第92話 黄昏時に異界の彼女
せっかくだから街に出よう、というハルの提案にアイリは非常に喜んだ。
別の世界に来て、行くところがハルの家の中だけというのも味気ない。いや、アイリも案外それで満足しそうではあるが。基本的にハルもアイリもインドア派だ。
ハルもゲームを始めてしばらくは、アイリの屋敷から外に出なかった。あのお屋敷は広いので、この家とは比べるべくも無いかもしれないが。
「でもアイリちゃんの服は少し目立つわね。もう少しだけ待っていてちょうだいな?」
「このお洋服ではいけませんか?」
「いけなくはないけどね。僕らの世界では少し目立つかな」
「アイリちゃんの世界なら、プレイヤーが派手な格好をしているし、大丈夫だと思うけど」
それに元々、お金持ちは派手な格好で歩き回るようだ。プレイヤーも最初から、さほど奇異の目で見られてはいなかった。
そういう土壌が用意されていたのだろう。
ルナは部屋の隅から、無地の柄の布束を取り出して来ると、それを雑に切り取って行く。
いや、雑に見えるのは見た目だけで、その仕事は実際、非常に丁寧で正確だ。次々と服の一部になるだろうパーツが切り落とされる。
「何時そんなものを用意したのだか」
「昨日のうちにね。必要になると思って。ハル、これに柄を付けて? 清楚でかわいらしいのがいいわ」
「初夏だし、さわやかなのがいいよね。アイリ、花の柄でいい?」
「はい! でも、そんなに簡単に出来るものなのでしょうか?」
「僕らの世界、こんな事ばかり得意だよ」
かわいらしい、とは言うものの、ルナの趣味であまりスカート丈は短くならない。布の様子を見ている限り、ワンピースの上に薄手の上着を羽織る、清楚な感じに仕上がるだろう。お嬢様ルックだ。
ハルはクリーム色のワンピース部分に、緻密さを重視した花柄をちりばめて行く。それでいて、色は生地に溶け込むように心がけ、緻密であることを感じさせないように。
「それなら意匠化してしまった方が良いのではなくて?」
「硬い感じが出ちゃうと思って」
「すごいですー……、こんなに簡単に絵付けが」
やっている事はイメージの印刷だ。染色用の、自らの色を変えるのが得意な素材を塗りこみ、それにエーテルを反応させて変色させる。
どこのご家庭でも行われている、かどうかはハルは知らないが、一般的な技術である。ハルとルナはオリジナルでやることを好むが。それに使う柄のデザインパターンも、ネット上に大量に配信されている。
そして服はすぐに完成する。この手の物はルナには慣れたものだった。最後に自分の着る物よりも多めに、ふわふわ感を出す癖付けの加工をしているようだ。
「ハル、向こうを向く……、必要は無いわねそういえば。見ていて良いわ」
「恥らって?」
すぐにアイリを着替えさせるルナ。自身もアイリに合わせた物に着替えるようだ。
女の子二人の着替えは目に優しいが、じろじろ見るものではない。ハルも着替え、髪の毛を染めて準備をする。
ハルの髪は色が薄く黒髪二人の中に入れば目立つ。何よりゲーム内のハルと同じだった。アイリを目立たせないためにも、『ハルが居る』、と判断される記号は抑え目にしておいた方が良いだろう。
アイリにしたように、自分も髪を黒く、薄い幕で覆ってゆく。記号一つ変われば、人間すぐにはその人物だとは判断しないものだ。
「ついでにメガネでもかけようか」
「ハル、あなたメガネなんて持っていたの?」
「こんなこともあろうかと」
「カッコいいです!」
「逆に変装を強調するのではなくて? 外しなさいな」
メガネ、主な用途は当然ながら視力矯正。だが現代となっては、エーテルで簡単に補正できる。
そのため使用者は減少の一途。用途も、おしゃれ目的が大半を占めるのではないだろうか。つければ逆に『いまどきメガネをかけている珍しい人』、として目立ってしまうかも知れない。
どうやらルナお嬢様は、メガネ愛好家ではあらせられないようだ。
「ちょっと残念です!」
「ダメよアイリちゃん。メガネはキスするときに顔にぶつかるわ?」
「……無くてもいいですね!」
「えっ、そういう理由なの?」
ささやかな抵抗として、普段しない整髪をして印象を変えてみるハルであった。
若干、手直しされた。
*
