整備は病的に整っており、危険性は飛行機事故以下。
特に、ハルも裏で警戒している現在、そんな事例ほぼ無視していいだろう。
しかし、それを知らぬ多くの者は、少し不安を煽った宣伝をしてやれば不要なお金を支払ってしまうのだ。
そんな、人の心理に巧みに潜り込み誘導する職業、確かに月乃の立ち位置にぴったりだとも言える。
「まあ、一番大きな理由は、狙ったスキルを出せるかどうかの実験よ! お母さん頑張っちゃった!」
「それで成功してるんだから凄いですよね……」
ユニークスキルに縁がないハルとしては羨ましい限りだ。まあ、隠しスキルをこれでもかと所持している身でそんなことは間違っても口に出せないが。
その『実験』とやら、興味本位というよりも明らかに次の何かを見据えた実験だろう。
月乃もまた、このゲームの成功した先を見据えている。スキルを新たに、何かに利用しようとしている。これはまた、リコリスが一段と怪しくなっただろうか?
「つまり、先ほどの問答も、何か僕を誘導しようとしていたってことですか」
「そうかも知れないわね! ハル君こそ、どうして今回のことが、お母さんに対する回答になるの?」
「それは……」
確かに、どうしてと言われると少し困るハルだ。このアイリスの政治の捻じれが、月乃の組み込んだ『課題』だというのはただのハルの想像だ。
いや、ほぼ事実だろうという自信はある。しかし、今のところ勝手にハルが一人で納得しているだけに過ぎない。
ハルはまずその推測を、月乃と共有していく。貴族制度の中に生まれた『真の貴族』というシステムが、エーテルネットに今後起こり得るバグになぞらえてデザインされているだろうこと。
それをハルに解消させることで、クリア後にハルを動かす下地を作ろうとしているだろうこと。
その解法をハルがどうするか、月乃がこうして見守り『採点』しているだろうこと。それらを順に確認するハルを、保険屋は肯定も否定もせずただ見守っていた。
「それで、どうして今の状況が答えになるのかなハル君? 真の貴族を国から引き上げることが、バグの隔離というメッセージ? それとも、ハル君が<神王>になることが、世界の管理者をしてくれるというメッセージかしら!」
「どちらも少し違います。僕が答えとしているのは、家系貴族の方をアイリスに残す、っていう部分ですよ」
「あらまあ?」
「僕が、再び世界の全てを管理することはありません。今後の世界を動かして行くのは、あくまで今を生きる人々の意思であるべきだと、そう思います」
「あんなに愚かなのに!?」
「ハッキリ言いますね奥様……」
まあ、代々続く貴族達があまり政治家としてよろしくないのは事実だろう。愚かと言われてしまっても仕方ない。
だが、その愚かしさも人間だからこそ。達観しきった神官たちより、よほど人間味があるとハルは思う。
現実のエーテルネットについても同じ。月乃はハルを再び管理者に据えて支配させようと考えているようだが、ハルにその気はない。
あくまで、今を生きる人々の手で、悩みながらも一歩一歩先に進んで欲しい。
「なので反抗してこようとも、玩具を取り上げて終わりにはしませんよ。とはいえ現状の放置も気持ち悪さがありますから、バグの『消去』はしようと思ってますけど」
「甘いし中途半端ねぇ」
分かっている。しかし、ハルは再び管理者として立つ気は全くない。あくまで今は、ゲームだから<神王>として立っているだけだ。
「まあいいわ? 今はそれでも。どのみち、何をどう語ろうともこれはゲームなんだから! 実際の答えは、このゲームが終わった後に改めて聞かせてちょうだいねハル君!」
「それは、そうですね」
それも当然のこと。ゲーム内で答えを出した気になっていても、別にそれが現実に影響を与える訳ではない。
要素が似通っているとはいえ、課題は課題。これが誘導の為の物と分かった今、さほどの意味はないのかも知れない。
「……しかし、僕の方も意外でした。月乃さんが、『真の貴族の方を残すべきだった』と語るなんて」
「そうかしら?」
「ええ。あれは、貴女にとって忌むべきバグの象徴だったのでは? そちらを残せなんて、言うとは思いませんでしたよ」
「ああ、そういうことね? それは、簡単な話よハル君? 私は、『保険屋』は、どんな状況だったとしても逆張りしてあなたの選択にケチを付けたでしょうから!」
「は、はあ……」
どういう事だろうか? 彼は、『保険屋』は、月乃の思想をハルに刷り込む為に配置されたキャラクターだと思っていた。
それによってまた、無意識にハルを望む方向に誘導しようとしているのだと。
「保険と同じ。必要だと、自分で決断したんだと錯覚させる為のトリック! 反対意見に反論することで、その決断はその人の中で確固たるものとなる」
「……本当は、その決断そのものが必要なんてなかったのに、ムキになってしまうと?」
「世の中、そういうことも多いものよ? ゆめゆめ、気を付けなさいねハル君!」
月乃はそう締めくくると、そこからは完全に『保険屋』としての顔に戻ってしまった。話は終わり、ということだろう。
結局、事ここに至っても読めない人だ。ハルの判断も行動も、結局のところ月乃の手のひらの上だったのだろうか? 今も遊ばれているだけなのだろうか?
