第921話 また何も知らぬ無邪気な世界へ
ハルは後始末をコスモスに任せ、ゲーム世界からログアウトすることに決める。
荒らすだけ家を荒らして帰ろうとするハルにコスモスはぶー垂れていたが、ベッドが無事なのを確認すると落ち着いたようだ。基本的に、他はどうでも良いらしい。
今はもう、コスモスの神殿には人魂が集う様子はない。神殿へ続く道にも“人通り”が消え、一抹の寂しさが漂っている。
いや、今までが賑やかすぎたのか。過剰な意識データの収拾をする必要がなくなった神界は、安眠に相応しい静けさを取り戻したとも言えた。
「じゃあ、コスモス。すまないが事後処理は任せたよ」
「うん。おやすみなさいー。よく考えたら、家なんかこのままでいーやー」
「こらこら……」
強盗が入ったらどうするのか、と言おうとしたハルだが、思い返してみれば自分がその強盗であり、自分以外に強盗の候補は誰も居なかった。
言えばただただ自身がダメージを負うだけである。大人しくしているのが吉。
「《吹っ飛んだイベント用の魔法陣だけは直すんですよー?》」
「えー。だいじょぶだよカナリー。どうせ勝手にすぐ元に戻るからー。イベント終了までの時間が、ちょっと伸びるだけだってー」
「《この子はもー》」
コスモスとの戦いで、ハルは表でプレイヤーが必死にイベントをこなした結果生まれつつあった魔法陣を盛大に破壊してしまった。
イベント進行度、のようなものが表示されていなかったのは何よりである。急に巻き戻ってしまったら、何かの嫌がらせにしか思えない。
そんな風に仕事を増やしてしまったハルであるが、これもお騒がせの罰としてコスモスには受け入れてもらいたい。
いそいそとベッドに潜り込む彼女に苦笑しつつ、ハルは後を託してログアウトすることにした。
「《そういえば、セレステちゃんはいいのかしらハル様? 彼女もまだ、そっちに居るのよね。手伝ってあげないの?》」
「ん? まあ、大丈夫でしょ。セレステはエネルギー効率のいい子だしね」
「《投げやりねぇ。ああ見えて意外に乙女だから、今ごろご主人様の助けが欲しくてもじもじしてるわよ?》」
「してないと思うけどね、もじもじは……」
「《そもそも、セレステが何をしようとして来たのか知りませんしねー》」
そうなのだ。助けるにしても、何をすれば彼女の助けになるのかがよく分からない。
ハルはひとまず、手に入れた管理者権限を用いて今の状態のセレステが有利になると思われるルールをいくつか追加していった。
これで、当面はエネルギー切れの心配はなくなるだろう。
「あとは、ルシファーも置いて行くか」
「えー。邪魔だよぉ?」
「ここ広いし、いいじゃないか。ほら、ベッドの脇にある大きなぬいぐるみだと思って」
「おおきすぎるぅ……」
それでも、特にそれ以上の文句は言わないらしいコスモスだ。聞き訳がいい、というよりは、『どうせ寝ているのであっても無くても同じ』、という判断かも知れない。
「じゃあね。また会おうコスモス」
「うぃ。おやすみ~」
ぴょこりと布団の中から顔だけ出して挨拶する彼女に笑みを返しつつ、ハルは目的を終えたこの世界からひとまずログアウトするのであった。
*
ゲーム世界から帰還したハルは“実物のルシファー”を格納庫に収納すると、艦長のモノに礼を言ってお屋敷へと<転移>する。
セレステの件を除けば、当初の目的はほぼ達成。あとは、救援要請が来るまではセレステに任せよう。ハルはそう決めると、彼女以外のメンバーを集めて作戦の成功を報告するのであった。
「……という訳で、いささか強引ではあったけど、結果だけ見れば目的達成だね」
「やりましたね! ……でも、お話で解決できなくって残念でしたね」
「そうだねアイリ。とはいえ仕方ない。人間相手だって、言葉で分かり合える例なんて稀さ」
「それで済むのであれば、法など必要ありませんものね」
幼い見た目なれど、意見の対立する際の難しさをこの中で最もよく実感していそうなアイリである。伊達に王族ではない。
個人ごとの意思、正義、正解。互いがそれを押し通さんとすれば、最終的には争いになるのは必至。
そんな物を、子供のころからよく見てきたのだろう。まあ、今も見た目の上では子供そのものだが。
「それでハル? そのコスモスちゃん以外は、放置で戻ってきたのかしら?」