街路樹の立ち並ぶ、人通りの少ない道を選んで歩く。特に目的地は無い。どこを見回しても、アイリにとっては新鮮な風景であった。
「本当に映画と同じですー……」
「まあ、この世界が舞台だからね」
アイリが目を奪われたのは、背の高い建物。ハルやルナにとっては何でもない、日常の風景。
無機質で、味気ない。ともすれば嘆息の対象になるであろう、その見慣れた風景。
アイリにとっては輝いて、未来的で、感嘆の吐息が漏れる対象となっていた。
「わたくし達の世界では考えられません。こんな高い建物が立ち並ぶ風景」
「魔法都市では高い塔が立ち並んでるじゃなかったっけ」
「一部だけですよ。我が国の王城が高いようなものです」
どこを見渡しても高い塔。この街こそ、そんな言葉がふさわしいとアイリは語る。
ハルにとっては代わり映えのしない物が並んでいる、としか感じられない風景も、アイリには個性豊かな異国情緒となるようだ。
「統一感がある、という美しさは感じた事はあるけど、個性的って発想は無かったな」
「そうね。確かに個々で設計思想は違うのでしょうけれど」
「はい! 我が国では規格がどれも統一されすぎています」
「首都はすっきりと整備されていて好きよ?」
「すっきりさもハルさんの国の方が上です。とても清潔ですし」
いや、これは実は上空から見るとかなりごちゃごちゃと入り組んでいるのだ。そういった視点の違いだろうか。
アイリの国(アイリが治めているわけではないが)は上空から見ると、理路整然と整った美しさがあり、道の規則性そのものが美観となっている。
残念ながら、現代の道路事情とはまるで合わないので、こちらでは失われてしまった作りの街だ。物流は血液であり、道路は血管状が好まれる。動脈から流れ、毛細血管へ。
思うに、為政者はゲーマー以上に効率大好きなのではなかろうか。もしくはAIに任せすぎである。
「……この街も上から見ればこんな感じだよ?」
「しれっとこの世界でも視点を飛ばさないの。……冷静に考えるとおかしいわよね、ハルのこれ」
「ルナはもう慣れたと思ってたのに」
上空のナノマシンでレンズを構成し、俯瞰の写真を撮影しアイリに見せる。
魔力を経由したカナリーの視点でお馴染みの技だ。元々は、この世界でもハルが日常的に行っていた事である。
自身の俯瞰、客観視。並列思考を使った、主観を持ちながらの第三者視点。
ハルの特異性を象徴するものの一つだった。
「幾何学模様みたいです! すごいですー……」
「あはは、何を見せても褒められちゃうね」
「もう少し自分達の街に誇りを持ちましょうかね?」
「アイリが、どんな視点でこの世界を見てるのか気になってくるね」
隣の芝生は、と言ってしまえば終わりの話だ。だが、視点の違いによって見えてくるものがあるのかも知れない。
意識変性、という程ではないかもしれないが、新しい視点を取り入れることは有用だ。
「また、わたくしと繋がりますか?」
「……ハル?」
「……意識接続の話だよ。残念ながら、今の僕ではアイリの見てる世界を見るまでは行かなさそうでね」
「わたくしは、ハルさんの見ている物が見えました!」
順応性はアイリの方が高いのだろう。たまにハルの考えが流れて行ってしまうことからもそれが伺える。
三人はその後も足が運ぶに任せるまま、日本の街を見て回った。
*
しばらくの間、そうして足の向くまま色々な所へと探検して行く。
アイリが映画で見た地下鉄に乗りたいと言うので、地下鉄に乗り何駅か跨いだ先の街まで足をのばした。
既に外は薄暗く、街ゆく人達も、どこか食事出来る所にでも入ろうかといった空気。混んでこないうちに、ハル達も少し休憩することにした。
「夕焼けでもあればノスタルジックな雰囲気なんだけど、今日は無いみたいだね」
「逢魔ヶ時という奴ですね。すぐに灯りが付くので、わたくしの世界のような気味の悪さはありません。神界のように幻想的ですね!」
「アイリちゃんの目を通せば、電灯の灯りもずいぶん素敵になるのね」
「というか、逢魔ヶ時なんて言葉伝えてるのか……」
神様も趣味が良いことだ。
黄昏どきのその時間、現世と異界が繋がるという話をよく聞く。実際はこの世界、二十四時間年中無休で場所を問わずに、異界と繋がりっぱなしだったようだ。
隣のかわいらしい異界人を見て、そんなことを考える。
