第911話 無限を偽称する有限世界
「さてセレステ。この状況で、無限の牢獄を演出するとしたらどんな方法がある?」
ハルたちを隔離する為に用意されたこの空間。まるで無限の彼方まで続くかのようで、何処まで行こうが壁や出口があるようには思えない。
一応はゲーム内であるはずだが、これではゲームというには少々退屈だ。早々に脱出して楽しく遊びたいものだ。
「うむ、まず考えられるのは、極大の空間を生成して、その中心に放り込むことだ。単純でお手軽だね」
「実際は無限ではないけれど、事実上探索が不可能なら無限と同じってことだね」
「そうだともハル。次は、空間を無限ループさせることだ。こちらは省スペースが売り!」
「現実世界じゃあないんだ。あまりスペースを気にしなくても良いはずだけどね」
「私たちのゲームでは、割と重宝しているよ」
セレステたちのゲームは、異世界の現実上をフィールドとして開催されている。スペースの確保は、死活問題だろう。
「あとは、“進んでいると無限に錯覚させ続ける”ことかな」
「周囲の背景をスクロールさせておけば、僕らは進んでいると思い込むからね。現実的で手間いらずだ」
特に比較対象となる物体の極端に少ないこの場では、本当に進んでいるか否か判断に困るだろう。
例えるならば、かろうじて星灯りの届く宇宙の辺境にぽんと放り出されたようなもの。
どれだけ進もうが、自分は進んでいるのか戻っているのか、一向に見当がつかないはずだ。
「しかし、今回はどれでもない可能性があるね? この仕様で無限の空間を用意するリソースなどないはずだし、ループ処理を発生させているならその違和感に私が気付く」
「じゃあ錯覚は?」
「一番ありそうではあるがね。私と君の知覚を誤魔化すには、やはり無理があるよ」
そもそも、この空間に居るハルはいったい何なのだろうか?
精神だけがゲームにログインしたようだが、キャラクターは『ローズ』ではなくハルそのもの。それどころか、ルシファーに搭乗したままだしセレステまで居る。
「セレステが巻き込まれた理屈は分かるけど、何でルシファーまでそのまま? 彼女らに、ルシファーを招き入れるメリットなど無いだろうに」
「余裕の表れか、はたまた予定外の事故か。私としては、後者だと有難いのだが」
「本当は僕だけをログインさせたかった?」
「だろうね。さしずめ、私がルシファーごと包み込んでいたから、全てひっくるめてハルの体だと誤認してしまったのかな?」
そんなことがあるのだろうか。単に、基本体のキャラクターに放り込んでおけば済む話だろう。
キャラクタークリエイト前のボディでもいいし、カゲツの空間で使ったステータスの無いボディでもいい。
「……ん? もしかして、この体の作成者はカゲツか? 彼女も、このトラップに関わっている? となると空間はガザニアとか。いや、彼女の空間こそ無限とは程遠い」
「考え事の前に、この空間内を見て回らないかなハル? 肉体のスペックも、確認しておくべきだ」
「確かに」
流石は武神様。ハルたちの中で最も身体制御に優れる者なだけはある。
確かに周囲にまだ敵の居ない今、この体でどれだけ出来るか確かめてみるのも重要か。
「そもそもルシファー動くのかな? ……あ、動いた。ハリボテじゃない」
「再現度はかなり高いようだね。私の身体が、この姿をとれた時点で不思議ではあったが」
「そういえばセレステも変形してたね」
「変身、と言ってくれたまえよハル」
ルシファーを覆っていた外殻の状態から、今の女性の姿に変身したセレステ。それは、彼女の神としての特性もこの場に反映されているということだ。
セレステの神の身体は魔力で構成されており、物質的な肉体とは見た目は同じでもまるで異なる。
そんな彼女が形態変化を行えているのは、この空間で魔法が使える事を示していた。
「その変身、どのくらい自在に行えるのセレステ?」
「ん? どうしたのかなハル? もっと高身長のお姉ちゃんに甘えたいかな? それともお姉ちゃんだけど背の低い方が好みかい?」
「やかましい。魔法の再現度の話だ。あと君はお姉ちゃんではない」
「つれないねぇ」
動作チェックで機敏に動き回るルシファーの肩の上で、これまた器用に宙返りなどしつつ体の調子を見るセレステ。
その体を動かせている事そのものが、この世界で魔法が使用可能な事の証明でもある。
「結論から言えば、問題なく使用可能だ。ただし、<スキル>として登録された物は持ってこれない」
「あくまで、自身の技術と知識の範囲内で、ってことか」
それでも、神であるセレステなら万能に近かろう。多少の不便はあるだろうが、非常に心強いと言える。
「制限はそれだけではないよハル。もっと深刻なものがある。この世界には、魔力が無いからね」
「なるほど……」
魔法を使うときは、何をするにも燃料のように消費する魔力。その魔力が周囲に無い状況では、体内に溜めこんだ魔力で魔法行使するしかない。
今までは異世界でやりたい放題やっていたハルだが、それも魔力が使い放題だったからこそ。
「極論、指一本動かすだけでも体内の魔力は消費される。お腹がすくようなものだね」
「節約しないとね。セレステは神様としてそこそこ持ってるだろうけど、僕はMP換算で数千がいいとこだ」
「案ずるな、困ったら、私が魔力を分けてあげよう! お姉ちゃんだからね」
「だからお姉さんぶるなと……、あと、今の話の後だとなんかヤダ……」