いや、そうではない。余裕ぶっているだけで、月乃もまた全知全能の神様ではない。
きっと彼女もまた必死なのだろう。自らの願いのために、裏で必死に走り回った結果が今なのだ。
そんな月乃の頑張りに答える真摯な結論をハルもこのゲームの終わりに導き出さねばならないのだった。
◇
「それはともかく、ハルさん。結局、アイリス国での全権を使って、一手で陰謀を終わらせることはなさらないのですね?」
「うん。それはしないよ保険屋さん。何故って、つまらないからね」
「なるほど」
実際の戦争なら完璧な戦略だが、このゲームにおいては致命的な欠陥がある。盛り上がりが無さすぎるのだ。
ある意味、せっかく伯爵が頑張って準備してくれたイベントなのに、見せ場もなく終わらせてしまうのは勿体ない。
確かにリスクは一切ないが、その代わりにリターンもほぼ存在しない。最大リスクこそ正義の魔王ケイオスに知られたら、怒り狂うこと間違いなし。
「とはいえ、このタイミングでイベントを拾うには、危険すぎるのは間違いありません。スルーするのも、立派な選択の一つですよ」
「リアルで同じ状況なら、月乃さんはスルーします?」
「もちろんよ! 無料で敵を無力化する機会なんてお母さんが見逃すはずないわ! ……って今はロールプレイ崩さないの! 私は保険屋さん!」
「す、すみません……」
今はきちんと、ごっこ遊びに興じたいようだ。それならもっと別のキャラクターの方が良い気もするが。
いや、感情を出さないようにする例の装置を使った隠蔽を考えると、こうした事務的なキャラクターが都合よかったのかも知れない。
「……確かに今は、僕も忙しい。ここで更に大規模な襲撃となれば、捌き切るのも骨なのは事実」
「特に厳しいのは、ハルさんの力をアテに出来ないという事です。我らがクランは、貴女の力にほぼ頼り切っています」
「強い人結構多いと思うけど?」
「その上でハルさんが強すぎます。そんな貴女向けに発生したイベントだ、上位プレイヤーにとっても、荷が重いと言わざるを得ません」
「ふむ……」
確かに、『対ローズ<神王>』を想定して作られたモンスターが相手だと、ハル以外のプレイヤーでは厳しい戦いになる。
場合によっては、この後に控えるラストバトルよりも激しい戦いになる危険性だってあるのだ。
クランメンバーだって目的は『ゲームクリア』。ハルの為に働いてくれるのは有難いが、その為にデスペナルティを負い弱体化させてしまうのは申し訳ない。
「そうなると確かに、完璧なタイミングで接収して、イベントをスキップしてしまうのもアリだよね」
「その通りです。ここは組織の長として、冷静な判断が求められる場面ですよ」
「そういってまた、保険屋さんは僕に『決断』を迫ろうとするー」
「いえいえ。私なりに、現状を冷静に判断したまでのこと」
「……ニコニコしちゃって。まあ、とりあえず戦いに出てくれる者には、君の『生命保険』を無償提供ね。最高級品をだよ」
「ええ。承知しています」
完全ではないが、デスペナルティによるポイント消失を軽減してくれる『生命保険』。これを無制限に使えれば、少しは心的負担も減るだろう。
「あとは、やはりここでも<契約書>によって外部の参加者を募る」
「もはやお馴染みの手ですね。今までは文官ばかりの募集だったので、暇をしていた戦士が集うかと」
要するに傭兵募集だ。このゲームには職業としても傭兵は存在し、主に生産職が彼らを雇う。
それを、職業傭兵の枠を超えてさらに大規模にしてしまおうというのがハルの考えだ。<契約書>の効果は、それを可能にする。
口約束では不安な者達も、報酬がルールで確約されていれば安心して参加できるだろう。
「ソロモンを仲間に出来たのは保険屋さんの仕込みのおかげだ。色々言いたいことはあるが、そこは感謝かな」
「いえいえ。彼にとっても、今の方が力を十二分に発揮できる環境だと思いますよ? 全てが丸く収まって、結構なことです」
「本人は悔しそうだけどね……」
休む間もなく大活躍の<契約書>。その手数料により、一時はゼロになったソロモンのステータスもうなぎ登りだ。
これは保険屋の言う通り、彼が暗躍を続けていたら至れない道だっただろう。
「……あとは、そうして集まった者たちを僕が強化する」
「美月ちゃんの武器防具ね!」
「……月乃さん、ロールプレイは?」
「こほん! ……ルナさんの武具は最高級ですからね。それを目当ての募集も、また増えるでしょう」
「あとは、僕の本来の力の見せ所ですね」
「本来の、というと、<神聖魔法>ですか? 攻撃はできずともそれによる防御で、参加者の支援を?」
「いえ、<錬金>や<調合>です。こう見えて僕は、生産職が本業ですから」
「陰謀家だと思っておりました」
「どの口が言ってるんですか……」
そんな月乃のサポートを受けつつ、来たるべき襲撃にハルは備えてゆく。
決戦の地は神国へ誘導することが決まり、それによりNPCへの危険を最小限にとどめる。
その人家の無い暴れ放題なフィールドにおいて、変則的な形式とはいえこのゲーム始まって初となる、国家間の戦争が勃発しようとしているのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




