第916話 無限の軍勢
「《一度、ログアウトした方がいいんじゃないっすか?》」
「どうしたエメ? そんなことを言って」
「《いや普通の提案っすよ。敵のフィールドで、敵の用意した身体で、このまま戦っても勝機は見えないでしょう》」
「まあ、一理ある」
一理あるが、その方法は取りたくないハルだ。エメの言い分はもっともだが、この状況で逃げることは敗北だ。先ほどまでとは違う。
負けず嫌いのハルとしては、さしたる理由なく撤退するのは避けたいところであった。
「《エメは逃げ癖が付いてますねー。ハルさんと一緒に居るなら、それじゃだめですよー?》」
「《うっさいっすよカナリー。何度逃げようとも、最後に計画が成功するならそれでいいんです!》」
まあ、その理屈も分かる。ハルも家族の皆の安全が関わっていれば躊躇なく逃げるだろう。
だが現状は、ただの二人の意地のぶつけ合い。それだからこそ、逃走はそのまま勝敗にも直結しかねないのだ。
逃げれば、自分の意地を折ったことになる。そんな子供じみた理屈でぶつかり合っているハルとコスモスだ。
「とはいえ、エメの作戦もそこそこ有効なのは確かだ。調査が終わった今、ここに残り続ける理由はない。なおかつ、コスモスは逃げられない」
「むぅ……、運営のお仕事、放りだせない……」
そういうことだ。いくらハルの脅威が迫っているからといって、コスモスは多数のユーザーを残して本当に逃亡することは許されない。
ここが、エメの時と違って安心できる所だ。彼女の時は本当にすぐ逃亡を図ってきて大変だった。
加えて、コスモスは自分の目的の為にここで必死に計算を続けている最中だということもある。
逃げれば目的は達成できず、この場で踏みとどまる以外に選択肢が存在しないのだ。
「……どうして、そこまで“今”これを押し進めることにこだわるのコスモス? カナリーのように百年かけろとは言わないけど、後でまた時間をかければいいじゃないか」
「だって。も、もう少しだって気がする……」
「気のせいだよそれは……」
まるきり子供の言い訳だ。絶対に『もう少し』で済むはずがない。
そんな、『もう少しだけ遊びたい』のように懇願されてもダメなものはダメである。
「もう少しなのー。それに、今回を逃したら、もうこれだけの意識を一か所に集める機会はないかもしれないのー」
「それは、まあ」
今回のゲームの盛り上がりは、非常に貴重な機会であることはハルも同意する。二度目が存在しないかも知れないことも。
月乃の全面的な協力により、プロジェクトは日本中を巻き込んだ一大事業となった。宣伝は惜しみなく行われ、ゲーム本編の目新しさも手伝って人が人を呼んだ。
しかし、だからといって次も同様の盛り上がりを見せるかは分からない。それこそ、その目新しさが無いからだ。
「次は、もうこの人数を更新できないかも知れない。そもそも、次はコスモスのゲームじゃないかも知れないのー」
「まあ、そこは奥様の匙加減次第なのは認める……」
「だからハルさん、見逃そ?」
「……だーめ。結局その『次』も、同じように言ってゴネるでしょ」
今回だけ、今回だけと見逃していたら、いつまで経っても止めてはくれないだろう。
「だからここで仕留める。コスモスに、準備の時間を与えたくないしね」
今はハルの攻撃を受け流すだけで反撃してこないコスモスだが、相手側の勝利条件が明確になれば反転攻勢に出るだろう。
そしてそれは、ゲーム外であるほど危険だ。その隙を与えてやる義理はない。
コスモスにハルの本体をどうこうする力はないが、自分に手を出させなくすることは可能だろう。要はハルに、対処の余裕を与えなければいい。
例えばハルの秘密、『ローズ』に関することを暴露しようとするとか。例えば月乃に働きかけ、ハルを月乃の対処に釘付けにするとか。考え出すと頭が痛いハルだ。
