第919話 それは果たして勝利か敗北か
逆変換、なんの逆かといえば、この世界のリソースを吸収し力に変えるドレインモードの逆である。
今のこの存在法則の違うハルの体を、コスモスと同じ次元に引き上げる、あるいは落とす。同一のルールによって干渉可能とする存在改変。
つまりは、『殴ればダメージを与えられる体』へと変えるのだ。殴る気はないが。
「《逆に言えば、ここまでと違ってコスモスからの干渉もマトモに受ける体になってしまうの。お気をつけくださいね?》」
「分かってるよマリー」
とはいえ、ゲームマスターと同質の存在になれると評するならば、これはもうチート中のチートだろう。
そこから先は、もう物理的な破壊も、HPの高低も関係ない。概念的な殴り合い。
どちらのプログラムが優れているか上書きし合い、処理速度を競い合い、互いの存在を否定し合う。
指先ひとつ互いの体は踊らねど、今まで以上に激しいバトルとなるだろう。
「しかしそれ以前の問題として、まずは物理的な隙を作らないと」
「させないもんー。コスモスのやることは同じー。このままいっきに、ご退場いただきます」
チートが完成したとはいえ、そのチートを実行する為の待ち時間までは消えてくれない。ハルの今の体を、まるごと別の存在に書き換える必要があるのだ
コスモスからは、させじと、また次々と最高レベルの魔法が飛んでくる。この状態で隙を晒せば、その全てが直撃しルシファーの防御といえど持たないだろう。
「エメ。さっきの魔法消去は使えないの?」
「《今は難しいっす。さっきコスモスに処理領域を分散、再配置されちゃいました。再び特定するまでは、メモリーリーク作戦は危険っす》」
「まあ、仕方ない。何も知らない日本のユーザーも遊んでるんだ。安全第一で」
間違えてコスモスの魔法ではなくプレイヤーの魔法を消去してしまえば一大事だ。
いや、魔法ならまだマシな方。急にマップの一部を消失させてしまうだとか、それどころかプレイヤーの体そのものを消去してしまうなんて事があれば目も当てられない。
チートは、真面目なユーザーの迷惑にならないよう使用しなければならない。そもそもチートを利用するなという意見は、ここでは無視することとする。
「《ハル様? 逆変換に際しての『予備動作』を開始するの。発動後は、恐らくハル様の性能がダウンするわ? 注意して欲しいの》」
「了解。必殺技には、『タメ』が付き物だからね。なんとかするさ」
「させないー。その隙に、どっかーん! だよぉ」
コスモスの言う『どっかーん』が実態を伴ってすぐに襲い掛かって来る。今まで以上の魔法の激流が運営特権により無制限に押し寄せる。
海もないのに巨大な波がハルを飲み込み、地面もないのに巨岩が出現してはハルを押しつぶす。竜巻は上下の感覚を完全に喪失させ、炎の渦はその上下の区別なく全てを焼き尽くした。
ハルは己の疑似的なこの体が半ば分解され曖昧になっている不自由な状態で、その天変地異からなんとか逃れなければならないのだった。
「死ぬ! これは死ぬ! 魔力残量がすぐ底を突く!」
「運営はー、チーターの人を許しませんー」
「酷いな。獣人批判かいコスモス?」
「お? おー? あー、ギャグだった」
ネコ科の四足獣、『チーター』である。チート利用者とは何の関係もない。
人権侵害には気を遣わなければならない運営の、意識をちょっとだけ奪えるしょうもないギャグだった。
そんなギャグ程度ではコスモスの天変地異は収まらず、ルシファーは右手を突き出したチャージポーズで対処を余儀なくされる。
右手には輝く魔法陣が回転してはいるが、ドレインモードでコスモスの魔法を吸収することは出来ない。今は、ハルの身を逆変換する準備に精一杯だからだ。
ハルはその状態で、ひたすら回避と防御につとめて行く。
コスモスの方も使う魔法の最適化が成されてきたようで、物理的破壊を大きく伴う派手な魔法ばかりを選ぶようになってきた。
範囲も大きいものばかりで、神殿の陰に隠れても余波が大きく全てを回避するのは難しい。
「仕方ない。ここは、あれをやるしかないか」
「《あれっすね! ……あれってなんでしょう!》」
「《素人は黙ってるんですよーエメー。ここは、私に任せておきなさいー》」
「《流石のツーカーっすねカナリーは》」
「エメは古い言葉ばっかり使うねー」
アップデートを怠っているエメである。ネットワークから切り離された時間が長かった影響か。まあ、たぶん彼女の趣味なのだろう。
要は以心伝心のことだ。魂の融合したカナリーには、言わずともハルの考えていることが伝わった。
「《私の処理能力をお貸ししますー。ここは任せて、ハルさんは移動に専念しましょー》」
「ああ、お願いねカナリー」
「《はいー》」
短いやり取りの直後、ルシファーの操作の一部がカナリーへと譲渡される。ハルを通して、ゲーム外から遠隔操作している形だ。
天使の翼が本体から分離すると、独立した十二個のビットとして周囲を浮遊する。
その翼から、輝きを放つ斬撃が次々と照射され魔法を切り裂いていった。
「《『カナリアの翼』、起動ー。エメー、マリー。なんか不具合出ないか、見張ってるんですよー》」