「ああ、ひとまずね。リコリスはセレステが追っているみたいだし」
「運営と同等の強権を得たのでしょう? この機に、全てを従えて戻って来てしまえばよかったのに」
「それはむつかしいかもー。何人かは捕まるだろうけど、何人かはきっと隠れちゃうー」
「……あら?」
ルナの当然の疑問にハルの代わりに答えたのは、なんと当のコスモス本人だった。
いつの間にか、ちょこん、とお茶の席に座っている小さな女の子に、皆の視線が集中する。
「あらら、生モスモスだね」
「もすもす~」
「おー、かわい、かわい。もすもす~」
「それは挨拶なのかしら……」
小さな手をにぎにぎと開閉しながら、『もすもす~』と挨拶を交わすコスモスとユキ。謎に通じ合っているマイペースな二人だが、他の面々はやや押され気味だ。
「びっくりしました! ゲームの中から、出てきてしまったのです!」
「元々私たちも、こっちからあの世界にログインしてるだけだからねー王女様ー」
「アイリちゃんはゲーム内でしか面識がないですからねー。イメージがわきにくかったでしょーかー」
「はい、カナリー様! お恥ずかしながら!」
どうしても『ゲーム内の神様』という印象があるが、当たり前だが本体はこの世界にある。
ハルもコスモスが無抵抗で支配を受け入れなければ、その本体まで浸食するのに少し苦労しただろう。
「そんじゃさ? モスモスはログアウトして逃げちゃえばまだ勝負は付いてなかったんじゃない?」
「できないよー。腐っても、運営……!」
「おお。責任感」
小さな胸を反らして、『どうだ』とばかりに誇り高く宣言する。寝てばかりの印象の彼女が言っても微妙に格好がつかないが、その責任感の強さは事実だろう。
むしろハルが、その逃げない彼女につけこんで、まんまと支配してしまった悪いやつである。ここはしばらく黙っておこうと決めるハルだった。
「でも、中には逃げるやつもいるかもー。みんな、私ほど仕事熱心ではないのでー!」
「……まあ、この場合ー、一番熱心な奴が一番ヤバイ奴ってことにもなるのでー」
「そうね? 素直に評価はできなさそうだわ?」
「がーん……」
そう、ハルがコスモスだけを支配しログアウトした理由はそこにもあった。
彼女はゲーム内で絶対に目的を果たさなければならないが、他の面々はそうとは限らない。
そんな彼女らに強引に従属を迫れば、下手をすれば運営を放棄してログアウトしてしまいかねないと思ったのだ。
特に、今は運営が実質一人増えた。その分、一人抜けても問題なくなったとも言える。
「……ちなみに、誰が逃げそうか分かるコスモス?」
「リコリスとガザニアー」
答えを期待していた訳ではないハルの質問には、意外にも素直に返答がきてしまった。
その内容のうち一方は納得だが、もう片方はハルにとっては少々意外だ。
「……ガザニアが? ……いや、まあ確かに。彼女は既に自分の目的を諦め、いわば『惰性』で運営に付き合っているものね」
「そこに無理矢理に従属を求められたらー、割に合わず逃げ出すってことですかねー」
明確な理由はコスモスの口からは語られない。そこは、まだ<誓約>により語れないということか。
とはいえ、やはりここは慎重にいこうと思うハルだ。ガザニアは少なくとも今は動かないし、リコリスはセレステが追っている。
あとは、今まで通りゲーム内から迫っていこう。そちらもまた、大詰めの段階。同じくらい手を抜くことは許されないと言える。
「ね、ね、モスモス。じゃあ逆に素直にこっち来そうな人は分かる?」
「それはカゲツー。あいつは自分から、まな板に乗るでしょー」
「わたくし、知ってます! それは……、恋なのです……!」
「……ロマンスの恋じゃないわアイリちゃん? お魚の鯉ね?」
ルナも思わずツッコむアイリの愉快な勘違いだった。恋愛要素大好きなアイリと、ダジャレを好むハルの性質が融合した高度なボケである。ということにしておく。
カゲツの目的は、むしろハルと組んでこそ真価を発揮するのかも知れない。RPGのシステム内の一要素ではなく、味覚を全面に主張したゲーム作りを行いたいだろう。
その為には、直接ハルと接触するのが望ましい。あるいは、今回のチームへの参加はそれが目的だったとまで考えられる。