魔力がセレステの身体そのものだという話をしたばかりだ。少々抵抗がある。
しかし、ルシファーの動力はその大部分が魔力が潤沢に使えることを前提とした設計だ。有事の時は、そんなことは言っていられないだろう。
ハルは無駄遣いは極力避けつつも、しかし大胆に、そのルシファーを駆りこの無限に広がる空間を高速飛行していくのだった。
*
「とりあえず、動力は対消滅エンジンに頼るとして、問題は機体の維持の方だね」
「エーテルの無尽増殖だったね。こう考えてみると、燃費が悪い」
「そうなんだよね。基本的に、魔力があること前提の造りだから」
飛べども翔べども変わらぬ風景の中、ハルは時間と共に劣化していくルシファーの機体を調整する。
この巨大な天使の体内は、かなりの部分が空洞だ。そこを、ぬいぐるみに綿を詰めるように、ぎっしりとナノマシン『エーテル』を詰め込んで体を構成している。
このナノマシン自体は物質だが、その生成には魔力を、<物質化>を使用している。
パイロットであるハルの体から無限に魔力が供給されるので、実質エネルギー切れとは無縁であった。
「しかし今は、この世界に魔力を持ってこれない」
「外部のハルと、リンクが断たれた訳ではないのだろう?」
「うん。今も問題なく繋がっている。となると……」
「この世界の魔法も魔力も、単なる見せかけ。エミュレーターだということだ」
物理法則に加え、魔力までも含めた環境再現。それが、この世界の実態であるとハルとセレステは結論付けた。
現実と酷似しているが、しかし現実ではありえない。『ワールドシミュレーター』と言えば、通りが良いだろう。
「どうして彼女らがこんな世界を用意しているのか、そこに興味は尽きないが」
「そうだね。今は、この退屈な空間からの脱出が優先だ」
「うむっ! なにか、突破口は見えたかな、ハル?」
「多少は。やはり、この『無限』はセレステの言う『三番目』、錯覚による無限ループだろう」
このやりすぎ最新鋭機であるルシファーを持ち込ませたことが仇となった。ルシファーに搭載された各種センサーは、この詳細に再現された仮想世界の構造を詳細に暴きだし、現実との差異を丸裸にする。
セレステの方も、神としての知覚力で既に何かに気付いたようだ。
先ほどから、ハルはルシファーを恐るべき速さで飛翔させ、この世界を進んでいる。
ゲーム内で言えば、既にワールドマップを何周もし、元の異世界で換算しても惑星を軽く一周する距離だ。
それだけ進んでも変化がないのは、まさに無限のマップに思えるが、『現実をエミュレートした』『無限のマップ』などというものは、どう考えてもあり得ない。どこにそんなリソースがあるというのか。
ならばそれは有限を無限に見せかけているだけであり、転移によるループ処理の兆候が見られない以上、錯覚の可能性は高い。
「僕らの周囲の空間が、何かの力で歪んでいるね。これは、僕の環境固定装置の逆バージョンか」
「逆バリアということだね」
無数に空間を寸断して距離を拡張し、進めども進めども決してハルに攻撃を届かせないバリアとしても機能する、ハルの『宇宙服』。
それと同様の力を逆向きにしてハルの周囲を包み込めば、ハルがどれだけ進もうと決して外部に到達できない。
環境固定装置の設定をする際は、決してそこを間違わないようにしよう。
「そうと分かれば話は簡単だねハル。バリアが張られているのと同じならば、バリアが耐えきれぬ攻撃で突破すればいい」
「簡単に言うけどねセレステ。割と強力だよあのバリア。破るとなると、相当なエネルギーが……」
「だが出来るだろう? そのルシファーなら! なに、反物質砲で適当に吹っ飛ばしてしまえばいいさ!」
「……不安だなあ、自爆にならないか。うん、やっぱり荷電粒子砲にしておこう」
「思い切りの悪いことだね。まあ、ハルらしいが」
慎重派と言って欲しい。特に、今はセレステが肩に乗っているのだ。狭い『バリアの部屋』に囚われた状態で、いきなり全方位攻撃を放つ気概はハルにはない。
エネルギーを供給してくれるセレステのことを考えれば、そちらの方がコストが安いのは確かなのだが。
「まあいいさ! 私は君の騎士、君の電池だ! 存分に無駄遣いするがよかろう!」
「ちょっと嫌味な言い方やめて? あと懐かしいね」
電池をエネルギー源として利用することはほぼなくなった現代だ。このあたりの感覚は、神様たちに共通の古さなのだろうか。
そんなセレステの好意にあやかり、ハルはルシファーの腕に強力なビーム砲をチャージしていく。
空間を無限分割したバリア、というといかにも強そうだが、実際には無限ではない。言葉の響きの問題だ。
拡張した距離を突破する威力の攻撃は防ぎきれないので、過信は禁物。その大威力を、ルシファーの力を借りて見えないバリアに撃ち込むのだ。
「私とルシファーを持ち込ませたのが運の尽きだったようだね! さあハル、見せてやるといい! 神を撃ち落とした君の力を!」
「ああ、力を借りるよ、セレステ」
「発っ射っ!」
ハルの代わりに勢いよく腕を振り払い、肩の上のセレステが号令を下す。それに合わせ、ルシファーの手からは極大威力のビーム砲が撃ち放たれた。
それはこの無限の世界をどこまでも直進して行くように思えたが、途中でついに何かの壁にぶつかって炸裂した。
その遠方で起こったはずの衝突は何故か目の前の空間を打ち砕き、ひび割れるようにしてハルたちの周囲を覆っていたバリアを消滅させたのだった。