「《ねえ、ねえカナリー? 不具合って具体的には? 私少々、不安なのだけど?》」
「《……これ空間を引き裂く攻撃っすからね。表世界と、繋がっちまわないか十分警戒しましょ》」
「《あら、あらあらあら》」
カナリアの翼が切り裂いた空間の先に、楽しくゲームをしている一般プレイヤーの世界が繋がったら一大事だ。
世界の裏側では、運営と巨大な天使が神話大戦を繰り広げている壮絶な空間が広がっていた。そんな真実が明るみに出たら、収拾がつかない。
「……こともないか。どうせ、繋がった瞬間にコスモスの魔法で表世界は吹き飛ぶし。僕らの姿を確認する暇もないだろう」
「《ですねー。その補填は、この子にやらせればいいんですー》」
「お、おのれー……、ひ、ひきょうなてをー……」
勝手すぎる理屈で想定される被害を丸投げし、ハルとカナリーは空間を切り裂く神剣の光を放ち続ける。
放置は出来ないと悟ったか、コスモスは魔法を撃ちながらも、あたふたと周囲環境を操作する。
「えと、えーと。次元断裂によるエネルギーの『漏れ』をオフに……、いやいっそ、空間断裂そのものをオフにして……」
エミュレーターの設定が完了したのか、神剣の光が一斉に消失し、ルシファーの翼は輝きを失い魔法の海に飲まれて行く。
致命的な隙、もはやハルは絶体絶命の状況に、コスモスが満面の勝利の笑みを浮かべようとしたとき、その彼女の隙を見逃すエメではなかった。
「《油断したっすねコスモス。いや、翼の対処に処理を取られ過ぎたっすかね。セキュリティがおろそかになってるっすよ!》」
「ふえ!?」
見れば、隙だらけのハルに一斉に襲い掛かろうとしていた魔法が全て消失し、ただバグエフェクトの嵐が空間を埋めている。
エメの魔力へ直接ハッキングするデータ改竄攻撃。それが、これ以上ないタイミングで突き刺さった。
「《今っすよマリーゴールド!》」
「《ええ、逆変換プログラム起動! ルシファー、ハル様をコスモスに、射出するの!》」
*
ハルとコスモスの間を遮る魔法の嵐が凪いだその一瞬、それを見逃すことはなく、砲撃の構えを取っていたルシファーの右手が翼の代わりとばかりに輝きを増す。
それはその身の中心から、ハルの乗るコックピットからエネルギーを集めるようにして、砲身たるその腕に装填する。
弾丸となるのは、ハル自身。今まで、この世界のリソースを食いつくしてエネルギーにしていた右腕は、今はハルの存在をこの世界の物として解き放たんとしていた。
「《ハル様弾、発射なの!》」
「もっと良いネーミングが欲しかったかな!?」
まあ、この際ネーミングなどどうでもいい。マリーゴールドは最高の仕事をしてくれた。
銀色のエネルギー球として射出されるハルの意識は、あたふたと狼狽えるコスモスに着弾すると用意されていた内部のデータを開放する。
それは物理的なエネルギーを有しているかのように周囲の空間を埋め、コスモスの小さな体を硬直させた。
「《やったわ! 捕獲完了なの!》」
「《神界ネット内にてデータの移動を禁じる結界っすよ! 名付けて神取網! ん? 取り餅の方がいいっすかね?》」
「《どっちでもいいですよー》」
「うごけないー、あわわわわわ。どーしよ!」
流石は基礎設計に携わった二人の作品。実にえげつない効果だ。
コスモスの一瞬の油断、無敵の運営としての慢心。その意識の隙間に刺し込んだ必殺の一撃。
周囲の空間ごと彼女の身を拘束し、この世界の管理人を行動不能に陥れた。
本来なら、こんなものただの時間稼ぎにしかなりはしない。しかし、今はそれで充分。
その拘束の内部にて、不死身の彼女に手が届く処刑人が誕生しようとしていた。
「《刮目するっすよコスモス! 真の管理者様の、降臨っす!》」
「《平伏しなさーい。今日から貴女の、ご主人様となる人ですよー》」
「《あらあら。まあまあ。これが<神王>の誕生なのね!》」
「……君たち僕が喋れない間に好き勝手言うのやめて」
再現された実体を捨て、キャラクターボディに逆変換を果たしたハル。その身はもちろん、ただのプレイヤーと同じではない。
目の前に居るコスモスと、同種の肉体。言うなれば七人目の、運営の誕生だ。
だが、コスモスと同等となってこの勝負は終わりではない。同列ではなく、明確な上下をつけねばこの戦いは決着しない。
「……ごめんね。出来れば、無理矢理に従わせるのは避けたいと思ってたんだけど。ある意味で、これは僕の負けだ」
「ハルさん甘いよー。私たち、ルールで縛らなきゃいつまでも好き放題するもんー。これを機に、全員もれなく支配しちゃうことをオススメします」
「そうかな?」
「そだよー。なにより、私だけなんてガマンができないものー」
「また子供みたいなこと言って」
コスモスは観念したのか、まだ体が動かないのか、ゆっくりと近づいてくるハルにその身を投げ出している。もう抵抗する気はないようだ。
この彼女の身体を、その中の神としてのデータそのものを、ハルが浸食し終われば勝負は終了だ。
ほんの少しの逡巡の後、ハルは先ほどのルシファーのように右手を押し当てると、コスモスのデータ全てを己の物として吸収し終わったのだった。