「ミントもきっと、なんだかんだ言って拒まないよー」
「となると、残りはアイリスね?」
「むむむ。アイリスは、わからないー。多分だけど、抵抗する、かもー」
「相変わらず彼女は謎ね、ハル?」
「だね」
ルナの言う通り、今のところ微妙に目的が見えてこないのがアイリスだ。最も早くから接触しているというのに、最も読めない。
これで本当に、お金が増えることに快楽を覚えているだけなら楽でいいのだが。
……さて、そんなアイリスに、そろそろ会いに行くとしよう。
コスモスの国の大規模イベント発生からそれなりに時間も過ぎ、熱気もひと段落したところだ。
ここからはまたハルがゲームの主役となり、<神王>のイベントを進めて行く。
ハルたちはひと時のくつろぎの席を切り上げて、再びゲームへとログインしていくのであった。
*
再びのログイン、再びのプレイヤー。そして、先ほどとは異なるキャラクターボディ。
女性体として、大人気お嬢様の『ローズ』として、この世界に降り立ったハルを視聴者の熱狂が出迎える。
もうずいぶんと慣れたつもりだったが、やはりいつまで経っても違和感はぬぐえないものだ。
特に、先ほどまで『ハル』としてこの世界の裏側を闊歩していたのが、既にもう懐かしい。叶うならその状態に戻りたいハルだった。
「やあ、お待たせしたね君たち。コスモスのイベントは楽しんだかい?」
《待ってた!》
《おかえりなさいませお姉さま!》
《いちじつせんしゅーの想い》
《盛り上がってたよー》
《そこそこ長期戦になりそうですね》
《今はみんな方向性が定まったみたい》
《でも私たちにはローズ様が居ないと》
《餓死しちゃう!》
《水分だけはとっとけ》
《ローズヒップティーを飲んで優雅に待った》
《ローズ様の、ヒップ……?》
《ローズしり?》
「待て。偶然を装って妙な事を言うんじゃない。BANするのに躊躇うだろう?」
《でもBANはする》
《ゆるしてー!》
《ローズ様容赦せん!》
《躊躇するとは言ったが、しないとは言ってない》
《時限だって、よかったな》
ハルも女の子のお尻は大好きだが、自分のことを話題にされるのは許さない。
これは狭量なのではない。コメント欄の平和を守る為の、れっきとした治安維持活動なのである。
などと、ふざけながらも、少しばかりの間の空いた放送を再開していくハル。
コスモスの国のワールドイベント、今は大半の者が自分の取るべき方向性を見定めて、反復行動に励んでいるようだ。
そのぶん目新しさはなくなり、再開するにはいいタイミングだったようである。
「どーなったん? 確か、人気投票みたいにして決めるんだよね?」
「そっすね。どぞ、これをご覧くださいユキ様。今のとこ、攻撃へのエネルギー注入が優勢っぽいすよ。やっぱ人気っすね、攻撃。でも、まだまだわかんないっすよー。結局コスモスのイベントっすからね。この国の住民有利っす」
「さんきゅ、エメん。魔法使いとして、基本的に<攻撃魔法>は修めてるもんね。大魔法は、他の系統の方が都合がいいか」
「その通りっす!」
スタートダッシュは、多種多様なプレイヤーの意見の総合として『攻撃』に人気が集まったようだが、このイベントの真価はここからだ。
初動の勢いが収まった後を、どう動くか。誰と組み、誰にどう根回しをしていくか。そのセンスが、勝敗の分かれ目となるだろう。
ここから最終的に『支援』が追い抜いてトップ、という結末だって十分にありえる。
「僕も参加したい気もするけどね。僕らはやはり、<神王>への道を進まないと」
「神国へと戻るのですね、ハルお姉さま!」
「そうだねアイリ。ああもちろん、クランメンバーはこのままコスモスに残るも自由だ」
国家規模の魔法の構築に賑わうコスモスの首都を後にして、ハルたちは子猫の裏道を通って転移し飛空艇へと戻る。
それに乗って向かうは中央神国。降臨の間だ。
コスモスを含め、全ての神から加護を受けた今、ついに<神王>とやらへの就任が承認されるだろう。
その儀式をもって、ハルの旅路もついに大詰め。あとはこのゲームの終着点、ゲームクリアがいかなるものとなるか。それを見届けることとしよう。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