ハル達は雰囲気の良い喫茶店を選ぶと、奥の方の席に入る。
「店舗内に入っても平気なの?」
「店員さんにはちょっと認識ズラしてる。二名様って言ってたでしょ」
「ええ、判定は入店二人のようね」
「わたくし、幽霊のようです……!」
まさしく、アイリは今エーテルネットに反応しない幽霊だ。というより二人合わせて『ハル』という判定。ハルも半分幽霊であった。
防犯の対策はどこもほぼナノマシン任せだ。基本的にどこを通ってもアイリが異物として検出される事は無い。
だが流石に人の目はそうもいかない。入店者二人、と案内の出た所に、入ってきたのは三人だったら怪しまれるだろう。ハルによってアイリの姿は店員の意識の外に追いやられていた。
ゲームで培った誘導の技術に加え、エーテルを少し悪用している。処理としては光学迷彩が少し近い。アイリの周囲を高密度のナノマシンで覆い、店員の目には入らないように、光をねじ曲げている。
「もう声はひそめなくても良いよ」
「ナノさんを使って音も遮断できるのですか?」
「出来るけど、今は<音魔法>でやってる。その方が楽だしね。……姿を消す魔法もあればいいんだけど」
「あなたもう何でもアリね……、前から何でもアリだったけれど」
二つの世界の良いとこ取りだ。それぞれ得意分野がある。
ひとまずサンドイッチを注文する。ハルとしては、お屋敷の物とは比べるべくも無いのであまり気乗りはしないのだが、アイリがこの世界のサンドイッチを食べたがった。
こちらではありふれた四角いサンド。おしゃれに綺麗で小さな三角に盛り付けられたそれを、興味深そうに、はむはむと口に運んでいる。
「とてもすっきりした味わいなのですね。不思議です。味付け自体は濃いですのに」
「材料の違いでしょうね。……こういうトコだと、全部合成よそれ」
「魔法で作りだしたのですか!?」
「魔法じゃないんだけどねー。まあ、そんなとこ」
注文に合わせて、その場で適宜材料を合成する。ハルが使っていた複製機の豪華版が、キッチンに置いてある。仕入れはペーストの補充だけで大変便利。
都度、食材を仕入れてくるのは、食事をメインにした少し値の張る店舗からになる。
「それを抜きにしても、メイドさんの料理には及ばないよ。こっちの料理であれより美味しいものは食べた事は無い」
「メイド達も喜ぶでしょうね! ルナさんもですか?」
「ハルは食べることにあまり興味がなかったのも大きいわ。この世界にも美味しいものは沢山あってよ」
「流石ルナお嬢様は舌が肥えていらっしゃる」
「茶化さないの」
確かに今までは食べる事にはあまり興味が無かったハルである。無飲無食のままポッドに入って過ごすような人間だ。食欲は薄れる。
だがこの日本、美食への探求は盛んだ。ハルが知らないだけで美味しい物はいくらでもあるのだろう。
「しかし、すぐにアイリを案内するとなると厳しいか」
「そうね。あちらもお食事についてはかなり進んでいるもの、半端なものでは分が悪いわ?」
「……わたくし、そんなに美食家ではないのですが。なんでも美味しく頂きますよ?」
お国自慢をしたいお年頃なのだ。予想外に街並みには驚いてもらったが、出来れば自分達で企画して驚かせたい。
ルナとあれこれ議論を重ねる。
「研究と、科学的手法が物を言う料理が良いかな」
「そうね、単純さでは素材の味が勝敗を分けるわ。お屋敷では出なかった物にしましょう」
「この辺でも手軽に食べられて……、となるとアレか。カレーだ」
「そうね。飽くなき調合の集大成だわ」
「そんな真剣になられなくても……」
そうして、カレーの専門店で夕食を頂く三人だった。
ハルにとっては可も無く不可も無く、といった印象だったが、アイリにとってはやはり未知の物だったようで、非常に驚いていた。作戦は、一応の成功を収めたと言えよう。
神様も、多種多様なスパイスを、逐一世界を越えて輸入する手間はかけられなかったようだ。
そういえばタコもアイリの世界には存在しなかった事を思い出し、帰りにタコ焼きを買って行こうという提案は、残念ながらルナに却下された。
実物のタコを見せてから判断させるようだ。確かに、不意打ちはよろしくないだろうか。
そうして、その日は三人でハルの部屋に泊まり、アイリの第一回異世界小旅行は幕を閉じるのだった。