「むりだよー。ハルさんは物理攻撃しか出来ないのに、私に物理は通じないもん! それに、私も攻撃できない訳じゃないんだよー?」
「だろうね」
そんなコスモスの号令によって、足元に並ぶ無数の物言わぬキャラクターたちが、一斉にその目を見開きハルへと向けた。
今までされるがままだったコスモスだが、彼らを使って逆襲しようということだろう。
……軽いホラーだ。まるで死体が一斉に目を醒ましたようである。
「いっけー」
ここからは、防御にも気を遣わなければならない。ハルはルシファーを駆り、まずはその大群の対処に専念していった。
*
一人一人の力は弱いが、とにかく数が多い。ハルはまるでゾンビの群れのように飛び掛かって来るコスモスの手先を、休むことなく迎撃し捌いている。
その数は比喩抜きに息つく暇もなく、かつ終わりが全く見えないのだった。
当然だ。地平線まで、いや地平の無いこの世界に地平を作るほどに、その数は甚大であった。
「キリがない! アルベルトかお前!」
「《お呼びですねハル様! お任せください。この私にかかれば、こんな視界に収まる範囲に留まりません。ゲームリソース全てを、『私』で満たして強制停止させてみせましょう!》」
「馬鹿! このご時世に緊急メンテなんてシャレにならん!」
「《現代で鯖落ちとか勘弁っすよアルベルト》」
「《損害額も甚大ですよー。あなたに払えますかー?》」
「……まあいい。暇なら手伝えアルベルト。増殖の第一人者として、こいつらをどう見る」
「《はっ! ……どうやら、私のようにこれらは同位体という訳ではありませんね。それぞれ、個別に性能が設定されています》」
ご苦労なことだ。ハルは四方八方から飛びついて来るゾンビ、失礼、操り人形の群れを、片っ端から引き裂いて、その数を減らしていく。
まるで減っている気がしないが、既に百体を超える数を撃破し、機能停止させている。
コスモスとは違い、こちらの攻撃が通るのが一安心だ。動きもさほどの物ではない。
しかし、地面のないこの世界の特性をものともせず、飛行して迫って来るのは非常に鬱陶しい。
その場に留まると、まるで羽虫の大群が集まってきてボール状になっているようだ。雲霞の如く、とはまさにこのこと。
「……本当にうっとおしい。とはいえ、移動せず全周囲を囲まれるのは避けなきゃならない」
「《ええ。ダメージも馬鹿になりません。やられっぱなしは避けるべきかと。移動をお続けください、ハル様!》」
「幸いなのは、敵が魔法やなにかのスキルを所持してる訳じゃないってことだ。爆撃されてたらもっと酷かった」
「《助かりましたねー。でも変ですねー? ゲームキャラでしょうー、こいつらー》」
確かに、カナリーの言う通り、ハルも最初は魔法スキルが次々と飛んで来るのを覚悟した。
しかし、彼らはまだ今のところ物理攻撃を仕掛けてくるのみ。武器は装備しておれど、魔法を使うことはない。コスモスは魔法の国だというのに。
まだ節約の線は完全には捨てきれないが、これはほぼ、仕組み上使えないと見て良いだろう。
「だってー。『普通のひと』は魔法も、超能力も持ってないもんー」
「なるほど。……でも『普通の人』は空も飛ばないし、こんなに力も強くないよ?」
「そこは、それ」
まあ、確かにそこはそれだ。便利な言葉である。それがなければハルに有効打を与えられない。
コスモスの求めるのは、新たな意識の生成。その可能性を上げる為には、余計な機能など付いていない方が都合が良いと考えた結果なのだろう。
少々、リコリスの立場が心配になるハルだ。この彼女らが皆で協力して手を取り合い頑張っている中、誰とも絡んでいないのではないだろうか?
「……まあいいや。それこそ今は、そこはそれだ」
「《ええ、ハル様。僥倖ではあります。魔法の飽和攻撃に防御を強制されれば、すぐにエネルギーが尽きてしまうことになったでしょう》」
「いいこと聞いたのー。それー、つっこめー」
「《させません。今です、ハル様!》」
「ああ。一掃する」
アルベルトの見極めたタイミングに合わせ、ハルはビーム砲を薙ぎ払い、続けざまに爆弾を生成し放り込む。
巨大な群れの行動を正確に読み切った彼の計算は流石の一言であり、最小のエネルギーで最大の撃破効率を叩きだした。
しかしそんな爆風の奥からも、なおも休むことなく人形の群れが現れ続ける。
終わりの見えないこの襲撃。アルベルトに正確なエネルギー残量を計算させるまでもなく、この無限の襲撃の前では魔力が持たない。
「……まずいな。反物質砲が封じられているのも痛い。他の大規模範囲攻撃は、どれも魔力消費が激しすぎる」
「《ハルさん専用機である以上、魔力切れのことなんて考える必要はなかったですからねー》」
費用対効果よりも、破壊力が重視されたルシファーの設計だ。傲慢極まるその設計思想は、節約のことなど頭にない。
「《核兵器の生成などは出来ないのですかハル様?》」
「うん。難しい。核兵器は反物質兵器よりも計算が面倒だ。<物質化>スキルの補助なしでは、かなりの確率で失敗に終わると思う」
魔法によって物理法則を無視しているからこその、妙な逆転現象だ。
主武装として核兵器を搭載していないルシファーでは、ハルが一から計算して生成しなければ発射は不可能。
現状の武装でどうにか戦わなければならないのだが、それは前述の通りコスパが悪い。
誰がどう見ても、このコスモスの単純な力押しに成す術のなくなったハルたちだ。
「お客様、お帰りです。またのお越しをー、私の計算が終わったくらいに、お待ちしてますー」
「……まだだね、まだ居座るよコスモス。ここのオーナーは僕だ。閉店時間は僕が決める」
「お、おうぼうだー……」
状況はほぼ詰みだが、最後の一瞬まで投了する気などハルにはない。
例え本当にどうしようもなくとも、与えられたエネルギーの許す限りコスモスに被害を与えてから帰りたい。
……さっきから最悪なことばかり言っている気がするが、きっと気にしては負けである。
「エメ。出来そうか?」
「《当然っすよハル様! わたしを誰だと思ってんすか! 神界ネット開発者を甘く見られちゃこまります。この世界のルールに、干渉できるのは自分だけじゃないってのを、コスモスに目にもの見せてやりますよ!》」
「《ぱんつ見せて遊んでましたもんねー。えっちなMODは基本ですもんねー》」
「《う、うっさいっすよカナリー! ハル様はステータスチートはお嫌いだから、そんくらいしか披露するとこなかったんです!》」
「それはすまない。まあ、今はやりたい放題だ。自由にチート行為に励んでほしい」
「ち、チーターだぁ。い、言いつけてやるぅ……!」
……誰にだろうか? 不正報告すべき運営が、コスモス自身なのだが。
その上となると月乃くらいだ。確かに、それは少し困るかも知れない。どんな弄られ方をするか分かったものではない。
そんなエメの準備が整うまで、魔力を持たせるのがハルの仕事だ。過剰な武装は取り払い、<魔力化>してエネルギーに還元していく。
攻撃も控え、今は逃げに徹する。羽から光の尾を引きながら超高速にて敵を振り切り、眼前に迫った者だけを爪で切り裂き、また体当たりでそのまま叩き潰す。
コスモスからあまり離れる訳にはいかないのが難点だが、鬼ごっこの速度では基本的に人間の身に負けるはずなどないルシファーだ。
「むぅ。速い。でも、逃げててもー、そのうちエネルギー切れるのは変わらないよー」
「《そうはさせないっすよ! 出来上がりましたハル様! さあ、チートの力を見せてやるっす!》」
「なんだか素直に喜べない……」
とはいえ、運営の強権に対抗するには仕方がない。ハルは躊躇いなく、エメから送られたプログラムをルシファーに組み込むのであった。
※誤字修正を行いました。




